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前回は、「イベント放送」の誕生についてお話しました今回は、「臨時災害放送」についてお話します1995年(平成7年)1月17日「兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)」が発生しましたこの震災を機に誕生したのが「臨時災害放送局」です概要1995年(平成7年)1月に発生した阪神・淡路大震災の際に、兵庫県から「災害情報の専用の放送局を開設したい」という要望があり、2月に放送法施行規則第7条第2項に規定する臨時目的放送の目的がイベント放送局のみであっ
今日は3月11日3.11東日本大震災の起った日です。LINEyahooもしくはYahooニュースで3.11と検索すると10円ずつ寄付となります。「検索は力になる亅能登半島地震の支援にも繋がります。被害に遭われた皆様動物様に心より御冥福をお祈り致します。1995年1月17日午前5時15分兵庫県南部地震仕事関係知人の家が、半壊し黄色い立入禁止テープが貼られました。もう住む事は叶わないけど知人家族は大きな怪我を負われましたが逃げ出す事が出来ました
ご覧いただきありがとうございます♡美味しかったものや購入品紹介、ネイル、お出かけ記録等を中心にアラフォーおひとり様が綴る他愛もない日常Blogです(*ᴗˬᴗ)⁾⁾いいねが励みになっています♪\フォローも大歓迎!/こんばんは。本日1月17日は阪神淡路大震災から29年。例年はこのタイミングで防災バッグの見直しをしますが今年は元旦に能登半島大震災があり居た堪れないくらいの被害を見て不安になり既に見直しを済ませました。食品は賞味期限切れになっていない
今日01/17は、1995年に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)から29年目となるが、6千人以上の犠牲者・不明者を出したこの大震災から我々が学ぶこととして、9年前に連載で執筆したブログ記事を紹介したい。続きは下記の画像をクリックで、探求三昧ブログ本部へジャンプ。【地震防災】阪神・淡路大震災から29年~生き残るために、大震災から何を学ぶか?地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログwww.tankyu3.com
能登半島地震により被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。29年前の今日は、阪神・淡路大震災の日ですね。この震災をきっかけにして、色々改善されました。https://news.yahoo.co.jp/articles/9ee3029da2b630109f785af000970199f93d00f9全国の被災地と”ともに”阪神淡路大震災から29年神戸から鎮魂の祈り若い世代への継承「29年は長いがきょうくらいは思い出して」(ABCニュース)-Yahoo!ニュース64
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分頃に、兵庫県南部地域で発生した『阪神・淡路大震災』から29年になります。こちら≫時間の経つのは早いもので、もう29年になる様です。(私の職業も生活も居住地も、残念ながら当時とは全く違います。)因みに、兵庫県南部地震は、1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒に、明石海峡(北緯34.35°、東経135.21°)の深さ約16㎞を震源としたマグニチュード(M)7.3、最大震度7を記録した大地震です。発生時間が、早朝であり新幹線の始発営業
能登半島地震が発生して16日、29年前の阪神淡路大震災の記憶がいろいろと蘇った。住む街が燃えるのを、遠巻きに見るしかなかった住人達燃え尽きて、廃墟と化した長田の街相次いだ、建物の倒壊一部が座屈し、周囲に割れたガラスの破片が散らかった三菱銀行ビル1階店舗部分が押し潰された集合住宅中間階が座屈した日本生命ビルこの数件向こうにあった柏井ビルは、ビルの形を残したままで倒れた倒れつつあった柏井ビル後に、道を塞ぐように倒れた地震の揺れで柱が倒れて、屋根の重さで押し潰された生田神社の本殿
能登半島での大地震が年頭に起き、目立つのは、県と国の他人事のような対応と、民間企業、そしてボランティアの頑張り。阪神淡路大震災の、東日本大震災の教訓など何処へやら。よく、総理が自ら被災地に出向く必要は無いという人がいる。ただ、忘れてはならない。震災時の行動の最終決定権者は総理。その人が、現地の状況を、直接その目で見ているか見ていないかの違いは大きい筈。行かないことを決定するのではなく、行く手立てと可能な人数を模索せずしてどうする。間の悪い事に、本来は国に文句の一つも
今日1月17日は『兵庫県南部地震』により『阪神・淡路大震災』が発生した日。29年が経ちました。風化が進んでるような気がします・・・
おそようございます今朝もかなり冷え込みましたここらもさすがに氷点下オイルヒーターの予約をいつもより早めに設定してから寝ました最近も車中泊されていたらんまる一家さんはじめ能登の方々の体調が心配な中でまた地震あったりなかなか落ち着けない今日から一部中学校などで集団避難始まるそうですこんな時に家族と離れるのはどんなに寂しいし不安かとせめて一緒に行く友だちとたくさん話して少しでも安心した生活送れるといいですもう29年になる1月17日
先ほど5時46分、阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震発生から29年を迎えた。追悼行事が行われている神戸市中央区の東遊園地では、「ともに」と言う文字が竹の筒で作られた灯籠で描かれた。今年は能登半島地震発生から16日目に迎えたことから、阪神淡路大震災被災者はより一層心を痛めながら、震災犠牲者への哀惜と鎮魂の意を祈りに捧げたかと東日本大震災、熊本地震、大阪府北部地震等の大地震災害が、阪神淡路大震災以降に発生して、多くの人が被災した。場所は違えど、今の能登半島地震の被災者の苦しみには共通
明朝5時46分、阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震発生から29年を迎える。倒壊した、阪神高速道路3号神戸線。下部は、倒壊した高速道路を除去しながらも災害復旧復興専用道路となった国道43号線。今年は、元日の浮かれ気分を一気に吹き飛ばした能登半島地震が起きて2週間少々で明日を迎えることもあって、29年前の記憶が色々と蘇るのだ能登半島地震被災地に、冷たい雪が。金沢市から能登半島への道路のアプローチ、金沢市郊外の内灘町もこの惨状先ほども、震度5弱を観測した余震が阪神淡路大震災後は、
お疲れ様です!地震大国日本!被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。あの日がやって来ます。1995年01月17日5時46分兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)過去にも、熊本地震(2019/01/03)東北地方太平洋沖地震(2011/03/11)等々その経験を是非、全国に発信して頂きたいですね!先日、知人より自治体からメールが届いたそうで、2024/01/07断水は解消されたが、排水制限があると、、、感染症の拡大も、懸念される現状だそうです。今後、何が起こ
今年も6日後に近づきました。そのためか近頃よく見聞きしますが、特に今年は関東大震災から100年です。1923年9月1日土曜日の午前11時58分正午少し前に発生したマグニチュード7.9の地震で死者・行方不明者は約10万5千人に上ります。そのうち火災による死者は約9万2千人と9割で、火災の様子を写した写真はインターネットでもたくさん見ることができます。火災以外の死者も都市直下型の1995年の兵庫県南部地震の約5千5百人を大幅に上回ることを考えると未曽有の災害です。関東大震災はもちろん、兵
阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)1995年毎日が防災阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)1995年1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部地震(マグニチュード7.3)が発生、死者6434人を出す大災害(阪神・淡路大震災)となった。大都市の直下で活断層が活動して起きた地震だったため、神戸・芦屋・西宮・宝塚など六甲断層系の活断層に沿って分布する都市に大規模な災害...youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=qX7pFYH9O04松任谷由実さん『春よ、来い』この曲は1994~95年朝の連ドラのテーマソングでした。兵庫県南部地震からかろうじて命だけはつないだ人々が肩寄せあい、朝御飯の、昼御飯の配給を並びながら耳にした曲。印象的な、想い出と重なるような詞とメロディーに失ったひとやモノや何とか生きなきゃ立ち上がらなきゃと思う自分の気持ちが重なるのか…避難所で涙する人はたくさんいらっしゃいました。テーマで
防災教育の道へのきっかけ中学3年の時の理科の先生。ほとんど記憶にないですが、卒業間際の授業で兵庫県でも近い将来大きな地震が起きると断言されました。京都大学教授の話をされ説得力があったことを覚えています。一年後兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)が発生。防災教育の大切さを身をもって知りました。
野島断層の地震毎日が防災1995年兵庫県南部地震を起こした野島断層の地震の30年発生確率を地震の直前にさかのぼって調べると0.02%~8%という数字になる。このような小さな確率から兵庫県南部地震の危険性を意識するのは難しかったかもしれない。長期評価で示される内陸地震の発生確率は、海溝型地震よりずっと小さくなる特性を理解し、仮に数%の確...youtu.be
淡路島の北端、明石海峡に面する。日本で最初に建てられた灯台のグループの1つで、明治4年に設置された。塔を持たず付属舎(建屋)に直接灯籠が乗っているスタイルは今では国内唯一。(和歌山の樫野埼灯台もこのスタイルだったが、後年嵩上げされている)兵庫県南部地震で損傷(積石がズレる等)があったが倒壊は免れている。今は附設されていた旧退息所(官舎)は四国村に移築され、鉄塔も撤去されている。江埼灯台|俊樹|note江埼灯台note.com現状は2022年9月28日のラジオ関西の送信所を紹介した
28年前の今日、当時、私たちが住んでいた奈良県香芝市でも大きな揺れを感じました。午前5時46分、僕は生後半年の娘をベビーベットからおろし、抱きかかえて、落ちてくるかもしれないモノから守るのに必死でした。幸い香芝市の震度は4でさして被害はなかったけれど、恐怖を感じた初めての揺れでした。その一週間後、娘は痙攣発作を起こします。震災の映像を見ていた妻が、娘の異常に慌てふためく状況が当時の育児日記に残されています。泣きながら病院に走ったそうです。当時、僕は香川に出張で、震災の影響で陸路が使えないの
阪神・淡路大震災の28周年の日は昨日だったが、頭痛でダウンしていて書けなかったので、8年前に連載で書いた、あの時、こういうことに注意することはできたということを、紹介したい。続きは下記の画像をクリックで、Bloggerブログへジャンプ。【阪神・淡路大震災】生き残るために、阪神・淡路大震災から何を学ぶか?地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログwww.tankyu3.com
共通テストが終わりました。結果はさまざまかと思います。今日もたくさんの生徒と話しましたが、もう次の戦いは始まっています。共通テストは過去のものです。私立、国公立に向けての対策を進めていきましょう。過去のものと片付けていけないのが兵庫県南部地震。教訓が生かされているものもありますが、生かされていないことも数多くあります。その1つが形骸化しているハザードマップ。分かりにくいとの声が私の周囲ではとにかく多いのが現状です。子どもたちのほうが理解している度合いが高
今年もまた元被災地で過ごす1.17。昨日、週の冒頭の朝礼で、社長がそのことに触れた。当時は学生で遠方にいたらしく、第一報時ののんびりした雰囲気や、親族から聞いたという話を面白おかしく。…ちょっとイヤだった。職場の立地的に、被災地のど真ん中にいた人がいて当然なのに。今回は、一番渦中にいたのは私。遠くにいた人が、その時の経験を語るのは全然構わない。そうだったんだと勉強にもなる。今回も、経験談の部分までは大丈夫だった。笑いに持っていかれたのがちょっとね…。スピーチ慣れしてる人
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分頃に、兵庫県南部地域で発生した『阪神・淡路大震災』から28年になります。こちら≫時間の経つのは早いもので、もう28年になる様です。(私の職業も生活も居住地も、残念ながら当時とは全く違います。)因みに、兵庫県南部地震は、1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒に、明石海峡(北緯34.35°、東経135.21°)の深さ約16㎞を震源としたマグニチュード(M)7.3、最大震度7を記録した大地震です。発生時間が、早朝であり新幹線の始発営業
今日2023年1月17日で、『兵庫県南部地震』に伴う『阪神・淡路大震災』から28年が経ちました。何年経っても鮮明に覚えている大災害。いつ起きてもおかしくない大災害。出来る限り備えておきましょう。
想いを繋いで、備えて、来るべき時に生き抜きたい子育てママの備えのきっかけとこれからのお手伝いをしています防災ママかきつばたです!いつもいいね!ありがとうございますこんにちは!防災ママかきつばたの高木香津恵です本日は、阪神・淡路大震災から28年についての想いや関連ニュースをご紹介します。1月17日(火)は、阪神・淡路大震災となった兵庫県南部地震が起きて28年になります。当時私は、小学3年生で京都に住んでいました。
本日1月17日は、28年前に阪神・淡路大震災が発生した日です。この地震で亡くなった方の約8割は建物の倒壊や家具の下敷きなどによる窒息や圧死が原因でした。家具は必ず倒れるものと考え、家具類の固定や配置の見直しなどの地震対策をしましょう。https://www.city.chiba.jp/somu/kikikanri/bosai/kagutenntoubousi-renew.html?an230117※⏫千葉市さんのHPへジャンプいたします。
もうすぐ30年なのか。語り継がれてるのかなぁ。1.17のつどいと称し、明け方5時46分にどれだけの人が集まったんだろう。天災は忘れたころにやって来る。そうならない為にも、自分も含め、皆がこの日を大切にしなきゃね。忘れてくれるだろうというのを前提に政治を行う自公政権を見てると、震災の教訓も風化しちゃうのかなと心配になる今日この頃です。
阪神大震災から28年【阪神・淡路大震災】阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日(火曜日)に発生した兵庫県南部地震により発生した災害を指す。1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生した。近畿圏の広域が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市の市街地(東灘区、灘区、中央区(三宮・元町・ポートアイランド)、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、近代都市での災害