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信州は松代の「真田宝物館」真田宝物館https://www.sanadahoumotsukan.com/index.php企画展のご紹介です。信之のキモチhttps://www.sanadahoumotsukan.com/event-info.php?n=124信州松代真田藩の祖、真田信之公の手紙が公開されています。配下の出浦昌相へ出した体調を気遣う手紙や、石田三成とやり取りした書簡。愛人?の小野のお通に出した手紙などなど。信之公も死後に自分が出した
南斜面の竪堀を上ると大きく迂回して二の丸本丸へと続きます。岩櫃城は鎌倉時代初期のころ吾妻太郎助亮(すけふさ)により築城されたといわれていますが築城時期も築城者もはっきりしません。その後、斎藤氏の時代に、武田信玄が家臣の真田幸隆に岩櫃城攻略を命じ(1563年)、攻略後は幸隆が吾妻郡の守護となりました。真田家は幸隆の三男、昌幸が相続し、その後昌幸の長男信幸が支配し、一国一城令にて廃城。本丸から北枡形へ続く土塁。真田幸隆は斉藤氏を追放するときに、まずは力攻めを行いますが攻め落
岩櫃城は竪堀が縦横に張り巡らされています。歴女?が二人歩いている所は竪堀の底です。右側には中城があります。横に展開した大勢の兵士に攻め登られるのは城を守る観点からは避けたい。そこで横の展開をしづらくするために竪堀を張り巡らせました。掘りの中を責めのぼるのであれば、縦一列にならざるを得ないので、これなら少人数でも防戦できます。しかも先が折れ曲がって、両方から弓や投石の雨あられとなれば、なかなか難攻不落。岩殿城・久能城とならぶ、武田三名城に数えられています。手前本丸。下から竪
出浦渕を過ぎ、落ち葉を踏みしめて真田道を歩くと、広くなだらかな傾斜地に出ます。中城址です。きっとこの場所には多くの兵が詰められる建物・塀が建っていたのでしょう。もっとも兵は農業との兼業者が大方を占めるでしょうから、平常時はガランとしていたのではないでしょうか。この傾斜地の一部篠草がモクモクしている所が削平されていました。後世の畑跡かもしれませんが、館が建っていた場所かも知れません。出浦渕から中城を見学した後は(上図の黄色線のコース)、分岐を右にのぼって(左は真田道)
天狗丸(岩櫃神社)の次は出浦渕に向かいます。(東吾妻町観光協会のパンフレットを加工しています)パンフレットの茶色線部分です。この道を下ると、出浦昌相(いでうらまさすけ)の居館跡があるはず。本丸は何度か行ったことがあるのですが、こちらは初めてです。この道を下るとコンクリート舗装は切れて、沢を渡ります(橋があります)。冬場に来た理由は、こういう湿ったところで(八ッ場ダムサイクリングで出会ったマムシさん)マムシさんと出会うのを避けたかったからです。(まむちゃんの部屋よりお
のめしこきの住む町の外れに岩櫃城はあります。山城ですから、こんな道をのぼっていきます。当時はこれよりもっと狭い道だったでしょう。右は沢を挟んで支城の柳沢城が控え、左は山。この道に軍をすすめたら、山の上から、投石や弓矢で襲い掛かられたことでしょう。反対側の山には柳沢城の兵士が守っています。もうこれだけで、岩櫃城を攻めるのは難しそうです。上の2枚の写真の道は観音山不動滝周辺ですが、それを上り切った東吾妻町平沢地区に岩櫃城があります。(密岩神社からの眺め:東吾妻町郷原)城
二の丸橋を出ると、向かいにお土産屋さんがありました。ここで1回目のお土産物色タイム♪それほど方向音痴ではないので、来た時とは違う道で上田駅前に向かうことにしました。およ?何これ?w見ていて楽しいo(^o^)o佐助!真田丸では初回と最終回に出演していた数少ないメンバーの一人!信幸・信繁・三十郎・佐助・小山田茂誠くらいじゃないかな。(回想シーンや紹介シーン除く)こういうのがまちなかの至る所にあったら、面白いですね。ワテが住んでいる市のお偉いさん方もこういうのを見習ってほしいですね
皆の者、小松じゃ!更新が遅れておってすまぬのぅ。真田まつりの知らせも間もなく届くと思う故、もう少し待っておれ。その前に先日の抽選会の知らせじゃ!11月17日(金)「1(い)7(な)の日」に、絵師sinobuの新規絵完成を記念した”ぷれぜんときゃんぺーん”の大抽選会が行われたぞ!我ら武将隊から、私と初、出浦殿と影武者が出陣し、進行役を務めた。この企画というのが、新規絵を台紙にした「真田古銭”すとらっぷ”」を6名の者に”ぷれぜんと”致そう!というものじゃ。たくさんの
やっぱり昌幸の存在感が大きかったんだなぁアニキも小ネタかもしれないけど。イマイチ上田城の攻防戦が良かっただけになんだか一味足りない気がするのよね。今年は家康の400年祭ですよねえ。家康の内野聖陽さんは上手いんだけど。近藤正臣さんのタヌキっぷりと徳川方は、いい味出してるんだけどなぁ〜やっぱり、何かが足りないような。。。初めはウザかったきりちゃんが今は助けになってますねえ。うーん。一応、最終回まで見ようとは思ってるんだけど。うーん。。
日曜日に『真田丸』を観ていたら、出浦昌相が真田信之に向かって、“とりもち”を放って、動きを止めた。鳥黐(とりもち)は、鳥や昆虫を捕まえるのに使う粘着性の物質。鳥がとまる木の枝などに塗っておいて脚がくっついて飛べなくなったところを捕まえたり、黐竿(もちざお)と呼ばれる長い竿の先に塗りつけて獲物を直接くっつけたりする。古くから洋の東西を問わず植物の樹皮や果実などを原料に作られてきた。近年では化学合成によって作られたものがねずみ捕り用などとして販売されている。(Wik
本日の『真田丸』個人的なまとめ。・幸村、総攻めではなく守りに徹するべきと主張。・いずれ父上を超えたいby秀頼・殿様の言葉には重みがある。己の言葉の重さを知れ。・30万の兵に鬨(とき)の声を上げさせて大阪方を怖がらせる作戦。・怖がったら負け。・姉・茶々が死にたがっているように見える妹・初(はいだしょうこさん)。・”賤ヶ岳七本槍”の称号にこだわる平野長泰。・
ということで、文化の日の今日やって来たのは真田丸で人気を博す岩櫃山〜⛰先ずは岩櫃城本丸を目指し眼下を望む紅葉はこれから🍁山頂を目指し道無き道を進み天狗岩を抜け👺軽装の我々には困難と判断して9合目までで断念すると岩櫃城本丸に真田信繁?山登りに汗をかき💦お腹が空いたので20年ぶりに梅松の焼きそばを食べに昔と変わらぬ味とボリュームW(`0`)W最後は最後は出浦昌相に扮し岩櫃山を背にψ(`∇´)ψ素破は、戦では死なん。素破が死ぬときは、信用を失ったとき。真田丸の渋い寺島進さんの
岩櫃山紅葉祭2015を参照毎年11月3日には平沢地区の登山口で「紅葉祭」が行われる。地元の山菜を使った郷土料理などが振る舞われ美しい紅葉を愛でる伝統行事となってる。来場者の全員に福引きがあり、おでんや風船、竹細工なども無料でもらる。焼きまんじゅう、すいとんなどの模擬店や地元で生産した野菜販売もあり。
時代祭を楽しんだ足で、当初の予定をしていたこちらに参加して来ましたヾ(●´∇`●)ノこういったイベントがあるよって、他のシェアメイトが教えてくれてわきゃーーーって、テンションMAXになってたら、聞きつけたらシェアメイトがσ(゚∀゚)オレモオレモとなって、同室の子も誘ったら興味津々だったので。3人で参加してきました(笑)だって、説明が。。あまりに渋い役柄でファンも多い、真田丸の出浦殿、彼は真田忍衆の頭領でした。その出浦と共に歴史を影で支えた忍衆に「伊与久家」があり、なんとその末裔殿と逢う
徹子の部屋に真田丸で昌幸の懐刀役の素破隊長出浦氏役を演じていた寺島さんが出ていたまあ真田丸でも激渋役本人もなかなかの渋め52歳奥さん18歳年下次真田丸観たらこの素破め!言う感じやが多分もう出演機会無し♪家康暗殺を失敗し重体ながらも最後昌幸に大阪城を攻略して家康の寝首を取れと伝承していたシーンは良かった
現在放送中のNHK大河ドラマ「真田丸」に出浦昌相役として出演していた寺島進と、ゲーム「しろくろジョーカー」の出浦昌相の顔が、そっくりなんだが、みなさん、どう思う?⬇︎
ロットワイラーの歴史は?飼育環境は?事故や危険性は?pepy外見に似合った力強さも兼ね備え、警察犬として活躍してきた歴史がありますよ。この記事ではロットワイラーの歴史や、飼育環境、事故や危険性について紹介し...足利家って大河ドラマでやった?(遅報)歴史まとめ>>108江馬・旧姉小路・三木(新姉小路)といった戦国初期までに土着した生え抜きの飛騨侍は三木自綱の粛清・金森長近の侵攻・金森軍への反乱等が重なって...黒船来航に「三笠」も!戦艦マニア注目の横須賀市【現在はど
ある日の昼過ぎ、コンビニ飯を食らいながら、(彩り野菜のチキン南蛮サラダごはん)撮りだめしていた『真田丸』を見ていると、寺島進さんが演じる、「出浦昌相(いでうらまさすけ)」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E6%B5%A6%E7%9B%9B%E6%B8%85まさかまさかの討死先日の放送で、家康暗殺を狙って忍び込んだ昌相本多忠勝(藤岡弘、)に切られたけど死んだとはどうしても、思えないだってさ彼は岩櫃
昨日は日帰りで旦那の実家へ行ってきました日帰り……はじめは泊まりで行く予定だったけどあんなことやこんなことがあってお墓まいりだけ行ければいいんだから日帰りでという事にみんな社会人お休みバラバラそんな中泊まりで行くためにお休みを調整の末に日帰りまぁある意味楽ですが…あちらの義母さんもあれこれ準備しなくて済むしね( ̄∀ ̄)お土産を用意して誕生日プレゼントも抜かりなく…悩みに悩んで選んだプレゼント渡した時に開けることなく仕舞われ今朝電話でとっても気に入
真田丸で人気急上昇中の出浦昌相(いでうらまさすけ)。忍者の頭領として真田昌幸を支える男気あふれる演技に、かっこいいととても評判がいいですね。忍者というのは、武士よりも一段低い身分と見られていて後世にあまり忍者が名を残すには、相当な実績がないとダメだし、もともとは暗殺や情報収集など裏方の仕事なので、目立ったら仕事ができないので、その実態はあまり知られていないわけです。しかし、食うか食われるかの戦国時代を信濃の国衆であった真田家がうまくわたり歩けたのも、この忍者集団をうまく活用できたらこそですよね
今週の大河「真田丸」(8/7本放送)は31回「終焉」。秀吉はもう長くはなく、石田三成の希望を汲んで徳川家康の暗殺を試みた真田昌幸でしたが、実行者の出浦昌相が返り討ちに。瀕死の重傷で真田屋敷に戻って息絶えた様にも見えたのですが…(1)出浦昌相(1546-1623)は没年の明らかな人物。実のところ、没年に諸説が有ったり不明だったりしている場合は制作側の都合の良い解釈での「延命」「死亡退場」も十分に可能です。ところが、出浦昌相の場合は勝手に死なせる訳にはいきません。公式ホームページの寺島進さんの
こんばんは!!神津島キャンプ2日目の今日は8/11山の日(๑´ㅂ`๑)というわけで花の百名山『天上山』登山、5時過ぎに出発です本多忠勝の真似(꒪Д꒪)ノ出浦昌相様の真似(`・ω・´)ノ詳細は土曜の真田丸再放送にてドゾww因みにこの杖、重くて邪魔なので今年は使いませんでした多幸湾ファミリーキャンプ場から黒島登山口までは約20分ほどこれが神津湾から来るとなると、もっと時間が掛かってメッチャヘビーです去年は登る前から疲労死したので、多幸湾側から登山口に行く方がオススメですとりあ
今朝のブログに出浦さんが最期を迎えたと書きましたが、私の勘違いかも!?mさんにコメントいただけて、ホームページのインタビューをよく読んだらこんな風に書いてあった第31回「終焉(しゅうえん)」では、信幸に忍びの技を気づかれて家康暗殺に失敗し、死ぬような目に合ってしまいましたからね。史実では今後、出浦が信幸に仕えるということもあるようなのですが、こちらとしては気持ちの整理がつきません。それを三谷さんにお伝えしたら「ちょっと考えます」とお返事をいただきました。出浦の今後は、視聴者の皆さんと一
『真田丸』第31回「終焉」で、最期をむかえたのは秀吉とそして出浦昌相。こんな記事を見つけました。堺雅人さん主演のNHK大河ドラマ「真田丸」に出浦昌相役で出演している寺島進さん。草刈正雄さん演じる真田昌幸に魅了され、隠密集団を操り、真田家を陰から支えるキャラクターだ。そのクールな演技に“出浦がカッコいい”とインターネットを中心に話題になっている。第31回(7日放送)では、藤岡弘、さん演じる本多忠勝との大立ち回りも見どころだ。妻と娘が「カッコいいと言ってくれている」のが自信につながってい