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高校受験を前にした中学3年の夏に買ったのがクリフ・リチャードの“サマー・ホリデイ”と今回紹介するこの盤日本ではこの♪がヒットして彼等が知られるようになりましたビーチ・ボーイズで♪サーフィンU.S.A.(63年・全米3位)とB面収録・♪シャット・ダウン(同23位)をどうぞ~*当初記事17-10-22を修正再アップ
R&Bの書庫でと思っていた1曲ですが邦題タイトルが・・・そこでこちらにしましたシカゴ出身のR&Bグループチ・ライツで♪恋はつめたく(71年・全米3位)を聴いてください彼等について詳しくは知りませんので省略します。*当初記事16-3-28を修正・再アップ
バンドについて少しだけ・・・ロンドン生まれのアラン・パーソンズはピアノ・ギター他楽器が得意で学生時代にはバンドを組むなどしていたその後EMIに就職アビーロード・スタジオではビートルズなどの録音に携わっている74年にヴォーカリスト&キーボード奏者のエリック・ウルフソンと出会いアラン・パーソンズ・プロジェクトを組み次々にアルバムを発表その結果76年から86年までの間に全米HOT100に17曲を送り込みそのうち7曲がTOP40入りのヒットを記録し
59年の“スージー・ベイビー”のヒットから70年の“スウィート・スウィートハート”まで38曲を全米HOT100にランク・インさせたのがボビー・ヴィーでした特に60年代には日本でもお馴染みの“天使か悪魔か”“ラバー・ボール”“サヨナラ・ベイビー”やこの♪燃ゆる瞳(63年3位)“素敵なカムバック”などなんと36曲がランク・インするほどの人気シンガーでしたそうそう後にカーペンターズがアルバム「N
いきなり始まるイントロの・ベースに引き込まれてお気に入りの1曲になったのがシュガーローフの♪グリーン・アイ・レディ(70年・全米3位)でした彼等についてはジャケット解説以上のことは知りませんのでそちらをご参照ください。*当初記事15-12-19を修正・再アップ
彼等のシングル・ヒット曲紹介も残すところ6曲となりましたが今回は73年の最初のヒット・チューンを紹介します7枚目のスタジオ・アルバム「サイアン」収録曲で全米3位の大ヒットでしたスリー・ドッグ・ナイトの♪シャンバラとB面の♪僕たちのB面を楽しんでください。*当初記事18-11-22を修正・再アップ
ブルー・アイド・ソウルの代表的な2人組として“ふられた気持ち”(64年・全米・全英1位)“引き潮”(65年・全米5位・全英48位)“アンチェインド・メロディ”(65年・全米4位・全英14位)や“ソウル・アンド・インスピレーション”(66年・全米1位・全英15位)など多くのヒットを飛ばしたことで知られているライチャス・ブラザースの♪ロックン・ロール天国(74年・全米3位)を楽しんでください。
最初の全米No.1ヒット(56年)“ハートブレイク・ホテル”から69年の“サスピシャス・マインド”まで18曲が全米1位に輝いたエルヴィス77年に亡くなるまでの20年余りで全米TOP5入りした曲でも32曲になります紹介するこの曲は惜しくも63年・3位にとどまりましたが日本でも人気の1曲エルヴィス・プレスリーの♪悲しき悪魔をOfficialAnimatedVideoで楽しんでください。
ディオンとベルモンツの3人組で57年にデビューして61年の“浮気なスー”のヒット(全米1位・全英11位)で人気を得る日本ではダイオンとも表記された彼の63年・全米3位のヒット曲♪悲しきおもかげを楽しんでください。LoversWhoWanderProvidedtoYouTubebyUniversalMusicGroupLoversWhoWander·DionTheCompleteLaurieSingles℗ACapito
今回紹介するのは76年5月にリリースされた2枚目のシングルで“オール・バイ・マイセルフ”と同じくファースト・アルバム「サンライズ」収録ただしヒットしたのは彼の盤でなくショーン・キャシディのカバー盤(77年・全米3位)でしたなので今回は二人のバージョンを聴いてください合わせてB面の♪エブリシングと楽しんでください。*当初記事19-7-14を修正・再アップ
“燃ゆる瞳”(62年・全米3位)以来久々の全米TOP5ヒットとなったのがこの曲でした67年6月リリースボビー・ヴィーの♪素敵なカム・バック(67年・全米3位)を聴いてください。(67年10月発売)ComeBackWhenYouGrowUpProvidedtoYouTubebyUniversalMusicGroupComeBackWhenYouGrowUp·BobbyVeeComeBackWhenYouGrowU
1957年にソロ・デビューしますが発売したシングルはいずれも不発その後カメオ・レコードと専属契約し59年にリリースした“キッシン・タイム”(全米11位)のヒットにより一躍ティーン・アイドルに続く“恋のかぞえ歌”(59年・6位)翌60年には“燃ゆるバカンス”(2位)"ヴォラーレ”(4位)と立て続けにビッグ・ヒットを連発し60年代前半には28曲をTOP100にチャート・インさせていますしかしそんな彼もBritishInvasion=時代の流
今回紹介するのは1943年7月カリフォルニア生れのボビー・シャーマンです64~66年の2年間ABC-TVの音楽番組“Shindig!”のレギュラー・メンバーでしたのでミュージックVideoで若き日の彼を観たことがあるのでは?その後のTV番組(68~70年)で人気者になった彼はその勢いを味方にレコード再デビューしこの曲で成功を掴み取りましたボビー・シャーマンの♪リトル・ウーマン(69年・全米3位)とボブ・ディランをカバーした♪いつもの朝
ジャンとディーンの一番のヒット曲は63年・全米1位になった“サーフ・シティ”ですが日本では今回紹介するこの曲でした(65年4月発売)64年6月リリース・全米3位♪パサディナのおばあちゃんをB面♪アナハイム・アズナ・アンド・クカモンガと合わせて聴いてください。Jan&Dean-TheLittleOldLadyFromPasadena&SidewalkSurfing(TheT.A.M.I.Show1964)Jan&
OneHitArtistの書庫で紹介してもよかったかも知れませんねビートルズ旋風が吹き荒れる直前の64年1月初めに最高位・全米3位を記録しています(デヴィッド・ゲイツ作品)そして爽やかでキュートな歌声とタイトルの新鮮さ?から日本でも結構ヒットしましたが邦題のタイトルの凄いこと~(笑)マーメイズ♪恋のドライブ・インを楽しんでください。*当初記事2015-3-30を修正
60年代のサーフィン・ホッド・ロッド・ミュージック流行の中でビーチ・ボーイズと並び欠かすことのできない二人組です“サーフ・シティ”(63年・全米1位)“デッド・マンズ・カーヴ”(64年全米8位)など58年の初ヒット以降66年までにHOT100ヒットを26曲(内TOP40が14曲)を放っています(デッド・マンズ・カーヴ=危険なカーヴ)ジャンとディーンの♪パサデナのおばあちゃん(64年・全米3位)をT.A.M.I.S
今回はエリック・バードンとアニマルズでなくエリック・バードン・アンド・ウォーです♪スピル・ザ・ワイン(70年・全米3位)と♪魔法の山を聴いてください。EricBurdon&War-SpillTheWineEx-AnimalEricBurdonunddieamerikanischeFunk-BandWarmitihrerHit-Single"SpillTheWine"live
彼等の特徴である美しいハーモニーとブライアンのファルセット・ボイスを生かしたビーチ・ボーイズ・サウンドの全米的な大ブレイクにつながった最初の大ヒット曲ただしこの曲はチャック・ベリーの“スイート・リトル・シックスティーン”(58年)のメロディに歌詞をサーフィン・サウンドに合わせ書き換えた作品でしたビーチ・ボーイズの♪サーフィン・U.S.A.(63年・全米3位)を64年のTAMIShowでの映像と合わせて楽しんでください。
昨日(21-9-12)はゲイリー・ルイスとプレイボーイズ先月(21-8-13)はダン・フォーゲルバーグそして8年前(13-9-16)にバリーとタマレーンズと3つのカバー・バージョンを紹介した♪悲しき雨音(63年・全米3位)をご本家カスケーズで聴いてください。
65年の「クライング・イン・ザ・チャペル」(全米3位)以来4年振りの全米TOP10ヒットとなったのが69年4月にリリースされたこの曲でした(69年8月発売)シカゴの黒人貧困層が居住していた「ゲットー」をテーマにしたプロテスト・ソングで作曲したのは72年に「愛は心に深く」のヒットで知られるマック・デイヴィス(全米1位)エルヴィス・プレスリーの♪イン・ザ・ゲットー(69年・全米3位)とB面の♪エニー・デイ・ナウを合わせて楽しん
オーストラリアのポップバンドで母国では70年代から人気がありました80年に「ロスト・イン・ラブ」(全米3位)がヒットすると米国でも人気が出て80年代に13曲のTOP100ヒットを放ちましたこの曲は82年6月にリリースされて全米5位・AC1位のヒットを記録していますが日本では彼等の一番のヒット曲だと思います(オリコンチャート1位)エア・サプライの♪さよならロンリー・ラブをMusicVideoで楽しんでください。
先日映画「ムーンライト」(2016年公開)を観ていたらラストに近いシーンで懐かしいこの曲が流れてきて映画とは別にチョットうれしい気持ちになりました因みに映画は第89回アカデミー賞で8部門にノミネートされて作品賞・助演男優賞・脚色賞の3部門受賞作品でしたバーバラ・ルイスのハロー・ストレンジャー(63年・全米3位)を聴いてください。
50年代終わりから60年代前半にかけてヒットを放ち全米TOP100に9曲を送り込んだのが歌手で俳優だったジミー(ジェームス)・ダーレンですアカデミー賞を受賞した映画「ナバロンの要塞」(61年)やTV番組「タイムトンネル」(67年)で彼を観た方もいるでしょうその彼の一番のヒット曲が♪恋も涙もさようなら(61年・全米3位)でした。
つい先日(10月11日)エルヴイス・プレスリーで「キス・ミー・クイック」とあわせてこの曲のオリジオリジナルを紹介しましたが本家エルヴィスを凌ぐ大ヒットを飛ばした彼のカバーを紹介します(64年・全米3位)テリー・スタッフォードで♪サスピション(恋のおもわく)を64年3月アメリカン・バンドスタンドでの映像と合わせて楽しんでください。
どちらも62年5月にリリースされたアルバム「ポット・ラック(わが友エルヴィス)」収録曲英国(14位)欧州では別のカップリングで63年にシングルリーリースされていますが米国では64年4月にこのカップリングでリリースされています理由はB面の「Suspicion」をテリー・スタッフォードがカバーして全米3位のヒットとなったことにあると思いますエルヴイス・プレスリーの♪キス・ミー・クイック(64年・全米34位)と♪うたがい(全米103位)の
今回のマドンナはサード・アルバム「トゥルー・ブルー」(86年6月)から「リヴ・トゥ・テル」(3月)「パパ・ドント・プリーチ」(6月)に続き86年9月にシングル・カットされて全米3位・ダンス・クラブ・ソング6位のヒットになったこの曲です♪トゥルー・ブルーをOfficialMusicVideoで楽しんでください。
57年全米3位のヒット曲これ以上の説明は不要と思いますので57年12月1日のEdSullivanShowでのLive映像とジャケ解説で楽しんでください57年9月リリースバディ・ホリー&クリケッツの♪ペギー・スゥをどうぞ。
ウォーカーブラーザース解散後ゲイリー・ウォーカーが日本での人気が冷めないうちに自らのバンドを組み一儲けしようと企画されたのがゲイリー・ウォーカーとレインでそのアルバム「GaryWalker&TheRainAlbumNo.1」(68年)から最初のシングルがこの♪スプーキーでしたクラシックス・フォーが放った68年全米3位のヒット曲をカバーしたもので当時の日本では本家盤よりもこの盤に軍配が上がったと思います。
当時米国では人気のシンガーで多くのヒットを持つブレン・リーだからですが日本盤も2か月か3か月に1枚のペースで発売されていました61年10月にリリースされた♪フール・ナンバー・ワンは全米3位のヒットとなりB面の♪恋のきずあとも31位にランキングされました(日本盤62年1月発売)
74年12月リリース・アルバム「ハード・ロック野郎」からのファースト・シングルでしたオリジナルはソウル・ブラザーズ・シックス(67年5月・全米91位)だそうですが知らないグループでしたむしろ94年にヒューイ・ルイスとニュースがカバーしておりそちらは聴いていました(全米44位AC7位)グランド・ファンク・レイルロードの♪オー・ワンダフル(全米3位)をMusicVideoと合わせて楽しんでください。