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はじめに私たちの日常は、時に重苦しい心の雲に覆われがちです。仕事のプレッシャー、人間関係の緊張、あるいは不確実な未来への懸念など、心を重くする要因は数え切れません。しかし、そんな時にも、私たちの心を一瞬で軽くし、暗闇を照らす光となる人がいます。この記事では、愛あふれる出会いが私たち自身との関係にどのように影響を及ぼし、自己愛を育むための道を開くのかを探求します。愛による心の変容愛ある人との出会いは、単に心を軽くするだけでなく、私たちの中に新たな「分人」を呼び覚ます力があります。愛に
自己啓発の旅の途上では、多くの場合、「本当の自分」という概念を探求することから始まります。私たちはしばしば、自分自身を他人の価値観や期待に縛りつけずに生きることの重要性について耳にします。この考え方は、自己実現と自由への道を示す光となることがあります。しかし、この旅を通じて私が学んだことは、自分自身に対して厳格な「価値の序列」を設けることの不可能性です。私たちの人生には、様々な瞬間や段階があります。時には他人の期待に沿って行動することもありますし、時には独自の道を切り開くこともあります。し
【くつろぎ茶話会】テーマ『人間関係』に参加して来ました✳️主催者より読書会中に雑談が盛り上がることがヒントになった哲学だと硬過ぎ気楽に話せない【人間関係の悩み事】*️⃣人のプライベートに興味がない*️⃣友人、恋人の選び方*️⃣べきべき思考の失敗*️⃣威圧的な先輩*️⃣人と関わりがない*️⃣報連相ができない*️⃣リセットしてしまう【友人の定義とは】*️⃣久々にあっても昨日のように話せる*️⃣マウントは取らない*️⃣話さなくてもいい*️⃣1日一緒に居られる
こんにちは❗️現役ママ&起業塾講師&会社員(※業務委託)3足のわらじCOCOです1歳と3歳の子供を育てながら副業でdoTERRAに取り組んでいます毎日コツコツ、ブログを書くことで収入になる【WEB集客と仲間でdoTERRA】をコンセプトに活動してます毎日、ブログのご挨拶&肩書きを微調整していますさて、今日のテーマはこちら「人生いつだってやり直せる!!」です。ご挨拶の記事では、「現役講師で社長です」と書いていたのですが、こんな働き方もしていました。
時間軸にも心理的安全性空間軸の心理的安全性だけじゃなくて時間軸の心理的安全性も大切分人って空間軸に心理的安全性を担保してるようで、時間軸での心理的安全性の入口にもなりえそう…
4713日目幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、「自分の中の歯車を微調整し続ける」です。それでは始めましょう!!■人間関係は、歯車のようなもの。確り噛み合っていたら強固な関係を続けることが出来ますが、少しでも噛み合わなくなるとギクシャクするものです。そう成らない為にも微調整が必要なのですよね。■環境は日々変化して行きます。人もまた成長しますから今の状態がベストだとしても永遠に続くものではありません。歯車だって摩耗して行きますからメンテナン
気になっていた「ある男」をオーディブルで聴いた。何故気になっていたかというと、以前、同著者が書いた「私とは何か「個人」から「分人」へ」という本を読み、印象に残っていたからだ。この「ある男」も「分人」という考え方を踏襲した話だった。自分なんていうものは、その時々で変わるし、それが変わったからといって、いずれも本当の自分である。そんな自分はその時々にまとっている名前、環境、時代、生い立ち、過去に縛られる必要はなく、今を精一杯生きればそれで良い。自分に集中し、自分に正直に生
こんにちは。昨日はハロウィンでしたね🎃近所の商店街でも、子供達が仮装して、お菓子を貰いに練り歩いていました。彼岸と此岸が曖昧な1日でした。さて、ここ最近、色んな人から「紹介してくれてありがとう!」「目から鱗だった」と言われる本があります。その度に「紙1枚でまとめておいて良かった…」と痛感する本はこちら。私とは何か――「個人」から「分人」へ(講談社現代新書)|平野啓一郎|本|通販|Amazon芥川賞作家の平野啓一郎さんの私とは何か、です。
最近は「分人(ぶんじん)」という考え方が面白いな、と思っています。「個人」に対して「分人」。「個人」は、分割することのできない一人の人間であり、その中心にはたった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものであるという考えに対し、「分人」は対人関係ごと、環境ごとに異なる分化した自分が存在し、それら複数の自分がすべて「本当の自分」なんだよね、っていう考え方。※平野啓一郎「分人主義」公式ページよりなるほど、面白い。
私とは何か「個人」から「分人」へ(講談社現代新書)Amazon(アマゾン)小説家の平野啓一郎さんは、本書のなかで「個人」から「分人」へと人間の基本単位を考え直すことを提唱しています。「分人」とは何かを語るにあたって平野さんは、まず「個人」の語源から説明を始めます。日本語の「個人」とは英語のindividualの翻訳で、一般に広まったのは明治になってからである。しばらくは「一個人」と訳されていた。individualはin+dividualと
4652日目幸せな人生を送るための『0.1%の成長』は、「自分の中に居る分人に感謝しよう」です。それでは始めましょう!!■全ては自分中心で動いている。決して、自己中心的な考え方を言っているのではありません。でも、全ての真ん中に自分が居ることは確かです。なぜなら、思考も行動も自分が判断し決断をしているからです。とは言え、一人の自分だと色々なパターンに対応できません。正確に言うと、自分の中に多くの自分が居ると言うことです。■例えば、良好な人間関係を構築
あるイベントに参加しました。スピーカーの方がある出来事をきっかけにして「自分が嫌いになった」が、ある心理療法の合宿に参加して「自分が好きになった」とお話されていました。さて、この「自分が嫌いになった」「自分が好きになった」との表現は、心理描写としては時々使われる日本語ですが、、、、、その時に、なんとなく違和感を感じてしまい、それってどう意味なんだろうと、少し考えてみました。いつもの「一人哲学カフェ」です。●「好きになった」「嫌いになった」という表現は、2者間で使われるのが基本だと思う。「
「日本一」自分で考え行動し修正をしてさらなるステージへこつこつ続けて日本一こつこつ努力することがまさに天才わざ落ち着いてじっくり自分に問う答えを導き出す実践修正その結果が日本一日本一に輝いても尚自分に問い実践して修正を重ねさらなる高みを目指すそんな中学生がいるその課程をみてつくづく感じるのは努力した分経験した分人は進化する恐れず突き進む強さを見た今日は日本一を応援した日で日本一を達成した瞬間も見た1日
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)芥川賞受賞作家、平野啓一郎さんの新書、私とは何か「個人」から「分人」へを紹介・解説しています。今回で3回目になります。この本では、いわゆる「個人」に対して、「分人」という概念を提唱しています。「分人」とは、その時、その時の対人関係によって生じる、様々な自分のことです。「個人」が、自分だけで完結するものに対して、「分人」は、自分と他者との対人関係で生じるので、
TVBS新聞網の今日の記事からです。吳慷仁變「啞巴」成台灣之光新作獲頒最佳演員廖福生的故事•2小時前吳慷仁在電影《富都青年》飾演甘於接受命運安排的啞巴哥哥。(圖/甲上提供)©由TVBS新聞網提供由吳慷仁、金馬影后李心潔首度監製的新片《富都青年》,先是摘下第22屆紐約亞洲電影節「突破新視野最佳劇情片獎」,男主角吳慷仁又榮獲第17屆西寧FIRST靑年電影展「最佳演員獎」,吳慷仁雖因工作無法親自領獎,仍不忘隔空感謝李心潔對他在表演上的幫助。吳慷仁と金馬賞常
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)前回から、芥川賞受賞作家、平野啓一郎さんの新書、私とは何か「個人」から「分人」へを紹介・解説しています。「分人」とは・・・対人関係ごとの様々な自分のことを指します。一人の人間は、複数の分人が合わさったものであり、そこには、「本当の自分」という中心はない。そして、その人らしさ(個性)は、その複数の分人の構成比率によって決定される。という考え方です。
コンビの魅力と言うものがあり、ソロの魅力もあり、トリオやらグループとしての魅力的がある。一人でいる時、誰かと一緒にいる時、人は違ってくる。当然。分人と言うのか。ビートルズは、ビートルズとして、YMOはYMOとしている時の方がしっくりと来る。無理してつるむ必要は無いでしょうが、必ず一人でいる必要もない。コラボレーションやらフューチャニングやら、はこの辺りの機微でしょうね。※本文とは関係ありません蝉と蝉の抜け殻
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)東京・横浜では、早くもセミの大合唱が聞こえてきました。今回から、小説家、平野啓一郎さんの新書、私とは何か「個人」から「分人」へという本を、紹介・解説していきます。平野啓一郎さんは、芥川賞受賞作家でもあり、作品は、よく新聞の書評などにも、紹介されていますが、私は、ずっと「読みたいなあ~」と思いつつも、まだ読んだことのない作家さんでした(^^;今回、とあること
YouTubeで、分人主義という概念を説明しているチャンネルを見ました。このチャンネルでの学びが個人的に有益だったので書き留めたいと思います。分人とは、個人を成す集合体である。また、個人を細分化して、それぞれに主体を認めるといったものです。似た概念でペルソナという概念があるかもしれませんが、これとは考え方が少し異なるみたいでして、ペルソナは確固たる個人が場面に応じてペルソナを使い分けるといったイメージを持つのに対し、分人は全ての自分について本当の自分であるとする考え方みたいです。つまり、家
感謝してます本日はおもてなしです日本にはおもてなしとか接待とか菓子折りを持っていくという文化がありますこれは相手を癒すことでありもてなされたほうは敵対心が消えたり憎めなくなりますある意味呪術的な行為ともいえますね相手に喜んでもらうことは金運を上げることに繋がります人に喜んでもらった分人に好かれた分人に信用された分お金は入ってきます金運は人が運んでくることを忘れてはいけないですずっと金運がない人は人から信用がない人か人から嫌われる人であると
平野啓一郎『私とは何か』(講談社現代新書)本書の冒頭で著者の平野啓一郎は「本書の目的は,人間の基本単位を考え直すことである」(p.3)と述べている。ひと言で言うと,本書のサブタイトルである「『個人』から『分人』へ」ということである。「分人」とは平野による造語であるが,要するに,人間の基本単位は「個人」なのか「分人」なのかということが本書のテーマなのである。平野によれば,「個人」とは英語のindividualの翻訳で「(もうこれ以上)分けられない」が原義であるが,これを人間の基本単位と
辛い出来があったら忘れちゃいけない傷ついた分人に優しくなれるから人生どん底は不幸でもなくて失敗でもない大いに傷付けばいいんだそこから上へと上昇すればいいネガティブな記憶さえもそれでいいんだそう思えたらポンコツも受け入れられる完璧なんてないんだもんね
『人を許せる人になりたいものです』雰囲気が可愛い人。空気がやさしい人。少し寂しそうに笑う人。仕草が丁寧な人。泣いた後に笑える人。幸せになることを恐れない人。傷ついた分人を想える人。弱くてもブレてしまうことを自分で律することができる人。人を許せる人。嬉しいとき心から幸せな笑顔を浮かべる人。そういう人に私はなりたい。なりたいと思ってなれない人。自然に素敵になれる人。努力してでもなれたらいい。
平野啓一郎「私とは何か『個人』から『分人』へ」(2012年)という新書を読んでいるが、あともう少しで読み終える。話す相手によって、我々は自分が変化し、様々な人格が現れることを平野氏は「分人」と主張している。人が変化するのだから私は「変人」と言ったほうがいいと思ったが、「変人」だと「変態」みたいな意味を含み、センスのない名前だ(笑)。でも本当は「変人」の方がしっくりくる気がする。平野氏の主張していることは、とても斬新で好感持てたし、よく分かった。しかし、分人、必ずしもそうではないとも思った
今回紹介させていただく本は平野啓一郎さんが著者した「私とは何か」この本は、東京にいた時の一緒にいた友からのオススメ本だ。・人と関わるとき演じているというのは別の、「その人の前での自分」がいること。本作品ではそれを分人と定義している。自分を好きになる方法として、好きな分人を探す、というのは面白かった。つまり、「この人といる時の自分は好きだ」みたいな。それはハードルが下がる気がする。分人、自分の様々な側面は相手との相互作用、関係性から自然に引き出される。分
空白を満たしなさい出版社講談社第1刷発行2015/11/13言語日本語文庫上:352ページ下:320ページ定価上・下:748円ISBN-13上:978-4062932486下:978-4062932899概略3年前会社の屋上から転落した土屋徹生は生き返った会社の屋上からの投身自殺という事になっていたが徹生は、人生の幸福の絶頂期にも関わらず最愛の妻と幼い息子を残して、なぜ自分は死なねばなら
雰囲気が可愛い人。空気がやさしい人。少し寂しそうに笑う人。仕草が丁寧な人。泣いた後に笑える人。幸せになることを恐れない人。傷ついた分人を想える人。弱くてもブレてしまうことを自分で律することができる人。人を許せる人。嬉しいとき心から幸せな笑顔を浮かべる人。そういう人に私はなりたい。
『人を許せる人になりたい』雰囲気が可愛い人。空気がやさしい人。少し寂しそうに笑う人。仕草が丁寧な人。泣いた後に笑える人。幸せになることを恐れない人。傷ついた分人を想える人。弱くてもブレてしまうことを自分で律することができる人。人を許せる人。嬉しいとき心から幸せな笑顔を浮かべる人。そういう人に私はなろう。なりたいと思って、なれない人。自然に素敵になれる人。努力してでも、なれたらいいのです。
今日次女が学校で描いてきた絵が印象的だった。顔の左右で色が違うところで二重人格を表現したとのこと。平野啓一郎の「分人」のように場面によって自分を使い分けるという話を思い出した。次女はあまりサービス精神のない父親に対しても気を遣って接してくれる。次女にもすでにそういった分人の要素をすでに持っているように思う。