ブログ記事15件
明けましておめでとうございます、たこやんです。今週も累計結果出していきます。今週のイベント今回のイベントは熱闘スタジアム!!!しかも累計で貰えるS契約書はOB第4弾!!!さすがに激アツイベントなので今回はメイン垢とサブ垢でやることにしました。イベント内容は正直よく分かってません!(ᐛ)とりあえず100%UP以上は3倍、それ未満は等倍でやってみました!その結果2アカウント連続でやって4時間!サクッとシリーズじゃないのにこの時間は結構早いし楽なんじゃないでしょうか?しかも100以下
8月20日生まれの歌手アグネス・チャン大神みお川田ともこ灰田勝彦桐島かれんMORISAKIWIN上原丈史(WANDS)白石麻衣(乃木坂46)鍵本輝(Lead)おススメ曲は…スノーレコード灰田勝彦『野球小僧』1951年発売のヒット曲作詞佐伯孝夫作曲佐々木俊一映画『歌う野球小僧』主題歌『野球小僧』は、1957年7月日本ビクターより発売。「野球の唄は絶対ヒットしない」というジンクスを覆し大
別当薫1920年8月23日~1999年4月16日兵庫県西宮市出身右投右打外野手旧制甲陽中学時代はエースで4番。甲子園大会に3回に出場。卒業後慶應義塾大学へ進学。東京六大学通算35試合出場、133打数47安打、打率.353、1本塁打。1942(昭和17)の春季リーグで当時史上最高打率の.500を打ち首位打者に輝いた。1943(昭和18)年10月16日に行われた出陣学徒壮行試合(最後の早慶戦)では慶大の4番・センターとして出場。戦後、慶大を繰り上げ卒業後、19
石伊雄太(中日ドラゴンズ・捕手)別当薫(元毎日オリオンズ外野手)JPFA(日本プロサッカー選手会)ベスト11GK鈴木彩艶(パルマ)DF板倉滉(ボルシアMG)菅原由勢(サウサンプトン)冨安健洋(アーセナル)MF伊東純也(スタッド・ドゥ・ランス)遠藤航(リバプール)久保建英(レアル・ソシエダ)三笘薫(ブライトン)FW上田綺世(フェイエノールト)中村敬斗(スタッド・ドゥ・ランス)古橋亨梧(セルティック)全員欧州クラブ所属の選手じゃん!凄いと言えば凄いけど・・
大洋ホエールズの歌〜行くぞ大洋日本コロンビアAK-551977年の大洋ホエールズ応援歌。大洋ホエールズは今の横浜DeNAベイスターズです。その頃はマルハとも言われてました。当時『球界の紳士』と呼ばれていた、別当薫監督。HOYAメガネのCMに出でたのは覚えている。バリラックスⅡかな。監督の後輩、慶應出身の山下大輔氏。現在も野球解説者で活躍中ですね。このダイダイと緑のユニフォームは強烈に覚えてるな。奥江英幸は平松に次ぐ、エース候補だったけど残念ながらその期待には添えな
きょうは、曇り一時雨。ここまでの降水量は2.5㍉。あしたは晴れでしょう。きょうの尾鷲の最高気温は21.6℃(最低気温は14.3℃)。全国トップは大分県の日田で28.8℃。三重トップは桑名で24.5℃。ただいまの尾鷲の気温は16.9℃。『きょうのことば』【人生とは、その時々に自然に変化し、移りゆくものだ。変化に抵抗してはならない。それは悲しみを招くだけである】
今年満97歳で亡くなった祖父(戦前に生で観戦したことのある巨人ファン)が7年ほど前に選んだプロ野球のベストナイン先発投手金田正一救援投手佐々木主浩捕手田淵幸一一塁手川上哲治二塁手千葉茂三塁手長嶋茂雄遊撃手吉田義男外野手松井秀喜別当薫青田昇敬称略一塁手は世界の王ではなく、打撃の神様を選んでいるところが、見続けた年月の長さを物語っています。迷うことなく即決でした。三塁手は物干し竿バットで知られる、戦前戦後に大活躍した藤村富
別当薫~球界の紳士といわれた強打者(兵庫県出身1920年8月23日~1999年4月16日)兵庫県の強豪校甲陽中学ではエースで4番で活躍。1938(昭和13)年に甲子園の選抜、夏に出場。その後、慶應義塾大学に入学、野球部でも活躍。1942(昭和17)年の東京六大学野球春季リーグでは史上最高打率の.500で首位打者を獲得し、別当の名前が広がった。1943(昭和18)年10月16日には最後の早慶戦として有名な出陣学徒壮行早慶戦に4番中堅手として出場した。戦後、ノンプロを
ひとつ前の当ブログに書いたように、大洋を理不尽な理由でクビになった佐々木宏一郎さんは近鉄のテストを受け、入団します。監督や他のコーチは気がすすまなかったようですが、武智文雄コーチが強く頼み込んだのです。別当薫監督もようやく「分かった。お前に任せる」と入団が決まり、武智さんは佐々木宏一郎さんを徹底的に鍛え上げます。佐々木さんにとってまさに「恩人」といえる武智さんですが、なぜここまで入れ込んで入団させたのか。推測すると、自分と同じ「岐阜」出身ということに加えて、佐々木さんがサイドスローだったことも
ひとつ前の当ブログで、今回の佐々木朗希投手が史上16人目となった「完全試合」達成ピッチャーのうち、佐々木吉郎投手と佐々木宏一郎投手の不思議な因縁を書きました。大洋ホエールズにテスト入団した佐々木宏一郎さんは、1962年オフ、わずか1年で解雇されてしまいます。社会人野球で活躍した佐々木吉郎投手の入団が決まり、球団が「佐々木がふたりもいると煩わしい」という理由でクビにしたのです。今だったら、「イチロー」とか、「大勢」みたいにファースト・ネームだけの登録もできるから「宏一郎」にすれば済む話ですが、と
別当薫~球界の紳士といわれた強打者(兵庫県出身1920年8月23日~1999年4月16日)兵庫県の強豪校甲陽中学ではエースで4番で活躍。1938(昭和13)年に甲子園の選抜、夏に出場。その後、慶應義塾大学に入学、野球部でも活躍。1942(昭和17)年の東京六大学野球春季リーグでは史上最高打率の.500で首位打者を獲得し、別当の名前が広がった。1943(昭和18)年10月16日には最後の早慶戦として有名な出陣学徒壮行早慶戦に4番中堅手として出場した。戦後、ノ
(尾鷲市上野町、イシブチ薬局古戸センター前。後方は尾鷲総合病院)尾鷲ニュースです。『尾鷲ニュース』●別当薫銅像と記念碑を清掃4月10日、尾鷲市南浦真砂の市営野球場で、プロ野球史に残る尾鷲ゆかりの名選手・名監督、別当薫さんの銅像と記念碑の清掃が行われ、別当薫記念碑保存会(濱口幸也会長)の会員10人と、尾鷲野球少年団員9人がきれいの磨き上げた。別当さんは兵庫県出身の元プロ野球選手・監督。選手時代(1947年~57年)は本塁打王、打点王等の
(尾鷲港にて)尾鷲ニュースです。『尾鷲ニュース』●「尾鷲地方の野球史」発刊尾鷲市南浦真砂の市営野球場脇に建つ別当薫記念碑を守る、「別当薫記念碑保存会」(濱口幸也会長、480人)は、別当さんの生誕100年を記念した冊子『尾鷲地方の野球史』を発刊した。1945(昭和20)年から61(同36)年までの尾鷲の野球歴史、職場や青少年、漁船乗組員らの同好会チーム結成、チーム対抗戦、選手の記録などをまとめて
今までに頂いた野球関係者のサインの紹介。続いては、別当薫さん1948年から6年連続ベストナインを獲得。1950年にはパ・リーグ初代、日本シリーズ初代MVPを獲得。同年、トリプルスリーを達成。引退後は、4球団20年監督を歴任。
(尾鷲市・紀望通り)尾鷲ニュースです。『尾鷲ニュース』●別当薫銅像を清掃10月2日、プロ野球史に残る尾鷲ゆかりの名選手・名監督、別当薫さんの銅像の清掃が行われ、別当薫記念碑保存会(濱口幸也会長)の会員10人がきれいの磨き上げた。別当さんは兵庫県出身の元プロ野球選手・監督。選手時代(1947年~57年)は本塁打王、打点王等のタイトルのほか、日本初のトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)を