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昼食のあとは元町の坂上をブラブラ散策旧函館区公会堂元町公園を上がった場所にあります茶房菊泉甘味処ですが昔の酒問屋の別邸だった場所をリノベーションして現在に至るそうまたここは某スクールアイドル系のアニメの聖地になっていて人が多かったですね船魂神社茶房菊泉の近くの坂を上がっていくとあります主に海上の安全や大漁を祈願する神社みたいですね歴史も古そうでしたお参りしたあとは茶房菊泉の前の通りに戻って函館山ロープウェー乗り場方面に向かいます八幡坂のいち
快晴の昨日、函館山に登って絶景を楽しんだあと、少し寄り道しながら下山しました。山頂広場の後ろを回り込むように、冬期は車両通行止めになっている車道を歩いて。ロープウェイのケーブルの真下からの街並み。すごい迫力で向かってくるゴンドラに手を振ると、乗客のかたと目が合って振り返してくれました。つつじ山駐車場から入江山コースに入る途中、函館山の要塞跡があります。そこに向かう階段に足跡があったので、私もちょっと行ってみることにしました。久しぶりの御殿山第二砲台跡。終戦
[津軽要塞]汐首第1砲台②左翼砲座起工:昭和4年6月16日竣工:昭和8年3月15日備砲:7年式30cm長榴弾砲4門(1座1門)標高:16m〜22m任務:大間崎第1/第2砲台と相候して津軽海峡東口に対する敵艦の動作を妨害し、且其の航路を防過す。除籍:昭和15年7月備砲撤去→昭和17年2月10日廃止→昭和18年3月27日建屋類を除き砲座・砲側庫等除籍津軽海峡の東を防備するために築城され、7年式30cm長榴弾砲が備砲された(当初は8門配備だったが4門に減らされる)。第一次世界大戦
[函館/津軽要塞]穴澗低地観測所②北海道函館市函館山函館山は霧がかかりやすいため、高地にある砲台は高地の観測所だけではなく、視界不良などにも対応すべく低地にも観測所を設置した。①南東側に立待低地観測所:御殿山第1・御殿山第2・千畳敷砲台用②北側に高龍寺山低地観測所:御殿山第1・御殿山第2砲台用③西側の穴澗低地観測所:御殿山第1・御殿山第2・千畳敷砲台用穴澗低地観測所起工:明治35年8月1日竣工:明治35年9月15日所位:穴澗種類:御殿山第1/御殿山第2砲台用、千畳敷砲
[横須賀海軍鎮守府大湊水雷団]函館水雷衛所②弧器室(視発室)北海道函館市函館山下記地図、15番「水雷衛所」出典:出典:函館要塞跡散策マップ雪中行軍を強いられた函館水雷衛所①試験室のつづき、デス!日露戦争開戦直前、海軍はロシア帝国海軍の軍艦が「函館湾の侵入を防止するため」に管制機雷(電気触発水雷/視発水雷など)を敷設した。水雷衛所は弧器室(視発室)と試験室で構成される。一般的に試験室の上部に独立した建屋の弧器室が設置される。函館水雷衛所の弧器室(視発室)は、この試験室の
函館要塞。青森側の津軽要塞竜飛崎砲台に対し函館側の要塞。こちらの方が古いようだ。もう一度作り直した方が良いのでは??
[横須賀海軍鎮守府大湊水雷団]函館水雷衛所①試験室北海道函館市函館山★後日、加筆します函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。出典:出典:函館要塞跡散策マップ日露戦争開戦直前、海軍はロシア帝国海軍の軍艦
[函館/津軽要塞]高龍寺山低地観測所北海道函館市函館山函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。砲台付属施設出典:現代本邦築城史第2部第8巻函館山は霧がかかりやすいため、高地にある砲台は高地の観測所だけ
[函館/津軽要塞]立待低地観測所北海道函館市函館山函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。砲台付属施設出典:現代本邦築城史第2部第8巻函館山は霧がかかりやすいため、高地にある砲台は高地の観測所だけでは
[函館/津軽要塞]立待電燈北海道函館市函館山函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。砲台付属施設出典:現代本邦築城史第2部第8巻函館山は霧がかかりやすいため、高地にある砲台は高地の観測所だけではなく、
[函館/津軽要塞]穴澗低地観測所①北海道函館市函館山函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。砲台付属施設出典:現代本邦築城史第2部第8巻函館山は霧がかかりやすいため、高地にある砲台は高地の観測所だけで
[函館/津軽要塞]穴澗電燈北海道函館市函館山★後日、写真追加・加筆します函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。砲台付属施設出典:現代本邦築城史第2部第8巻函館山は霧がかかりやすいため、高地にある砲
[函館/津軽要塞]立待堡塁北海道函館市函館山※2023.12.17加筆函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。立待堡塁起工:明治34年(1901年)9月4日竣工:明治35年(1902年)10月30日備砲
よく晴れた散策日和、久々に函館山を歩きました。山頂展望台方面には行かず、旧登山道〜入江山〜千畳敷と、要塞跡を巡るコース。色づきはじめた雑木林の間を行くのは爽快です。入江山の海岸射撃具砲座跡。千畳敷砲台跡。千畳敷観測所跡。御殿山(山頂展望台)と市街地を一緒に眺められる見晴らし抜群の場所。このあたりは明治34年にできた施設ですが、上り下りする階段も、手すりまでしっかり組まれ、角は曲面仕上げと、けっこう凝った造りです。こちらは千畳敷戦闘指令所跡。中
[函館/津軽要塞]砲兵指揮官司令所(戦闘司令所)北海道函館市函館山砲兵指揮官司令所(戦闘司令所)は明治38年(1905年)に竣工。函館山全山を見渡す観測座、作戦室、司令を各砲台に伝える電話室がある。函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷で構成される。要塞整理案により、大正5年(1916年)に函館要塞の御殿山第1砲台及び薬師山砲台を廃止した。大正8年の要塞整理案により、津軽海峡を防備する
[函館/津軽要塞]千畳敷砲台④28センチ榴弾砲砲台の左翼観測所北海道函館市函館山千畳敷砲台同砲台は函館要塞を構成する砲台として築城され、一部は津軽要塞に移行した。起工:明治31年(1898年)9月竣工:明治34年(1901年)1月備砲:28センチ榴弾砲×6門(砲座3)、15センチ臼砲×4門(砲座2)標高:28榴/297.5メートル、15臼/296メートル任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函
[函館/津軽要塞]千畳敷砲台③28センチ榴弾砲砲台の右翼観測所北海道函館市函館山千畳敷砲台同砲台は函館要塞を構成する砲台として築城され、一部は津軽要塞に移行した。起工:明治31年(1898年)9月竣工:明治34年(1901年)1月備砲:28センチ榴弾砲×6門(砲座3)、15センチ臼砲×4門(砲座2)標高:28榴/297.5メートル、15臼/296メートル任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函
[函館/津軽要塞]千畳敷砲台②15センチ臼砲北海道函館市函館山千畳敷砲台同砲台は函館要塞を構成する砲台として築城され、一部は津軽要塞に移行した。起工:明治31年(1898年)9月竣工:明治34年(1901年)1月備砲:28センチ榴弾砲×6門(砲座3)、15センチ臼砲×4門(砲座2)標高:28榴/297.5メートル、15臼/296メートル任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函館港内を掩護するに
[函館/津軽要塞]千畳敷砲台北海道函館市函館山函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。出典:函館山緑地パンフレット・歴史散策ガイド/函館市土木部*千畳敷砲台同砲台は函館要塞を構成する砲台として築城され
[津軽要塞]88式海岸射撃具演習砲台北海道函館市函館山起工:不明竣工:昭和3年(1928年)以降備砲:改造38式野砲標高:294.5メートル観測所:遠距離電気式(新設)任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函館港内を掩護するに在り出典:国土地理院1948/05/22(昭23)USA-M1077-112、抜粋・加工88式海岸射撃具観測所は、観測具で観測したデータを計器盤と算定具を用いて
[函館/津軽要塞]御御殿山演習砲台・遠距離電気式観測所(88式観測所)北海道函館市函館山起工:明治31年(1898年)9月竣工:明治34年(1901年)2月備砲:28センチ榴弾砲×6門(砲座3)標高:294.5メートル観測所:御殿山第2砲台時代の左翼・右翼、砲台鏡(演習砲台時に廃止)、遠距離電気式(新設)、応式分置(入江山)任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函館港内を掩護するに在り特記
[函館/津軽要塞]御殿山第2砲台③応式分置観測所(入江山観測所)北海道函館市函館山函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷で構成される。要塞整理案により、大正5年(1916年)に函館要塞の御殿山第1砲台及び薬師山砲台を廃止した。大正8年の要塞整理案により、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、龍飛崎砲台/汐首岬砲台/大間崎第1砲台を完成させて、昭和2年(1927年)に旧函館要塞「
[函館/津軽要塞]御殿山第2砲台②砲座・観測所北海道函館市函館山起工:明治31年(1898年)9月竣工:明治34年(1901年)2月備砲:28センチ榴弾砲×6門(砲座3)標高:294.5メートル観測所:左翼、右翼、砲台鏡、応式分置観測所(入江山)任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函館港内を掩護するに在り特記:昭和3年(1928年)8月に御殿山演習砲台に用途変更。3番砲座が廃止され4門体制で終戦を迎
[函館/津軽要塞]御殿山第2砲台①掩蔽部北海道函館市函館山函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。出典:函館山緑地パンフレット・歴史散策ガイド/函館市土木部*御殿山第2砲台同砲台は函館要塞を構成する砲
[函館/津軽要塞]御殿山第1砲台北海道函館市函館山函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。*御殿山第1砲台・起工:明治31年(1898年)6月25日・竣工:明治33年(1900年)10月31日・備砲:2
[函館/津軽要塞]御殿山第2砲台①北海道函館市函館山函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。出典:函館山緑地パンフレット・歴史散策ガイド/函館市土木部*薬師山砲台(堡塁)・起工:明治31年(1898年
[函館/津軽要塞]御軍用石橋1号と貯水槽など北海道函館市函館山函館要塞は函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するために津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。出典:函館山緑地パンフレット・歴史散策ガイド/函館市土木部*あちらこちらに・・・・*
[津軽要塞]汐首第1砲台①右翼砲座起工:昭和4年6月16日竣工:昭和8年3月15日備砲:7年式30cm長榴弾砲4門(1座1門)標高:16m〜22m任務:大間崎第1/第2砲台と相候して津軽海峡東口に対する敵艦の動作を妨害し、且其の航路を防過す。除籍:昭和15年7月備砲撤去→昭和17年2月10日廃止→昭和18年3月27日建屋類を除き砲座・砲側庫等除籍津軽海峡の東を防備するために築城され、7年式30cm長榴弾砲が備砲された(当初は8門配備だったが4門に減らされる)。第一次世界大戦
[津軽要塞]大間崎第1砲台②観測所竣工:昭和4年(1929年)9月備砲:30cmカノン砲塔1基2門(巡洋戦艦伊吹の前部砲塔を移設)折戸山の山頂(標高119m)に昭和3年ごろ完成したと言われる大間崎要塞折戸観測所がある。津軽海峡に向けられた大間要塞の砲台は低地にあったため、折戸山山頂に観測所を設け、有線・無線により砲台と連絡をとりあっていた。*折戸山の登山道に境界石があった登山道はあっという間に消えた。山頂へは勘を頼りに藪漕ぎ&直登りする(*_*)こ
今夏に訪れた函館要塞探訪記の最後のエントリーとなりますが、まずは函館要塞司令部について説明を加えます。*******************全国の防備すべき海岸要地の一つに選ばれた函館では、日清戦争終結後の明治28年(1895年)に「函館港防御計画要領」が策定され、要塞の築城工事が明治31年(1898年)から開始されました。その後明治36年(1903年)までに5つの堡塁/砲台と補助建築物が建設されましたが、「函館要塞司令部」は建設期間中の明治33年(1900年)5月23日に開庁しました