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○朝から重てぇよ今日(12/16水)の日経新聞朝刊、1面コラム「春秋」より抜粋。▼このところ増える自殺のニュースに触れるたび、十数年前に取材したレオ(チンパンジーの名)の闘病生活を思い出す。チンパンジーは目の前にある「いま、ここ」しか知らない。だからこそ深刻な病気になっても人間のように、将来を憂い、絶望することもない。生き物はどれもそれぞれの知覚でとらえうる世界を生きる。「環世界」という。▼片や私たちは進化の過程で言葉を手にした。それによって時間や空間を行き交うことができるようになった。
いい湯だな〜♪…というわけでもないお風呂です☘️☘️☘️たくさんの方々のブログで、東大寺俊乗堂と大湯屋が7月に特別公開されていることを知り(季刊の無料観光ガイド「奈良」には載っていませんでした)、暑さに阻まれて行けるかどうか微妙だなとおもっていましたが、ギリギリの7月30日に行くことができましたみなさん、すでに書いておられるし、公開も終了してしまっているので自由に書きますまずいきなり俊乗堂俊乗坊重源さんを祀るお堂東大寺は二回大きな復興がありましたが、その1回目のリーダーが平安
安田倉庫の歴史安田倉庫安田倉庫の歴史は1919年に創立された興亜起業株式会社にはじまります。興亜起業設立に伴い守屋町埋立地が当社の所有となりましたが、1923年(大正12...箱根の歴史を巡る旅に出よう箱根郷土資料館からお寺や神社の歴史旅Histripその地の歴史を知ると、その旅行がさらに価値のあるものになるのではないでしょうか。箱根郷土資料館で箱根の歴史に迫り、箱根とともに歩んできた早雲寺や...[ポルシェデザイン]~「機能が形態を決める」を具現するポルシェのペン
奈良時代に建立された東大寺、しかし、これまで二度の戦火により大仏殿は焼け落ち、過去大仏殿は奈良時代・鎌倉時代・江戸時代の三回建てられました。現在の我々が見る大仏殿を再建されたのは江戸時代前期の宝永6(1709)年のことで、この江戸時代の大仏殿勧進という大事業の任を果たしたのが、当時の大勧進職であった三論宗の僧、龍松院公慶(りゅうしょういんこうけい)でした。今月12日に公慶が勧進事業の拠点とした勧進所の、公慶の肖像彫刻を祀っている『公慶堂』の特別開扉が行われます。
二月堂油量りの見学を終えた小生は、正倉院の横を通って東大寺の境内を北に出ました。このあたりは奈良阪と呼ばれる、京都から奈良に入る京街道沿いに賑わった場所、その奈良阪の集落である北御門町の町中に境内を構えるのが思惟山五劫院です。五劫院は鎌倉時代の高僧、俊乗坊重源が宋から持ち帰った五劫思惟阿弥陀如来坐像(ごこうしゅいあみだにょらいざぞう)を安置するために創建したと伝えられます。この五劫院で2月12~18日の一週間、ご本尊の五劫思惟阿弥陀如来坐像が予約制で一般公開されると聞きまして、油量
ここしばらく奈良はなしについては、昔の訪問記録をプレイバックしての日記が続きましたが、今月7月の5日に久しぶりに奈良に行きました。5月28日の佐保路・不退寺の業平忌以来、一か月以上ぶりの奈良訪問です。この日に訪れたのは東大寺。俊乗堂で営まれる俊乗忌の法要に参加するためです。俊乗忌が営まれる俊乗堂というお堂は、中院と呼ばれる区画に建っています。ここは天平創建時の大梵鐘を持つ鐘楼が威容を誇っていることから“鐘楼ヶ丘”とも呼ばれる場所。行くには大仏殿院東側の猫坂という石段を登ります。
東大寺本坊を後にした小生は、南大門を背に中央参道を大仏殿に向かって歩きました。しかし、次の目的地は大仏殿では無く、大仏殿回廊の西側でした。大仏殿前は多くの参拝者であふれる東大寺ですが、一歩西に入ると、参拝者の数はぐっと減り、あたりは静かになります。その大仏殿院の西側の角に、特別公開を案内する看板が立て掛けてありました。看板に書かれていたのは、『公慶堂特別開扉』。東大寺本坊の特別公開は4月10日~14日までの5日間だったのですが、その中から12日を選んだのは、この公慶堂公開に合わせてだったので
28日、公慶が製作した仏像が当信寺(宮城県白石市)で新たに発見された。仏像は阿弥陀如来像で、全国で6体目の発見。奈良国立博物館の特別展「公慶上人」で来年1月2日から展示されるという。[毎日新聞]●公慶(こうけい)●(1648-1705)江戸時代の華厳宗・三論宗の僧。上人。東大寺の英慶に師事し、東大寺再興に尽力、元禄五年(1692)大仏開眼法要を行うが、大仏殿完成を見ずに没した。現存する大仏殿などはこのときに再建されたもの。(『新潮日本人名辞典』新潮社・『日本史広辞典』山川出版社参照