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期間:2026/02/25〜03/04天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)長尾為景:奸猾狡知の雄呪)尼子経久:十一州の太守射)小早川隆景:三矢結束・略戦)豪姫:豪気なる賢姫射)山中鹿之介:忠勇一生の奉覇)尼子晴久:石見銀の財源覇)冷泉隆豊:智勇兼備の士呪)渡辺通:謀神退陣の援©コーエーテクモゲームス
さて、前回『【信長の野望20XX噺】遭遇戦応援スカウト・参(1)』長いこと放置しておったが、やっと着手。今回は人数が多いので分割。先ずは星5呪術師まつさん吟味済み。『【信長の野望20XX噺】バレンタイン2022後編』さて、昨…ameblo.jpの続き。先ずは星5覇道者北畠具教さん・ボス全体物ダメ2.20確率即死付与前ターンスキル不使用時確定クリ(3倍)・前列全敵(ボス不在時)無ダメ2.20確率即死付与前ターンスキル不使用時確定クリ(3倍)ごめん。ほぼ書き終わった段階で
覇)尼子晴久:石見銀の財源覇)冷泉隆豊:智勇兼備の士©コーエーテクモゲームス
天文二十年(1511)八月、家臣陶晴賢の反逆で大内義隆は山口を追われた。山道をたどり仙崎から海路脱出をはかったが風波に阻まれ、死を覚悟して湯本の大寧寺に入った。異雪和尚の計らいで義隆らは行水、白装束で和尚の法話をきいた。追ってはすでに寺を囲んでいた。義隆は重臣・冷泉隆豊の介錯で自害。寺には火が放たれた。義隆の辞世の句「討つ人も討たるる人も諸ともに如露亦電応作如是観」残るわずかな義隆勢は敵中に討って出て次々に倒れた。最後に冷泉隆豊が教蔵に入って割腹、はらわたを投げつ
期間:2025/05/13〜05/20天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額呪)大内義隆:文芸遊興の憧武)陶晴賢:西国一の侍大将戦)弘中隆包:不惜身命武)珠光:赫耀泡影射)毛利隆元:仁篤の常栄公覇)冷泉隆豊:知勇兼備の士星2戦)亀井茲矩:疑心暗鬼©コーエーテクモゲームス
さて、昨日を挟んでしまったが、『【信長の野望20XX噺】新生活応援スカウトin2025(1)』これが来ると「春だなぁ……。」と感じ……まではしないが、そうなるよう長く続いて欲しいものである。たくさんいるので分割……って、このセリフは随分と久々な気がする…ameblo.jpこれの続き。本日最初は星5射撃手小早川隆景さん吟味済み『【信長の野望20XX噺】毛利の両川(1)』本来なら一つの記事で充分なのだが、隆景さんがめっちゃ長くなってしまったので分割。疲れたのであまり長いと読むの大変
期間:2025/03/06〜03/21天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)長尾為景:奸猾狡知の雄呪)尼子経久:十一州の太守射)小早川隆景:三矢結束・略戦)豪姫:豪気なる賢姫射)山中鹿之介:忠勇一生の奉覇)尼子晴久:石見銀の財源覇)冷泉隆豊:知勇兼備の士呪)渡辺通:謀神撤退の援星3呪)大関高増:妖特効・参星2射)太田一吉:機特効・弐©コーエーテクモゲームス
射)尼子晴久:鉄心石腸戦)大内嘉隆:末世の道者射)尼子経久:天性道化戦)陶晴賢:媚眼の吸血鬼呪)安国寺恵瓊:聖樹の宴会僧射)珠光:輝く雪景戦)小早川隆景:仁愛銘菓薬)吉川元春:保温無欠の誉覇)尼子晴久:石見銀山の財源覇)冷泉隆豊:智勇兼備の士©コーエーテクモゲームス
すげー歪んだ愛を感じる大内ガチャ。見ていこう。先ずは星5呪術師大内義隆さん味方全体防+25%敵全体へ自身への挑発付与自身を攻撃した味方武将へ攻敏+60%付与(継続3T)ニーマル界屈指のドM武将が誕生。敵の攻撃をその身に受けて、更に味方にも攻撃してくれと言わんばかりの内容。3T継続でこれは凄いな……と思ったが、現実的にはどうなんだろう?いくつか問題がある気がしてならない。問題1.そもそもの仕様3Tの重ねがけと言っても、3T目は2Tまでの重ねがけの速度で行動↓義隆さ
期間:2024/07/23〜08/13天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額呪)大内義隆:文芸遊興の憧武)陶晴賢:西国一の侍大将戦)弘中隆包:不惜身命武)珠光:赫耀泡影射)毛利隆元:仁篤の常栄公覇)冷泉隆豊:智勇兼備の士星3武)児玉就方:心眼・参星2戦)亀井茲矩:疑心暗鬼©コーエーテクモゲームス
常設ガチャを吟味するのって初めてなのではないかな?本日限定で3倍なので、欲しい武将がいるのならばお早めに。先ず信長さんと信忠さんはこちら。『【信長の野望20XX噺】覇王の寵愛』倍率が判明したので本日は吟味が出来る。早速見ていこう。先ずは吉乃さん。生命1〜3位敵攻デバフ50%+確率呪い付与味方全体回復0.20+呪い敵特効50%THE呪…ameblo.jp〈一言二言+α〉信長さんはスキル鍛錬や星5昇格によりまだまだ現役で使える。実際ウチでも現役。正直なところ、固有は装備品アップのヤツに
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。陶隆房(すえたかふさ)が主君・大内義隆(おおうちよしたか)に対して謀反を起こす…その噂が山口だけでなく安芸国内までに流れている中、毛利元就(もうりもとなり)隆元(たかもと)、元春に隆房より密書が送られており、元就は様子を見ていた。隆房さんとは毛利家を味方にしておきたいんだね元就『陶殿からは安芸、備後の国人衆をまとめる権限を与えられているが…陶殿はいつ動くのか…?』陶隆房天文20
大内家臣冷泉隆豊江良房栄問田隆盛飯田興秀
③のつづき1551年、重臣・陶隆房(後の晴賢)が挙兵し、山口へ攻めてくる事を知った大内義隆は兵を集めようとしたがすでに周囲は、隆房が自分の味方に付くよう根回しをしておりろくに兵も集まらなかったそれでも、義隆は少しでも防戦に有利な北山の法泉寺へと向かい戦いの準備をしますしかし、一夜明けると半数もの兵が逃げ出しておりもはや、まともに戦える状態ではなくなっていた義隆は法泉寺から逃亡するがすでに陶軍が迫っておりこの時、義隆を逃がすために多くの将兵が犠牲になったと
②のつづき冷泉坂を登りきると薄暗い場所が見えてくるお墓がいっぱい、、手を合わせた後、近付いてみる大内義隆主従之墓地左から冷泉隆豊、黒川隆像(別名・宗像氏男)、岡部隆景、天野隆良、大田隆通全員、最後まで義隆公を見限ることなく命懸けで護ろうとした忠義の士です左から、平賀隆宗、相良武任、杉興運、貫隆仲、陶隆弘、陶隆康陶氏の一族の中にも主君・義隆を護って戦った者もいる義隆公の招きによりたまたま山口に滞在していたことで乱に巻き込まれ、容赦なく殺害された京の都の公家達
前回のつづき大内義隆公の墓所へと向かう坂(冷泉坂)その途中にあった「経蔵跡」義隆公に従っていた家臣の多くが陶方に走ったり、逃亡したりする中最後まで義隆公を守って奮戦していた冷泉隆豊(れいぜいたかとよ)が力尽きて自害した場所冷泉隆豊、、個人的には、もっと光をあててあげても良いと思う武将の1人です③につづく城跡巡り169-②(´Д`)長門・大寧寺
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡で地域活性する活用専門アドバイザー」で「日本マイナー歴史研究専門家の原一六四(ひろし)です。本日も「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」シリーズをお送りいたします。その前に、原一六四の歴史動画「歴史の裏側教えます!!」は新しい動画になってます。今回は「戦国時代の合戦においての先陣の選定方法」について動画撮ってます。武将にとって名誉ある先陣。皆さんは武田信玄が先陣を決めた方法って知っていますか?今回の動画は、そんな事まで出てきます。良かっ
うっちーこと宇都宮芳綱ですワールド2のモガミンに、もののふノ絆が付きましたが(詳しくはこちら)、3枠目にはこちらを狙いました優秀な槍砲スキルの戦鬼侵軍です素材は手元にあったのですが、2枚ともスキルをALL10にする銅銭がなかったのですですが、やっとトライすることが出来ますちえちゃんを使っても72%ほど、失敗する危険性は大いにありますが、果たして結果はグッジョブ♪('-^*)/失敗し
2017年11月18日散策/大寧寺史跡墓地群山口に栄華を極めた大内氏終焉の地としても知られている大寧寺天文20年(1551)大内義隆は、謀反を起こした家臣陶晴賢によって追いつめられ、大寧寺で自刃大寧寺裏山の遊仙窟には、大内義隆を含めた33基の墓石が立ち並んでいる湯本温泉の泉源は、今でも大寧寺が所有してるみたいだけど、昔でいう米300俵を町が使用料として支払っている…とかは?今も?今は流石に違うよね?え?境内の南西側、長門豊川稲荷参道の山手斜面には段上に広がる古い墓所があって、五輪塔や
にほんブログ村【PSVita】信長の野望・創造withパワーアップキットコーエーテクモゲームス[V...7,980円楽天信長の野望・創造withパワーアップキット8,627円楽天信長の野望・創造withパワーアップキット11,664円Amazon信長の野望・創造パワーアップキット6,264円Amazon永禄3年8月。島津家はついに大友家の隈本城を攻略した。攻め手の総大将を務めた島津義弘隊兵1500は、その勢いで竜造寺家の日
にほんブログ村永禄3年5月。山形城を包囲した伊達家だったが、包囲軍の後方から襲撃を受けたので、包囲を解いた。しかし襲撃者はいつの間にか消え失せ、付近を捜索しても見つからなかった。永禄3年5月。蘆名盛氏隊は再び城を包囲したが、この時もまた背後より襲撃が起こり、包囲を解いた。遠くでは真室城や天童城へ向かう軍勢も確認できたため、盛氏は焦ることはあるまいと思い、背後からの襲撃者を捜索した。永禄3年6月。山形城城主は筆頭家老の氏家定直に変わった。軍事的な能力では安東愛季の方が上だった
にほんブログ村奥州では、最上家が南部家の最後の領土である東陸奥国への侵攻が行われるとのもっぱらの噂だった。南部家もこれまで、そういう雰囲気が漂い始めていた。しかし、最上家の天童頼長は安易にこの流れには乗らなかった。蝦夷地で依然として兵力を持つ蠣崎家への牽制をかねて、陸奥福島城に向けて出立すると触れを出した。永禄2年8月半ば、最上家は本国・山形城より、天童頼長が兵2200を率いて、陸奥福島城に向けて移動を開始した。永禄2年9月、葛尾城を巡る長尾家と武田家の戦いは、武田家が再び勝
3月12日散策/瑞雲山龍福寺曹洞宗瑞雲山龍福寺建永年間(1206年~)大内満盛が開基となり、山口の白石で創建された臨済宗に属した瑞雲寺に始まり、享徳3年(1454)大内教弘が開基となって、雪心を開山として中興し曹洞宗に改められ、現在の山号寺号となった龍福寺天文20年(1551)、陶晴賢が主君である大内義隆に対して起こした謀反(大寧寺の変)に伴う兵火で焼失するも、弘治3年(1557)後奈良天皇の綸旨を受け、毛利隆元の開基によって現在地(大内氏館跡地)に移され、自害した義隆の菩提寺として復興し
8月14日散策/瑞雲萬歳山大寧護国禅寺④大寧寺の墓碑群天文20年(1551)大内義隆公は、重臣陶隆房の謀叛により山口を追われ、大内氏の香華寺である大寧寺に逃れ、13世異雪慶殊和尚に示戒を請い、従臣と共に自刃大内家系譜は31代にして断絶主従の墓は、裏山遊仙窟に眠る説明板より大内義隆を討ってクーデターを成功させた陶晴賢は、大永元年(1521)大内氏の重臣・道麒入道(尾張守)興房の二男として誕生した通称五郎のち隆房と名乗り、周防守護代のち一時筑前守護代も務めている官職は中務大輔のち尾張