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5年前の更新を再UPしました。『岩国城3佐々木小次郎銅像など』昨日の続きです。今回は佐々木小次郎銅像からです。「祖先以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名は小次郎と親からもらい、また剣名を"巌流"とも呼ぶ人間は、かくい…ameblo.jp前回の続きです。今回は最終回で日牟禮八幡神社です。八幡堀前にある大鳥居です。左義長祭初日なので飾り付けがされています。夕方の撮影です。江戸時代の古絵図に描かれた日牟禮八幡神社大鳥居が描かれています。下図①から見た神門で
5年前の更新を再UPしました。『岩国城1歴史など』今回から岩国城の紹介です。別名横山城ともいい日本100名城です。2019年2月25日に訪問しました。錦帯橋と岩国城復元天守です。岩国城の位置は左下です。(…ameblo.jp前回の続きです。今回は八幡堀の後編です。白雲橋の上から下図③から④方向です。現在地にある案内板です。(下が北)白雲橋から堀に降りる石段です。④付近に行くと④付近の道から堀に降りる道があります。正面に見える白壁の建物はかわ
前回の続きです。今回は八幡山城の堀として開削された八幡堀です。江戸時代は琵琶湖と繋がる堀でした。江戸時代の絵図です。(上が北)豊臣政権下の天正13年(1585年)、四国征伐で軍功を挙げた豊臣秀次は43万石を与えられ、近江国八幡山に城を築き、城下町を開町します。その際、琵琶湖畔を埋め立て、八幡山周囲に八幡堀を開削します。本能寺の変直後に焼失した、5Km東の安土城の城下から商人や職人を呼び寄せ、碁盤上に区切った城下町に居住区を設けました。堀まで造り安土城の
5年前の更新を再UPしてます。『長浜城と桜5最終回』昨日の続きです。今回が最終回です。天守5階から下りました。長浜城の模擬天守です。左側の玄関が出入り口です。下りる途中で、長浜で一番古い商家の解説がありま…ameblo.jp赤字で大手道解説解説を追記してます。前回の続きです。今回は秀次家臣屋敷跡です。下図S地点から⑩方向です。秀次居館跡虎口です。ここも本丸に似た内枡形です。Sから大手道を下ります。上図⑧から⑦方向は上図⑧から⑦方向です。下図⑥の
5年前のブログを再UPしました。『長浜城と桜2豊公園』昨日の続きです。今回は豊(ほう)公園の桜です。しだれ桜と天守現地の案内地図です。この長浜港からは竹生島への遊覧船が発着しています。竹生島は西国三十三ヶ…ameblo.jp前回の続きです。今回は秀次居館跡です。下図⑥附近から⑦方向です。この付近は庁舎か家臣屋敷跡です。⑦付近から⑬方向は⑦付近から⑬方向です。手前にある解説板を拡大すると解説板です。安土から町人屋敷や寺社も引っ越しして、ここ近
昨日はブログで使用しているPCのHDDをSSDに換える作業をしていたので、更新が遅れました。おかげてPCが早くなりました。Cドライブだったので、かなり難しかったです。以前はうまく行かなかったのですが、今回はうまく行きました。参考にしたユーチュブ動画です。【無料】HDDからSSDへ乗り換える一番オススメな方法【無料ディスククローン】いつもご視聴ありがとうございます!今回は【2023年度最新版】ディスククローンの極意をご紹介します。遅いパソコンはHDDをSSDに乗り換え(換装)ると
5年前の更新を再UPしました。『彦根城の桜3』昨日の続きです。今回は天秤櫓からです。天秤櫓の門です。この門を抜けると天秤櫓の門をくぐったところです下図にある太鼓丸です。天秤櫓内にあった地図です。天…ameblo.jp前回の続きです。今回は本丸村雲御所瑞龍寺門跡後編です。はじめに開山で豊臣秀吉の姉:ともとは豊臣秀吉と豊臣秀長兄弟の姉です。智子(とも:瑞龍院(1534~1625))が亡くなったのは、92歳の時で、江戸幕府も既に三代将軍徳川家光が在位していた頃です。
前回の続きです。今回は本丸にある豊臣秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺です。村雲御所瑞龍寺の唐破風玄関前です。近づくと下図A付近から撮影しました。本尊は三宝尊(法華宗・日蓮宗の本尊。仏・法・僧の三宝を祀るための仏像)です。拝観料600円で拝観しました。本堂のB付近に行くと本尊の撮影許可をもらい撮影しました。創建した智(とも)は実子のない弟:豊臣秀吉の養子に、長男の秀次を出しました。秀次は秀吉の跡継ぎとして、関白になります。しかし、実子の秀頼が生まれま
こんにちは😊しなやかな身体づくりをサポートするフィットネスインストラクターFitnessOZ-オズ酒井です🍀(プロフィールはこちら)一歩一歩進んだら頂上に辿り着く私たちの高校では、卒業生が年代を超えて集まる同窓生の会みたいなモノがあります。その会の関西支部の皆さんで、春の行楽イベントを行いました。お花見も兼ねて、桜のキレイな近江八幡〜彦根を観光する企画。スタートは近江八幡。八幡堀の桜は、ほぼ満開で、観光客もあふれていました。橋の上から、満開の桜がな
5年前にUPした桜の写真です。『桜20191』今回から近所に出かけて撮影した桜写真です。4月5日に撮影しました。逆光で撮影しました。太陽を桜の木で隠しました。これは前回の最後の写真です。逆光で撮影して…ameblo.jp前回の続きです。今回は本丸にある村雲御所瑞龍寺の本堂前です。本丸にある本堂です。今回はこの本堂前庭にあるものです。本丸部分を拡大すると本丸部分には村雲瑞龍寺があります。開山塔からです。開山塔です。瑞興殿(六角堂)です。こ
5年前の更新を再UPしました。『広島城4本丸天守』昨日の続きです。今回は広島城の天守です。下図⑦から天守方向です。先の方に見える石垣は下図⑧小天守台です。現地にある案内板です。(上が北)上図⑩の天守礎石…ameblo.jp前回の続きです。今回は出丸から西の丸に戻り、本丸内枡形までです。下図⑬付近から⑭方向です。赤い線に沿って歩きました。上図⑮付近です。下に見えるのが「お願い地蔵尊」です。⑮付近から見た「お願い地蔵尊」「お願い地蔵尊」です。
5年前の更新を再UPしました。『広島城2二の丸』昨日の続きです。本丸も二之丸も原子爆弾で焼失しましたが、平成6年までに、二之丸の表御門・御門橋・平櫓・多門櫓・太鼓櫓が復元されました。復元された二の丸です。…ameblo.jp前回の続きです。今回は西の丸から出丸です。下図⑥付近の西の丸です。赤い線に沿って石段を下り、出丸に行きます。⑥付近です。ここを下ります。⑦付近に降りると⑦付近まで下りると⑦付近から見た西の丸ののずら積石垣です。⑦からもう少し
前回の続きです。今回は北の丸から西の丸です。下図④付近から⑤方向です。石垣は本丸ののずら積石垣です。現在地にある案内板です。赤い線に沿って歩きました。先に進むと本丸ののずら積石垣の下を歩くと、先の方⑤付近に、八幡山守護の龍神堂が見えてきました。⑤付近の龍神堂です。八幡山守護の龍神堂を新しく建立したそうです。本丸角の石垣が見えます。進むと下の方に西の丸跡が見えます。ここが西の丸址です。西の丸跡です。イベント用ス
5年前の更新を再UPしました。『吉田郡山城6毛利元就墓と一族の墓』昨日の続きです。今回は毛利元就墓と毛利一族の墓です下地図⑮の所に元就自筆からコピーした名前の旗がありました。⑮の左の⑲の所には毛利元就墓への参道があります…ameblo.jp前回の続きです。今回は二の丸から北の丸です。下図①付近から二の丸にある展望館方向です。この反対側は現地の案内板です。上図①から②方向は上図①から②方向です。赤い線に沿って歩きます。下図②の分岐点です。赤線に
5年前の更新を再UPしました。『吉田郡山城4御里屋敷伝承地と清神社』昨日の続きです。今回は御里屋敷伝承地と清神社です。初めに御里屋敷伝承地です下図にある安芸高田少年自然の家です。もとは吉田町の中学校でした。もらったパンフ…ameblo.jp前回の続きです。今回は二の丸展望館から北の丸址二の丸展望館に入ったところです。奥では紹介ビデオが上映されてます。近江八幡の紹介ビデオが見れます。2階の展望資料室に上がります。2階に上がったところです。「恋人たちの聖
追記して再々UPしました。『日本橋ストリートフェスタ2019その14』昨日の続きです。今回は堺筋からオタロードに歩きながらの撮影です。セイラームーンの続きでした。今回は堺筋からオタロードに撮影しながら移動しました。…ameblo.jp2024年再開催の日本橋ストフェスは5月12日です。前回の続きです。今回は日牟禮(ひむれ)八幡宮からロープウエイ乗り場へ下図①の日牟禮神社鳥居です。先の方に八幡堀に架かる白雲橋が見えます。現地にある案内板です。近
今回からは近江八幡にある八幡山城の紹介です。2024年3月15日に訪問しました。第1回目はその歴史です。二の丸展望館から見た風景です。1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦いで、豊臣秀吉が勝利します。1585年(天正13年)の紀州攻めと四国征伐で、副将格として武勲を立てた豊臣秀次は、論功行賞では近江八幡43万石(豊臣秀次は20万石、宿老に23万石)を与えられます。豊臣秀次肖像画です。秀次関連の系図です。兄弟の弟:秀長には女子2人だけで、秀次は秀吉の姉:
続・名城100選シリーズです。令和5年10月のお城巡り、観音寺城,安土城の見学を終えて、昼食抜きなので、まずはお昼ごはんで腹ごなしをと、飲食店を探すことにします。もちろん効率的に動きたいので、次のお城に向か途中で探そうと考えて車を走らせます。しかし。。。のどかな風景が続くだけで何もなし。。。あっと言う間に、目的地に到着してしまいました。続・日本100名城157『八幡山城』駐車場は日牟禮八幡宮の駐車場を使わせて頂きました。駐車場に入口近辺にちらほら飲食店があったようですが、既にラン
有年山城(赤穂市東有年・有年楢原)別名:八幡山城・大鷹山城この城は八幡山城、大鷹山城、有年山城と名を変えて資料に現れる。城主も富田右京から本郷掃部守直頼とかわる。富田氏は赤松御年寄衆の一人で、右京もまたその家臣であった。右京は始め鍋子城に居た。鍋子城はまた大鷹山城とも呼ばれていた。富田右京は鍋子城に三年居城した後、五、六町川上の八幡山城に移った。以来この八幡山城が大鷹山城と呼ばれるようになったようである。現在では誰もが大鷹山と呼んでいる。天文年間(1532~1555)富田右京は有年山城(八幡
『HachimanyamaCastle八幡山城①』朝1で安土の信長さんにご挨拶『NobunagaOda飛び出し坊や』雨降りの中、念願の〜飛び出し坊やこれだけ撮りに来た待受画面は、明智くんから信長くんに変え…ameblo.jp出丸から高石垣を見に下る思わず声が出ちゃった、このview目キラキラ状態これは素晴らしい何枚も撮るこのまま下山するので振り返り振り返り撮った地図もないのに大丈夫だろうかまだ振り返るそれだけ感動したってこと意外と不安感のない
朝1で安土の信長さんにご挨拶『NobunagaOda飛び出し坊や』雨降りの中、念願の〜飛び出し坊やこれだけ撮りに来た待受画面は、明智くんから信長くんに変えるのだameblo.jp戻って参りまして〜お次は秀次さんにご挨拶しに、八幡公園へこの目線の先は〜彼が情熱を注ぎ創り上げた、街並みあとでまた来ることになるのだけれどテンションあがって、石垣撮ってたなそしてロープウェイ乗り場へ片道乗車今回は旅をキャンセルしようと思っていたくらい、やる気もなく家を出たので…ここで真剣に頭に
鍋子城(赤穂市東有年字谷口)別名:谷口城・大鷹山城『播磨鑑』によると「この城には岡豊前守居住す。其後小河丹後守居住し、又その後赤松の家臣富田右京、六町川上、八幡山に城を築いて居住す。浦上宗景が為に亡さる」とある。しかし『岡城記』によると、岡豊前守は赤松の家臣で、矢野荘の地頭として下土井の大田林山に城を築き城主となったとあり、さらに、岡氏13代の城主の事蹟が記されているが、鍋子城の城主になった記録は見当たらない。那波家文書の中に、天正八年(1580)宇喜多氏の所領となった赤穂郡の領主の名が記さ
八幡山城①の続きです15:17北の丸址へ向かいます本丸の石垣大杉秀雲龍振り返り写真北の丸址ハイキングコース山城らしいいい感じの階段が残っていました15:28山門を目指しますテクテク上がると山門が見えてきました村雲御所瑞龍寺門跡山門15:34村雲御所瑞龍寺卍御城印御首題御所印色々あります全部買うと5000ちかくなる写真下は続日
【問題】八幡山城(滋賀県近江八幡市)本丸跡にある瑞龍寺は、別名何と呼ばれるか?【選択肢】半龍院村雲御所次天山孔悠堂【正解】村雲御所【解説】自害した豊臣秀次の菩提を弔うため、母である日秀尼は京の村雲(むらくも)に瑞龍寺を創建した。このことから、昭和に入って八幡山城本丸跡に移された後も、同寺は村雲御所と呼ばれる。
テーマ:続日本100名城八幡山城2回目の登城となる八幡山城を攻略します前回は2023年2月8日で半年ぶりの攻略となります。『八幡山城①・続100名城』テーマ:続日本100名城八幡山城続日本100名城78番目のお城です2023年1城目の新規攻略続日本100名城になります新規攻略はワクワクしますね続…ameblo.jpその時はロープウェイが運休で本丸まで行けなかったので、その攻略と御城印を入手します2023年8月10日14:25それではスタ
会津藩酒屋陣屋に訪れた後に来たのが古津八幡山古墳。来た理由はまだ『おもだかや』が開店前だったからなのですが、せっかくだからと新潟県埋蔵文化財センターに寄った後に訪れました。小雨が降ったり止んだりする天気でしたが、雪が全く無かったので登ってみる事にしました。古津八幡山古墳は新潟県最大の古墳で、最高所にある円墳は直径60メートルあります。1~3c頃の弥生時代高地性環濠集落として機能しており、標高は50m位の所に作られています。昔は古津八幡山古墳は八幡山城と言われていて、中世の山城と思わ
近江八幡お堀めぐりとロープウェイ‼️この前、信長館と安土城郭資料館行ってきましたが近江八幡にもいきたいなと思ってました八幡掘にやってきました城のお堀(八幡堀)と琵琶湖と繋いでいます風情がありますね八幡掘りめぐり和船「あきんどごう」5台ほどありましたさっそく乗せてもらいます八幡掘りをゆっくり進んでいきますこの船は他の会社の八幡掘り巡りです八幡掘り進んでいきますと時代劇のロケ地が出てきます昔の街並みを見ながら船が進んでいきます途中素敵な雰囲気のお茶屋さん
『母子パッカーがゆく2023⑤~飛騨·越前編~』『母子パッカーがゆく2023④~飛騨·越前編~』『母子パッカーがゆく2023③~飛騨·越前編』『母子パッカーがゆく2023②~飛騨·越前編~』『母子パ…ameblo.jp7月30日(月)彦根、近江八幡朝から出掛けていないから、部屋に鍵置いて勝手に出てっていいよとKENさんが言うから、7時に勝手にチェックアウト。河毛駅の浅井&お市の像姉川の戦い織田·徳川vs朝倉·浅井浅井が裏切った金ヶ崎の戦いの、織田信長の報復戦。じいさんば
ラストですロープウェイは運休だし、登城しても御城印は入手できないので次回として、八幡公園にある豊臣秀次像を目指します8:15運休です8:22階段を上がるとすぐにおりました豊臣秀次像色々な像を見てますが、山形城の最上義光、江戸城の楠木正成、に匹敵する、かっこよさですしかも馬に乗っていないのでマジ凄いです八幡の町を見下ろしています御城印の販売があればここを登る予定でしたトイレ8