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京都への出張、ホテルの領収書を職場に提出しないといけない。忘れないように、朝イチで係に。小姑(男性)がうるさいから笑鞄から封筒に入った領収書を取り出す。中身を出したらまさかの、宿泊税の領収書だった。なんでやねん。400円て…。宿泊した証明にならへんやん。経費で落ちひんやん慌てて問い合わせて、発行手続きをやり直した。/領収書はチェックアウトの際にお渡しします。\って言われて、さらに、封筒に入ってたから、疑いもしなかった。もちろん確認もせず。無事に手続きできた
【札幌日帰り出張】会議出席のために札幌に日帰り出張。京急で行くつもりだったのだが、途中のJRの電車が前を行く電車の乗客救護のために遅れそうなアナウンスがあったので方針を変更して浜松町からモノレール。このモノレールには久しぶりに乗ったけれど、JRからモノレールへの直接の乗り継ぎ口ができていて、前にはなかったのではないかと思う。羽田発は10:15だけれど余裕を見て9:20に空港到着。保安検査のところはやはりかなりの行列。乗ったのは北海道の空の便AIRDOのADO019(羽田10:15
欧州出張1978.09.16~10.04イタリア、東ドイツ、西ドイツ、フランス、イギリス1979.11.24~12.16イタリア、オーストリア、西ドイツ1980.09.16~09.28フランス、西ドイツ、オーストリア、オランダ
09.21(木)大平氏(蝶理)とHotelBerlin前で。東ベルリン―LeipzigG.T.Lへと向かう。東独へ入る前の西独側管理事務所で。たしか頭上に見えるのが、CheckpointCHARLIEと書いてある。着ているコートは、前日デパートで200DMで買ったもの。このあと通関を経て東独側に入るも、VISA料40DMもとられ、約1H要した。丁度この朝、コスモナート2人の東ベルリン凱旋帰国で、国を挙げての歓迎で、東ベルリン市境は、正午まで閉鎖となり動けず、仕
09.20(水)ミラノからフランクフルト経由ベルリンへ6:30広瀬氏の早朝出迎えを受けてairportMilanへ。Hotelが朝食1回のみなのに、3泊で16.5万リラ。実に高く驚く。3泊4万円強だ。8:15発ミラノからFrankFurtでtransit、Berlinへ。FrankFurt空港で、I'mgoingtoBerlin.と云っても、このBerlinと云う発音、1人はInformationlady、1人はImigrationoffice
09.19(火)BisFA会議9時過ぎにPirelliのMr.BetelliにHotelに迎えられ、BisFAAdhesionTASKGroupのPirelli会場へ。Mr.Betelli、外人にはめずらしく小柄。Meetingでは書記、又は秘書的存在で、ほとんど発言なし。しかし、Laboratoryでの接着試験で研究部門へ行った際、座長のMr.Sancisiの隣に堂々と部屋をもらっている。名札の付いた大きな部屋をみて、これはかなり名誉ある地位の男と思った。非常に若
09.18(月)〇〇ミラノ、午後GCRを訪問。詳細、出張報告書に記す。〇○吹野所長、青木氏、日吉氏、それにたまたま出張中の鈴木課長代理と5人で昼食。めずらしくワリカン(ダッチ)で食う。これが当たり前であるが、青木氏もなかなか割り切っておられる。吹野所長「御社は忘れた頃にやったくる。」「この円高時代、今、買わねばダメですナ。」といった調子でトゲがある。〇〇、もう少し慎んで紳士であってほしい。それに弊社も、小職が英語不得手のせいもあるが、あんまり駐在員に何から何までさも当たり前といった
広瀬氏(S22生?)広瀬主任管理課長の御令弟。学生時代よりのイタリア語を駆使して、この数年、ミラノで鉄工芸師をめざして勉強中。実兄より依頼の領物手渡す。なかなかはっきりと物を云い、考え方も実にしっかりしておられる。未だ独身というのが周りをやきもき心配させるが。9/206:00の早朝、空港まで送ってもらう。この夕食の席で、GCRで出されたコーヒーを音をたててすすったのを、全く失礼、Mr.Madernaジロジロ見ていたよ、と青木氏よりお叱りを受ける。コーヒー飲むのもむずかしい。
09.18(月)G.C.Rミラノを青木氏と訪問。この会社の技術は相当なもので、今回の欧州出張では、一番重要視されよう。しかし訪問前はその事判らず、ミラノ・ピレリでのBISFAmeetingに焦点を置いて来たものだから、G.C.Rも、3:00~6:00のわずかな時間で終わらざるを得ず、残念。Mr.Maderna、10年前にはライプチヒガルバノに居たので、G.T.Lより買った当社西ライン12本通設備を、非常によく憶えている。Pay-off、take-up、Tensincontrol
09.18昼食をダッチカウントで。約2000円ぐらいで高い印象あり。青木氏吹野所長上林鈴木課長代理吹野所長――少しクセのある人。「御社は忘れた頃にやってくる。商売に結びつかないナー。今の円高時代、これをのがしたらダメですよ。」上林鈴木課長代理――東京よりの出張中で、ミラノは1泊。なかなかバイタリティ旺盛とみえる。
イタリアの車車の多いのにはビックリする。東京、大阪だって確かに多いが、青木氏の「欧州、なかでも仏、伊は車を下駄がわりに使う」というのがよく判る。車密度は日本と変わらぬかも知れぬが、雰囲気がやはり異なる。ほとんどが1000~1600ccの小型車ばかり。それに全部といってよいくらいギアミッション車だ。青木氏、フォードの2000cc車だが、これまたギアミッション。全車がカミナリ族並みに飛ばす。さして広い道でもないのに。交差点での横断歩道、日本以上に気をつけねばハネられる。ガソリンスタンド
伊の子供ホテルの近くに子供用の娯楽センターがある。宝塚ファミリーランドのような。入場無料。イタリア人の体つきは日本人並みで、さして大きくない。子供も日本同様、小柄。しかし目につくのは動作が敏捷な点。よくこまめに体を動かす。子供の自動車の順番のとり合い、運転スピードなど、日本の子供には少しみられないぐらいすばしっこい。こちょこちょっと、かけずり回っているという感じ。金魚釣り。実際には金魚ではないが、下のように細くて切れ易い糸での釣りが2、3ケ所でやっている。
ミラノ市はドウモウ(大寺院)を中心に、放射線状に道路が敷かれている。日曜日で店がほとんど閉まっていて、人は少ないが、それでも観光客は結構ある。イタリア女性か、コンニチワ、サヨナラと、すれちがいに話しかけてくる。ミラノは少し暑い。青木氏も半袖、ホテルも少しクーラーが入っている。
1978.09.17(日)〇〇青木氏の出迎えを受け、HotelPALACEへ。婦人用便器付き12,000円の高級ホテル。日本人への土産には、週刊誌にソバ、カツオダシ、タバコを持参した。9/17Milan昼頃着空港に〇〇青木managerが出迎えに来てくれる。あとで考えると、この出迎え全くありがたい事だ。もしなければ、たちまちにして言葉に困っていたであろう。3泊したのであるが、英語を少しでも理解するイタリア人はかなり限られている。一般市民、タクシー、食堂では、ごく一部だけであ
1978.09.16(土)英国ヒースロー空港でトランジット。早朝とて人は少ないが、売店で支払うのに客が並ぶ、おとなしく。英国⇒ミラノの途上、アルプス連山越え。かのカエサルもこの山脈を越えてローマに侵攻したのかと驚く。ミラノ郊外は平家建家屋はほとんどない。日本の中流家庭のように土地庭付住宅を望まぬらしい。ミラノ空港は日本のローカル空港同様、フェンスに一杯の見物人。
1978.09.16(土)出発昼2時頃まで仕事して引き上げる。まんの悪い事に、昨夜10×6FNo.30の流体継手から油もれ火災事故あり。その事故検討会が気になる。17:00にタクシーに来てもらって空港へ。2度目の海外旅行のスタート。空港には、どなたの見送りも固く辞退する旨、お願いしておいたので、全く一人で気楽に通関へ。一般の徹底した服装検査(HIJACK防止)に続いて、BritishAirwaysは、2度目の身体検査。靴をぬがせ、テープレコーダーもONにして、テープを回して
1978.09.16(土)PM2:00頃まで仕事。昨夜、浜名製10×6F流体継手より出火。可溶栓ではなく鉄栓メクラと聞いて驚く。夕方5:00迎え、タクシーの運転手に写真をとってもらう。少し暑いが、欧州の肌寒さにそなえて、アイのスーツを着る。空港には、松島技師にも御辞退いただいたので、ただの一人で通関へ。BritishAirwaysは検査厳しく、靴をぬがせ、テープレコーダーもONにしてcheckする。伊丹―成田―アンカレッジ(1h少休)―ロンドン―ミラノと飛ぶ。往復とも、かの有名
Mr.Gallowayが撮ってくれたもの。Crewsは週給300ドルくらい。実に陽気だ。よく働くが、金曜日に金をもらうと二日飲み明かして、月曜日、警察のブタ箱へもらい受けに行かされる時があるとか。ガールフレンドを工事現場へつれてきたりもするらしい。しかし管理者が一番困っているのは、Crewsの引抜合戦だそうで、この種の労働力が相当不足しているようだ。9/13午後、Mr.Eagauと別れて、中込課長とロスアンゼルスへ。中込氏は乗りついで、このままカナダバンクーバーへ。小職は永田君の
1977.09.13(火)Mr.Eagauから、最難物はこのChattanoogaのユーザーと聞いていたので、少しビビッていたが、写真中央のMr.Galloway(BurnupandSims)、全くの好漢で終始ニコニコ、口数も少ない。西部劇にでも出て来るような男。日本からの遠来の客という事で、地味だが実に気を遣ってくれたようだ。写真にはうつっていないが、この倉庫の門柱に、もつれ不良の残骸が輪掛けで吊っている。Crewsが今日はこんだけもつれたと云っては、戻ってきて門にかけるらしい。
1977.09.12(月)午後、Mr.Eagau、中込課長、小職の3人で空路Chattanoogaへ。Choo-chooHiltonHotelへ。かつての駅をそっくり買い取ってHotelにしている。庭園もキレイにしている。客車が沢山見えるが、全てHotelの客室に改造され利用されている。