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今日も石川県は天気が悪い。昨日よりも天気が悪い。ときおり強い雨が降り、体が冷え、ハードな道行となった。(石川県加賀市全昌寺)山中温泉を出て、曽良が、よもすがら秋風聞くや裏の山と詠み、芭蕉が、庭掃きて出でばや寺に散る柳と詠んだ、加賀市の「全昌寺」へ。雨が強く、ここは一度、拝観したことがあるので、曽良が詠んだ「裏山」を眺め、そそくさと通過する。(福井県あわら市吉崎御坊)そして…いよいよ私の旅も「福井県」に入った。西行が詠んだ「汐越の松」は今
2023(第38回)石川国文祭連句の祭典に参加して2023(R5)年10/28・29と石川県加賀市で開催された第38回石川国文祭連句の祭典に参加しましたので、簡単にその記録を残しておきます。10/28(土)吟行会と交流会松尾芭蕉とゆかりの地を巡る吟行会が、13:30~加賀温泉駅からバスで>山中温泉芭蕉館(同じ名前の振出竿があったのには驚いた。)>あやとりはし>蟋蟀橋(紅葉も綺麗であった。)>全昌寺(五百羅漢は壮観であった。)>とあり、18:00~交流会(ホテル・アローレ
昨日は「新選組史再考第21回朝廷参預&野口健司の切腹」のオンライン講座でした。ご参加の皆さま、ありがとうございましたさて7月の岐阜の旅のラストです。初回はこちら『岐阜旅1夜行バス』珍しく(そうメッチャ珍しく!)体調を崩していた珠里です。やっと復活明日は「新選組史再考20松本捨助に託したもの」の対面講座ですご参加の皆さま、宜しく…ameblo.jp前回はこちら『岐阜旅12大垣市郷土館』一昨日・昨日と、続けて映画を観に行ってきた珠里です。映画館
大垣城から約…2キロ全昌寺へ全昌寺【ぜんしょうじ】慶長年間(1596~1615年)に近江膳所藩主・戸田氏鉄(とだうじかね)の正室・大誓院(徳川家康の姪)が叔父・戸田甚五郎の菩提を弔うために開いたのが始まりと伝えられています。当初は現在の滋賀県大津市にありましたが、1617年に氏鉄が摂津尼崎藩に移封となり移転、1635年に大垣藩に移封された際に、2派に分かれ(大垣)全昌寺として創建しています。鐘楼門の前には「不許葷酒入山門」と刻まれた戒檀石がありましたぁ全昌寺は曹洞宗のお寺さん
明日は「新選組史再考第21回朝廷参預&野口健司の切腹」のオンライン講座です。ご参加の皆さま宜しくお願いいたしますさて7月の岐阜の旅、番外編を挟んでの続きです。初回はこちら『岐阜旅1夜行バス』珍しく(そうメッチャ珍しく!)体調を崩していた珠里です。やっと復活明日は「新選組史再考20松本捨助に託したもの」の対面講座ですご参加の皆さま、宜しく…ameblo.jp前回はこちら『岐阜旅9全昌寺3市村家墓所』一昨夜、会津から帰宅しました。「お秀茶屋」
7月の岐阜の旅レポの続きですが、市村家墓所をご紹介したので、ここで番外編。『岐阜旅9全昌寺3市村家墓所』一昨夜、会津から帰宅しました。「お秀茶屋」がなんと臨時休業というアクシデントはあったものの、初めて訪れた場所もあり楽しんで参りましたまた追々にblogアッ…ameblo.jpこちらの記事で、鉄之助の墓碑があった、と書きました。『岐阜旅7全昌寺1』7月の岐阜の旅への続きです。初回はこちら『岐阜旅1夜行バス』珍しく(そうメッチャ珍しく!)体調を崩し
一昨夜、会津から帰宅しました。「お秀茶屋」がなんと臨時休業というアクシデントはあったものの、初めて訪れた場所もあり楽しんで参りましたまた追々にblogアップもしていきたいと思います。さて、本題は7月の岐阜の旅への続き。初回はこちら『岐阜旅1夜行バス』珍しく(そうメッチャ珍しく!)体調を崩していた珠里です。やっと復活明日は「新選組史再考20松本捨助に託したもの」の対面講座ですご参加の皆さま、宜しく…ameblo.jp前回はこちら『岐阜旅8全昌寺2
本日は「新選組史再考第21回朝廷参預&野口健司の切腹」の対面講座です。ご参加の皆さま宜しくお願いいたしますさて、本題は7月の岐阜の旅への続き。初回はこちら『岐阜旅1夜行バス』珍しく(そうメッチャ珍しく!)体調を崩していた珠里です。やっと復活明日は「新選組史再考20松本捨助に託したもの」の対面講座ですご参加の皆さま、宜しく…ameblo.jp前回はこちら『岐阜旅7全昌寺1』7月の岐阜の旅への続きです。初回はこちら『岐阜旅1夜行バス』珍
7月の岐阜の旅への続きです。初回はこちら『岐阜旅1夜行バス』珍しく(そうメッチャ珍しく!)体調を崩していた珠里です。やっと復活明日は「新選組史再考20松本捨助に託したもの」の対面講座ですご参加の皆さま、宜しく…ameblo.jp前回はこちら『岐阜旅6展望台と南インド料理』先日、根津美術館へ行って参りました現在企画展「甲冑・刀・刀装具光村コレクション・ダイジェスト」を開催中。ご興味ございます方は、10月15日までですまた噂…ameblo.jp2日目
本日は、自分の関係する公民館のバス旅行、というよりバス遠足(大人の遠足)でした。コロナウイルス感染拡大のためこの3年間は中止せざるを得なかったが今年は、4年ぶりでの実施となった。コロナ禍前は、県外へ出かけていたが、今年は、5類に移行になったとはいえ、まだまだ収束には至っていないことから遠出は避けて、加賀市を観光することに。予定通り、9時50分にバス2台で出発する。最初の見学場所は、当初の行程表では全昌寺になっていたが駐車場の都合で石川県九谷焼美術館になる。こちらは、
一昨日、無事に岐阜から帰宅いたしました。今回は初の夜行バスを利用。なかなかに面白い体験を致しましたまたいずれ追々に、記事にしていく…予定気長にお待ちいただければと思います。今回の旅のメインは、市村家のお墓参り。墓前に手を合わせることができ、本当に良かったご住職さまが墓地内をご案内下さって、たくさんお話して下さり市村家の墓前にては読経も、その後自らお抹茶を点てて頂いて感謝してもしきれません鉄君に関して、「そうだったのですか!?」というお話も。次の講座
全昌寺熊谷山全昌寺にやって来ました。拝観料は大人500円です。駐車場は大型なら3台、乗用車なら10台置けます。地蔵菩薩像芭蕉が実際歩いた場所とされています。その時読まれた俳句があり、こちらは芭蕉の自筆です。「庭掃て出でばや寺に散る柳」芭蕉奥の細道の1節のを解説して書いてありましたが、全然わからないので現代風に解説されているのがこちらの石になります。
2022.4.9①旧開明小学校から世界の貯金箱博物館に行くまでの道は、寺町のようで、道沿いには雰囲気のある寺の街並みが残されています。②③=桃源山全昌寺=創建慶長年間(1596年-1615年)開基戸田甚五郎本尊釈迦如来宗派曹洞宗全昌寺の創建は、慶長年間(1596年-1615年)に膳所藩主戸田氏の菩提寺として戸田甚五郎が、膳所桃木原(現:大津市)に建立したもので、1617年(元和3年)に戸田氏鉄が尼崎藩主として入封された際に、随伴した僧の雪山呑秀によりこの地に再建されま
大覚寺からの続きです兵庫県尼崎市寺町【法園寺】字が小さ過ぎて読めなーい兵庫県尼崎市寺町【甘露寺】兵庫県尼崎市開明町大本山【本興寺】参拝綺麗な空模様桜が咲いてました開山堂画像お借りしました兵庫県尼崎市開明町【全昌寺】魚藍観音堂(月舟宗胡筆の扁額)金勝大神鐘楼櫻井神社へテクテク続きます今回の尼崎参拝地図↓ここまでご覧頂きありがとうございます良いときをーー
『おくのほそ道』第44回「全昌寺」(ぜんしょうじ)(芭蕉が泊まった全昌寺)(大聖持元禄二年八月七日)第44回「全昌寺(ぜんしょうじ)」(原文)大聖持(だいしょうじ)の城外、全昌寺(ぜんしょうじ)と云う寺に泊る。猶(なお)加賀の地なり。曾良も前の夜此の寺に泊りて、終宵(よもすがら)秋風聞くや裏の山(曾良)と残す。一夜(いちや)の隔(へだ)て、千里に同じ。吾(われ)も秋風を聞きて衆寮(しゅうりょう)に臥(ふ)せば、曙(あけぼの)の空近う、読経
美濃路歩きは、JR大垣駅前からです。大垣は大垣藩10万石の城下町。歴史と文化が栄えたことから、和菓子屋さんが目につきました。大垣名物といえば「槌谷の柿羊羹」と並んで「金蝶饅頭・金蝶園饅頭」というのがあります。「金蝶饅頭」というのは酒元饅頭なのですが、それがややこしいのです。よそ者の私にはよくわからないので、以下の説明に間違いあるかもしれません。まず、「元祖金蝶製菓総本家(金蝶園総本家本店)」というお店が駅前にあります。寛政10年(1798)創業の老舗です。2代目が京
加賀市大聖寺には越前との国境付近であった場所に、大聖寺藩が意識的に寺社を集めた山ノ下寺院群、7寺院、1神社があります。浄土真宗の寺は城下の町中に、曹洞宗、日蓮宗、法華宗、浄土宗の寺は寺院群に移されたそうです。訪れた4ヶ所目は、全昌寺(ぜんしょうじ)、こちらは曹洞宗のお寺でした。松尾芭蕉が立ち寄ったことでも有名なお寺で、境内には句碑がありました。そして何と言っても「五百羅漢像」は見る価値があり圧倒されますよ。
こんにちは(^-^)今回は、先日の続きで、石川県加賀市大聖寺にあります全昌寺に行った時の続きの風景を載せたいと思います【熊谷山全昌寺本堂】全昌寺は芭蕉と曽良が山中温泉で(約4カ月間も共にした奥の細道の旅の途中で)別れたあと、一日違いでそれぞれ宿泊したお寺です。又、山中温泉で芭蕉と曽良が7泊8日した旅館泉屋の菩提寺でしたとても広々としていて、綺麗な畳と回廊を歩くと、芭蕉の木像や西国三十三観音堂なども観てまわれました。色々と感動して観てまわり、写真を撮るのを
こんにちは(^-^)今回は、先日の続きで、石川県加賀市大聖寺にあります全昌寺の境内、羅漢堂を拝観させていただいた時の様子を載せたいと思います【羅漢堂】熊谷山全昌寺の境内に、羅漢堂があり、五百羅漢像が安置されていましたお堂に入って、正面に釈迦三尊、四天王、十大弟子がいらっしゃいましたので、拝観させて頂きました【五百羅漢像】五百羅漢像が壁面に、ずらりと安置されていましたこのように、色彩豊かな仏像を拝見するのは初めてで、お顔も喜怒哀楽が
こんにちは(^-^)今回は、先日載せました、石川県加賀市大聖寺にあります全昌寺の境内の様子を載せたいと思います【熊谷山全昌寺本堂】全昌寺の境内は、芭蕉塚や曽良の句碑を建てた俳人の句碑などありました境内は広く、綺麗に手入れされていて、風情ある庭園のようでした【左:九山句碑右:全昌寺、芭蕉句碑における深田久弥作・全句】【全昌寺にかかわる奥の細道の一節】【奥の細道の一節芭蕉直筆】【二宮木圭(ふたみやぼくけい)の句碑】二宮
こんにちは(^-^)今回は、俳人松尾芭蕉が奥の細道で旅した地、石川県加賀市大聖寺にあります全昌寺の風景をご紹介したいと思います【熊谷山全昌寺】全昌寺は金沢藩、大聖寺藩の奥女中、武士、町人などの寄進により、1867年に完成したそうです。517体の仏像、五百羅漢が現存していることや、芭蕉と曽良が宿泊したお寺でも有名です【全昌寺説明書き】境内には芭蕉、曽良の句碑、他俳人の句碑が建立されていました広々としていて、手の入れられたとても綺麗な
甘露寺___________________________専念寺___________________________善通寺___________________________全昌寺
再びバスを乗り継ぎ大聖寺へ大聖寺といってもお寺はありませんレンタサイクルで回りますまずは菅生石部神社続いて全昌寺五百羅漢次は電車で動きます
【原文】大聖寺(だいしょうじ)の城外、全昌寺(ぜんしょうじ)といふ寺に泊まる。なほ加賀の地なり。曽良も前の夜この寺に泊まりて、よもすがら秋風聞くや裏の山と残す。一夜(いちや)の隔て、千里に同じ。われも秋風を聞きて衆寮(しゅりょう)に臥せば、あけぼのの空近う、読経声澄むままに、鐘板(しょうばん)鳴りて食堂(じきどう)に入(い)る。今日は越前の国へと心早卒(そうそつ)にして堂下に下るを、若き僧ども紙硯(しけん)をかかへて、階(きざはし)の下(もと)まで追ひ来たる。をりふし庭中(て
大垣へ来た目的地へ到着変わった建物ですね全昌寺初代大垣藩主、戸田氏鉄の室、大誓院(家康の姪)がその叔父の戸田甚五郎の菩提を弔うため、摂津尼崎に建立したのを濫觴とする。戸田氏が大垣藩へ移された際に大垣で新たに創建されたものであり、尼崎の全昌寺は本院にあたる。写真左側の本堂の扉を開けて中へ入ってご参拝だーーーーーれもいませんでした噂には聞いていた・・・セルフ御朱印、初めてですスタンプが置いてあり、私よりも前に来た方が置いていったのか、お心300円がぽつん
写真を撮影する楽しみと難しさを体感する夜間撮影兵庫県尼崎市全昌寺除夜の鐘CanonEOS6DSIGMA135mmF1.8DGHSM一年の内に撮影チャンスは12月31日の一日だけ!!これは除夜の鐘を撮影しに行かねば!!と電車に飛び乗って尼崎に行きました。寺院の梵鐘を撞き煩悩を除くべし(´∀`)住職さんも気合をいれて参拝する人を清めていました。黄金聖闘士ばりにピカピカに輝く仏前の間もの凄く綺麗でした。これだけ暗い条件で夜間撮影する事で夜