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ひでです。お早うございます。関宿城は2月1日に行ったお城です。場所:千葉県城主:梁田氏→北条氏→松平氏→・・・→久世氏石高:2万石(松平氏)別称:来歴:古河公方の足利氏の重臣だった梁田氏によって築かれましたが、北条氏康をして「この地を抑えるということは、一国を得ることと同じである」と言わしめるほど、水上交通の要衝として重要なこの地を巡って何度も戦いが行われました。今は防波堤横にある碑しかありませんが、近くに、関宿城博物館があります。そちらに詳しく説明されていました。今回は私の下手な
こんにちわ。私のこんな拙いブログをご覧いただき、ありがとうございます。今回は、歴史旅記録です。11月の中旬雨上がりの浜松にやってきました!『どうする家康』ツアーです。先ずは、浜松八幡宮へ。ご神木『雲立楠』三方原の戦いに敗れた家康公は武田方の追ってを逃れ、ここ八幡宮に辿り着き、こちらの楠の木の洞の中に身を潜め難を逃れたそうです。続きましては、お田鶴の方が祀られる椿姫観音左側の小さな御堂にいらっしゃいます。引間城主飯尾連竜の死後、女城主になったその妻お田鶴の方は、家康公と
かんざんじ温泉、初めて聞いたじっちゃんはよく知ってるかんざんじ温泉鞠水亭(きくすいてい)かんざんじ温泉鞠水亭【公式】ホテル鞠水亭(きくすいてい)www.kikusuitei.co.jpゆったりなお部屋はくつろげるホームページより今熱い、インフィニティバスとまではいきませんでしたが、浜名湖が目の前でロマンチックよヒノキの香りでリラックスMarywoodin(メアリーさん、あたしは一応マリーです)葵の御紋この紋所が目に入らぬかー!!辛口でめちゃうま〜ホテルは歴史
備忘録です2023年のお城🏯めぐり納めに静岡県に行って来ました~🤗サービスエリアにて👇️富士山🗻がくっきりはっきり✨朝焼けに染まってます天気は☀️ばっちりすっごい快晴☀️が‼️富士山↓の雪❄️が飛んでるようにこの日の静岡県の寒さといったら半端ない風がビュービュー🌀🌀🌀気温も一桁‥後で分かったけど、地元も東京もそんなに寒い日ではなかったようでよりによって寒い寒い静岡県にいた。というね。あまりの寒さに帰りの車で私はダウンしてしまいました‥旦那に迷惑掛けないように
本日の講座では通常のラボノートや筆記用具入構許可証以外に√計算機能の付いた計算機が持ち物になっておりました小学生って√知らないよね?と思っていたらそろばんのカイホウで出てくるよとのことカイホウ・・・?ってなに??一級に合格して段位の練習に入ってからカイホウとやらをしているそうです母全くわかりませんかつて段位の練習をしていた長男に質問してもルートとかが出てくる計算があって・・・それ以上の説明は何を言っているのか理解できない母車の中で4
こんばんは~令和5年2月に、娘が長浜へ~おみやげ御城印ですよ~長浜城の御城印~秀吉の出世城といわれてますね~おかげさまで、御城印の種類も増えました~ではでは~
あなたの街のシンボル教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう浜松でシンボルとなるものはやっぱ浜松城かな徳川家康公が29歳~45歳までの青年期(17年間)を過ごした城で後に出世城とも言われるようになりました。江戸幕府の重職に就く大名も浜松藩主から水野忠邦も唐津藩から出世の為、実高の少ない浜松藩へ転封しました。
こんにちわ。龍神でございます。さぁ、師走になりましたね!冬はイベントが増えてオシャレ、食べ物など色々と楽しみな季節になってきましたね☝️浜松市中区の元城町東照宮に参拝しました。普段は神職さんも不在ですが、2週間に一度、日曜日にいらっしゃるようです☝️また、浜松屈指のパワースポットとのことで、平日でも参拝者は絶えることはありません。駐車場🅿は国道を挟んだ迎えの浜松城公園駐車場🅿を利用されると便利ですし、ゆっくり参拝されても90分無料でおさまりますよ👋徳川家康
浜松城の続編です。雨が降っていますので、それでは中に入りましょう。ここが、入り口ですね。浜松城は”出世城”と屋ばれています。天下人となった徳川家康が、若き頃に戦国の世に名を上げた周辺諸国の名家、今川、武田、織田など巨大な戦国大名に囲まれ、戦い生き延びて天下盗りの夢をつかんだ場所が浜松城です。内部は博物館のようになっています。たくさんの武器や甲冑が並べられていました。天守閣の最上段に行ってみましょう。すぐ下に”富士見櫓”が見えますね。お城の周り
眠かったけど、早起きして🌄ホテルでバイキングの朝食を済ませてから8時前にレンタカー会社へ🚗レンタカー🚗を借りて、浜松へ向かいました。お天気はいまいちだったけど北海道に比べたら、やっぱり暖かいです。道の駅「とよはし」へ寄りました。朝ごはん、いっぱい食べたのに見たら何でも食べたくなる!💦五平餅とみたらし団子をゲット🍡五平餅、「半分、青い」を思い出す(笑)あまり動けないし、すぐに疲れるのに...ムリをして旅行に来たのは...1年に最低でもひとつはお城🏯を見る!という目標を
※浜松城の変遷Ⅰ案内板今川(室町)時代~徳川(戦国)時代…旧引間城を取り込み要塞化していく過程がわかります浜松城に行きました!2️⃣続100名城No.148続きです①浜松城の変遷Ⅰ浜松城は、15世紀に今川家によって築かれ、「引間城」と呼ばれ、東海道の要衝に築かれていました。大河ドラマ「どうする家康」に、チョイ役で登場していましたが、当時の城主は今川家家臣の飯尾連龍という武将でした。連龍は、三河で独立した松平元康(家康
徳川家康が青年から壮年時代を過ごした浜松城。29歳から45歳までの17年間を過ごす。この間、姉川の合戦、武田信玄とも戦っている。江戸時代を通じて、幕府の重役を輩出したことから出世城と呼ばれる。二階式櫓門の天守門の脇には、大きな「鏡石」が使われ、城主の権威を示している。現在の天守閣は、昭和33年に鉄筋コンクリート造りで復元された。地上3階地下1階の建造物で、1階と2階が歴史資料館。甲冑や刀、城下町ジオラマ展示などある。天守を載せる石垣は、自然石を組み合わせる「野面積み」で築かれている。その石
家康の銅像下から風格がありますね〜1/3位の復元らしいので、本当は、もっと大きかったんですね〜天守閣から見た景色どうする家康を全く観ていないので、余り感動は、無く…もっと知識があると楽しめたんだろうなぁ〜と思いました。
今回も藤枝に前泊。出会えたお気に入りのお店に行くため、いつもの藤枝ルートインを予約しました。お店にも予約の電話を入れたところ...なんとコロナに罹患してしまいお休みのこと。藤枝に宿をとった意味がなかった(泣)仕方なく今回は別のお店に行ってみたものの、どうもしっくりせず早々に退店。さて、前回台風でさんざんなめにあった天竜川駅から出発です。浜松付近に到着。家康成り上がりの地だからか、日本一とか出世とかいうフレーズが目立つ気が。出世城というお酒もあるしね。お昼はラーメン。とても美味しかった。駅
吟醸出世城純米葵御紋特別純米原酒ひやおろし旨味に溢れ、含み香の余韻最近の受賞歴■令和4酒造年度全国新酒鑑評会入賞■令和3酒造年度全国新酒鑑評会金賞受賞■令和2酒造年度全国新酒鑑評会金賞受賞■令和4年度(第71回)名古屋国税局酒類鑑評会優等賞■全国燗酒コンテスト2023お値打ちぬる燗部門「本醸造出世城葵御紋」金賞受賞■ワイングラスでおいしい日本酒アワード2023メイ
前回の続き『どこ行く家康神君生誕の地岡崎城④』『どこ行く家康名古屋城③』あっという間に9月📆まだまだ暑い日が続きそうですね💦とは言え少しづつ日暮れが早くなってきた季節の変わり目体調崩さないよう気…ameblo.jp愛知県を出て向かった先は静岡県の浜松市浜松駅北口バスターミナルよりバス🚌で移動徳川三百年の歴史を刻む出世城浜松城1570年(元亀元年)徳川家康は岡崎城を長男信康に譲り三方原台地の東南端に浜松城を築城駿遠経営の拠点とする29歳~45歳までの17年間
※2023年8月6日訪問※浜松城の【二ノ丸北東部分】へと歩いて来ました周囲と比べても二ノ丸跡が台地の上に築かれている事がお分かり頂けるかと思いますさて、今回の浜松城散策は以上で終了となります大河ドラマ『どうする家康』の効果も有って、多くの観光客の方々が訪れていた浜松城細かい曲輪跡など、まだまだ散策しきれていない部分もありますが、徳川家康が17年もの長きに渡って在城した東海の名城を、しっかりと堪能する事が出来ました
※2023年8月6日訪問※浜松城の【本丸跡】を散策して行きます【浜松城本丸跡】と彫られた小さな石碑が建てられていますね✨天守門から少し下った先に有る本丸跡ですが、随分とスペースの狭い印象を受けます柵が設けられており、現地を訪れてみると、南北に細長い狭い曲輪だったのかと思ってしまいますが、実はかつての本丸はもっと東に伸びており、東側の約半分は明治になって削られてしまったとの事本丸跡の北側に【浜松城本丸とその石垣・堀跡】と書かれた案内板が設置されており、こちらを確認して行きます▼▼▼▼▼
※2023年8月6日訪問※続いて【入隅石垣】部分を見てみましょう✨富士見櫓跡から振り替えると、天守と天守門を臨む事が出来ます✨富士見櫓跡から本丸へと降りる石段部分にも武骨な野面積みの石垣が残されていますね実際に訪問して見るまで、浜松城に石垣のイメージというのはあまり無かったのですが、これだけの野面積みの石垣が残されている事に感動しますね✨◆遠江国・浜松城(出世城)本丸跡/浜松市指定史跡◆に続く
※2023年8月6日訪問※浜松城の【富士見櫓跡】を見て行きましょう✨天守門から北東側に歩いて行くと、少し開けた平場のような箇所を見る事が出来ますかつてこの場所には【富士見櫓】という櫓が建てられていました✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼富士見櫓は、江戸時代描かれた浜松城の絵図や明治時代初めの浜松城払下げ時の資料に記録が残る本丸北側の櫓台上に建てられた櫓である。2008・2009年(平成20・21年)の発掘調査では、櫓(北面)の3つの礎石が見つかり、その北側には玉石が敷かれていた
※2023年8月6日訪問※天守門の正面部分の両脇には、一際大きな【鏡石】を見ることが出来ます✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼天守門の石垣正面は、左右ともに隅に巨石が用いられている。この巨石を鏡石と呼ぶことがある。かつて城の壮大さや城主の権力を見せるため、門の両側や周辺に意図的に大きな石を用いたと言われており、彦根城太鼓門櫓や、岡山城本丸、松本城太鼓門の石垣等に類例がある。巨石を用いた部分は算木積(石垣の角部を強固にするために、長い石材の長辺と短辺を左右交互に振り分けて積む積み方
※2023年8月6日訪問※天守門を支える【礎石】について見て行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼浜松市では平成21年度から天守門跡の発掘調査を行い、建物の痕跡を確認した。「安政元年(1854)浜松城絵図」の天守門が描かれている場所からは、長軸1.0~1.4m、短軸0.9~0.7mほどの扁平な礎石が4箇所と、礎石の抜取穴2箇所が発見され、門柱の配置や門扉の大きさが確認された。また、建物の屋根瓦や鯱瓦の一部、土塀の瓦も多数確認された。門の両側の石垣上部からは、壁から剥がれ落
※2023年8月6日訪問※天守門の櫓門部分を見学し、門の下までやって来ました門の柱と石垣との間に、何やら瓦のような物が埋まっていますが、実はこれ、かつての【排水溝】との事▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼平成21年度から発掘調査で、門下に瓦を用いた排水溝が発見された。丸瓦を使用して排水溝を強くしている部分があることから、かつて礎石が存在した時点には、排水溝が造られていたと考えられる。土塀断面から、瓦の排水溝埋没後に礎石の抜き取りがあったことがうかがえる。排水溝は西側の雨落溝から屈
※2023年8月6日訪問※では、復元された天守門の内部を見学して行きます靴を脱いで、天守門の内部へ木造復元ということもあり、木材の香り、そして屋根の木組みをしっかりと堪能することが出来ます✨【石落とし】【格子窓】数は多くは有りませんが、天守門に関する貴重な展示品を見る事が出来ます天守門跡から発掘された出土品なども展示されていますね✨◆遠江国・浜松城(出世城)天守門下排水溝/浜松市指定史跡◆に続く
※2023年8月6日訪問※天守をたっぷりと堪能し、続いては【天守門】へと向かいます✨天守門の案内板が設置されていますね✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼浜松城の第二代藩主、堀尾吉晴は城の中枢である天守曲輪に天守を建築したと言われているが、この天守は古図などの資料から、江戸初期には焼失していたと考えられる、天守曲輪入口の天守門は幕末まで維持されたが、明治6年(1873)に解体され、払い下げられた。「安政元年(1854)浜松城絵図」には安政地震による浜松城の被害状況が示されており、天
※2023年8月6日訪問※天守の廻り縁から西側を臨むと、眼下には付櫓台のような突出した石垣部分を見る事が出来ます✨この区画は【八幡台】と呼ばれる区画で、天守台より石垣が5段分高く積まれています面積40㎡の敷地で、武士の守り神である『八幡菩薩』を祀っていたそうです◆遠江国・浜松城(出世城)天守門/浜松市指定史跡◆①に続く
※2023年8月6日訪問※天守の最上階まで登って来ました天井には歴代の浜松城主の家紋が散りばめられています✨廻り縁部分へと出てみます【東側】【北東側】【南側】【南西側】【西側】【北西側】天守からは浜松市内が一望出来ますね✨◆遠江国・浜松城(出世城)八幡台/浜松市指定史跡◆に続く
※2023年8月6日訪問※地下の【天守下井戸】を見学し、天守の一階に戻って来ました【家康浜松に立つ】という大きなパネルが出迎えてくれましたでは早速展示品を見学させて頂きます✨まず目を引くのが、二両並んだ徳川家康の【甲冑】です【家康所用の甲冑(金陀美具足)複製】▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼徳川家康所用の甲冑。現品は重要文化財に指定され、久能山東照宮博物館が所蔵している。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲【家康所用の甲冑(歯朶具足)複製】▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
※2023年8月6日訪問※入館料を支払い、天守内部を見学させて頂きます階段を降りてまず訪れたのは【天守下井戸】▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼天守台の井戸は、再建の時に残し、今は天守閣の地下室にある。直径一・三m、深さは現在一mほどになっており水はない。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲天守台に井戸が残されているのは全国的に見ても貴重な遺構ですよね井戸付近の壁には【浜松城天守秘話】という内容の掲示物が有りましたので見て行きましょう✨『現在の復興天守』と『想定される安
※2023年8月6日訪問※浜松城のシンボルでもある【天守】までやって来ました▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼現在天守台に建てられている建物は、昭和33年(1958年)4月26日に完成した鉄筋コンクリート造の復興天守である。地上3階地下1階建で、1-2階は徳川家康と浜松にまつわる歴史資料を展示する資料館、3階は展望台として使用されている。昭和31年1月に結成された浜松城再建期成同盟会が募金運動を展開し、集まった浄財をもとに当時の金額で1395万6千円を投じて建設された。復興天守は