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第49回日本古武道演武大会久々の日本武道館だったので、売店で自分へのお土産なんぞを探すTシャツの類は、自室に数限りなく在庫があるので・・・・今回は、こんな物を購入日本刀型シャープペンシルとデニム地の武道館バッグ未使用の剛竜馬”バカ”Tシャツを持っている国際紅流拳法道連盟でした。
新年、明けましておめでとうございます。昨年中はこのブログを見ていただき、ありがとうございました。UPするたびに見ていただけてる方、増えているようです。ありがとうございます。この2026年もよろしくお願いいたします。もう昨年末(といっても昨日)ですが、秋葉原の書泉ブックタワーで開催されているUWFイベントに行ってきました。このイベント、第一次UWFの無限大記念日から40周年になるとのことで開催されたイベントです。そういえば前日にGLEATではUWFリミテッドのタイトル戦、アクト
美味しい冷凍食品を教えて!▼本日限定!ブログスタンプ炒飯美味しいよね?あと回転焼き(二重焼き)…😋あ!でも昭和時代は「冷凍みかん🍊」かな?…「冷凍食品の日」日付けは10月は食欲の秋でかり、「れいとう(10)」の語呂合わせと「18」は冷凍食品を保存するのに適した温度がマイナス18℃であることから冷凍食品の始まりは、1900年代のアメリカ🇺🇸でジャム加工用のイチゴ🍓輸送のために冷凍したことからだそうです…🧊「ミニスカートの日」1967年(昭和42年)イギリス🇬🇧から「ミニの女王」と
10月18日が命日・忌日の有名人・著名人1866年満70歳没(?)フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトさん医師、博物学者⇒『フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年2月17日生~1866年10月18日没医師)』1871年満79歳没(尿路感染症)チャールズ・バベッジさん数学者、発明家計算機を考案1889年81歳没(?)アントニオ・メウッチさん発明家電話の最初の発明者1893年75歳没(脳梗塞)シャルル・グノーさん作曲家『グノーのアヴェ・マ
新・ドラゴン藤波大年表2025101979年日米を股にかけたチャンピオンロード。ただ、伏兵に足をすくわれて、連続防衛記録は途絶えた。唯一の「8.26夢のオールスター戦」にも出場藤波は、シリーズ中にタイトルマッチ。オフになるとアメリカ遠征へ。まさに太平洋を股に掛けたチャンピオンロード。8.26のオールスター戦にも堂々の出場。馬場と猪木のタッグに、藤波もマスカラス・ジャンボ鶴田とタッグを組み、お祭りに華を添えた。WWWFがNWAに加盟し、「世界」の文字が
3月10日月曜日、そろそろ梅も見ごろかなと、堺市の荒山公園に出かけることにしました。南海電車で、泉ヶ丘駅へ。到着しましたのは、10時過ぎ。これより、泉ヶ丘緑道に向かいまして、荒山公園まで走るわけです。そう言えば、ランニング終わりに、こちらで昼呑みしたこともありましたが。この日は、何故か開店していません。朝やからやろが、くそポンコツアル中変質者っさて、梅は満開の姿を見せてくれるのか、楽しみであります。泉北ニュータウンは、計画都市ですから。緑道には信号がありません。しかも、緑豊か
何処だろうねココ…。パイオニア戦志…。戦士じゃなくて戦志だよ…。前の3人…名前判らないけど実はFMWの若手たちよりパイオニア戦志の若手の方がレベルは高かった…。プロレスってなんだろうね…。
前回に引き続き、プロレスフィギュアネタです。今回は『ハズブロWWFプロレスフィギュアを改造して、懐かしの新日本プロレスのレスラーであり全日本プロレスのレスラーでもあるプロレスラーを作ってみよう』のコーナーで行きたいと思います元国際プロレス出身の新日本プロレスと全日本プロレスのプロレスラーのフィギュアを作ると、必ずのように名前が出てくる選手がいます。【プロレス馬鹿】こと剛竜馬選手です。国際プロレスOBとしてだけでなく、ジュニアヘビー級時代の藤波辰巳選手の世界やUWFの世界のフィギュアも作っ
お疲れ様です。辰年のサラリーマンです。今日はプロレス万歳!辰年、ドラゴン、竜、龍、辰、等々にちなんだレスラー特集です。何か大事な方を忘れてる気もしますが…思いついた限りで記します。懐かしい面々も登場しますので、お暇な方はご覧ください。まずは日本のプロレスファンならばやっぱり1番に来るのはマッチョドラゴン、藤波辰爾さんでしょう。今なお現役で活躍されているレジェンドに敬意を表します。次に天龍源一郎さん。今年も天龍プロジェクトには期待しております。そして究極龍、ウルティモ・ドラゴ
プロレスリング・ノア|PROWRESTLINGNOAH@noah_ghc/"武藤敬司引退大会=""in東京ドーム"の50万円&10万円シートは【売り切れ】となりました🙇♂️‼️\「keiji=""muto=""grand=""final=""pro-wrestling=""“last”=""love~hold=""out~…=""https:=""t.co=""kqiembxqpi"="2022年09月10日10:51📅2023年2月21日(火)
『アポロ菅原の嫁の話❣️第4話ウルトラセブンの思い出』ウルトラセブン4Kリマスター版-NHK1967年10月1日に放送が開始された「ウルトラセブン」。当時のフィルムをデジタルスキャンし、4K・HDRでよみが…ameblo.jp新日本プロレス「3DAYSBATTLE超実力派宣言」2日目1990年5月5日後楽園ホール試合結果|プロレス試合結果データべースprowrestlingdata.com1990年5月5日(土)東京都:後楽園ホール観衆:2,200人(超満員札止め)
さて、本日はこちらのカードから夢闘派には久しぶりの登場となる高杉選手が山田選手とシングルマッチという事ですが・・・実は高杉選手の参戦については紆余曲折ありまして・・・そもそも第三ブランドに参戦をお願いしていたんですが、これまた"諸事情"により(笑)第三ブランドに出場が厳しくなりまして・・・ちょっと疎遠になりかけたんですよ、正直な話。ところが1月、とある映像撮影に自分が行った時、その現場にいたのがなんと故剛竜馬選手の奥さん。そして自分、彼女が中学生の時から顔見知りという(笑)、実に
文武両道偉人列伝50「剛馬(竜剛馬)(川邉賢一郎)…東大卒のプロレスラー兼弁護士」剛馬–プロレスリングBASARAオフィシャルサイトbasarapw.comhttps://www.tbs-casting.com/speakers/623-ryu-goma竜剛馬(プロレスリングBASARA)オフィシャルブログPoweredbyAmeba竜剛馬(プロレスリングBASARA)さんのブログです。最近の記事は「研究員じみた自己紹介」です。ameblo.jp弁護士法人Nex
(藤波名勝負特選108戦より)凱旋帰国の藤波にとって、最大のライバルが出現。それが、思いもよらない日本人選手だった。今回の「藤波さん名勝負」は、ジュニア時代の名勝負から。。週刊ファイトの井上編集長の「喫茶店トーク」からの考察つきです!!●藤波vs剛竜馬▼WWWFジュニアヘビー級選手権61分一本勝負1978年(昭和53年)7月27日香川・高松市民文化センター○藤波(13分52秒・原爆固め)剛×▼試合経過と試合について剛竜馬。本名:八木宏。国際プロレ
1992年10月23日日本武道館観衆16,200人(満員札止め)格闘技世界一決定戦3分5R○髙田延彦<プロレスリング>(3R0分46秒ハイキック・KO)×北尾光司<第60代横綱・双羽黒>’92年10.23日本武道館Uインター格闘技世界一決定戦。この興行は闘魂三銃士、四天王プロレス、UWF系3派分裂の他にインディーズ団体の旗揚げと百花繚乱のプロレスブームの中で行われた興行であるが、この時代というか、今現在に至る迄に私が見たプロレス興行の中で最も客席が沸いた最高の興
四六時中オパイのことばかり考えている馬鹿な(素晴らしいの意)皆様のおかげで、Aブロックのブログアクセスが72時間で300を超えました!開幕戦の対戦カードへのクソリプ・コメント等もお待ちしております。引き続きよしなに🙇♂️#オパイマックスpic.twitter.com/05FPmuUP9d—マスク・ド・パイオー@G1オパイマックス運営(@kuwakocho110)2021年5月10日プロレスバカが神風を起こしたのも束の間、あっという間に引き摺り下ろされちゃいました!昨日
「前略おふくろ様」のテーマyoutu.be『アポロ菅原の嫁の話❣️外伝セブンの…❸馬鹿』商品名極太親父TシャツPB(プロレスバカ)ブラウンバージョンこの、デザインは、2009年に、永眠した、プロレスバカと言う、愛称で、人気を誇った、ある、プロ…ameblo.jp前略おふくろ様今朝、目を覚まして朝食の後に確認すると、前日のブログアクセス数が600を超えておりました。『アポロ菅原の嫁の話❣️第1話THEWORLDWON'TLISTEN』どうも、新しくblogをアッ
商品名極太親父TシャツPB(プロレスバカ)ブラウンバージョンこの、デザインは、2009年に、永眠した、プロレスバカと言う、愛称で、人気を誇った、ある、プロレスラーをモチーフに、デザインしています。映画で、ミッキーローク主演の、「レスラー」と、言う、映画を見た時に、これは、まさに、「極太親父」だと、思いました。まあ、まさにと、言うか、少し違うけど。dmm.heavy.jp1978年7月27日日本武道館主催者発表≡8,700人WWWFジュニアヘビー級選手権試合61分1本勝負◉藤
お疲れ様です。マッチョドラゴン!「藤波辰爾自伝」今なおファンの脳裏に鮮烈な記憶を残す試合の陰で何が起こっていたのか?「名勝負製造機」としてマット界を牽引しつづけてきた名レスラーが、プロレスラーとして、そして団体トップとして味わった栄光と苦悩を真摯に綴る。藤波辰爾1953年大分県生まれ。70年日本プロレスに入門し翌年デビュー。72年アントニオ猪木の新日本プロレスに旗揚げに参加。74年カール・ゴッチ杯で優勝し75年海外遠征に。78年MSGでWWWFジュニア王座を獲得し凱旋、ドラゴンブーム
先日、スーパーでみつけて買ってみました。納豆の「京都竜馬」ショア!!と叫ぶプロレスラー(故人)のあのかたではなく、もちろん坂本さんの方です。番組終了後30分以内に電話したわけでもなく、ショップスターバリューでもなければ、キャストのイチオシでもないのに、1個増量してくれる太っ腹なところが、いかにも龍馬っぽくないですか?いや、ないですね・・・。小粒だし・・・・・・。ちなみに、小粒というわりには粒は大きめで
8月24日、河出書房新社よりプロレスラーの妻たちに焦点を当てたノンフィクション『妻たちのプロレス男と女の場外バトル』が発売された。これはスポーツ報知の福留崇広記者と週刊プロレスの元編集長ターザン山本の共著である。取り上げられているレスラー夫婦は力道山&田中敬子、髙山善廣&奈津子、剛竜馬&八木幸子、葛西純&三知代、藤波辰爾&伽織、ジャイアント馬場&元子の全6組だ。このラインアップからもわかるように、日本プロレス界の父から、デスマッチファイターに至るまで、あらゆるタイプのプロレスラー夫婦が網羅さ
アントワーヌ・ブールデル(1861年10月30日-1929年10月1日)は、フランスの彫刻家です。1893年にブールデルはロダンのアシスタントとなり、ロダンは、ブールデルの賛美者となったのですね。ブールデルは先生としても人気があり、マイヨール、ジャコメッティー、保田龍門そして、佐藤玄々も、ブールデルから学んでいるんですね。凄い近代彫刻に影響与えた方なんですね。
今日は何の日フッフー今日はこの方の誕生日↓剛竜馬さんご存知の方はどれくらいいるかな?この人はプロレスラーでしてスープレックス系の技がまあ上手くて蟠龍は好きだったんですがどういうわけかどうもこの人は人望が無く波乱の人生で亡くなった時も何人かに電話したらしいけど誰も出なかったそうなそれではそんな剛竜馬さんの試合をご覧いただきましょう素晴らしいジャーマンスープレックスだそれではここでミュージックコーナー今日はTMNETWORKの名曲を聴いていただこうく〜〜
こんばんは🌙😃❗かっぺライダーです❗昨日は部活のOB会の記事でした。で、実は日曜日はツーリングでした。道の駅常陸太田に9時に集合メンバーはこれまで何度かご一緒させて頂いているIさんとお初のMさんIさんはBMWF700GSからBMWR1200RTに乗り換えたお話を聞いていました。う~ん、RTも素敵です❗MさんはスズキのVストローム1000これもいいバイクですね🎵んで、行き先は福島県白河R349(通称太田街道)を北上福島県矢祭町でR118に剛竜馬ア、
今から遡ること31年前の1978年1月23日。ニューヨークはマジソンスクェアガーデンにおいて、藤波辰爾がWWWFjrヘビー級タイトルを見事奪取した日です。この試合、今でも鮮明に記憶しています。一片の無駄もない鋼のような肉体。カミソリのようなキレのある動き。その場飛びからの顔面に突き刺すドロップキック。猪木とはまた違う凄み。猪木にはない明るさ。そしてとどめは飛龍原爆固め。ドラゴンスープレックス。何、この技!?カール・ゴッチ直伝!!こんな技が実際に存在するなんて、目で見ても信
年松、事務所を掃除していたら、昔の写真の山を発見まあ、全部掲載したら、量が多いので、一部掲載これらの写真は、20~25年前?(;・ω・)...当時、プロレス団体数が、そこまで多くなく、ましてや、熊本に来るプロレス団体は限られているので、試合後、よくプロレスラーと飲みに行っていました(芸人の人も一緒の時もありました)今、写真を見ても、知らないプロレスラーもいますね(;゜∀゜)そんな、20代の頃の数ページ下のボタンをポチッとお願いします
地球が地球が大ピンチ、[ひ]~ちゃんです。自然災害が続いております。この四日市も台風の爪痕が今も残っています。被災されたみなさま、お見舞い申し上げます。平穏な日々が再び訪れますように…。さて。またまた放置してしまいました、当ブログ。今回よりやっと今年=2018年のお話をお届けします。新春(当時)第1弾は、こちら。1.6、名古屋錦メルローズで行われた『歌い初めこれで決まりさ!2018新春アニソンまんがまつりinメルローズINFI
1986年のプロレスを語ります。今回も全日本プロレスだけど…誰かがクビになったの?当時、全日本プロレスには全日本プロレス軍、長州力率いるジャパンプロレス、そしてラッシャー木村率いる国際血盟軍と日本レスラーがたくさん参戦していました。もちろん外人レスラーも来日していました。1986年3月2日の岩手県陸前高田市民体育館大会を最後に3人のレスラーが消えました。それは…剛竜馬高杉正彦アポロ菅原最後の試合が…第3試合○保永昇男(7分51秒回転エビ固め)×高杉正彦第5試合○マイティ