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めったに怒らない私です。それでも最近残念なことがありました。こいつは怒らない、上部組織に報告しないと見做し高圧的です。だから、その人の上司に注意してもらいます。格下だという認識で他人を疎かにしてはなりません。これは私憤ではなく公憤です。
蔵出し京都画像〜京都画像クイズNo.129。今回は最後のヒント画像がなければ超絶難問です。画像から人物名を答えてください😊。カーナビになくて農作業をしていたお爺ちゃんにお聞きしたら、あそこだよと教えていただきました。墳墓のようですねえ😆。これで分かったら、研究者ですよ🤗。参道です😄ヒント京都市内ではありません。ヒント画像😳😳😳間際らしいので、大ヒント供養塔ですな😆こんな問題出題するな
分かるなぁ。進次郎くんの気持ち。2年経った今よぉぉぉぉくわかる。地球には“抑止力”が必要ででも、「能力」を持っているからといって進次郎くんはまだまだ普通の高校生盛り。「まだ早いと思ったんだけれど」今までは科特隊が秘密裏に進めて来たんだが『もう、限界なんだよ。』ウルトラマンの「因子」を受け継いでいる早田進さんの息子さん。わけも分からず、言われるがまま“ウルトラ
今日、大阪正心館に去年末で就任された、元沖縄正心館館長の渡辺さんがいらっしゃり、お話がありました。お話自体は基本支部に関するものが多かったのですが、茶話会では質問に答えてくれて、とても勉強になった話があるので、こちらにものせておこうと思います。私が質問したのは、心の三毒でも厄介な瞋の心についての質問です。どうやって抑えればいいか、流したら良いか。丁度その事で問題も起こした事もあり、今後も必ず起こりうる質問でした。館長はまず、怒りの心は誰でも持っている心である、
こんにちは😊私もたまには怒ることもありますしかしカッとなって怒るのではなく公憤によるよう気をつけています公憤(こうふん)社会問題や組織の問題他者の問題に対して自分の利害を超えて感じる憤りでも部下からしたらなぜ言われなければならないのか自分はダメなのかわからないこともありますよねだからタイミングとか言い方とか結構考えます結構考えても上手くいかないこともあるまあ、それは仕方がないことです私のことは嫌ってくれ
本当に必要な「怒り」知る人と知らない人の決定差解決するのは感情的「私憤」ではなく知性的「公憤」本当に必要な「怒り」知る人と知らない人の決定差|リーダーシップ・教養・資格・スキル何かが起こった時に、それが理不尽であれば黙っていてはいけない。しかし、黙っていないで何とかしなければならないと感じる時、私憤によっては問題を解決することはできない。何とかしなければならないと思った時…toyokeizai.net
公開日2021-10-01国日本時間2時間4分関連人物緒形直人と(永山)瑛太が嫌な役をうまくやっていた。阿部寛がステイサムに似てると気付き、女の子がヤング石野陽子に似てると思った。倍賞妹さんも70半ばですか。そんなんばっかでゴメン[敬称略]鑑賞日2022-11-26方法Amazonプライムビデオ+Mac評価備考年収は上がって欲しいけど私はもう働けない…“働き損”を生む「壁」|NHK|NewsUp【NHK】長引くコロナ禍に物価高。にもかかわらず、年収
都内の桜が満開になった週末2020年度最後のアンガーマネジメントファシリテーター養成講座に登壇しました。写真は受講生を迎える前の時間に撮ったアシスタントとオブザーバーの皆さんと。・『アンガーマネジメントファシリテーターになったら、こんな活動をしたい!』と、明確な目的をもって受講してくださった受講生の皆さん。・付箋がたくさん貼られている課題図書をお持ちくださった方講座開始前
2.20土曜おはようございます😃今日は「公憤をもつ」についてです!これは、実はいつからか?わかりませんが、私は強く意識している事です!個人的な私情で怒ることはほとんどありません!もしあるとしたら、大事な相手に対しての約束を破られた時だけだと思います!しかし、それ以外ではほとんど公憤です!指導者たるものは公の立場において、何が正しいのか?これは許せないことだ!(今後万民や顧客,スタッフに多大なる影響があるような事)と思う事には徹底的に戦う覚悟がいるという事です!それこそが指導者たるゆえ
今日は『松下幸之助の霊言大恐慌時代を生き抜く知恵』を読みました。『松下幸之助の霊言大恐慌時代を生き抜く知恵』幸福の科学出版まだ届いていないアベノマスクを配る位だったら、この霊言を一家に一冊配った方がどれだけの命が救えるだろうと思いました。新型コロナウィルスに罹らないことだけを中心に日本全体が動いていたら、大恐慌時代を生き抜くことは出来ないでしょう。あと少しで、元の生活に戻れるかと思ったら大間違いで、『未体験ゾーン』に突入すると覚悟した
支部で特別講師という事で幸福実現党の里村広報局長が来てお話をされた。話の内容は中国に対してどうするか、というものだったが、その後の茶話会の中で、一つ、気になる言葉があった。それは「総裁先生が呼び出した悪霊は全て他人のせいにするが、逆に高級霊などの天上人は自分の責任を考える」というものだ。なんでも、悪霊という悪霊全て、自分の責任を他人の所為にしてしまう法則が存在するらしい。そこで、あらためて自分を顧みてみた。自分は他人の所為にした事があっただろうか?またその逆はど
こんな折に何ですが・・・実はワタクシ、マスクが嫌いでして。そう、自分がするのも、している人を見るのも(医療従事者除く)。もちろん、一口にマスクと言っても、様々な種類、用途があることは承知しておりますけれどもね。のんべさんによるillustACからの写真ずっと昔、まだ子供の頃のことで記憶も定かでないのですが、何かで見たのか読んだのか、とにかく地球の環境が悪くなり過ぎて、全ての人が宇宙服のようなものを着ないと生きていけなくなりました、みたいな話がありまして。その
パワハラをやった方が良い時というのも、あります。それは私情・私憤ではなく、相手の為、みんなのため公憤の時です。初学者は、時に取り返しのつかない失敗を起こすようなことも、します。それを監督し、白黒判るように導くのが、先輩の役割です。初学者は白も黒も判りませんので、時に勢い余って崖にまっすぐ突き進み、崖から落ちてしまうことがあります。もしくは意図せず、他人を崖から突き落としてしまうことがあります。こういった時は危ないので、理屈を説くより、早く止める必要があります。こんな場合は、パ
朝堂院大覚が葬儀・坊さん・葬儀屋のありようについて憤慨されている。朝堂院大覚のイカリケチャップは私憤ではなく公憤・義憤であることはありありと見てとれた。ウチはできるけど・したけれど、零細な者からどさくさ紛れに大金を巻き上げるな!坊主・葬儀屋どもよ!との本旨であろう。いずれ葬儀をすることになる者に対する教育的助言・忠告・示唆なんだろう。坊さん・葬儀屋にとってはエエ迷惑やろな。葬式に大金出すのが好きな人間はなんぼでもいてますねん。交通事故でなくなった独り暮らしのおばあちゃんの部屋に町内会長がはい
5月13日の高知新聞夕刊に中村敦夫さんの記事が載りました。中村敦夫さんといえば、「木枯し紋次郎」、「水滸伝の林冲」、「中村敦夫の地球発22時」、などなど・・・水滸伝は毎週楽しみにしていました。内容はほとんど覚えていませんが、九紋竜史進が、あおい輝彦さんだったこと、梁山泊で時の権力に反抗し・・・オープニングの心高鳴りそうなメロディーを少々記憶し・・・というくらいですが・・・さて、記事をみましょうか・・・中村敦夫さん原発と闘う公憤と義憤動機に朗読劇公演で来高「政治は平気で
社会問題について腹を立てていたら、夜、布団に入っても、ずっと考えてしまい、怒りで寝付けなかった。ただでさえ高血圧気味の私なので、あんまり怒っててもアカンと思い、気を散らそうと、別のことを考えるが、横に置いた話がまた入ってきて、「ムキーッ」と怒りが再燃する。こういうときは、少しレベルが高い(と思われる)ことを考えたほうがいいと、改め直した。「私は観音だ。私は観音だ。ありのままを見て、ありのままを聞くだけだ」ということを、唱えていたら、だいぶ、怒りが収ま
死に至らしめた加害者たちはブログを引っ越してくれないかな?ライブドア、FC2とかもっといいサイトもありますよ。僕の性格として面倒くさい事が嫌いなので、そこ(引っ越し先)まで追いかけないと思います。僕の今回の行為は言論弾圧、言論統制、表現の自由の侵害や制限に当たります。これは民主主義や国、集団にとって国益や集団益より優先されなければならない事項で人類史の知の結晶であります。よって僕もまず言わない事柄です。だから僕も注意しながらお願いしてます。何でも言い合える仲間や集団でないといずれ滅
大辞林第三版の解説しふん【私憤】個人的なことから起こる憤り。⇔公憤「-をいだく」こうふん【公憤】公共の正義の立場から感ずるいきどおり。⇔私憤「-をおぼえる」・「怒りの感情」を持った時、これは、「私憤」であろうか、それとも、「公憤」だろうか・・・、などと、考える人は少ないと思えます。大抵の場合、「怒りの感情」に負けてしまって、ただ単に怒っているだけ、でしょうからね。自
6月20日第3回「嫌われる勇気」を読むお茶会でした。会場のgreengardenには新しいウェルカムボードが出来ていました。白く塗った板に、深い緑色の文字が映えます。オーナー夫婦で協力して作成したのだとか。リースの部分は此の花さくやAkemiさん作。シックでエレガントな佇まいは、オーナーの池島由美子さんそのもの。さて、今回は直前にご不幸があったり、ご家族の容体が悪くなったりで、お二人がキャンセル。今、体調を崩しておられる方が多いですね。湿気が多く、気温も低めだから
『歴史のなかの邂逅3』ー司馬遼太郎●大久保利通ー①✪鹿児島に行っても、西郷隆盛は愛せられているが、大久保利通はそのようではない。いまも戦前もそうである。さらには彼らが生存した同時代にあっては、なおのこと、そうであった。薩摩人は西郷を愛すれば愛するほど、大久保を憎んだ。革命期をうごかす個人の人気というものは、それそのものが力である。英雄というのは、きわめてがらんどうな概念であるが、しかし倒幕期にその倒幕勢力の中心的存在であった西郷の人気というものは、自藩だけでなく、諸藩の志士ですらこと
指導者たる者、いたずらに私の感情で腹を立てるということは好ましくない。しかし指導者としての公の立場において、何が正しいかを考えた上で、これは許せないということに対しては大いなる怒りを持たなくてはいけない。だから、一国の首相は首相としての怒りを持たなくてはならないし、会社の社長は社長としての怒りを持たなくては、ほんとうに力強い経営はできないと言ってもいい。まして昨今のように日本といわず世界といわず、難局に直面し、むずかしい問題が山積している折には、指導者はすべからく私情にかられず、公のための怒り
韓国語勉強シリーズ~ヌリクン~今回も見ただけでは何のインスピレーションも浮かばなかった単語「누리꾼」NAVERで検索したところ韓国の国立国語院が「ネチズン(네티즌)」を固有語(韓国語本来の言葉)に置き換えたものとのこと。英語のnetizenですね。韓国では固有語の価値を見直そうという動きが活発でヌリクンはそういった意図から2004年に国が作った言葉なのだとか。しかし「ネチズン」の浸透度が高く未だに使用度はヌリクンよりネチズンなのだとか。もしや「
人には怒りの感情がある。誰でも。でも怒りには二通りある。それは自分の利益になるか否か。よく自分の利益を害した場合に怒ることが多い。また自分を悪く言われ傷つけられた時もそうだろう。一方自分の利益に関係なく、大きな視野で人の為や世の為にならない場合に怒る時もある。前者を「私憤」といい後者を「公憤」という。公憤は時に革命にもなる。そう明治維新で行動された方は日本に危機を感じ日本の為に怒り、時の幕府を倒し、新しい政府をつくった。考えれば「公憤」には「理想」がともなう。そこには個人
僕は私的な事柄についての怒りについては、ほとんど興味がなくなりました。日常、ムッと怒りが噴き出すことはあるけれど、シュッと収まるのも早いです。(平和大橋)ゆるいとか、怒らないでしょう?などと言われることも多くなったけど、怒らないことはありません。ただ、怒ってもすぐに収まってしまうか、また、私的なことばかりで怒っているのが人間が小さく感じられてしまいつくづくアホらしくなったのです。なにせ、怒っている相手が、自分
僕も高慢チキなとこはあるが、分け隔てなく皆んなに、偉そうな側面は正直ある。基本は謙虚か普通。吉川英治の宮本武蔵や秀吉みたいに、「我以外皆我が師」とはなかなか難しい。40歳超えて丸くなって喧嘩しなくなったが、それまではよくした。論争を普通の人は、傲慢な態度で理不尽なことを言われても、3度まで我慢する。医者、弁護士、大企業は偉そうだと最初から喧嘩になる。今、僕が叩かないと、また庶民に偉そうにして、嫌な思いさせよるなと思い、公憤から論争になる。(私憤も当然あるが)
親がテナント貸していて、管理や契約書等、僕がしていたので、大家(賃貸人)の責任はだいぶわかっていると思う。大昔、家賃4万風呂なしに住んでいた。銭湯通い。シャワーつけたかったが大家さんが嫌がったので断念その大家さんとてもいい人だった。物置きの雨漏りで、数箱の段ボールの中の本200冊以上か?捨てた。カビとか本が波うってるとか汚い。捨てるしかない。でも大家さんいい人だから、事実は伝えたが文句言わなかった。4月にその家引っ越すことになった。前月3月に改装工事されて、3