ブログ記事18件
7月1日盛岡市の御所湖はつなぎ温泉のホテル大観さんに宿泊『そばっちダヨーー!!』とは喋らないけどねさぁバイキング会場へ誰も並んでいない入ったら二組目でしたほぼ貸切状態その後、ぞろぞろいらっしゃいました夕飯です盛岡冷麺も取ってきたよこちらは宮古サーモン美味しかったよデザートもバニラアイスにプチシュークリーム乗せてみたお部屋に戻ったらキレイな岩手山にまたまた感動今回は本当にみんな顔出してくれた青森県の岩木山岩手県の岩手山そしてまだブログアップ前ですが福島県の磐
滝観洞天の岩戸の滝↑からの続きです。滝観洞の蓄積ダメージをホテルで癒し翌朝・・・(結局ホテルで17時間過ごしましたw)よーし、今日は雨が降ってないぞ♪ずぶ濡れだった靴も部屋にあったドライヤーで乾かし準備万全!朝食バイキングを食べていざ出発!あぁ~今日でこのノート君ともお別れかぁ。。私はトヨタ派なので、最初「何だよ!日産車かよ!」と思ったのですが、このノート、燃費もいいし意外にいい車でした。何しろ4WDなので雨の中の山道も心強かったです。で、本日最終日の予定は・・・
乗客・乗員162名全員が亡くなった全日空機雫石事故から53年が経ちました。事故当時、地元岩手県の消防団員で現地入りした伯父(親父の兄)から、話を聞かされてショックを受けた事、ハッキリ覚えています。看護学校の学生さんまで関わったのですよ。とにかく、バラバラになったご遺体を縫い合わせて、ご家族の元に返そうと。。。でも、なかなか合わなくて、大変だったそうですよ。夏休みになると思い出します。日航機墜落事故(日本航空123便墜落事故)とともに。空の安全を祈っております。犠牲になられた162名
全日空機雫石衝突事故ジェットルートJ11L(ジュリエットワンワンリマ)全日空機雫石衝突事故1971年https://youtu.be/V4ISL-QMYr1971年7月30日。全日空機雫石衝突事故。夏休みになると思い出します。この年の7月は、墜落事故が続いてしまいましたね。ばんだい号墜落事故1971年7月3日に函館空港(北海道函館市)に着陸直前であった東亜国内航空の
光といろいろ落下してるところ目撃家に帰るまでそれがそうだったとか思いもしなかったけど昭和46(1971)年7月30日さ起こっだ、全日空の旅客機ど自衛隊の戦闘機が岩手県雫石町の上空で空中衝突しだ『全日空機雫石衝突事故』がら今日で52年だなっす。—わらしちゃん(@warashichan_pnk)July30,2023旅客機が墜落しだ場所は「慰霊の森」がら「森のしずく公園」さ名前が変わったども、慰霊や追悼の場所さは変わりねがんすがら、悪ふざけをしていい場所では決してねがん
全日空機雫石衝突事故ジェットルートJ11L(ジュリエットワンワンリマ)全日空機雫石衝突事故1971年https://youtu.be/V4ISL-QMYrM事故機です。ボーイング727-200型機、機体番号JA8329夏休みになると思い出します。小学生の頃、夏休みになると、亡き親父の故郷、岩手県八幡平市へ行き、約一ヶ月間、過ごしていました。初めて訪れた時、雫石事故の直後で伯父
全日空機雫石衝突事故1971年https://youtu.be/V4ISL-QMYrM全日空機雫石衝突事故全日空機雫石衝突事故(ぜんにっくうきしずくいししょうとつじこ)は、1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計16
盛岡市と田沢湖の中間に位置し、観光名所の小岩井農場があることで知られる岩手県岩手県雫石町。(下地図・中央)若い方ならスキー場を連想されるでしょうが、私と同じ昭和世代の方なら、おそらく全日空機雫石衝突事故を思い出すのではないでしょうか?あの日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故が起きる前までは、死者162名という国内最大の犠牲者を出したこの航空機事故が起きたのは、今からちょうど50年前の今日・1971(昭和46)年7月30日のことでした。同日午後1時25分、全日空5
1985年8/12に起きた日航機墜落事故日航機墜落事故追悼のニュースは見ましたが全日空機雫石衝突事故のニュースはやはり見なかったなと。1971年7月30日に起きた全日空機雫石衝突事故ニュースみていましたが…やはりなかったなー。いつだったか、日航機墜落事故の追悼のニュースで、全日空機雫石衝突事故の追悼の様子も放送していた局があって、素晴らしいなと思いました…来年でたしか半世紀日航機墜落事故//雫石の…:☆如月日航機墜落事故8/12毎年毎年、「もうそんなになるの
全日空機雫石衝突事故1971年https://youtu.be/V4ISL-QMYrM全日空機雫石衝突事故全日空機雫石衝突事故(ぜんにっくうきしずくいししょうとつじこ)は、1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲と
気に入ってくれたら、いいね!!、リブログをお願いします!!YouTube動画のチャンネル登録、高評価もお願いします!!
全日空機雫石衝突事故1971年https://youtu.be/V4ISL-QMYrM全日空機雫石衝突事故全日空機雫石衝突事故(ぜんにっくうきしずくいししょうとつじこ)は、1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。1985
当時のアサヒグラフより。事故機です。ボーイング727-200型機、機体番号JA8329画像はお借りしました。全日空機雫石衝突事故全日空機雫石衝突事故(ぜんにっくうきしずくいししょうとつじこ)は、1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計1
本日、ご本尊の御前にての読経・瞑想中に降りて来た映像や言葉は…『しずく?』『雫?』『滴?』『しずく』を変換してみると出てくる文字は…『雫…滴…しずく…雫石…』雫石の文字がなんだかとても気になる…雫石を調べてみると…出て来たのは…『全日空機雫石衝突事故』※詳細【1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)で岩手県雫石町の上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、旅客機は空中分解し、乗客155名と乗
1971年7月30日の、あの悲惨な事故から44年が経ちました。もう、話題にもなりませんし、ほぼ、風化されてしまいましたね。今更、語っても、失われてしまった尊い命は戻ってきませんし、又、不安を煽ってしまうかもしれませんが、悲惨な墜落事故は、もう二度と起きないで欲しいです。『高度約28,000ft(約8,500m)で空中衝突してから操縦不能になり、降下姿勢から回復できず速度が急加速し、音速の壁を突破したことにより約15,000ft(約5000m)付近で空中分解した』あの日、空中分解してしまっ
昨日は、都心では初の猛暑日になった様ですね。ここ練馬区も、昨日は、雲が多かったものの、15時過ぎに、36,8℃を記録した様です。今日は、若干、楽だったかなと思いますが、13時10分に、36,2℃を記録しました。しかし、雲が強い日射しを遮った様で、気温は、これ以上は、上がりませんでした。今日は、午前中は、妻の放射線治療に付き添い、その足で、午後は、私の通院に付き添って貰いましたが、練馬区としては、まだまだ、楽だと思いましたよ。さて、話は変わりますが、小型機墜落事故、いや、事件。原因は、
梅雨が明け、暑い日が続くと、全日空機雫石衝突事故、日航機墜落事故を思い出します。全日空機雫石衝突事故は1971年7月30日。日航機墜落事故は1985年8月12日。さて、先程、ニュースを観てビックリ東京・調布市の住宅街に小型飛行機墜落マジか当然、犠牲者も出てしまいましたね。大惨事ですよね。墜落した機体は、セスナではなく、パイパー社のPA-46-350Pマリブ・ミラージュ日航機墜落事故については、色々、思うところはありますが、また今年も何も書けずに、命日を迎えるのだろうなわ情け
43年前の今日。。。1971年7月30日、岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸58便機『機種ボーイング727-281』と航空自衛隊の戦闘機『機種F-86F』が空中衝突し、両機ともに墜落しました。自衛隊機の乗員は脱出したものの、旅客機は空中分解して乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲になりました。ご存じない方もいらっしゃると思いますが、日航ジャンボ機墜落事故(1985年8月12日)が発生するまで、国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故でした。私が知っているのは、