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岩村の町並みをめぐります。「まるみ水野薬局(水野得歡堂)」は、江戸時代からの薬種商で、美濃、飛騨はもとより三河まで手広く薬を卸していました。現在の店舗は比較的新しく、昭和20年(1945)に町家風に建てられたものです。正面の軒には屋号入りの鼻瓦が使われています。明治15年(1882)自由民権運動の板垣退助が宿泊しています。このあと岐阜市に赴き暴漢に襲われ「板垣死すとも自由は死せず」といったとか。典型的な町家様式で建てられ、軒下に掲げられた木製の古い看板
5月15日の日曜日午前中はそこそこやったけど昼から少し雲行きあやしい?言うても、ぷらっ〜と走らせてみる♪石畳とwええんちゃうん加藤家屋敷跡♪江戸後期の亀山城主石川家の家老職長屋門〜立派やね〜中も無料で見学OKよ雰囲気ええやんええやん新緑もええやん屋敷地内、主屋の一部相当、広かったらしい…。家老ともなると、やっぱちゃうな〜続いては⇩⇩⇩デカい建物やんええやん旧舘家住宅(枡屋)幕末から大正にかけて呉服商を営んでたようで〜♪こっちも中は無料で見学OKよ町屋
前回の散策で見落とした建物をすぐに回収しようと、3月13日(日)に再び石岡の街を歩いた散歩の記録その6です。歩行ルートはやや不正確ですが、大雑把にはこんな(↓)感じです。その5では間違いなく石岡の至宝の一軒である平岡理容に惚れ惚れした後、表通りの看板建築に再会したところまでをご紹介しました(↓再掲)。十七屋履物店、久松商店、そして蔵造りの福島屋佐藤店も再度激写!説明は前回散歩の記事で書いたのでここではズルして省きますね(^^;)。特にお気に入りな十七屋履物店。富
前回の散策で見落とした建物をすぐに回収しようと、3月13日(日)に再び石岡の街を歩いた散歩の記録その5です。歩行ルートはやや不正確ですが、大雑把にはこんな(↓)感じです。その4では旧水戸街道石岡宿の北端にたどり着いたところまでをご紹介しました(↓再掲)。旧水戸街道はこの交差点で右折してゆきますが(国道はこのまま直進)、左奥の角にある古びたビルを見に行こうとしています。ビル上部には「靑柳鐵店」と古風で味のある社名が書かれていました。古びた感じですが、現役感がありますね。ググっ
前回の散策で見落とした建物をすぐに回収しようと、3月13日(日)に再び石岡の街を歩いた散歩の記録その3です。歩行ルートはやや不正確ですが、ほぼほぼこんな(↓)感じです。その2では昔からある会社と思しき建物を発見し駆けだしたところまでをご紹介しました(↓再掲)。こちらは安政元年(1854)創業の造り酒屋、府中誉酒造。そしてこの門は県の登録有形文化財、府中誉長屋門です。ネットなどでググるととこの長屋門の扉は開いていることも多い様ですが、この日は臨時休業である説明書きが、3枚
前回の記事でかつての常陸の国の国府所在地(府中)である石岡を一通り回りましたが、その後調べて見ると「どう考えてもこれを見ておかねば石岡を訪ねたとは言えんぞ!」と冷や汗を流すような物件を見逃していたことが、(実は帰宅後すぐに)分かってしまいました。幸い住んでいる松戸からは遠い所でもなし、3月13日(日)に再度行ってみることにしました。歩いたルート図はちょっと適当ですがだいたい↓の地図の感じです。9:30頃石岡駅に到着。二週間半ぶりです。今回は駅前からの目抜き通りは通らずに真っ
2月23日の天皇誕生日に歴史と出桁造り商家と看板建築の街、茨城県の古代の首都(常陸国府所在地=府中)石岡の散策を楽しんだ散策記事のその6です。この日歩いたルートは↓の通りです。歩いた距離は8kmくらい。その5では、常陸国分寺の旧門前町を思われるところにあった老舗、青柳新兵衛商店と同じ世帯と思われる屋敷の薬医門に「剣道居合道青柳道場」を見つけ、11年前にもここを激写していたのを思い出し、時の流れと移ろいやすい人の定めに深く思いを馳せた所までをご紹介しました(↓再掲)。そのすぐ
2月23日の天皇誕生日に歴史と出桁造り商家と看板建築の街、茨城県の古代の首都(常陸国府所在地=府中)石岡の散策を楽しんだ散策記事のその4です。この日歩いたルートは↓の通りです。歩いた距離は8kmくらい。その3では、常陸国府のあった、石岡小学校の敷地でなんと道標を見つけたところまでをご紹介しました(↓再掲)。舟塚山9号古墳(石岡から一つ南の高浜駅近く)から昭和51年(1976)に出土したもので、人骨2体が見つかったそうで、この石岡小学校に移されたのですね。石棺、めっちゃ剥き出し
2月23日の天皇誕生日に歴史と出桁造り商家と看板建築の街、茨城県の古代の首都(常陸国府所在地)石岡の散策を楽しんだ散策記事のその2です。この日歩いたルートは↓の通りです。歩いた距離は8km前後といったところ。街道だとせかせか歩く私ですがこの日はたっぷり時間をかけてゆっくり歩きました。「暗くなる前に〇〇駅まで歩かねば!」みたいなのが無いですからね( ̄▽ ̄)。その1では、この区間では旧水戸街道でもある国道355号で昭和五年(1930)に建てられた登録有形文化財、森戸四郎商店を見て、装飾の
お立ち寄りありがとうございます「インテリア」という言葉は比較的新しく、内装、室内側を指します。俗に絵画や展示物、装飾品なども含まれますが、建築という箱側があった上での、インテリアです。なお、日本語の場合、ぴったり当てはまる単語ではありませんが、、近しいのは、しつらえ(室礼)。また、別になりますが、構造や施工側では、おさまり、とゆう言葉も。KURAAYU★建築とインテリアと@7bird7lady7寺社仏閣等の木部の小口(こぐち)の白色。腐食を
房総半島の真ん中辺りの君津市久留里にある久留里城を目指してひた歩く久留里道歩きの第二回として、2021年10月30日(土)に下郡から久留里市街地そして久留里城まで歩いた歩き旅の記録、その10です。この日の歩行ルートは↓。歩いた距離はよくよく考えると17kmくらいになったかも知れません。その9では、久留里城見物を終えて、久留里の町中に戻り、立派な紙屋の屋根に際立った箱棟があるのを発見しときめいたところまでをご紹介しました(↓再掲)。前々回の記事で、旅館の山徳を見かけましたが(↓
10月10日(日)に、前日の夜急に思い立って利根川の布施河岸の七里の渡し(現柏市)から江戸川の矢河原(やっから)の渡し付近にあった加村河岸を結び、銚子の海産物や霞ケ浦の鰻・穀物などを運ぶ産業道路で別名「うなぎ道」とも呼ばれた諏訪道を一日で歩いた散歩記事、その8です。当日の歩行ルートは↓。歩いた距離は寄り道なども併せて16kmくらい。その7では諏訪道を歩き終わり、ゴール地点の矢河原(やっから)の渡し碑を見て、利根川からここまで時折水に浸されるだけで生き延びたウナギたち(水槽で運ばれてい
10月10日(日)に、前日の夜急に思い立って利根川の布施河岸の七里の渡し(現柏市)から江戸川の矢河原(やっから)の渡し付近にあった加村河岸を結び、銚子の海産物や霞ケ浦の鰻・穀物などを運ぶ産業道路だった諏訪道を一日で歩いた散歩記事、その7です。当日の歩行ルートは↓。歩いた距離は寄り道なども併せて16kmくらい。その6では、諏訪道の一日徒歩旅も終盤に差し掛かり、流山市の市野谷の辺りで県道から右に逸れる旧道に今まさに入らんとするところまでをご紹介しました(↓再掲)。廃墟と思われる寂し
9月23日(木:秋分の日)、ちょうど7年前の第6回歩きを最後に実に7年も放置していた旧甲州街道歩きを再開し、JR藤野駅~談合坂SAまで、宿場名で言うならば関野宿~野田尻宿の区間を歩いた歩き旅記事のその7です。当日の歩行ルートは↓。途中で工事の通行止めで迂回したため、正確に測りづらくなりましたが歩いた距離は13~14kmくらいだと思います。地図は第7回分と第8回分を兼ねています(第七回分を欲張って描き過ぎました)。その6では街道らしい微妙な湾曲やアップダウンのある道をひた歩いていると
9月23日(木:秋分の日)、実に7年ぶりに再開した甲州街道歩き第七回のその4です。この日歩いた区間はJR藤野駅~談合坂SAまで、宿場名で言うならば関野宿~野田尻宿にあたります。当日の歩行ルートは↓。途中でコースが狂ったので正確に測りづらくなりましたが歩いた距離は13~14kmくらいだと思います。繰り返しになりますが地図は今回第7回分と第8回分を兼ねています(欲張って描き過ぎました)。その3では、上野原宿場、名物酒まんじゅうの立派な出桁造りの店舗を見たところまでをご紹介しました(↓再
甲州街道歩きの第7回として、9月23日(木:秋分の日)に藤野から談合坂SAまでの区間=宿場でいうと関野宿から野田尻(のたじり)宿までの区間を歩いてきました。と、書くと「おいこら、らんまる!第6回なんてわしゃ知らんぞ」という方が多いかと思います。それもそのはず、第6回は実は2014年で、当時は旧東海道となぜか並行して甲州街道を歩いていましたが、東海道が進み面白くなるに連れて疎遠になり、またその後も「体力がそこそこある年齢の内に長丁場の中山道を歩かねば」などとやってる内についつい7年間のブラン
2021年7月31日(土)に、暑くて長距離を歩くこと自体がとても危険だ、という言い訳をして東武伊勢崎線牛田駅辺りから北千住方向に向かう柳原千原通りのミニ散歩をした歩き記事のその3です。当日の歩行ルートは↓。歩いた距離は寄り道含めて3km未満で、かなりゆっくり歩きましたが1時間程度の行程でした。その2では柳原千草通り商店街の中心と言える建物に辿り着きかけたところまでをご紹介しました(↓再掲)。すばらしい出桁造りの商家。元々一階は間口一杯店舗だったんでしょうね。店舗と母屋に微妙に角
NHKの「古地図で見る東京大空襲」というサイトの地図を見て、佃島や月島は東京大空襲の被害を免れていたことに気がつきました。見づらいとは思います、バナナのような形の上部に「佃島」と右から左へ書かれています。左下の方には「月島八」と縦に書かれているのがわかります。というわけで、「戦前の建物が残っているかも」と、走って探しに行ってきました。江東区立深川図書館一度見てみたいと思っていたので立ち寄ってみました。現在の建物は1993年に立て替えられた3代目です。古いもので
「郡上街道」歩きはここから再開です。長良川鉄道「郡上大和駅」です。駅舎もあり喫茶店も併設されている駅です。主要駅の一つです。古くは郡上郡の政治の中心だっただけに、人口もそれなりにあるのでしょう。駅前の町並みです。袖壁の建物もあり、旧道の面影をわずかに残します。国道156号線に合流です。このあたり長良川も離れていて、風情もありません。暑い中ひたすら歩きます。奥美濃の農家らしい主屋と蔵です。しばらく歩くと
花街があった、元林院町花街の面影を残す建物が多く残っています。いづみさん玄関看板、いいですね。足元には、敷石。ブロ友さんに教わった、あられこぼしのようです。玄関引き戸も素敵!柱の根本に錺金具がついています。これも、奈良町屋でよく見かけました。このお隣が、絹谷家もとは、「萬玉楼」という置屋さんでした。3棟の主屋からなっています。北側から、大正期の数寄屋建築2階、窓の木枠がおもしろいですね~!波々になっています。こちら真ん中は、江戸時
2月23日(火)の天皇誕生日に、伊南房州通往還歩きの第四回として、前回ゴールの大原から勝浦までの区間を歩いてきた歩き旅の記事その4です。当日の歩行ルートは↓。歩いた距離は19km前後かと思います。その3では伊南房州通往還の旧道部分で、往時からこの街道にあったかもしれない木の下をしみじみと感じ入りながら通りかかったところまでをご紹介しました(↓再掲)。道なりに暫く進んで行くと国道に近づいたところで、国道沿いの土産屋らしき「やまか水産」の裏側に出ました。水産品の店ということで
さる2月23日(火)の天皇誕生日に、伊南房州通往還歩きの第四回として、前回ゴールの大原から勝浦までの区間を歩いてきました。当日の歩行ルートは↓。歩いた距離は19km前後かと思います。歩いた日の時間を有効に使いたいので例によって茂原で前泊します。朝5時前後に起きてこの日お世話になった宿を出ます。前回も同じ時間に出ましたがそれに比べると空が明るいのは日の出が早くなったのですねえ。朝の茂原駅。スマホ写真ですが、空のグラデーションがきれいでした。しばし電車に揺られて大原駅に
昨年末の12月26日(土)に外房を館山に向かって南下する伊南房州通往還3回目の旅として、上総一ノ宮から大原までの区間を歩いた旅の記録のその7です。歩いたのは上総一ノ宮から次の特急駅にあたる大原までの17km弱、神社仏閣への寄り道などを含めると18km強くらいだった筈です。徒歩旅のルートは↓。その6では、新田川を渡った後、銀色に光るS字カーブを華麗に通り抜けたところまでをご紹介しました(↓再掲)。その少し先で踏切を渡ります。これは昨年、この日ゴールの大原駅から大多喜の街を見に行
昨年末の12月26日(土)に外房を館山に向かって南下する伊南房州通往還3回目の旅として、上総一ノ宮から大原までの区間を歩いた旅の記録のその5です。歩いたのは上総一ノ宮から次の特急駅にあたる大原までの17km弱、神社仏閣への寄り道などを含めると18km強くらいだった筈です。徒歩旅のルートは↓。その4では、池田屋菓舗というちょっと奇跡的に素晴らしい建物を見た後、商店街で昔ながらの本屋が絶賛営業中なのを見つけて、ほっと胸をなでおろしたところまでをご紹介しました(☟再掲)。その先の街
先日2020年6月22日の小田原歴史散策の続き。「松原神社」をお参りした後は、「明治天皇宮ノ前行在所跡」に向かいました。松原神社のレポ『大工町・林学横町・大手前と、小田原城大手門跡・鐘楼と~神奈川県小田原市の街並・史跡』先日2020年6月22日の小田原歴史散策の続き。「北条氏政・氏照の墓所」をお参りし、小田原の旧地名案内板「高部屋」「上幸田」を見つけた後は、小田原市内を南の…ameblo.jp「松原神社」の参道を南に進むと、丁字路に突き当たるので、そこを左
去る8月29日(土)日中は35℃くらいまで上がりそうだという、街道歩きにはとても危険な天気予報が気になったので、短めの歩きでお茶を濁そうと、以前から古民家が気になっていた茂原市内を散策したお散歩記事のその6です。当日の歩行ルートは↓。歩いた距離は7kmほどでした。その5では、昌平町商店街という、非常に古くからある、茂原でかつて中心的だったと思われる商店街で、非常に立派な出桁造り商家の米屋、菱太商店を見かけて激写したところまでをご紹介しました(☟再掲)。後ろの住居部分まで非常に立派な
最高気温が34℃くらいの予報だった8月29日(土)、主に古い商家(跡)を目当てに茂原市内を散歩した歩き記事のその5です。この日の歩行ルートは↓。歩いた距離は7kmくらい。その4では、法華宗本門流の鷲山寺の本堂でお参りしたところまでをご紹介しました(☟再掲)。こちらも東の参道から入ってしまったので手順前後になりますが、正面の参道にある山門を激写します。山門の中から参道を激写します。写真の奥にかなりの段数の石段が見えていますね。行ってみましょう。石段の上には何がし