徳川幕府を打倒した薩摩長州を中心とした明治政府は、西洋の立憲君主制度を真似るため、天皇を立憲君主に仕立てたはいいが、大日本帝国の実体は外見的立憲制度であり、天皇は神聖不可侵にして軍を統帥し、国家無答責の法理により、天皇は政治的法的責任は一切負わず、国の権力行使によって個人が損害を受けた場合においても、国は一切の損害賠償責任を負っていなかった。内閣は天皇にのみ責任を負っていて、臣民には一切責任を負っていなかった。内閣は軍部にも枢密院にも権限がなく、非常に弱く脆い存在であり、明治の“元勲”達が居なく