ブログ記事10件
分娩室に入り30分から1時間くらいで死産がわかり、その後拓都を出産するのに4時間ほどかかった。ぼくはずっと、妻のそばにいたが、この時間は人生の中でも一番の地獄の時間だと思っていた。妻はよく頑張ってくれた。本当にすごいと思うし、ありがとうでは足りないくらいの感情だ。希望がない中、ゴールがない中人生最大の痛みに耐えてくれた。みんな赤ちゃんの産声を聞けるというゴールがあるから頑張れるのだと思う。ぼくの妻はそうではないのに頑張った。すごい妻なんです。数日が経ちこ
拓都が死産した時は何も考えれず、とにかく妻のそばにいてあげたいと思っていた。妻の隣で最後まで分娩室で頑張ったけれど、その時の妻の頑張りをみていて二度と子供はいらないと思ったほど地獄の時間だった。何もする気になれなかった。職場の人には破水してもうすぐ生まれるのでと言って休みを取っていた。分娩後、少し落ち着いてからだったが、上司へ報告をした。またその時に会社を辞めることも伝えた。上司は本当に僕と妻のことを心配してくれた。妻のそばにいてあげてほしいと。でも退職は許さない
産婦人科の先生はすごく信頼していた。口数は少ないし不器用だけど良い先生だった。でも分娩中に拓都を諦めた瞬間に初めて殺意が生まれた。憎くて仕方なかった。でも時間が経ち、先生に対する憎しみは消えていた。先生は拓都の死産後いつでも優先してくれたし、向き合ってくれていた。そして分娩中と火葬の日、僕たちの前で泣いていた。赤ちゃんが好きなんだと思う。先生一人で休みもせず、いつでも対応して、身だしなみも普通で軽自動車に乗っていて、欲ではなく天職なんだろう。そういう人だと知って
気分転換で出かけた時に買ったノート。拓都の死産後、思ったことを何でも書いていました。そのノートには妻も思ったことを書いてくれていました。文章にして書くと自分が何を考えているのか、その時にどんなことを思っていたのかが分かるので良い習慣になっていました。妻との会話は多かったのですが、こんなことを考えているんだと交換日記みたいな良い役割もありました。気付けば、かなりのページ数になっていましたが、これからも書き続けたいと思います。
死産した次の日に妻から言われた。「すぐにパパにしてあげるから安心してね」僕は分娩後に妻に対して、こんな気持ちには二度とさせたくないと心に思っていたので、驚きを隠せませんでした。妻の体調が戻って、また二人で楽しく生活できれば良いと思っていました。子供がいなくても。妻は「自分の赤ちゃんがあんなに可愛いと思わなかった。もう一度早く赤ちゃんに会いたい」と言ってくれました。僕は妻からのことばを聞いて、自分の気持ちが一気に変わっていきました。早く妻との子供にもう一度会いたいと
2日に拓都が亡くなり、火葬は6日に決まった。全て親が手配してくれていた。それまでは出来るだけ拓都を抱いてあげたり、一緒に写真を撮ったり、手型や足型をとったり、顔を触ったりした。見つめているといつも涙が溢れていた。火葬の日はすぐにきた。朝からスーツに着替え準備をした。火葬場に着いて説明を受けた。焼香をあげる時、体が震え、込み上げてきたものが溢れ出した。もう拓都に会えない。涙が止まらなかった。焼却炉を前にしてお経を読んでもらっている時、僕は棺から目を背けること
何も考えられない毎日。記憶力もなくなった。何も覚えられない。こんな時に事務的な書類や火葬の準備、服の洗濯、食事、必要なものを病院へ運ぶことなどをしてくれたのはお互いの家族だった。本当に感謝しかない。人は一人では生けていけないとかよく言うけど、本当だと思った。でも、こんな地獄を感じている時にしか分からないことだと思う。当たり前のことにも感謝できるだろうし、些細なことで幸せを感じれるだろうし、人に優しく出来ると思う。全て拓都が教えてくれたことだ。本当にレベル
・死産・産声をあげない・目を開けてくれない時間が経過しても受け入れることが出来ませんでした。今は拓都が天国に行ってから15日。ようやく受け入れています。赤ちゃんはみんな生まれる前に自分の人生を選択するのだと思います。誰しも何かの人生を選ばないとといけない。多分その中にはみんなが嫌がる人生もあるんだと思います。・障害・虐待・短命・死産拓都はみんなが嫌がるけど、「誰かが手を挙げないといけない人生を自ら選んだ」責任感と勇気がある、人としてのレベルが
入院は何日していたんだろう。何となくしか覚えていません。・熱が下がらない・腹痛・貧血・胸の張り・赤ちゃんの泣き声・周りの人の表情全て辛かったです。とにかく妻と一緒に過ごしていました。お腹が減ることはなく、病院のご飯を3食とも2人で半分こして食べていました。結構痩せたと思います。入院中は早く退院したいと思っていましたが、何よりも妻の体調をよくしてもらいたかった。何度も点滴をされたり、痛い内診をされたり、産後陣痛がきたり、早く終わらせてあげたかった。
◼︎2017年3月2日22時44分この日、拓都が天国へ行った。2016年の夏に妊娠がわかった。その前の年に流産しており、夫婦ですごく喜んだ。不妊治療はしていなかったけど、鍼灸に通ったり出来ることはいろいろしていた。流産から1年経った時に妊娠がわかり本当に嬉しかった。産婦人科は無痛は分娩がある家から近くの病院に決めた。妊婦健診は僕も妻と一緒に行き、赤ちゃんの成長を楽しむ日々。妻はつわりがひどく、可哀想でしたが毎日必死に頑張ってくれていました。赤ちゃんが男の子と