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戦国時代末期から安土桃山時代にかけて、茶の湯は単なる嗜みや文化活動ではなく、政治的・社会的な機能を持つ重要な場でした。特に豊臣秀吉の時代、茶会は権威の象徴であり、結束を強める装置としての役割を果たしました。茶器はその象徴性を具現化する道具であり、所有することは地位や格を示し、取引や貸借は資金調達や人脈形成の手段でもあったのです。名物茶器や高麗製の希少な品々は、海外製であることや限られた流通により、文化的価値と同時に政治的価値も帯びていました。秀吉は自らの権威を内外に示すために茶会を活用し
…「へうげもの」と評され、その波乱の生涯がマンガにも描かれている武家茶人は誰か?「利休七哲」とは、利休の茶湯の弟子で武士の七人。利休の曾孫(ヒマゴ)で、表千家4代の「江岑宗左(コウシンソウサ)」が著した『江岑夏書(コウシンケガキ)』に、蒲生氏郷(ガモウウジサト)、高山右近、細川三斎、芝山監物、瀬田掃部(カモン)、牧村兵部(ヒョウブ)、古田織部(オリベ)が、挙げられている。又、織部の代りに織田有楽斎(ウラクサイ)を入れる茶書もある。古田織部
戦国の将村重の軌跡とその時代「荒木村重研究序説」海鳥社瓦田昇(かわらだのぼる)著信長麾下にあった荒木村重は、天正6年秋、反逆し有岡城に籠る。落城後、一人生き延びた村重は秀吉に茶人として仕え「利休七哲」に数えられた。膨大な史料を渉猟し、綿密な調査をもとに、乱世に埋もれた「異端の武将」に新たな光をあてる。(本文より)瓦田昇氏「人間、順境にある時は、驕りの心は生じることはあっても、人間の弱みやみじめさや、心の痛みなどなかなか感じることはできないものだ。健康な人が病弱な人の心を察するこ
【問題】利休七哲の一人・芝山宗綱の通称として知られるのは次のうちどれか?【選択肢】喜内惣蔵鉄牛監物【正解】監物【解説】芝山宗綱は芝山監物の通称で知られる。豊臣秀吉に仕える一方で茶人としても名を成した。千利休の高弟である利休七哲の一人に数えられ、利休からの書簡が多く現存する。
何だか変な姿の見えない台風が日本列島を縦断しているようです。線状降水帯も各地で発生するそうですが、これ台風ではなく気象〇器じゃないのかな。稲刈り前の田圃に影響が出ないと良いのですが。さて、読書しなければということで、今年の春、大三島にある大山祇神社へ参拝後に海賊ミュージアムへ訪れたこともあり、今は「村上海賊の娘」を読んでいます。時は戦国時代、大阪石山合戦における木津川の戦い(織田水軍対毛利・村上水軍)が舞台です。どうも話のストーリーはいまいち理解できないのですが、当時の大阪の地形で
数年に一度、お茶の先生の依頼で、お茶会のカメラマンのアルバイト。朝4時起きで、一日中、ひたすら撮影しておりました(尊富士の千秋楽を気にしながら)。ひと口に茶会と言っても、このお茶会は、濃茶席、薄茶席、作家席、男子席、立礼席と、5席もあるお茶会で(そんなのなかなかないでしょ)、その中を行ったり来たりしつつの撮影。天気がいまいちで寒さが辛かったです。さらに夜はその打ち上げの会、すっぽん鍋などいただきながら、またもや撮影。338枚を撮っていました。さすがにヘロヘロになり
わたしは読書をあまりしないので、知識の9割が漫画やアニメ、ドラマやその他テレビ番組から得たものという、あまり賢くない人間です。そんなわたしですから、近頃始めたお茶のお稽古についても、思い出すのはこの歌。↓↓↓たぶん利休七哲VariousArtistsの曲「たぶん利休七哲」はこちら、今すぐKKBOXを使って好きなだけ聞きましょう。www.kkbox.com↑↑↑歌詞が載ってますし、試聴もできます。10年以上前に放映されていた『戦国鍋』という番組内で、若手俳優たちが戦国時代の人物に
AとBで間違いが3つ難易度(★★★が最高):★★☆正解は↓http://poo.china-webstyle.net/zhaocuo_a/21902.html/
2023.4.21思わぬところで御城印岐阜県樽見鉄道の旅織部駅で下車、無人駅です駅に隣接する道の駅「織部の里もとす」このあたりは「山口城」の城下町だったそうです山口城:濃尾平野の北端部、本巣市の標高345mの権現山一帯には、近接して四つの城跡が残る。その西端にある山口城は、茶人で知られる戦国武将・古田織部が城主だったと伝わる地。さらに歴史は古く、江戸時代初期の『美濃国諸旧記』によると、鎌倉時代初期には、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する梶原景時が、城主であったと記さ
小さな出会いを大切に育てていくことで、人生の中での大きな出会いになることもあります千利休(1522年-1591年)千利休は、戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。わび茶の完成者として知られ、茶聖とも称せられる。また、今井宗久、津田宗及とともに茶湯の天下三宗匠と称せられ、「利休七哲」に代表される数多くの弟子を抱えた。また、末吉孫左衛門の親族である平野勘平衛利方と親しく交流があった。子孫は茶道の三千家として続いている。千利休は天下人・豊臣秀吉の側近という一面
数週間前に、息子と地元を散策してきました。毎日、暑いのでね、涼しい所を求めて。まずは、堺伝匠館へ。息子は、小学校で行った事があるけれど、リニューアルしてからは初めて。私は、最近、初めて入ったのだけど、売店フロアを見られなかったので、真っ先にそちらへ(笑)とっても広くて、凝ってる!刃物、お香、お茶、お菓子、手ぬぐい、堺に本社のある会社の酢や醤油他、おもしろ〜い😍ずっと居られるわ~♪若い起業者のこだわりの無添加のジャムなども種類、サイズが豊富にあって、これは今度友達に会えた時にプレ
おはようございます。今日は七十二候が移ります。【腐草為螢】(くされたるくさほたるとなる)草の中から蛍が舞い、光を放ち始める頃。昔は腐った草が蛍になると考えていました。今日は、下鴨神社で蛍火の茶会が開催されます。詳しくは、今日の京都の項をお読みください。********************************************************************************************************************
村重は信長の死後に秀吉が覇権を握ると安芸で剃髪し茶道の道に入り茶人荒木道薫として堺に住居を構え「利休七哲」の一人に数えられるようになります。利休の元には、多くの大名が門下としてあつまり、そのなかでも荒木村重、高山右近、蒲生氏郷、柴山監物、牧村兵部、古田織部らは、高弟として七哲と呼ばれました。参考花鳥の乱講談社文庫岳宏一郎著七人の弟子は、いったい何を求めたのか?茶の湯に人生の真実を賭け、反逆の熱き心を燃やした武将たちが織りなす乱世の人間曼荼羅。
『京都散歩~大徳寺【大仙院】は“枯山水”~2014.12.3』今年はコロナで色々と制約もあり都内の紅葉は観られませんでした。そこで今から7年前、2014年のこと、京都に行ったことを思い出して、記事にしたためてみます(*^…ameblo.jp京都散歩【大仙院】に続いては…同じく大徳寺の塔頭のもう一つ、【高桐院】にやってきました(^O^)/【高桐院】の開基(創立者)は細川忠興戦国時代の智将として名を馳せ、茶人としても利休七哲の一人として、知られています。本堂に続く、
おはようございます。連日の暑さにまだ身体がついていきません。みなさま方、体調はいかがですか?今日は七十二候が移ります。【腐草為螢】(くされたるくさほたるとなる)草の中から蛍が舞い、光を放ち始める頃。昔は腐った草が蛍になると考えていました。*****************************************************************************************************************************
●高槻市立小寺池図書館に行った時、“おすすめ本”の陳列棚をふと見ましたら、何と、「利休七哲三斎・右近を中心に」(古田織部美術館・編)が、目に飛び込んできました!2020年12月5日~2021年6月13日[今、開催中!]まで、古田織部美術館で開催されている企画展の展示資料を基に編集されているものでした。●その中に、初めて見る「髙山右近(等伯)書状」が紹介されていました。
令和3年1月23日(土)道徳も健康も、今日気をつけて今日変わるものではありません。行儀や思考も同様。資金、資産、資本も同様。ネットワークもしくみも同様。だから普段の、不断の支度が必要なのです。このパンデミック自体は人類のこれまでの叡智だけでは防ぎようはなかったかもしれません。一方でパンデミックに伴うあれこれの不都合は、これまでどうにかしておかなければいけなかったことをどうにかしてこなかったことによると考えます。一、茶は服のよきやうに点て二、炭は湯の沸くやう
ごきげんようhanaです織部焼き杯台古田織部(1544〜1615)戦国時代利休の弟子で特に高弟七人をいう利休七哲の一人有名な大茶人です有名な織部焼きや窓が6つもある茶室や独創的センスは多分ユニークな人柄そのままなのかも藪内剣仲(1536~1627)藪内流の祖やぶのうちけんちゅうという同じく利休の弟子仲間がいて剣仲は織部の妹を妻としていて、織部から茶室「燕庵」をもらってます。剣仲は利休からおくられた花入れを持っていたのですが織部は剣仲を訪ねた際そのかけ花入れをと
岐阜県本巣市。戦国武将であり茶人であった古田織部の生誕の地として知られます。古田織部(1544~1615)。山口城主であった古田重定の子として産まれる。武将として信長、秀吉、家康に仕えた。茶人・千利休の弟子、利休七哲のひとりとされる。山口城の新しき御城印。茶ということで、グリーンの家紋がワンポイント印象的です。道の駅織部の里もとす。本巣市観光協会で御城印は販売されています。山口城の攻城には所要約一時間。時刻、15:00過ぎ。このあと最後に岐阜城に滑り
【開口神社】(あぐちじんじゃ)大阪府堺市堺区通称「大寺」(おおてら)。地元では「大寺さん」とよばれ親しまれている。堺南組(大小路以南)の氏神社。式内社で、旧社格は府社。祭神;塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)、素盞嗚神(すさのおのかみ)、生国魂神(いくくにたまのかみ)を祀る。塩土老翁神は住吉大社の住吉三神を一つにして神徳を現した神とされ、「住吉の奥の院」と呼ばれる。社伝には、神功皇后の三韓征伐の帰途、この地に塩土老翁神を祀るべしとの勅願により創建されたと伝え
29日、「苔の里」というところへ行ってみた。家内からの極秘情報が入ったのだ。石川県小松市郊外にある小さなちいさな集落の民家や神社。苔むした建物や建造物、庭がとても素敵らしい。富山から1時間半、さぁ、到着!この日は最高気温25度とそんなに暑くなかった。おお、見事だ!京都の有名寺院の庭園さながら・・・。鳥の声しかしない・・・この静寂さがいい^^数百年の昔にタイムスリップしたような感覚だ。今頃が最もコケがきれいな時期・・・北陸は湿度が高く苔の生育に適しているの
簡易ブログにてお伝えします。〖国盗りクイズ答え〗「利休七哲」「キリシタン大名」「マニラ」から連想される戦国武将といえば?答え:4.高山右近〖城めぐりクイズ答え〗初代人吉藩主・相良長毎の初名は頼福である。○か×か?答え:×【注目商品】鬼滅の刃御朱印帳Amazon(アマゾン)3,600〜7,890円〖コロナ対策〗使い捨てマスク❮安いマスク❯Youmayマスクホワイトmask使い捨てマスク50枚入保護マスクフェイスマスクmask個人不織布マス
コロナが落ち着いたら、ということにはなるんでしょうが、夏の目標に茶道のお手前を習いたいというのが密かにあったりはするのですが🍵コロナもあるし、手近に習えるところもないし、仕方ないので茶道の本を読みつつバーチャル茶道でもあ、よく考えたらオンラインで習うこととかもできるのかしら🤔というわけで森恭彦著「茶道史ゆかりの地を歩く」淡交新書より茶道関連の書で既に定評のある淡交社ですが、新書もあるんですね😋中身は文字通り、茶道史ゆかりの地を読売新聞編集委員でもある著者が歩いて紹介するというもの歩み
稽古時の、お道具拝見の問答。「お茶杓のお作は?」の作者を月毎に千家歴代の家元を作者として答えることに!1月の稽古時に「千利休居士の作でございます。」「ん?千利休は自分で茶杓を削ったの?」と疑問を持ったお弟子ちゃん。その時の話をナイスなイラストと文章を書いてくれました。【弟子toukoの日々是好日Vol.4】こんにちわ弟子toukoです。千利休が最後の茶会に自ら削り出したと言われる茶杓「泪」「命(ゆがみ)」について聞いたことがありますか?わたしは、先日師匠から聞いてその存在
おはようございます。昨日、コロナウィルスのため、全国の小中高、特別支援学校が、3月2日から休校になると発表がありました。ここまでやるのかという声や、やっとそこまでやるようになったかという声があります。いろいろなイベントも中止となっています。京都での催しやイベントの開催についての状況です。こちらをご確認の上、お出かけください。3月1日から予定されていた京都御所での高御座の公開も延期になっています。2月27日現在https://ja.kyoto.travel/news/format.php?
茶道の家元・千家の創始者千利休。その先祖から始まり、弟子、実子、養子、子孫、門流まで一通り浚ったいわば千家の通史村井康彦著「利休とその一族」平凡社より表千家と裏千家の源流たる千少庵が利休の養子(娘婿)だとは知らなかった。つまり現在の千家は女系の子孫なんですね実子道安もなかなかの人物ではあったようですが、茶道はやっぱり血筋よりも力量ということなのでしょう金ピカの秀吉と渋好みの利休として、とかく対立的に語られがちな両者の美意識ですが、秀吉の中に利休がおり、また利休の中に秀吉がいると、相互
2019.11.24は香雪美術館「武家と茶の湯」に行ってきました(*´∇`*)会期は12.20までです。茶入に目がいったのですが、「利休丸壺」は形が可愛く、「薬師院」はシルエットがシュッとしていて良く、とりわけ「半月」は姫林檎みたいで可愛い!!!絵では、酒井抱一の「十二カ月花鳥図押し絵貼屏風」「十二カ月短冊帖」がめっちゃいい!それにしても…茶道具を展示していることはよくありますし、説明の中に武将の名前が出てくることもちょいちょいあります。が、ここまでがっつり武将が前面に出てくること