作家司馬遼太郎は「街道をゆく~豊後・日田海道」で日田について語っている。曰く、日田は江戸期において三万二千石の天領地であった。天領地は江戸期を通じて凡そ四公六民の税負担率が守られたので、大名や旗本の領地と比較して、天領地の農民の生活には余裕があった。また日田は江戸時代後期に全国から書生が集まる有名な私塾、咸宜園があった場所でもある。漢学書生が街を闊歩していたために、土地で使われる言葉にも漢音の影響があったのではないかと推測した。例えば「日田は水郷です」という場合の水郷はひたではスイキョウと発音す