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長女が腕の手術の為入院しました。昨日帰ってきた2女も一緒に来てくれて送った帰りに2女の推し活尾山神社に参拝2女は挨拶に😁国宝の刀を見てきました。2女の推しの刀らしいです。前田利家が所持していた刀らしいです。国宝ってあまり見る機会がないので2女のおかげでいい経験をしました。…でも体を真っ二つにもできるほどの切れ味で何人もの人を斬ってきたかと思うとなんというか、とても緊張感のある空間でした。なかなかupできないですが、これまでの出来事を時間をみては記録としてぼちぼちupしています🙇
社員旅行に行ってきました昼食の時間までに余裕があったので、尾山神社によりみち鳥居をくぐったら、変わった形の門がありました。本殿?前田利家の象このあと、叙々苑で昼食
名古屋城西の丸で、佐賀県にある幻の巨城「名護屋城」が紹介されています。名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として築かれた城。1592年の開戦から撤退までの7年間のみ存在しました。当時大坂城に次ぐ規模を誇ったとされる名護屋城跡ですが、徳川家康や前田利家など150箇所にのぼる大名たちの陣跡が大きな魅力です。もう一つの「なごや」と言われる名護屋城跡は、日本100名城のひとつでもあります。肥前名護屋城跡ブースは、29日(月)まで設置。(2024年4月28日)▼4月28日(日)、名古屋城
期間:2024/04/23〜05/09※GWチケット2024が必要戦)前田利家:天下の律義者戦)小野好古:右文左武の智戦)竹中半兵衛:天賦王佐戦)島津家久:勇敢老練の将戦)渡辺綱:戻橋の美男子戦)浅井長政:湖北仁儀戦)本願寺顕如:栄諧僧正戦)寿桂尼:帰印の貫禄戦)武田信繁:一言九鼎の賢戦)武田義信:若虎の義烈©コーエーテクモゲームス
期間:2024/04/23〜05/08天井:100倍率:2倍初回:半額戦)徳川家康:大老筆頭の帥射)毛利輝元:維新の先触れ武)宇喜多秀家:千軍万馬の構射)小早川隆景:仁愛智将戦)上杉景勝:不変の面貌覇)前田利家:笄斬りの剛直射)赤座吉家:技巧家©コーエーテクモゲームス
ご訪問いただきありがとうございます大学3年生の息子と高校2年生の娘をもつアラフィフ主婦のなんのことはない日々のつぶやきを書き綴ったブログです子育て、節約、インテリア…思いつくままに更新していますどうぞよろしくお願いいたします気がつけば4月ももう残り1週間💦慌てて飾りましたよ今年は小さなこいのぼりと小学生の頃武将にハマっていた息子が買った、誰か?の兜(息子、捨てずに家に残していきました)Googleレンズで調べてみたところこの兜は前田利家の兜だ【高岡鉄器】ミニ兜
金沢城の東へ。城址に隣接して、金沢の守護が鎮座しています。擬洋風神門でも有名な金沢の名所。◆尾山神社◆江戸末期から明治初期に創建された、藩主を祀る神社のひとつ。石鳥居の先の神門の存在感。神門(国指定重要文化財)明治8年(1875)建立の擬洋風神門。第一層は戸室石を使った煉瓦の三連アーチで、第二三層は漆喰仕上げ。教会の様な見た目の中に注連縄という、唯一無二な光景。神門から参道を望む。また、各層の角がカーブした中国風な造
2月の金沢観光で、このブログでは名前を伏せて記事にした七尾城。『能登半島地震で立入禁止らしい北陸の名城『○○城』』能登半島地震の被害で、半島へのアプローチそのものがかなり制約されているし、復旧作業や支援活動と関係ない人の出入りがあると、必要な物流が妨げられたり、生活物資が…ameblo.jpあれから2ヶ月経って、特に状況は変わっていないが、七尾市のボランティアに来たついでに、改めて城攻めを敢行。難攻不落の名城なので、前日は念入りに準備。まず、七尾と言えば和倉温泉。震災で休業していた共
4月20日、妻の要望で方位的に吉方の方角に出掛ける事になり、私の行きたい方角と真反対な名古屋市の荒子の観音さんに出かけました…荒子観音寺(浄海山円龍院観音寺)尾張四観音の一つで、寺号は観音寺といい天台宗のお寺です。1,250余体の円空仏でも有名です。荒子観音寺は、天平元年(729)の創建と伝えられ、加賀藩主前田利家が天正4年(1576)に再建しました。多宝塔は天文5年(1536)に再建され、市内最古の木造建築物で国の重要文化財に指定されています。多宝塔の上層部は、禅宗様の様式を採り入れて
早いものでもう4か月目に入っています仮設住宅に入居された方も一部いらっしゃいますが復興は簡単ではないです半壊・全壊された方たちにとって住み慣れたわが家にもう住めないという事実公費で解体も余儀なくされ言葉に言い表せない事実これも自然が招いたことゆえ怒りの矛先が皆無ですボランティアの皆さんいつもありがとうございますm(__)m【1534】助けるのは無理だぜ!エーンそんな冷たいこと言わないで~~
金沢城と通りを隔てた高台へ。日本三名園、あまりにも有名な庭園がそこには広がっています。◆兼六園◆(国指定特別史跡)蓮池門口*入園料¥320金沢城の石川門の対岸に位置する蓮池門口。物価高の昨今、天下の名園に¥320で入れることの驚き。苔も美しく育っています。延宝4年(1676)、5代藩主・前田綱紀が別荘を建てて、造園したことが始まり。当時は蓮池庭と呼ばれていました。その後、宝暦の大火による焼失や藩校の建立などを経て、12代藩主・前田斉泰によ
2泊3日石川県漫遊初日。茶屋街から浅野川を渡り、金沢城へ向かいます。ご存知、加賀藩前田氏の居城です。ここは戦国時代、加賀一向一揆の拠点となった城塞寺院、尾山御坊があった地でした。そして、佐久間氏が尾山御坊を攻め落とした後の天正11年(1583)、豊臣秀吉に命じられた前田利家が入城し、以降、前田氏の居城となりました。◆金沢城◆(国指定史跡・日本100名城)元は堀だったお堀通りに架かる石川橋を渡り、城門へ進みます。石川門(国指定重要文化財)天明8年
金沢城公園の桜を観に行ってきました。金沢城公園の焼失と再建の歴史1583年、前田利家がキリシタン大名として知られる高山右近に築城の指導を仰ぎ、本格的な城づくりが始められたと伝えられています。1602年、落雷により天守が焼失した後、天守は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。1631年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出され内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。1759年の
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2024年4月5日(金)本作品が著者の第一作目と知って驚愕しました。恐ろしい程の才能です。加賀前田家を創始した前田利家の最側近である村井長頼を主人公とした作品で、幾多の苦難を乗り越えて加賀藩を創始して、守ったという物語です。歴史小説ファンには是非とも一読をお勧めしたい作品でした。2021年5月、講談社文庫。454ページ。作品紹介(講談社のサイトより)前田利家の忠臣・村井長頼が命を懸けて貫いた武士の本分。加賀藩の祖・前田利家が流浪した若きころから大名になった後まで付き従
前田利家は、戦国時代末期から安土桃山時代にかけての武将であり、織田信長や豊臣秀吉のもとで活躍しました。彼は加賀百万石の礎を築いたことで知られ、特に北陸地方での支配と開発に大きな足跡を残しました。前田利家の戦略眼と政治力は、その時代を超えて高く評価されています。前田利家の戒名です。「高徳院殿桃雲浄見大居士」院殿号「高徳院殿」は、前田利家が生前に示した高い徳と功績を讃えるものです。「高徳」とは、その人物が仏教の教えに従って高い道徳性を持ち、多くの人々に善をもたらしたことを意
天海(133)「石田治少卩入道去四日に大坂ヨリ伏見へ被行也、云々、今日も騒動了」(「言経卿記」閏三月七日条)「治部少輔を女の乗物にのせ、佐竹と同道して浮田居られ候備前嶋へ参り談合あり。内府へ此事を申入れ、何とそ無事に仕るべき由にて伏見へ赴く。秀家より家老をそへ佐竹同道あり。伏見にて治部少輔屋敷は御本丸の次、一段高き所なり」(「慶長見聞書」)大坂では、利家の死を受けて加藤清正、浅野幸長、福島正則、黒田長政ら七将が、清正邸に集合し、善後策を話し合っていた。これを
名古屋のサクラは明日か明後日が満開という予想です以前走っていたあおなみ線高架沿いのランニングコースにはサクラが何本か並んでいた記憶があったので今日はそっちのコースを走って開花状況を確認することにしましたこのコースは幹線道路の八熊通りを横切るので信号に引っかかると長く足止めされます今日はタイミングよく渡ることができました前田利家の像が立つ荒子駅から隣の南荒子駅まで高架に沿って走ります南荒子駅に近付くと白い花が見えてきました(まだちらほらだなあ)
天海(132)「是ヨリ先、石田三成、大隅帖佐ノ島津義弘ノ子薩摩鹿児島ノ同忠恒ノ、老臣伊集院幸侃(忠棟)ヲ誅スルヲ責ム、是日、島津氏ノ老臣、三成ニ陳辨ス、尋デ、所司代前田玄以等、忠恒ヲ山城高尾山ヨリ、伏見ニ迎ヘ歸ル。」(「史料綜覧」)三成は忠棟誅殺に激怒し、義弘を呼び出した。義弘は、伏見の出来事であり、詳細について不明である、調査して後日報告すると告げたが、三成は納得しなかった。例によって、頭ごなしに義弘を𠮟りつけたのである。「このようなことをしでかして、島津家が
色々コメントのやり取りをしていたら思いの外秀吉さまの好感度が低いことに気づく様つけしたくないほど嫌い(・ω・`)彡プィって言われちゃった思えば私も元々は秀吉さまの好感度は低くて確認取れたところでは好きランキングは6位ちなみに6位の根拠は『最近ネタってるから』一番最初は何位スタートだったかがもはやわからないとにかく一番最初に思ってたのは恋の沸点が低すぎてイヤ(・ω・`三´・ω・)イヤ犬千代ストの秀吉さまがイヤ(・ω・`三´・ω・)イヤだったのは超おぼえてるんだけど主ちゃん
天海(131)忠棟の妻は三度にわたり裁定に異議を訴えたが、「薩摩弁は意味が分からん。」と言って家康は取り合わなかったという。3月11日、伏見で忠恒の仕置きを行った家康は、すぐに大坂へ向かった。容体が悪化した利家を見舞うためである。この度の家康の大坂訪問は五奉行と五大老の合意でなされたものであり、後の大坂城入城の先鞭をつけたものである。家康は厳重に警固された大坂の藤堂邸に入った。旅装を改め、身支度を整えると、高虎の護衛を受けて大坂の前田邸に向かったのであった。これ
期間:2024/03/30天井:100倍率:3倍初回:半額覇)織田信長:尾張の大うつけ戦)平手政秀:魔王の傅役武)前田利家:赤母衣筆頭武)佐々成政:八相山の務め武)森可成:不退の十文字©コーエーテクモゲームス
期間:2024/03/29〜04/05天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額武)森長可:白衣夜叉の臨薬)徳姫:理非曲直の訴薬)羽柴秀長:豁達大度の仁武)佐々成政:八相山の務め武)前田利家:赤母衣筆頭射)堀秀政:名人久太郎星3射)傑山宗俊:会心撃・弐©コーエーテクモゲームス
期間:2024/03/29〜04/05天井:無し倍率:2倍初回:半額武)柴田勝家:瓶割り柴田武)前田利家:加賀の律義者武)前田利益:大ふへん者射)濃姫:蝮の懐刀©コーエーテクモゲームス
天海(129)家康もあっさり鋒を納めた。2月2日、家康は四大老、五奉行と誓紙を交わし、和解の証として利家と家康が相互に訪問することにしたのである。一、この度縁組の件につき御理の通り承り、以前と変わらず諸事入魂すること一、太閤様の遺言、五大老・五奉行の誓紙に背かないこと一、双方へ入魂の者へも遺恨を残さないこと利家は、伏見を訪問する時、「太閤様は薨御の直前まで秀頼様を頼むと言っていたのに、内府はもう勝手をしているのだ。私は内府に約束を守らせるために直談判
期間:2024/03/29〜04/05天井:無し倍率:2倍(☆4武将獲得するまで確率アップ)射)柴田勝家:学園戦国戦)前田利家:屋上の無頼武)前田利益:大問題児薬)濃姫:噂の美人©コーエーテクモゲームス
天海(128)遠山邸には続々と兵糧、武器類が運び込まれていて、蔵の中はまるで武器庫のようである。利景には与力も付けられ、屋敷は500名程の兵で厳重に警固されていた。隣接する加藤嘉明邸は、既に嘉明が大坂に移ったこともあり、暗く静まり返っている。「徳川屋敷には既に兵が5千人程度集まっていて、さらに続々と増えているようだ。与右衛門様から聞いたのだが、京極宰相が参加しているそうだ。」と嬉しそうに利景が言う。「うむ、いち早く南近江を抑えたのは吉兆だ。こうなれば佐和山も迂闊
2024年3月28日こんばんはいよいよ明日、プロ野球が開幕ですねいつもの年でしたら大々的に開幕特集をやりますが自分が昨年9月末に会社で転倒して以来何故かプロ野球関連の記憶がなくなってしまい残念ながら選手があまり分かりません…そのうち思い出すかもしれませんがベイスターズの選手はかなり覚えましたので明日の開幕をとても楽しみにしていますさて、北陸新幹線の延伸を記念して旅した福井県敦賀市と金沢市の日帰り旅北陸新幹線延伸記念シリーズから加賀百万石の栄華を語る金沢城の次に訪ねたのは
天海(127)「私はこの国の大老であるぞ。太閤殿下は私に伏見で政務を行えと直々に遺言しておるではないか。私が了解しておれば、それは即ち公儀であろう。何の不足があるか。」と家康は反論した。「しかしながら、公儀と申せばやはり豊臣家の宿老である奉行に話を通すのが筋であろう。」と吉晴が言うと、「何、宿老だと。五奉行がいつ宿老となった。大老である私が何故、配下も同然の奉行如きに報告せねばならぬのだ。」と家康は言い放ったのである。吉晴はこれ以上の詰問は困難と判断した。「
羽柴秀吉邸跡の向かいには、前田利家邸跡があります。この虎口、他ではちょっと見られない。いや、あるかも知れないけど、私の知識にはないです。石段の方からでは分からなかった。武井夕庵邸跡の石垣。修復とかしていない、残ったまんまなのかな。織田信忠邸跡。今は木々で遮られているけど、発掘などが進むと今よりもっと家臣や親族の邸宅跡が出て来るようです。石段の高さが緩やかに。森蘭丸邸跡。織田信澄邸跡。黒金門跡、石垣もより重厚さを増します!この先本丸ですからね。途中に供養塔。織田信雄四