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2025.12.20Sat雨☂️月齢:0.06新月、朔月射手座の新月私は遊ぶために溶かす幻想を解き放ちながら解放というスペクトルの音とともに私は魔術のプロセスを確信する私は二倍になった自分自身の力に導かれるIdissolveinordertoplayReleasingillusionIsealtheprocessofmagicWiththespectraltoneofliberationIamguidedby
禅宗の高僧:両手を打てば拍手の音が出る。では、片手ではどんな音が出るかな?弟子:そんなの簡単ですよ。聞かせて差し上げましょうか?禅宗の高僧:どれ、聞かせてみよ。〈バチン!〉禅宗の高僧:痛い!いきなりビンタするやつがあるか!
禅とは、言葉の向こうにある沈黙を生きることである。ところが近年、AIが禅を「解説」する場面が増えてきた。ChatGPTのような人工知能は、無数の禅僧の語録や解説書を学び、整然とした説明を返す。だがそこには致命的な欠陥がある。それは、オリジナリティの欠如――つまり「誰がそれを語っているのか」という主体の不在である。AIが語る禅とは、過去の禅語録の“平均値”であり、悟りを得た僧の声でもなければ、苦悩の果ての沈黙でもない。もし、ある高僧が気まぐれに書き残した曖昧な一文があれば、AIはそれを
思考実験大全Amazon(アマゾン)「世界のバグを見つけてしまったかもしれない。」プラトンからマルクス・ガブリエルまで、哲学者たちの「奇妙な問い」に、あなたの頭はきっとざわつく。読むたびに、現実がほつれていく――古今東西の思考実験100(+1問)を網羅し、出典も明記。思考実験をもとにした奇妙なエピソードと、解説で楽しく読める。この一冊で、一生飽きずに楽しめる、知的冒険の永久保存版。橘玲さん推薦「難問奇問を楽しみながら、人生や世界の新しい姿が見えてくる驚きの一冊」
物語「婆子焼庵」から実務的かつ人格的に使える、陰キャ社長への教訓物語『婆子焼庵』とは老婆と修行僧の20年昔、ある老婆が、一人の修行僧のために庵を建て、20年もの間、食事の世話をするなど、手厚く供養していました。娘による試練ある日、老婆は修行僧の悟りの境地を試すため、食事を給仕する自分の娘に、修行僧に抱きつき「このような時、どう感じるか」と尋ねるよう命じます。修行僧の反応娘に問いかけられた修行僧は、「枯れ木が凍てついた岩に寄り添っているようなものだ。真冬に暖かさなどない(私
「問い」を探る一環として坐禅研修会を開催いただきました当社の今年度の社内研修のテーマは「問い」。伝統的な「問い」である禅問答、公案にふれるべく、寶勝寺和尚高橋友峰先生に坐禅研修会を開催頂きました。会場は寶勝寺に近い、少林寺です。公案の話に進む前に、実践としての坐禅を約1時間ご指導いただきました。坐禅体験の後、禅問答の公案=趙州洗鉢を解説頂きました坐禅体験の後、趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)の解説を頂き、公案とは悟りを開くための「問い」であることを理解することができまし
~禅と禅問答~2023-05-0412:31:05|♬~我が悟りへの道程~♬~禅と禅問答~ここ最近の私が嵌っていた事は、「倶胝竪指(ぐていじゅし)......<無門関・第3則>」を考える事である。第3則/倶胝竪指(asahi-net.or.jp)この公案での「倶胝和尚のように、“一指”を立てる事」とは、禅修行の結果体得・会得した「倶胝和尚」の禅的悟りの境地であり、それは、他の誰かが「一指を立てたら悟れる」…といったモノでない…倶胝和尚の過去からの必死に苦しみながら
『無門関』を読みました。中国宋代の禅僧・無門慧開(むもんえかい)によって編まれた公案集。四十八則の公案が収められています。近ごろ、個人的に、「悟りとは、脳の見せる〝私がいる・心がある〟という錯覚が解除された状態である」という仮説を立てました。それを念頭に置いて禅の公案を読んだら、案外、簡単に解けるかもしれない、と思い、試みに読んでみたのですが――。わかりませんでした(爆)まいった、まいった。凡夫の浅知恵じゃったわい。フォッフォッフォ(←バルタン?)。でも、まあ
南泉斬猫という禅の公案があると教えてもらいました。その公案の和訳は以下の通りです。『南泉和尚の山寺。ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の子猫について言い争っていた。南泉和尚は子猫の首をつかんで「僧たちよ、禅の一語を言い得るならば、この子猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨てよう」と問うが、誰一人答える者はなかったので、南泉和尚はついに子猫を斬った。』なんとも物騒なお話です。『日暮れになって、高弟の趙州が帰ってきた。南泉和尚は趙州に子猫を斬った一件を話したところ、趙州はわらじを脱い
あるてみすてんぷるの沙羅です。そう言えば先日公案を2つ、掲載させていただきました。そのうちの猫が題材となったもの。そのブログがこちらもうすでに、こういうことでないですか?と読み解いて連絡をくださった方がいらっしゃいました。考えることが好きな方というのはいらっしゃるものだ、などと感服しております^^ある意味自己の神性講座の内容もそうで、霊学を学ぶものですからはまる方は現実世界で起きる出来事の見え方が変わってしまう場合があります。今日ご来室くださった方がまさ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・セラピストだより2024年12月19日号自己の神性講座・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あるてみすてんぷるの沙羅です。ご来室くださる方々の中には、内観し導き出すのが好きな方もいらっしゃる。ということで、昨日に引き続き禅のお話を。これも考えてみてくださいね。南泉普願という方が鄭州におりました。南泉山に留まり禅寺を建て、牛を飼い山に入って木を伐り
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・セラピストだより2024年12月18日号自己の神性講座・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あるてみすてんぷるの沙羅です。「自己の神性講座」では毎月毎月同じシェアが続くわけです。するとルーティンになってしまう方々がいらっしゃる。要はダレてくるのです。すると、シェアの仕方が曖昧になってしまう。特に毎日同じ日常をこなして、という風に思っているとこ
禅の公案(問答)を集めた有名な書に、「無門関」(むもんかん)がある。この本の題名自体が「門のない関所を通れ」だから、その内容は推して知るべしだ。禅の本質は実行の知恵、つまり素朴で直感的な閃きと悟りであり、公案は硬直した理屈脳を初期化するためにある。その無門関の第1公案が、「狗子仏性」(くしぶっしょう)だ。問いは、「犬畜生に仏の性質(悟り)はあるか?」と言うものだ。どう考えても犬が仏様のように悟れるとは思えないのだが、ここで「仏性は無い」と答えると、「仏陀に不可能や欠陥があると言うことか
こんにちは(^_^)私、日曜日の朝8時から楽しみにしているラジオ番組があります。ONE-J(ワンジェイ)という本仮屋ユイカさんがパーソナリティを務めるトークバラエティです。本仮屋ユイカさん、きれいな方で癒される声で私好きです(*^^*)仕事で疲れた心と体を元気してくれるラジオ番組です今日のブログは読んでいて、難しいものなので興味のある方のみ読んでくださいね(^_^)凡人の私には難しい問題先日、お世話になった住職様の命日だったのでお墓参りに行きました。生前、住職様は檀家でもない私
近代資本主義―資本主義原論のための公案3つ!世間では資本主義と言えば、皆同じものだと思っている人が多い。「日本は資本主義国家ではない」(小室直樹)というと、エッと驚かれる人もいるかも知れない。学生も含めて、我々日本人は、経済学を勉強しておくに越したことはない。それには、小室直樹日本人のための経済原論」(東洋経済新報社刊・2800円)を読むのが良い。この本を読まずして日本の資本主義は分からないし、世界経済の行方も分からない。「アメリカは資本主義であるが日本はそうではない。
拳す梁の武帝達磨大師に問う如何なるか是れ聖諦第一義(しょうたいだいいちぎ)磨云く廓然無聖(かくねんむしょう)これは、禅の公案集「碧眼録」第一則「達磨廓然」の中の一節です。梁の武帝が達磨様に問いました。"仏法のぎりぎりのところをお示し下さい"達磨様のお答"雲一つない、カラリと晴れ渡った大空だよ"当地は連日猛暑続きで、雨も降らず晴れ渡った空が恨めしくもあります。勝手ですね~~。例によって訳が解らない禅問答ですが、私はこの問答が好きで、何か嫌な事があったり、心がもやもやして
「素行自得」「置かれた場所で咲く」であり、「素して行い、自らを得る」だそうです。行徳哲男師は、こう語っている。『「大事到来、いかにしてこれを避くべくや」という禅の公案がある。「酷暑到来、酷寒到来、いかにしてこれを避くべきや」。その答えは「夏炉冬扇(かろとうせん)」。そんなに暑かったら囲炉裏にあたっておけ、そんなに寒かったら扇をつかっておけ。暑いときには暑さの中へ入れ、寒いときには寒さの中へ入れ、そしてそれを突き抜けろ、ということである。』(感奮語録)より
腹部第四調律点という処が硬いと感情が鬱滞しているとされます。本質的なことを言うと、泣かないとお腹は弛みません。でも大人はかんたんには泣けません(3種の人はわりかしかんたんに泣きます。だから腹部第四が硬くなり難い)。そこで、大人のお腹を弛めるにはどうしたらいいか?ということなんですね。先日友人と稽古していたんです。腕を使ってお腹を弛める稽古です。腕のある特定の処を押さえるとお腹が弛むんですね。実際かんたんに弛むんです。まあ、押さえる時に特
公案という言葉よりも、「禅問答」という単語の方が馴染みのある方が多いかもしれませんね。「禅問答のような」という表現が表す通り、理知的な判断では到底真意を掴むことができぬような問答が禅問答であり、それは、理路整然と考えて済ますことのできるようなものでは、全くもってありません。この「禅問答」に使われるある種の問題が、公案だと言ってしまって、とりあえずは良いと思います。有名なもので言うと、白隠禅師が考案した、「両手をパンと合わせると音が出るが、では、両手ではなく片手の音と
「南無地獄大菩薩」絶体絶命の大事と出合ったら、逃げずにそこに入り込み、浸りきることが唯一の解決策だというのである。逃げたらイカンのですね。行徳哲男師の「感奮語録/致知出版社」にこんな話があった。『「大事到来、いかにしてこれを避くべくや」という禅の公案がある。「酷暑到来、酷寒到来、いかにしてこれを避くべきや」。その答えは「夏炉冬扇(かろとうせん)」。そんなに暑かったら囲炉裏にあたっておけ、そんなに寒かったら扇をつかっておけ。暑いときには暑さの中へ入れ、寒いと
巷に坐禅のインストラクションは数あれど、意外に色々な意見(?)があるのが、坐っている最中に何をしたら良いのか?について。禅の古典をある種の教則本として紐解くならば、『坐禅儀』には「念起らば即ち覚せよ(念が起こったら、それに気づきなさい)」とある。また、道元禅師の有名な『普勧坐禅儀』には、「不思量底を思量せよ(考えではないところのものを考えろ)」とあって、前者はまだしも、後者はちと難しい...基本は、坐ったまま何もしないのだけれど、そうすると考えが色々と湧いてくる。そのとき
はい、ど~も。manamanaです「今日の一言」いつも「潤い」を身体にも心にも言葉にも・・・・「潤い」のある「言葉」って・・・・艶があって柔らかいそんなイメージが湧くそうか・・・・大事だなぁ。。。。(とても考えさせられた・・・・)ありがとうござい
あぁ天才平岡公威(ひらおかきみたけ)氏もとい三島由紀夫氏三島由紀夫-Wikipediaja.wikipedia.org2024年1月14日(日)、午前2時過ぎ遂に私もニューヨークで金閣寺を焼いた。夜が深い寝息を立てる丑三つ時に一人心臓を高鳴らせながら金閣寺を焼いた。アパート入り口の玄関付近にある姿見鏡が内側についた物入れのドアが開きっぱなしだった。その付近に自身の勉強机を置いているのだが、本を読み終わって席を立ち上がってパッと振り返ったら鏡に映る自分
仏教詩人である坂村真民さんが敬愛された尼僧の杉村春苔尼さんの詩です。*******私は十六歳で母を亡くした母は丁度四十歳だったもっと幼ければ黙ってあきらめたかも知れぬ私は丁度母を失うには一番時期として悪かった小さい骨箱に納まった母を朝に夕におがんだ私はそのなやみのはてを仏に求めたそして父母未生来*つまり公案*をもらった私が父母から生まれる前世を考えよとの事だった私は明けても暮れても考えたそして二か月かかってやっとこの世とあの世の境無きを知った天にも登る嬉
新年のご挨拶がおそくなりました続く余震と日々明らかになる被害状況に言葉もありません一日も早く安心して過ごせる温かい日常が戻りますようにお祈りしています...........................年明けはOSHO瞑想の一つである「公案」を二日間して来ました答えの出ないものを考え続け、問い続ける禅問答テーマは「真実とは何か」向かいあい無反応の相手の目をしっかりと見て真実はリラックスだったらいいなぁとか真実はなんでもあるけど何にもないとか、つらつら話し続け
今までに私は、禅の公案について何回かメモをしてきた。公案は最高の脳トレなので、瞑想が趣味の私にはおいしいお餌なのだ。具体的には「犬に仏性があるか」については「質問自体が愚かだ」、「ビャクシンの樹に仏性のすべてが詰まっている」については「全部は1でもある」、「猫を切った和尚と草鞋を頭に被った高僧」については「凝り固まった常識こそ最大の執着の根源だ」、「月が2つある」については「幾つだって別に良いじゃないか」等々、私なりの解釈を施してきた。もちろんこれらはあくまでも私の脳トレの結果であって、世
【公案】いつもありがとうございます。「公案」とは、禅宗で修行者が悟りを得るために、師匠から与えられる問題のことです。禅宗では、すぐれた祖師の言動や行動を示されて、それを一心に参究して悟りを求めていくことを言いますが、すべての人が「人生」という修行をしていると考えると、日々のさまざまな事象を通して、公案が与えられているように思うのです。<日々遭遇する事象は、今の自分が気づかなければいけないことが何であるかを示すヒント>良いこともあれば、良くないこともある。良くないことや不愉快に感じ
ある書物のなかに、ダイヤモンドを切れるのは山羊の血だけだ、と書いてある。わたしの偉大な師ロジャー・ベーコンはそれが真実でないと言った。理由は簡単だ。それを試してみたが、成功しなかったからだ。しかし、もしもダイヤモンドと山羊の血の関係に、より高次の意味があれば、それは損なわれずに留まるはずである」薔薇の名前下/U.エーコつまりは禅問答とはまさにそのようなもので、しかしまた、問い自体も自ずからが見出し比定することが求められるあるいはまた