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第三十三代推古天皇は、飛鳥時代の天皇です。また、日本初のみならず東アジア初の女帝です。ただし神功皇后を入れれば、神功皇后こそが初の女帝なんですけれども・・・。現在の歴史教育できちんと天皇として最初に教えられる天皇として、日本人なら誰もが知っている天皇でもありますが、既にこの時三十三代目となっています。何事も始めがあるわけですから、突然天皇が登場する歴史教育はやはりおかしいと言わざるを得ません。御名は額田部(ぬかたべ)、豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)。欽明天皇十五年(554年)
どうも、しみずです。しばらく全然更新してなかったのに、前回のムスメ卒園を読みに下さったみなさま、嬉しいです(´;ω;`)思い起こせばこのブログはムスメが2歳の頃からの様子を書いていたのでした。(当時コロナの始まりできつかった)そんななか、ブログで知り合った方と交流ができて、本当に心の支えになりました。そんなムスメもなんと幼児期の終わりを迎えるという、あのころは想像もしていませんでした。そんなムスメ、入学しました。
今は根気が必要ですみなさん、おはようございます嵐のような雨も去り再び春がやって来た感じです新年度のスタートはいかがでしょうか根気続けることも大切ですとりあえず5月の連休まで今の環境を続けてみるのもいいでしょうアリガトウ「4月10日」の國史です「聖徳太子、摂政になる」推古天皇元年(593年)用明天皇(31代)の皇子聖徳太子は推古天皇(33代)の摂政となります大臣は蘇我馬子です聖徳太子は、政体は蘇我氏にゆずっていい国体(=國體)を守ろうと
EVEです。村山市楯岡の「山形麺屋・殿」、店主がまたまた面白いラーメンを出して来ましたよ。今回は聖徳大使をパロった「超徳麺太子」とな!(笑)今回はどうせならということで、大盛りの、スタンプ満杯サービスで豚チャーシューのトッピングを。明太子スープを絡めていただくピリ辛のまぜそばであります。まずは中太の中華麺をガイロガイロして・・・なるほど、ピリ辛ということですが、辛いのが苦手な私でも大丈夫な辛さです。バターが良い働
おはようございます。昨日はひなまつりでした。ちょうど日曜日と重なったので、ひなまつりのイベントに行かれたり、ご家庭でのおひなまつりのお祝いをなさったかもしれませんね。昨日、飾ったお雛様のお内裏さまを見ていて、思い出したことです。それは、禁色についてです。色恋禁止ではなく、衣装に用いられる色が定められていたということです。京都国立博物館出典文化遺産オンラインこの禁色、遡れば、八世紀、聖徳太子が定めた冠位十二階の制が有名です。【冠位十二階とは】冠位十二階(かんいじゅうにかい)は、日
ご来訪ありがとうございます✨昔の日本…色で位が定めされていました…その中でも…世の中に…二人しか着られない色もありました…https://mag.japaaan.com/archives/218743現代にも残る日本の「禁色(きんじき)」とは?そしてたった二人だけが袖を通せる、その名も「絶対禁色」:Japaaan日本の禁色(きんじき)ってご存知ですか?禁色とは8世紀の律令制において、位によって着る衣服の色(袍の色)が決められ、他の人は着ることが許されなかった色のことを言いま
画像はお借りしました。能登半島大地震に伴い被害を受けられ被災なされました皆様には心からお見舞い申し上げます。一日も早く復旧復興を祈願させて頂きます。🙏訪問して頂き、いいね👍フォロー有り難う御座います。仏教ランキングに参加してます。ポチ宜しくお願いします。m(._.)m励みになります。😊『日本と世界の宗教がひと目でわかる!』引用させて頂き投稿させて頂いてます。宜しくお願い致します。🙇編者紹介(下記引用)歴史の謎研究会[歴史
聖徳太子(厩戸皇子、厩戸王)聖徳太子(しょうとくたいし)本名については同時代史料には残っておらず、和銅5年(712年)成立の『古事記』では「上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこ)」とされている。また養老4年(720年)成立の『日本書紀』推古天皇紀では「厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこ)」とされているほか、用明天皇紀では「豊耳聡聖徳」や「豊聡耳法大王」という表記も見られる。別名:上宮王、豊聡耳、上宮之厩戸豊聡耳命、厩戸豊聡耳皇子
1月11日の出来事604年(推古天皇11年12月5日)聖徳太子(厩戸皇子)が冠位十二階の制度を制定。1787年ウィリアム・ハーシェルが天王星の2つの衛星、チタニアおよびオベロンを発見。KurdistanPlanetariumさんが2010/02/01に公開UranusMoonshttp://youtu.be/jtKKVpONlgs1861年南北戦争:アラバマ州がアメリカ合衆国を脱退。アメリカ連合国に加盟。1878年太政官布告により
痩せ姫はどんな色も似合う。というのは前提として、当事者たちの感覚からちょっと考えてみた。ひとつは、水色が好きなんだけど、顔色がよくないのでそういう色の服を選べなくなったという痩せ姫の言葉。もうひとつは、明るく見えるよう、ピンクばかり着るようになったという痩せ姫の言葉。たしかに、バランスを考えると、それもわかる気がする。ピンク系で、ふわっとしたボリューミーな服なら、世間的には細すぎとか病的と思われがちな外見をカムフラージュできるので。ただ、その一方で、むしろその外見を強調
「冠位十二階」LG〇T法は家族を破壊するみなさん、おはようございます「広島〇ミットの成功とバイ〇ン大統領の出席を引き換えにLG〇T法を成立させた日本を〇り飛ばした」「共〇革命に家族は邪魔法律でLG〇Tを擁護言論を封鎖した」「家族さえしっかりしていれば親が子供に、こればダメと言える間違った方向に進まないLG〇Tで言えなくした」さあ、今日「12月5日」の國史を学びましょう「冠位十二階制定」推古天皇11年(603年)摂政の聖徳太
こんばんは11月になりましたねー10月に行った美術博物館!典雅の紅至高の紫「王朝の色に挑む」現代ではあまり見ることのないすばらしい染織品をたくさんみてきました自然の染料冠位十二階の色絹でとても美しい(ここは撮影禁止)撮影OKエリアすべてが美しい王朝の色彩でしたこの建物もすき公園内の美術博物館ですありがとうございました😀
聖徳太子(8)https://dic.pixiv.net/概要飛鳥時代に存在した皇族。天皇を中心とした中央集権国家体制の確立と、日本における仏教の隆興に尽力した政治家。上記の人物を題材とした創作作品上の登場人物。来歴用明天皇の第二皇子。本名は「厩戸皇子」(...nyabecch.blogspot.com聖徳太子(8)-日本史nyabecch.blog47.fc2.com
『聖徳太子』第7回冠位十二階・十七条憲法聖徳太子と「冠位十二階」「憲法十七条」を『日本書紀』を通して見て行きます。「冠位十二階」この「冠位十二階」の制は早く言われているように「百済の制を中心とし、高句麗の制を参照したもの」であろうし、「高句麗など朝鮮半島諸国の位階制を模倣した」というのがほぼ通説である。しかし、「冠位十二階」制定の意図や編さん過程は『日本書紀』の中には記されておらず不明である『日本書紀』によれば、604年1月11日(推古11年12月5日)に初めて制定され
日本古代史において、大陸の国家と結びついたのは、紀元前200年頃から倭ないし倭人が前漢王朝へ貢物を献上してた頃に始まります。西暦57年、博多湾周辺に勢力を伸ばしていた倭奴国の首長が、後漢の光武帝から金印(漢委奴国王印)を授与されています。5世紀全般の古墳時代中期に、倭の五王が晋、宋、斉などの南朝に遣使を送っています(遣宋使)。第33代天皇、推古天皇が593年1月15日に即位し、日本史上最初の女帝となりました
『聖徳太子』第4回聖徳太子と『日本書紀』『日本書紀』の中に描かれた聖徳太子を見て行きます。●『日本書紀』(にほんしょき)とは『日本書紀』は、奈良時代に成立した日本の歴史書・神話。『古事記』と並び伝存する最も古い史書の1つで、720年(養老4年)に完成したと伝わる。神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。天武天皇が川島皇子に命じて原案が作られ、本格的に編纂が開始されたのは持統期とされる。藤原不比等が『日本
令和5年6月23日第147回目冠位十二階聖徳太子は推古天皇の意向を受けて、中国の唐の国の国家体制である律令制を取り入れる決意をして、大臣おおおみ蘇我馬子の同意を得て進めるプロセスに十七条憲法が生まれました。しかし憲法十七条が単独で生み出されたわけではなく、七世紀初頭に派遣された第一次遣唐使けんとうしによってもたらされた報告から、大国「隋ずい」の制度の見事さにショックを受けた天皇、摂政の聖徳太子、大臣の馬子の3人の為政者は内政の充実に取り組むには、国家の態
「第1回目の遣隋使(3)」で終わったつもりだったんです。本当に。でも、追加で補足したいことがあったんです。それは清水書院の教科書です。600年の遣隋使史料である『隋書』について、日本側にとってあまり好ましくない部分もきちんと引用していた教科書として、実教出版と東京書籍を挙げました。しかし、清水書院『高等学校日本史探究』(R4検定)も、追加で紹介したいと思いました。清水書院は『隋書』の引用は不十分です。それは山川などと同じ。肝心な部分が省略されてる。でも、本文の中
今回のテーマ、第1回目の遣隋使について、最後に一言、言いたくなりました。600年の第1回目の遣隋使は、隋に行ってバカにされてましたね。「ぷぷ、それが政治?おーい、誰かこいつに政治について教えてやって!」こんな風に皇帝に言われちゃったわけ。使者は、恥ずかしかっただろうなと思う。それを伝え聞いた、厩戸(聖徳太子)・蘇我・推古らは、憤ったかもしれない。でも、彼らは「冠位十二階の制」と「憲法十七条」を作って、再び隋に挑んだ。すごいと思うよ。恥や怒りを抑え、そして何よ
第1回目の遣隋使(1)では、実教出版と東京書籍の「日本史探究」の教科書では、それまで引用されてなかった部分まできちんと引用されていたことを確認してみました。それによって、第1回目の遣隋使、冠位十二階、憲法十七条、第2回目の遣隋使は、一連の流れであったことを確認しました。それでは、教科書の本文ではどのようになったいるのかを、見てみましょう。まずはR5の実教出版社『日本史探究』、37ページ。『隋書』倭国伝には、600年に倭が遣隋使を派遣したことが記されている。遣隋使がもたらした
私が高校生のころ、遣隋使といえば、607年のものと、608年のものしか記憶にありませんでした。小野妹子とか、「日出る処の天子…」という国書で有名なやつです。608年は、南淵請安などの留学生が一緒でしたね。しかし、気付かなかっただけで、本当は昔から600年の遣隋使も記載されていたのかな…。今となっては確認しようがありませーーーん。なので、そこは無視しよう。(1997年の山川出版社『日本史B』を確認しました。600年の遣隋使、ないです。)ともかく、600年第1回遣隋
目次(1)伊勢に「五色」を見る<1>「花の舞」(獅子舞)における「五色の切り麻」<2>「山口祭」に見る「五色の弊」<3>伊勢神宮の五色の絁<3-1>[五色]の普及浸透した現代<3-2>「五色の座玉」(2)伊勢神宮の「五色の御幣」の源を探る<1>「延喜式」(927年)が規定する「五色の絁」<2>「大神宮儀式帳」と「止由気儀式帳」(804年)は「五色の絁」を
「日本」を封印した「聖徳太子」その23日本最大の偉人たる「聖徳太子」という人は、いったい誰だったのか?その謎解きも最終回を迎えた。様々な名前と伝説で正体を隠しつつ、「救世観音の化身」「厩戸豊聡耳皇子」では「イエス・キリスト」、「秦河勝」で「モーセ」という新約聖書の最大の聖人と旧約聖書の最大の預言者の名前が当てはめられている。まぁ天照大神と徳川家康という名前を持っているような話で、どう考えてもユダヤ最大の聖人でなければおかしいのである。さらに太子が整えた「十七条憲法」や「冠位十二階
「日本」を封印した「聖徳太子」その22国史の『古事記』と『日本書紀』は、「日本を封印すること」を目的に編纂されたもので、それを司令したのは「秦河勝」という名前の聖徳太子その人だった。しかし、シンプルな疑問がまだ残る。それは、日本最大の偉人たる「聖徳太子」という人は、結局、誰だったのか?ということである。本連載の最初の方にも記載したが、太子の本名は同時代史料には残っていない。和銅5年(712年)に成立した『古事記』では「上宮之厩戸豊聡耳命」(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこ)とさ
「日本」を封印した「聖徳太子」その1「聖徳太子」といえば、日本中で誰一人知らない者はいない。聖徳太子こそ、我が国の最大の偉人であり、日本の文化と国家安泰を象徴する最大の人物といえる。だが、未だに聖徳太子の正体は謎のままになっている。まるで、解き明かしてはいけないと言わんがばかりに、聖徳太子を取り巻く謎は幾重にもなっており、いったい何が謎で何が正式なものかすら分からなくなってしまう。なぜなら、この「日本」という国の正体を世界中から覆い隠した存在、それが「聖徳太子」だからである。一般
「冠位十二階」蘇我馬子は冠を断るみなさん、おはようございます新しい一週間の始まりです元気にスタートしましょうさあ、今日「12月5日」の國史を学びましょう「冠位十二階制定」推古天皇11年(603年)摂政の聖徳太子が定めましたこれまでの氏姓制度による門閥、世襲制ではなく身分に関係なく優れた人材が政治に携わることを目指しました天皇を中心にした律令国家法令によって運営される国家を目指したのです聖徳太子は、593年(コックサン、と覚えます)摂
近くでミサイルが飛び交ってますね。米空母が再び日本海へ、米韓はミサイル4発で対抗北朝鮮は「沈黙」(産経新聞)-Yahoo!ニュース【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮が4日に日本上空を通過する弾道ミサイルを発射したことを受け、米韓両軍は5日未明、対抗措置として、日本海に向けて地対地ミサイル4発を発射した。9月下旬の米韓合同演習に参加してapproach.yahoo.co.jp北朝鮮は相変わらずだし、本当に日本国土に着弾したら、どうするつもりなのでしょうか。やられたら、やられるしかない日本🇯🇵。
2022年9月5日デュランタ千葉県立花の丘公園でデュランタが咲いていました。紫が印象的な花で、紫の麗人、佳人と言うとこでしょうか。紫は赤紫色から青紫色と幅があり、動の赤と静の青の相反する色を内在するため、ポジティブとネガティブな二面性のイメージを持っています。ネガティブなイメージとしては下品、廃頽ポジティブなイメージは高貴、優雅でしょうか。日本では色の違いで官位とか地位を表すことがあります。聖徳太子の冠位十二階では徳・仁・礼・信・義・智に対して紫・青・赤・黄・白・黒
冠位十二階を意識して染めた縄、高貴で位の高い色、愛するパートナー専用に紫縄を用意してみてはいかがでしょうか赤みのある紫、青みのある紫、渋みのある紫、パートナーの肌に合わせ似合う色を探すのも楽しみの一つと個人的に思っております