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5月12日月曜日〜その3P227、「船弁慶」の富十郎は何故か、故六代目・菊五郎をおもい起こさせる…と書いておられる。(写真)コレクションのCDアルバム『六代目尾上菊五郎歌舞伎名場面集』(H23年1月19日日本ウエストミンスター)。
新宿ミラノ座SEIMEIロビー【暗闇神社】開催中再掲する鈴鹿御前(市川右若)写真*撮影OKだったのです手もお化粧がほどこされていて楽屋で六代目菊五郎と対面したジャン・コクトーの心を追体験するような気分にもなれました時間が経ってまた新鮮な感動が押し寄せてる美しい舞台です細やかな演者たち・舞台を作る人達の配慮と技が作品を織りなすのだとしっとりと感じられて心地よい手触りのある作品となってました開演直前の演奏家さんたちの演出もどうかお見逃し聞き逃し無く。なのでゆとりを持って着席するの
毎日新聞出版から出版された『艶やかに尾上菊五郎聞き書き』。読み終わりました。小玉祥子による、7代目尾上菊五郎からの『聞き書き』。すでに、小玉祥子には、『二代目聞き書き中村吉右衛門』(朝日文庫)、『完本中村吉右衛門』(朝日新聞出版)などがあります。この『艶やかに尾上菊五郎聞き書き』は、『毎日新聞』に連載されたもの。それをまとめて、2023年11月1日に発行。この『聞き書き』の『序』、菊五郎は、「私は昔の役者の芸談を読むのは好きですが、語るのはあまり好きではありま
芒種June武道館での、ノリノリの聖子ちゃん松田聖子SQUALLSEIKOyoutu.be「学校が怖い」フランス人の娘を日本の高校に連れて行ったら…母親が生徒の態度に驚いた本日の動画1人のフランス人が高校時代にイメジを受けて自分に自信を失った。そのトラウマを乗り越えたいことで、今回日本の高校にやってきました。母も見守る中、娘さんの国際交流挑戦する姿をぜひご覧ください!酒田南高等学校https://www.sakataminami-h.ed.jp「第3回」来日密着企画ゲストに選ばれ
夫:幻の名作「鳥獣戯画絵巻」の再演が叶い、めでたく千穐楽を迎えようとしています。妻:本日の演目は東西交え、国立劇場主催公演の掉尾を飾るのにふさわしいものでした。
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございます暑いですね🥵さて先日の国立劇場六月歌舞伎鑑賞教室で撮影した六代目菊五郎さんの鏡獅子像(平櫛田中作)鶴松さんと6代目菊五郎さんの鏡獅子像のツーショットみたかったな😆と、ふと。それだけ、ぽつり六月応援に駆け抜けたあとのぼんやりが押し寄せていますすぐ来月に取り掛からねばですがでは、また!
東京都千代田区隼町の国立劇場・大劇場1階ロビーには東京国立近代美術館蔵昭和33年作平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の「鏡獅子」が展示されています。【キャプションより】昭和11年5月、六代目尾上菊五郎が「春興鏡獅子」(しゅんきょうかがみじし)を演じた際、作者は25日間劇場に通い、毎日場所を変えて観察し、作品として表現する姿を六代目と相談して決めた。その後、試作を重ね、二十数年の歳月をかけ昭和33年に完成。同年43回院展に出展された。昭和41年に本劇場の開場を記念
先日ですが、月イチ歌舞伎『春興鏡獅子』を観てきました。すこし話が逸れますが。私は、彫刻家・平櫛田中の作品が好きです。動きのある、といっても、次の動きを感じられる作品に魅かれています。(引用:小平市役所HPより)平櫛田中と言えば、代表作に「鏡獅子」@国立劇場がありますこの作品を作る際、六代目尾上菊五郎の舞台に何度も足を運び、挙句の果てに、衣装の下の筋肉の動きを確認したという逸話もあるのですからその瞬間の動きの前後
歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』歴史的舞台と言われる公演を『演劇界』から想像します。昭和二十二年(1947年)十一月東京劇場公演仮名手本忠臣蔵大序三段目四段目五段目六段目七段目九段目「大序」足利直義中村もしほ市村羽左衛門高師直尾上菊五郎顔世御前澤村宗十郎桃井若狭之助中村吉右衛門塩谷判官中村梅玉「三段目」高師直尾上菊五郎桃井若狭之助中村吉右衛門塩谷判官中村梅玉「四段目」大
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございます明日ワクチン接種日なのにお天気が荒れるらしい…副反応いつもなかなか手強いのに…気圧の変化も弱いのに…やーめーてー😭ってなってます。ううう。さて菊之助さん、十八代目中村勘三郎さん、と春興鏡獅子を観たら小津安二郎監督が六代目尾上菊五郎さんで撮影した春興鏡獅子を観たくなりまして観ました。尾上右近さんの憧れや七代目中村芝翫さんのたくさんのお言葉や…二代目の松緑さん、十七代目中村勘三郎さん、富十郎さん…出会った方々の小さな
超絶地元愛者としては、こういう日にはしっかり書いておかねば。こんな記念日を知らなかったんだけど........。以前にネタにしたかもだけど、我が井原市には「でんちゅうくん」という公式キャラクターが活動している。なぜ「でんちゅうくん」なのか?なぜ鏡獅子なのか?簡単にいうと、井原市出身の彫刻家・平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)の代表作が鏡獅子だから。平櫛田中についても、作品のモデルについても、語っていると一晩かかるので割愛する(汗)かつて人気を博した“ゆるキ
夫:ジャン・コクトーが六代目の「鏡獅子」を観て野獣の動きに取り入れたのは有名な話だね。妻:母が十六歳の時、疎開先で観た想い出の映画が「美女と野獣」です。戦後直後の話だわ。
出典「第14回アメリカ横断ウルトラクイズ」正解:タップダンス昭和8年9月、東京劇場で公演された舞踏劇の中で初めて取り入れられた。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
来ていただいて、ありがとうございます。今日の文字は(Denchu'schallenge)今日のNHK「日曜日美術館」は「わしがやらねばだれがやる~彫刻家・平櫛田中~」国立劇場のロビーに置かれている高さ2メートルの六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」の彫刻。実物を観たことがありますがまるで生きているような気迫が漂っています。この作品は平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)が名優六代目尾上菊五郎に「伝統を未来に」と菊五郎の協力得て20年以上の歳月をかけて作られたものです。
歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』歴史的舞台と言われる公演を資料から想像します。昭和二十二年(1947年)十一月東京劇場公演仮名手本忠臣蔵大序三段目四段目五段目六段目七段目九段目「大序」足利直義中村もしほ市村羽左衛門高師直尾上菊五郎顔世御前澤村宗十郎桃井若狭之助中村吉右衛門塩谷判官中村梅玉「三段目」高師直尾上菊五郎桃井若狭之助中村吉右衛門塩谷判官中村梅玉「四段目」大星由良之
新橋演舞場の2階に黄金の〰️六代目ではないか??あれれれっ??平櫛田中の作品では??…と近づいてみたらやはり!!平櫛田中作「鏡獅子試作頭」「鏡獅子試作頭」一瞬自分がどこの劇場にいるのかわからなくなりました。かつらと衣装をつけた「鏡獅子」は国立大劇場ロビーにあります。(六代目尾上菊五郎をモデルにした木彫刻)↑有名作品ですよね試作段階での頭を作品にしたものがあるとは知らなかったので驚きました嬉しい出会いでした平櫛田中「鏡獅子」、小平市櫛田中彫刻美術館ホームページ
皆さん、おはようございま〜す竜雲です。「六月大歌舞伎」全部楽しみましたが、その中でも私のイチオシは「巷談宵宮雨」です何ていうのかな…全てが絶妙過ぎて、これを作った人は凄いなといった感じなのです初演が1935年で、六代目の尾上菊五郎さんのために作られたものらしいです。それを後にずっと十七代目の中村勘三郎さんがやってらした演目みたいなんですよ。いわば、復活狂言!?ずっと上演されてなかったものって、あんまり面白くない場合があるじゃないですか?しかしこの演目に関しては『超面白い』ので
皆様。おはよう☀️😃❗️ございます。ワンピース歌舞伎松竹座。千秋楽後。読売新聞夕刊。(26日)まさに、タイムリーな、記事が。けんけんの、曽祖父様が。🌟🌟六代目。菊五郎様。立役も、女方も、こなし。何よりも、舞踊の、名手✨日本一の踊り手その、血を、継ぐ。けんけん今や。も。舞踊の名手✨けんけんルフィも、まさに、日本一の踊り手に、なられるのも。そ。間近✨❣️
二代目大川橋蔵(にだいめ・おおかわ・はしぞう)本名小野富成丹羽富成初芸名市川男女丸歌舞伎役者。映画俳優。テレビ俳優。昭和四年(1929年)四月九日生まれ。昭和五十九年(1984年)十二月七日死去。二代目大川橋蔵丈は昭和の大スタア・大名優です。気品と色気と清潔感は凄かった。歌舞伎俳優男女丸時代に六代目尾上菊五郎の妻寺島千代の養子となって二代目大川橋蔵を襲名されます。戦後マキノ光雄プロデューサーの誘いに応じて映画俳優となり東映に入社されます。
1938年の作品。脚本、監督は清水宏。主演は高峰三枝子。高峰三枝子さんと言えば、私たちの世代では、三時のあなた、の華やかな司会や、横溝正史の映画、犬神家の一族、での息子を溺愛する母親、そして、JRのコマーシャル、フルムーンでの豊満なボディーを思い出すけれど、この映画では、憂いを含んだミステリアスな美女である。相手役は、若き日の佐分利信。温泉街の按摩さんが、お客である、東京から来た女性に淡い恋心を抱くストーリー。同じ宿に泊まっていた佐分利信も偶然彼女を知り、惹かれていく。按摩さん役の徳大寺伸
伊藤大輔は昭和二十一年(1946年)十二月四日に『六代目菊五郎のこと』を記している。昭和六十年十二月十五日発行淡交社刊『伊藤大輔シナリオ集』Ⅳに収録されている。六代目にウラミはー散々ある筈もない。二つだけある。(342頁)最後に見た『鏡獅子』は爆撃される前の歌舞伎座で東京へは見たい芝居がありさえすれば無理な理屈をつけてでも上っていたことを確かめる。無理して手に入れた切符は補助席のカブリツキで寒さが厳しかった。折から大輔は風邪を引いてマスクを
作家・評論家で、「九条の会」呼びかけ人のお一人である加藤周一先生が5日死去されました。89歳。京都で話された、九条についての講演を拝聴したことがあります。九条を守り抜く情熱の熱さに、感銘を受けました。イラク戦争についても深い悲しみを表明されました。六代目尾上菊五郎丈の大ファンで、「戦争中国が滅びるかもしれないという状況にあって、どうしても見ておきたいものは、六代目の舞台でした」とNHKの番組で述べておられました。先生が問いかけて下さった、反戦・歌舞伎愛のこ