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奥入瀬渓流を散策した後はもう一度奥入瀬渓流を右に左に見ながら車で走りました。そして八甲田・十和田ゴールドラインへ…途中名所や温泉などもありましたが目指すは八甲田山。雪中行軍遭難者銅像です。この写真は途中の田代平湿原あたりです。今は閉まっていますが、銅像茶屋の駐車場に車を停めて見に行きました。こちらが八甲田山雪中行軍遭難者銅像です。銅像は仮死状態で立ったまま見つかったという後藤房之助伍長。彼の証言で遭難がわかり、捜索が始まったとか。何とも寒々しいところでひっそ
2023年8月13日。(初)【住所】青森県青森市幸畑字阿部野163-79【最寄駅】東青森駅(青い森鉄道)【駐車場】あり※鳥居※手水舎と社務所※拝殿※額※本殿※境内社【創建】不明(7世紀中頃?)【祭神】伊邪那岐大神、伊邪那美大神ほか二十四柱【社格】?【神徳】病気平癒、安産、合格祈願、運気回復など【境内社】曙神社、台風神社阿倍比羅夫の夷賊征討のときに八甲田山麓に山霊を祀ったのが始まりだそうです。南北朝時代に北畠氏によって再興され
9月14日ブログを休んでいた、先週末から14日の今日まで夏休を取りました。うち10日から13日まで、旅の前日だった前回に書いたように「大人の休日倶楽部パス」を使って北東北を周りました。今年は雨に負けることはありませんでしたが、チケの有効期間の4日に計画を収めた苦労は、予報が予報になってない、不安定な天気により「計画は計画」に。次の日の予定は、初回計画をベースに前夜にホテルで作るという、私らしい(?)旅なのでした。周った場所一箇所でシリーズ1本にもできるの
私にしてはブログの更新が早いです(^^)v何故なら又来週、旅行の予定があるから早くこの旅行記を終えないと、という気持ちがあるから。でも心とは裏腹に写真が多くて「めんどくさ~」って思っている部分もあります(;^_^Aとは言っても暇なので何とか最後まで早く書き上げたいと思っていますので、もう少しお付き合いください。さて三日目です。この日も朝早く目が覚めました。と言うか、家にいても毎朝早起きです。そこで朝は5時から開いている大浴場へ。行ったのは5時半くらいだ
雪中行軍遭難の続きです。時間はお昼。不届きながら青森大勝軒へ行こうと考え、後藤伍長の元から北上。昼どきに混んでるラーメン屋は嫌だから、先に八甲田山雪中行軍遭難資料館へ向かうことに。八甲田山雪中行軍遭難資料館明治35年(1902年)1月に起きた陸軍歩兵第五聯隊の「雪中行軍遭難事件」に関する資料館です。当時の時代背景や行軍計画、遭難・捜索の様子を史実に基づいた資料の展示と映像で紹介します。www.moyahills.jp撮影可、ブログ投稿も可、有体に言えば宣伝
やばいよやばいよ‼️あと1週間で43だよ。誕生日だよって事で(どんな事⁉️)週末は誕生日プレゼントデイ。土曜日はここ道の駅と同じ敷地にあるのです!行きたかったので、念願かなって‼️飲み比べを頼みました。私が一番美味い‼️っとなったのはアンバーラガー。ヴァイツェンも美味しかった‼️ペールエールはやや苦味あり。というかね。生ビールが半年ぶりぶり(前回飲んだのは6月)すぎて美味しかったローストビーフは別にパン、ライス、スープの食べ放題を300円でつけた。夫のはすでに炭水化物食べ
こんにちは初めて話題になってた「ヤクルト1000」を見つけまして、早速二人で飲んでみましたそして、いつもの朝を迎えました睡眠の質が良くなったのかどうか??1本ではわかりませんよねあたりまえー後ろ髪を引かれつつ乳頭温泉を後にし、向かった先は……誰か興味あるのか謎なので、サクッと記録として残していきます乳頭温泉から八幡平を抜け、高速に乗り青森へ夫がどうしてもここには行きたいと言っていたところは…八甲田山雪中行軍遭難資料館案内員の方にとても詳しく説明していただけまして、夫と話が盛り上がっ
おはようございます。青森の旅の続きです。鶴田町から青森市へ。八甲田山雪中行軍遭難資料館へ行きました。(9/18)事件を映画化した”八甲田山”がありましたね。高倉健・北大路欣也が出ていた映画。私、見ましたーー。最初は空いていましたが見学者が次々と来ました。ホールに後藤伍長の銅像がありました。これはレプリカだそうです。救助隊
「ご先祖様が誰一人としてかけても、あなたはいない」の意味を改めて実感し感謝する機会となりました。ありがとうございます。自分を大切にします。メルマガに届いた一通のメールに、僕は驚きを隠せませんでした。それは、先日の記事を読んだ方からのもの。小野寺S一貴『ほんの私事ですが~ご先祖さまの話~』ほんの私事(わたくしごと)ですがこれは、りらくさんで連載している僕のコラムのタイトルですが。今日は、本当に私事を呟かせてください。今週の水曜日の朝、暁さん…ameblo.jp
寄り道した「善知鳥神社(うとうじんじゃ)」は、この日は祭礼でした。青森市全体の氏神的存在で、棟方志功が子どもの頃によく遊んだ場所だそうです。次は「棟方志功記念館」へ。校倉造を模した建物と、池泉回遊式の日本庭園が美しい。館内撮影禁止は残念でした。この旅行で最後に寄った所は「八甲田山雪中行軍遭難資料館」でした。史実に基づき歴史資料として展示、解説。建物は、遭難した歩兵第五連隊本部兵舎をイメージしたルネッサンス風。隣接する墓地と少し離れた所にある「雪中行軍遭
蔦温泉旅館をチェックアウトして青森に向かう途中、「八甲田山雪中行軍遭難資料館」に立ち寄りました。映画「八甲田山」というタイトルは耳にしますが、実際は何のことやら理解していませんでした。映像による解説やパネル、展示物によりそのことについて知ることができました。館内をじっくりと見ると30分~1時間弱という感じでしょうか。ボランティアの方が待機していて、館外を案内していただくことも可能なようです。ご興味ある片はこちらもご覧ください!八甲田山雪中行軍遭難資料館明治35年(1902年
8号台風は去った八戸市へArmchairJourney(机上日本一周)PASSO;えっさ80才ナビ;リコ82才138日目(石巻市)から山岳会の旧い先輩瑠璃子押しかけ道中162才になった(138日目)ArmchairJourney(ameblo.jp)岡山県→山陽路→九州時計廻り→山口から日本海北上→北海道時計廻り→青森から太平洋南下→山形からUターン北上Googleマップ←走行ルート図7月29日(木)9.30青森市出発曇台風8号は日本
はじめに私が初めて一人旅をしたのは、20歳の夏のことだ。行き先は青森だった。なぜそんな渋めのチョイスをしたかというと、話は高校生の頃に遡る。仲良くしていた大叔母から、「昔、青森の山で事故があって、えらいたくさん兵隊さんが死んでしまったようだよ。」と聞いたことがあった。その時の会話が妙に記憶に引っかかっていたからだろうか。後日、軍隊の食糧事情を扱った本を読んだ際に、「兵食改善のきっかけになった八甲田山の悲劇」として書かれていた小さな注釈が目に留まったのだった。当時はまだ、気になった言葉を
読書日記145伊東潤❨著❩『囚われの山』[中央公論新社2020年6月発行]雑誌「歴史サーチ」の編集部員・菅原誠一は、特集企画「八甲田山雪中行軍遭難事件」を担当することになった。遭難死した兵士の数が記録によって違うことに気づいた彼は、青森で取材を開始。当時の悲惨な状況を改めて知る。遭難死した兵士数の違いにこだわる彼は、遭難事件の半年後に病死した稲田庸三一等卒に注目。取材のため、地元ガイドの小山田ととともに冬の八甲田に足を踏み入れた、菅原が見たものとは一体――。世にも有名
青森県青森市にあります八甲田山雪中行軍遭難資料館です。昨年の四月下旬に撮影しました。施設内には明治三十五年(1902)1月に起きた陸軍歩兵第五聯隊、「雪中行軍遭難事件」に関する資料館と慰霊の施設があります。時刻は夕方だったので資料館には入館せず、他目的広場を散策しました。慰霊の塔です。慰霊の桜でしょうか。桜の隙間から雪山が見えました。
2月23日、八甲田山雪中行軍資料館へ行きました。明治35年1月に起きた、日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が、青森市から八甲田山に向かう、雪中行軍で遭難した事件に関する資料館。昨日、某映画解説番組でやっていた「八甲田山」をラジオでを聞き、見学する事にしました。後藤伍長の銅像(レプリカ)展示室210名の隊員のうち199名の犠牲者を出したした、惨劇が展示されており、ちょっときつかった。続きましては、津軽三味線会館です。展示室には、津軽三味線のルーツや歴
9月に八甲田山に登ったときの山頂標識。崩れそう…('A`)書いてある字も消えそう…というか、消えてます。現在。いつの間にか新品に!ちょっと見に行ってくる!金曜日有給取って、木曜日の夜の飛行機で行けば、金土は時間をフルに使えるし!11月末くらいなら、なんとか休めそう!…と発作的に青森までの飛行機チケットを予約しそうになりました_(:3」∠)_11月も末になれば、青森は市街地でも雪が積もることがあります。一昨年、11月に青森旅行したら結構ワサワサ降ってきました。八甲田山も、一歩
6/27(木)八甲田山を下り、青森市郊外にある八甲田山雪中行軍遭難資料館へ向かいます。カーナビにはセットしましたが、道路標識を見ながら走っていて気づいたのですが、この資料館ってマイナーなんでしょうか?交差点とか道路上設置されている観光スポット案内がありません。(見落としでしょうか?)ナビどおりに走って到着。確かに訪れる観光客は非常に少なかったです。私が見学してる間に訪れた方は数組しかいなかったです。建物に入っていきなり正面に後藤伍長の銅像のレプリカ。本物
資料館隣の幸畑墓苑どうか安らかに
ゴールデンウィーク旅3日目のおはなし。浅虫温泉を後にしてこの日まず向かったのは八甲田山雪中行軍遭難資料館。むかし、高倉健さんが出演されていた映画『八甲田山』をテレビで観て以来、あまりにも衝撃的な内容だったために忘れることができなくて。。青森を訪れたら一度は資料館を訪れなくてはいけないとずっと思っていました。こちらの敷地のさくらが素晴らしく満開だったんです。資料館に入ると、遭難の経緯などか詳しく展示されていて。受付の方から写真を撮ってもいい
前回の続き「八甲田山雪中行軍遭難資料館」の後、次に向かったのが、「三内丸山遺跡」で、ここまで3~40分くらいかかったか、駐車場に車を止め前方に見えた建物の方に行き入場券を買おうとカウンターで、入場券はいくらですかと言い支払おうとするが、料金はいらないと言うのである。以前九州一周した時に佐賀県の吉野ケ里遺跡に行ったが、あそこは確か200円で、それでも安いと思ったが、ここは料金がいらないと言うのであった。それともうしばらくでガイドさんの案内する時間なので少しお待ちくださいと言うのである。そしてこ
前回の続き館内の説明だが、当時の模様がパネルで紹介されていて、撮った写真を順番に載せてみたが、どれを見ても胸がつかえる思いであった。下記は革靴だが、これは藁沓よりもいいのではないかと思うが、革靴を履いていた人は全員凍傷になったそうで、今思えば革靴は段々と水分を含んでいき、その水分が凍り体温を奪って行き凍傷になったようだ。下記の説明は倉石大尉の後日談だが、特筆は指が凍りズボンのボタンをはずす事ができず、そのまま便をなしたとあるが、これは放尿の事で、手指が凍傷のためにボタンをはずせず、そのまま放尿
前回の続き昨日の「八甲田山」の映画では両部隊が遭遇する作戦行動になっていて、両部隊は互いに対抗心を燃やしたりしているが、これは小説と映画だけで実際には全く違い両隊の行動はお互い全く知らない別行動なのであった。また映画では八甲田山を走破する計画となっているが、青森から出発をした歩兵第5連隊は青森~田代~三本木~八戸へのルートを使った雪中行軍で現在の県道青森40号線を20km先の田代温泉迄の行軍であったが、行軍の途中に未曾有の悪天候に見舞われ遭難をしたのであった。「八甲田山雪中行軍遭難資料館」に
前回の続き酸ヶ湯温泉の後、「八甲田山雪中行軍遭難資料館」に9時半頃に着いたが、駐車場らしき所には車が一台もいなく一般の車がここで止めてもいいのかな?と疑問に思ったが、いいだろうと自分勝手に決め入口の方に行った。入場券を買い展示場に行くと受付の方が付いてきて暫く説明をするのだが、ビデオの電源を入れると此処で終わり受付の方に戻って行ってしまった。ここ「八甲田山雪中行軍遭難資料館」に来たのは今から41年前の昭和52年に「八甲田山」と言う題名の映画を見て感動した事があり、ここにはその資料が展示してい
前回の続き十和田湖前の民宿「根岸屋」を出て、今日はまず「八甲田山雪中行軍遭難資料館」に行こうとナビにセットして出発すると、どんどん高い山の上の方に行くのである。どれくらい走ったか結構走り頂上の様な所に着いたので車を止めたが、そこは岩木山展望所になっていて、前方には岩木山が見えるのである。横には「八甲田除雪隊の歌」「と言う案内看板あったが、ここまで走ってきた道路は青森市から十和田湖を結ぶ「八甲田山、十和田ゴールドライン」と言い、この辺りは名高い豪雪地帯で冬季は積雪のため閉鎖され、春になると除雪
中小・零細企業の売上UPや組織・チームの仕組みづくりで、もっと成長を加速化させたいと、そうお考えの事業主や経営者さまと共に応援日報や研修・講習で売上づくり、組織づくりをご支援する日報コンサルタント、コーチの髙津満夫(コウヅミツオ)です。日々「ビジネス・人間関係」が上手くいく“コミュニケーション・気づき”のブログをお届けしています。ご高覧ください。--------------------------