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公論(こうろん)ある本を読んでいて、ふと目にとまった言葉。公論(こうろん)。文脈の中で、“公論は敵より出ずる”(=その意味は、公正な意見は味方よりもむしろ敵方から出てくる事)とありました。公(こう)とは、おおやけ、表向き、偏らないetc.の意味です。論(ろん)は、物事の真理を述べる、善悪を言い立てる、言い争うetc.の意味です。すなわち、公論(こうろん)とは、偏りのない公平な真理を述べること。最近では、余り目にしない言葉ですが、まさに真理を突いています。例えば、自分がど
公論(こうろん)“公論は敵より出ずる”という言葉があります。その意味は、公正な意見は味方よりもむしろ敵方から出てくるということ。公(こう)とは、おおやけ、表向き、偏らない等の意味。論(ろん)は、物事の真理を述べる、善悪を言い立てる、言い争う等の意味。すなわち、公論(こうろん)とは、偏りのない公平な真理を述べること。今、自分を、厳しく叱咤激励してくれる存在は誰でしょうか。“公論は敵より出ずる”は、少し古い表現のため、最近では、余り目にしませんが、まさに真実を突いて
こんなリビング嫌!居心地を良くするには?ご訪問いただきありがとうございます思春期男子ママ専門の子育てコーチングともりこです思春期男子(高学年〜中学生)をお持ちのお母さんに向けて子育ての黒歴史や経験談を発信して行きたいと思います自己紹介は→こちら『自己紹介』♪自己紹介♪初めまして思春期男子ママ専門の子育てコーチングともりこと申します数あるブログの中からこちらにご訪問していただきありがとうご…ameblo.jpみなさん、ご家庭のリビングの居心地
ラグラム・ラジャン「第三の支柱」を斜め読みしてみて、コミュニティと市場、国家との関係性について改めて考えてみた。おおまかに言えば、近代国家と市場は、コミュニティを分断・解体していった。封建社会からの転換とも言うが、一方で、政治参画と相互扶助を損なっていった。コミュニティが希薄化された世界では、市場と国家が結託して利権と組織票・献金が交換される収奪型経済に陥ってしまう。日本が典型的だ。これに対し、コミュニティが確立した世界では、健全な社会が持続しうる。個人では孤立するが、コミュニティとし
今日の昼過ぎ。旦那とめっちゃ口論。「次男の学校見学いつ行けそう?」って旦那に聞かれて。最初はそのスケジュールなんかを話していたんだけどその後次男の学費の話になって。毎月の寮費75000円学費3500円。来年からは次男の塾代と野球の月謝がなくなるから5万円はうくとして。残り6万円をいかに捻出するか。家計を見直してどこかを節約して捻出したい私。対して旦那は全額教育ローンを使うつもり。「えっ?!だってそもそもローンってまとまったお金が必要な時に使うもんだろ?
どうにも菅首相の国会、記者会見の答弁が物足りません。五輪開催でも延期・中止でもどちらでも構いませんので、一国のリーダーとしての理念・信念・哲学を感じたいのです。ただ、ピント外れのことをモゴモゴと話すだけではどうしょうもありません。何か下心があっての独裁的流れなのか?民主主義の危機を感じます。大政奉還後の明治元年に明治天皇が政府の基本方針として発した「五個条のご誓文」は、新政府の矜持に満ちた素晴らしい理念だと思います。特に第1条「広く会議を起こし、万機公論に決すべし」は、心に響きます
打つ気が全く起きないどうやって勝つのか分からない6号機は設定あってようやく打てるわけだから、近所のボッタホールでは絶対勝てる訳が無いセイヤでリセットしない意味が分からない前日クソハマリループしてる据え置きを誰が打つのだwリセットしてれば好きな人は打つそれすらできないホールは今後生き残って行けんぞ射幸性が、どうやら言われて規制されてるようですが、5号機は1でも勝てる可能性があった。6号機の1では100%負けますセイヤ、リゼロはARTが青天井なので粘ればチャンスが来るわけでも無い
どうもと音楽教室◉「双子ピアノデュオ」堂本兄弟先日、取材していただいた記事が伊丹公論に掲載されることになりました。有り難いですどうもと音楽教室
個人的な趣味に耽溺しているだけならば、それは本人の勝手であるのですが、政治活動や宗教活動というのは周囲に啓蒙してゆくものでありますから、その活動については批評や批判の目に晒されることを覚悟しなければなりません。私はしがないおっさんです。名もなき雑草です。そんな私でさえ、知人以外は誰も見ていないようなブログでも公にする以上はその覚悟を持っております。文責は自分にあると考えています。しかし、どんなに自分がそのような思いでいても、クレーマーからの通報に運営が屈してブログ記事を削除されてしまう
さて、では↑リンク先ブログ記事の続きです。第1回〜第11回https://ameblo.jp/wasioto-211/entry-12351272840.html第12回〜第24回https://ameblo.jp/wasioto-211/entry-12351569771.html第25回〜第30回https://ameblo.jp/wasioto-211/entry-12382605475.html第31回〜第36回https://ameblo.jp/wasioto-211/entr
私は張り切り過ぎると行き過ぎてやり過ぎることがままあります。勝手に盛り上がって自分の中だけのお祭りを始めてしまい、本来の自分の役割も忘れて完全に暴走してしまうのです。「つまり俺は阿呆だ。結局はそうさ。阿呆でなくっちゃ」とジャン・ポール・ベルモンドの顔マネをしながら山田康雄の声マネをして、開き直ったようなことを言って暴れまくるのです。私はあくまで鉄砲玉です。鉄砲玉ぴゅ〜です。それを忘れてはいけません。それを忘れて、勢いに乗って口止めされていたことまでペラペラと口走りそうになっていました
人はすぐに忘れてしまう生き物だから、事の起点を振り返り、繰り返し語ってゆくのは大事なことです。そもそもの発端は何だったのか、それを思い出してみましょう。今年の8月21日火曜日の夜、「公論界隈(仮名)」を主催しているイボナメクジ師範(仮名)が自らのネット番組のなかで、エキノコックス師範(仮名)という自称作家の女性と共に私の妻を中傷しました。「公論界隈」(仮名)の勉強会(道場)に参加したことがあるというだけの一般人である妻を突然中傷したのです。私の妻について、「公論界隈」(仮名)に参加してい
公論界隈では、イボナメクジが目をかけている人間を非難することは許されません。そのあたりのことをこれから説明してみましょうか。こと細かく説明するのは書くのも読むのも面倒なので、核心部分だけをザックリ抽出しましょうか。イボナメクジにとってはビシバシと意見を言う人間は必要ありません。ただ自分の主張に忠実な人間だけが欲しいのです。ビシバシと意見を言って許されるのは、イボナメクジの欠陥だらけの論理を補強し補完してくれる理屈を捻り出す意見のみです。そんなわけでありますから、門弟メーリングリストと
公論界隈について、これから更に執念深く粘着質に書いてゆくにあたり、色々と調べておりましたところ、私が過去にメーリングリストに投稿した文章を妻が保存していたということを知りまして、それを私のメールボックスへ送信してもらい、読み直してみたところ、さすがは立派な私なだけはあって、今現在の状況を当時既に見抜いていたかのようなことを書いていて、自尊心と自己肯定感がいや増し、自画自賛に耽ってしまいました。このように自分という存在に耽溺して恥じない私です。その素晴らしい投稿を以下に転載します。「謝罪の作
イボナメクジは結局、私の妻に対してデマを吹聴して中傷したことへの釈明をすることはなく、幕引きを図るつもりのようです。なるほど、確かに私など声が無きに等しい一介のボンクラです。比して彼は曲がりなりにも著名な作家センセイです。こちらを頭のネジが外れたやばいウルトラアンチと自らのメディアで言ってしまえばそれで事足りるでしょう。こちらの言い分になど誰も耳を貸すわけもありません。力ある者として力なき者に対する態度としては極めて正道であると思います。さすがは卑怯と卑劣だけが友達のお方です。それ
私は自分の現場を持っています。現場を生き、現場で働いています。しかし現場を持っていることを、いかにも凄いことのように言うのは妙な話で、生きとし生けるものすべての人は皆、現場を持っています。だから現場を生きているだけで、それをさも特別なことのように言うのは烏滸の沙汰であります。普段、働いている人は何かをしています。追い立てられるように何かをしています。それぞれの現場の中で何かをして、成功したり、失敗したりを繰り返しています。何もしないことはありませんし、何もしないなんて許されません。
電車の中で騒いでいる奴らがいます。その騒ぎ方は目に余るものがありましたので、私はその者らに近づき、他の者の迷惑になるから、もちっと声のボリュームを落としなさいな。飲み残したペットボトルやスナック菓子の袋を散らかすのもやめなさいな。その既に散らかしたものも出来れば拾って各自持ち帰って処分なさいな。という注意をしましたところ、連中はにやにやと人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて言うことにゃ「僕たちが何をしようが僕たちの自由じゃないですかぁ?最高な僕たちの最高な集いを羨んで嫉妬してるのかもしれない
以前から繰り返し当ブログにも書いておりますが、私の生まれた家は爽快なカルトを信仰しておりました。爽快学会https://ameblo.jp/wasioto-211/entry-12370256342.htmlでありますから、カルト信仰を当たり前のものとして生活し、成長してゆきました。今の私はそのカルトを信仰しておりませんが、時折思い出しては自らの気持ちの総括めいたことをしたりします。それはひどく辛辣なものであったりもします。私がイボナメクジ界隈に対して、当ブログにて意見を述べているのも
昨日はドライブに出かけました。一応の目的地を定めましょうということで、テレビドラマ「HIGH&LOW」に登場する鬼邪高校へ殴り込みに行くことになりました。鬼邪高校は不良生徒の巣窟で、校舎の壁一面に兇悪な落書きが施されています。私はハイローのなかで鬼邪高校が一番好きでありまして、心弾ませて群馬県へ向かって車を走らせました。車を走らせている間、車内では音楽を流しています。車内音楽の選曲の権利は妻が握っておりまして、妻の気分でその日のバックグラウンドミュージックは決定される仕組みとなっており
ドロヘドロのブログに誤記がありましたので、そのことを指摘した上記ブログを今朝アップして、ドロヘドロのツイッターアカウントへリンクを貼って送りましたところ、いつの間にかにシレッと修正しておりました。↓修正前↓修正後誤記を指摘されてお礼も言えないなんて、まったく礼儀知らずな人ですね。ぷんぷん。どうせなら、ドロヘドロも知らないであろうイボナメクジのことを書いたブログについての感想ぐらいくれても良さそうなものじゃないですかぁ。ドロヘドロも知らない事実https://ameblo.jp/was
昨日は日曜日でしたね。日曜日には出かけたいですね。でありますので、出かけまして、人に会ったり、飯を食ったりして、有意義に過ごしました。ランチを食べながら公論をし、昼飯を食べたあとはファミレスに移動して場外乱闘しました。何時間ぐらい乱闘しましたでしょうか。昼すぎに入りました店でございましたが、会計を済ませて、外に出ると空はすっかり闇色で、およそ9時間は話し込んでしまいました。帰路、妻と二人話していると、それでもまだ聞きたいこと、知りたいことがあとからあとから出てくるのでした。また会え
インポテンツでお馴染みのイボナメクジ(イボ除去済)が私の妻を誹謗中傷した動画が配信されました。その配信内容につきましてはこれまで何度も繰り返し訴えてきましたが、イボナメクジ大師範が唐突に公論界隈の内部にはかつていろんな男と関係を持つ尻軽女がいたと言い出し、それを聞いたエキノコックス師範が白々しく驚いた顔を作り、興味津々といった感じで詳細を知りたいと言って下卑たケタケタ笑いをあげ、そのエキノコックスの反応に大袈裟に慌てふためく演技をするイボナメクジと、それに併せてイボナメクジの秘書である式波バタ
可視化って地獄です。私はかつてイボナメクジの読者というのは相当に知的水準が高くてセンスがグンバツのシャレオツでナウイ感性の持ち主ばかりであると勝手に思い込んでおりました。しかしネットによる可視化で判明したのは、その正反対の度を越えた馬鹿と狂人の展示場でしかなかった現実でした。嘘だとお思いなら、ためしにツイッターを見てごらんあそばせ。プロフィールにイボナメクジ読者と明記している連中のツイートをご覧くださいな。まるで鬼畜や餓鬼といった外道しかおらなんだと思うこと間違いなしでござす。そして
公論おじさんことイボナメクジ大師範は8月21日夜のニコニコ生放送で、妻が公論界隈の門弟を破門になったことに恨みを抱いた私が熱狂的なシンパからアンチに転じたと勝手に決めつけていたらしいのですが、その推論は頓珍漢にもほどがあります。ロード第二章https://ameblo.jp/wasioto-211/entry-12401304440.html↑上記リンク先のブログにありますとおり、妻が門弟から外されたのは2013年です。一方、私は公論界隈のウェブマガジンのコメント欄へ応援のコメントを201