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昨日、インターネットTV「Will-BeStation」から生放送させて頂きました、『歴史のお話』“桃井春蔵直正”御覧頂き、ありがとうございました。幕末の志士達が多く通った“江戸三大道場”の一角を為す、鏡心明智流・士学館の道場主。その生涯は、波乱万丈…。見逃したというアナタ!こちらから、録画を御覧下さい!↓↓↓↓↓https://www.youtube.com/live/saZvwI6lFms?si=r1TkYSUDyjf85kEe歴史のお話~第148回「桃井春
身を浅く思ひ、世を深く思ふ宮本武蔵(1584年-1645年)名前本姓は藤原氏[注釈2]、名字は宮本、または新免。幼名は辨助[注釈3](べんのすけ)、通称(百官名)は武蔵、諱は玄信(はるのぶ)である。号は二天、また二天道楽。著書『五輪書』の中では新免武蔵守・藤原玄信と名乗っている。熊本市弓削の墓碑は「新免武蔵居士」、養子・宮本伊織が武蔵の死後9年目の承応3年(1654年)に建てた「新免武蔵玄信二天居士碑」(以下、小倉碑文)には「播州赤松末流新免武蔵玄信二天居士」と
初めの少しのゆがみが、あとには大きくゆがむものである宮本武蔵(1584年-1645年)宮本武蔵(みやもとむさし)は、江戸時代初期の剣術家、大名家に仕えた兵法家、芸術家。二刀を用いる二天一流兵法の開祖。京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名である。後世には、演劇・小説・漫画・映画やアニメなど様々な映像作品の題材になり、現代では「剣豪」または「剣聖」と称されている[2]。特に吉川英治の小説『宮本武蔵』が有名であるが、史実と異なった創
曹洞宗大本山總持寺。仏殿の背後、後醍醐天皇霊廟の前を通り過ぎ、墓地に入るとすぐに見えて来るのが…↓「神刀流開祖天下無敵日比野雷風居士墓」と書かれた非常に背の高い墓石。日比野雷風とは、幕末の剣術家で、江戸に神刀流道場を開いたという。そして、この神刀流道場では、剣術ばかりでなく、槍術や棒術、柔術等、多岐に渡る武術・武芸を教えていたとか。作務衣メンズ冬用フリース冬男性女性レディース暖かい厚手裏起毛おしゃれSMLLL3L4L大きいサイズ
ひろさちや氏の心に響く言葉より…小野次郎右衛門忠明といえば、江戸初期の剣術家で、小野派一刀流の祖である。あるとき、彼のところに一人の剣客がやって来て、弟子入りを請う。彼はある程度、基礎ができていた。「先生、わたくしが本気で修行すれば、どれくらいで奥義(おうぎ)がきわめられますか?」「そうだな、貴殿の腕前で本気でやれば、五年でいいだろう」小野忠明はそう答える。「では、寝食を忘れてやれば、どれくらいかかりますか?」「それなら十年は
人の目線が気になる瞬間は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようウィンクの日、去年もあったなあ。お題が違うだけか。目線で気になるのは殺意だろうね。それも剣術家の殺意。20時すぎまで飲んで帰るともえぎの殺意が凄いの。まあ、もえぎが小さいとき、飲み歩いて、寝るときに帰って来なかったから、不安な思いをさせてたんだね。多分もえぎはその感情を思い出してるんだろうと思う。だから、普通の飲みは、20時までに帰ってきます。もえぎが家にいなくても。
【問題】剣術家としても知られる富田重政は、もとは次のうちどの家の出身か?【選択肢】長家真柄家椎名家山崎家【正解】山崎家【解説】富田(とだ)重政は、山崎景邦の子として生まれた。天正12年(1584)に、前田利家の家臣で、中条流剣術を継承する富田景政の娘を妻に迎え、景政の養子となった。
宮本武蔵さんといえば戦国時代から江戸初期に活躍された剣術家として有名ですが、実体験を元に執筆された兵法書が『五輪書』(ごりんしょ)これをわかりやすく短い物語としてまとめた本に出会いました。ズバリ「宮本武蔵の『五輪書』が面白いほどわかる本」五輪書の中の15個の項目を抜き出して今の時代にわかりやすい話にして解説くださっているので頭に入ってきやすく楽しくあっという間に読めました。後ろに原文と訳も載っているのですが訳だけを読んでも最初の物語ほどは理解で
今日の稽古場先週に引き続き、武器取り技を集中稽古でした。合気道という武術の正体は<素手による武器取り>の武術です。1876年(明治9年)の廃刀令、つまり帯刀禁止令により、表向きは腰に刀を刺す事はなくなったようですが、刀を仕込み杖にして、持ち歩くことはよくあったそうです。当時の合気道にとって脅威なのは、剣術家でした。そこで、柳生新陰流の『無刀取り』のように、無手による武器取りの稽古を主体にしたのが、合気道という新興武術です。<護身派>の合気道S.A.では『武器取り技』の稽古を丁寧にします
1571年奈良市柳生町に柳生庄の領主・柳生宗厳の五男として生まれる。江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流の地位を確立した。3代将軍徳川家光の兵法指南役となり、新陰流を伝授する。初代の幕府大目付となり、老中・諸大名の監察を任とした。その後も功績をあげ大名に列し、大和国柳生藩を立藩。一介の剣士の身から大名にまで立身したのは、剣豪に分類される人物の中では、日本の歴史上、宗矩だけであるhttp://w
演武派の合気道でよく見かける、手刀で相手の頭に打ち込む姿。それを受けて一ヶ条で抑え込む。その光景を見るたびに思うのが、あの受けのままで意味があるのだろうか?脳天への空手チョップ攻撃は、昔、武道仲間の飲み会では、笑いネタでした。「どこの世界に喧嘩でいきなり、あの遠い間合いから手刀で相手の頭に打ち込む人間がいるのか?」「いくら試合をしない不思議な武道でも、あまりに現実を知らな過ぎではないか?」合気道の師範として、今は説明できます。あの脳天への手刀チョップは、日本刀で斬りつけられた状況を
合気道の開祖は、天才武術家の植芝盛平翁です。大東流合気柔術の武田惣角翁からは、短期間の指導でしたから、残念ながら極意である『合気揚げ』の技法までは学べなかったようですが。しかし、代わりに円運動や球体運動を術理とする合気道という別のタイプの武道を作られました。その合気道ですが、私が学生の頃、酒席で武道、格闘技の仲間が集まると、笑いネタにしておりました。「どこの世界に喧嘩で、手首を握ってくる奴がいる?」「しかも、ご丁寧に両手首まで握ってくるか?」「顔面を殴らずに、いきなり脳天に空手チョッ
インターネットTV“Will-BeStation”『歴史のお話』第22回上泉伊勢守特集、ご覧頂き、ありがとうございました。何故、上泉伊勢守は“剣聖”とまで呼ばれるのか?見逃したアナタ!こちらから録画を御覧下さい!!↓↓↓https://youtu.be/dRKst1CxDY8※チャンネル登録も、どうぞ。安心して下さい。登録も、視聴も、無料ですよ!次回は、10/16(月)PM8:00~“柳生新陰流”特集です。是非とも、ご覧下さい!
8月19日に放送されたUSTREAM番組「歴史のお話」@Will-BeStaion剣豪シリーズその1塚原卜伝!剣術家のハシリと言われる塚原卜伝。一体、何が凄かったのか?見逃したというアナタは、こちらから録画を御覧下さい!!↓↓↓次回は9月19日(月)20時よりお題は剣豪シリーズその2上泉伊勢守です。お楽しみに!