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製品サイトの説明(お知らせや製品情報から掲載)パーツ数…91模型全長…170.5mm模型全幅…85mmデカール(マーキング)1991年全日本F3000選手権第7戦富士チャンピオンズ出場車レイトンハウス・レーシングチームCarNo.16ドライバー:関谷正徳Bardの説明(試験運用中ですが回答が適切であれば掲載)ハセガワの「レイトンハウスローラT90-50“1991全日本F3000富士チャンピオンズ”」は、2023年6月に
1989年のF3000シリーズ、最後のマシンは「FootworkMC041無限」です。ムーンクラフトから片山右京選手のドライブで全日本と欧州の両シリーズに参戦。(片山選手は、全日本を優先した為、欧州はスポット参戦に。不在のレースはデーモン・ヒル選手がドライブ。)全日本では、最終戦の鈴鹿ファイナルでの7位が最高でノーポイントでしたが、片山選手の走りは光るものがあり、マシン開発という重責をこなしました。ハセガワ1/24ワタナベダンロップレイナード89Dプラモ
どーも、ken-sanです。続いて、全日本F3000選手権シリーズのF3000マシンです。まずは、1997年レイトンハウスをメインスポンサーとした、レイトンハウスローラT87-50プラモメーカーのモデラーズ製の1/24キット。しかし星野さんのレイトンハウスへ発売されず、ジェフリース選手のマルボロカラーのみ。なので、気合いを入れて、レイトンハウスデカールをF-1モデルから入手、他のデカールは様々なモデルからデカールのみ取り寄せ、サイドポンツーンのヒトの絵は手書き、フ
1992年全日本F3000第2戦・富士。まだ国際F3000よりも「F1に近いカテゴリー」と呼ばれていた。参戦したドライバーの1/3は海外からやってきた選手だった。後にF1にステップアップしていった選手も多いというところが凄い。エディー・アーバイン選手/コスモオイルローラT92/無限日本で走っていながら初めてサインを頂いたのはF1に上がってからだった(笑)。星野一義選手をリスペクトしている姿勢と暴れん坊ぶりが大好きだった。優勝:パウロ・カーカッシ選手/ALEXELレ
バブル経済が崩壊し、スポンサードしていた企業が続々と撤退しはじめていた1992年。国内レースでは参加チームやキャンギャルの減少傾向にあったものの、まだこの年は持ちこたえていたように思う。全日本F3000ではシャシーはローラ、レイナード、ラルト、童夢の4メーカー(主にローラとレイナード)、タイヤはBS、DL、ヨコハマの3メーカー、エンジンは無限とコスワース、ジャッドの3種の戦いになっていた。予選用タイヤも使われ、鈴鹿サーキットではポールタイムはF1の中団くらいに割り込めるほどだった。
稲D🇯🇵@Ina_D_Indycar着々と準備が進むアイオワスピードウェイ。#indycar#indyphttps://t.co/YeAZWVzVBc2020年07月14日21:55IowaSpeedway@iowaspeedwayIt’s@IndyCarRaceWeekat@IowaSpeedway!ThespeedracersareontheirwaytotowntocompeteattheFastestShort…htt
正式に「全日本」タイトルがかけられた1988年の全日本F3000選手権。前年チャンピオンの星野一義選手と、中嶋悟選手に続く日本人F1ドライバー誕生の期待がかかる鈴木亜久里選手の対決になった。前年から鈴鹿サーキットでF1日本GPが開催され、F1のみならず国内レースの人気も上がって活気づいて来た。当時は名古屋から大阪に引っ越していたので鈴鹿サーキットまで少し遠くなってしまった。それなのに名古屋に住む彼女とデートがてらシーズン2回も観戦に行った。彼女を送迎するために大阪→名古屋→
3日前に、製作したモデルカーのミナルディ・M193を紹介しましたが、実はまだ続きがあります。新車発表ということで、久しぶりにドライバーが乗っていない仕様を作りましたがドライバーはいます(笑)今回初めて、素顔のドライバーフィギュアを立たせてみました。完成イメージ初めてフィギュアの顔の整形をしてみましたが、全然思い通りにならず難しかったです。結局は、のっぺらぼうに似てない似顔絵を描いた感じになりました(^_^;)クリスチャン・フィッティパルディ(左)は、キット付属の腰に手をあてている
F1が好きなシゲオだけどその下のカテゴリーF3000も好きでした。現在のスーパーフォーミュラの前身のカテゴリーになりますね。全日本F3000が87年から95年まで開催され、96年からフォーミュラーニッポンに変更され現在のスーパーフォーミュラになっています。当時はバブル景気真っただ中だったので参加チームも多く毎レース30台以上のマシンがエントリー。今では考えられませんが、予選A・B組に分けて予選落ちも5,6台は当たり前でした。それがF3も同じ状況だったので競争は熾烈でし
こんばんは。20年前の物シリーズ第10弾です。学生のころ住んでいた場所から鈴鹿サーキットまで、下道で2時間弱で行けた為F-1のチケットが高額で買えなかったので、一つ下のカテゴリーのF3000を時々見に行っていました。無料の公開テストもよく見に行きました。1991年シーズンの全日本F3000のパンフレットと、1993年シリーズの全日本F3000シリーズのパンフレットです。1991年シーズンF3000のエントリーリストF3000ドライバー今では各チー
1990年出来事・大阪「国際花と緑の博覧会」(花博)開催・イラククウェート侵攻、湾岸危機・東西ドイツ統一・サンリオピューロランド開園・新宿新都庁舎完成・TBS秋山豊寛氏、日本人初の宇宙飛行・「ティラミス」ブーム新製品ヒット商品ベストセラー・キリン「一番搾り」発売・任天堂「スーパファミコン」発売・二谷友里恵「愛される理由」ベストセラー・「クレヨンしんちゃん」漫画アクション連載開始・「スラムダンク」少年ジャンプ連載開始流行語CM・「ファジイ」・「お
フジテレビのF1中継が開始された1987年から長らく解説をされていた、今宮純さんが今月4日に亡くなられました。享年70歳。この訃報は他の方のブログで知って、突然だったので驚きました…亡くなる前日までお元気にされていたということで、あまりの突然の別れに親族や関係者も驚いたようですね…F1の解説といえば今宮さん、古舘伊知郎さんなど様々な実況陣と柔軟に対応し、中継を盛り上げていましたね。1995年にF1から全日本F3000に解説の場を移しました。同年に古舘さんが実況から退き、F1中継から2人が
ミニカーショップポストホビー新宿店@shinjukuminicarRacingon特注スパーク新製品1/43スケール■FS34JapaneseF1Pioneers中嶋悟/鈴木亜久里/片山右京3台セット限定BOX日本人レギュラーF1ドライバー、中でも代表的なのはこのお三方ですよね!伝説のマシンが1つになり、特別感がたまらん!!https://t.co/EYnPU4tVtt2019年11月19日19:58ミニカーショップポストホビー新宿店@shinjukuminica
ミヤ@miyazidane【なつかしF1マシン】ローラLC88('88)この年から2台体制。エンジンはDFZダルマスが中耳炎で急遽全日本F3000王者・鈴木亜久里の日本GP代走が決まり、鈴鹿は盛り上がった(ような気がするw)#f1jphttp://t.co/216fbpGS8p2014年03月25日23:51かず@貧弱ペダル@elise_speedbirdローラLC90鈴木亜久里ドライブhttps://t.co/oTC0Jm2M3x2016年07月15日21:09レスポ
今から24年前の今日5月1日、3度のF1チャンピオン、アイルトン・セナがイモラで事故死しました。はっきり言ってセナは好きではないが、偉大なドライバーであることは認める。ただ残念なのは、前日に同じくイモラで亡くなったローランド・ラッツェンバーガーがスルーされていること。正直私はセナの事故死よりラッツェンの事故死の方がショックだった。ラッツェンは1989年からレギュラーで全日本F3000やJSPCに参戦していました。日本のレースファンにはお馴染みのドライバー。日本発のF1ドライバーとして期待し
前回ロータス107を記事にしましたが、ジョーダンGPもF1を見始めた頃デビューしたチームだったので印象に残っています。特に91年のデビューマシン191はシゲオの中でもベストマシンだったな~。今見てもカッコいい191。カラーリング、デザイン完璧だな~今から27年前のマシンになってしまったけど見ていて一番しっくりくるな~。デビューシーズンでいきなり活躍したジョーダンでしたが、更なる飛躍を目指した92年はまさかの失速。日本のヤマハと組んだのが大失敗。トラブル続出で獲
今日はちょっとだけ趣向を変えて昨年世間をお騒がせしたジャニーズ関連のマシンのご紹介エブロ1/43フォーミュラニッポンオリンピック近藤レーシングレイナード99L無限MF308カー№3近藤真彦オリジナル台紙マッチこと近藤真彦選手のフォーミュラニッポン最終年のマシンがお手頃価格で入手できました。95年に舘ひろし監督の『ナビコネクション』から全日本F3000に参戦した時は完全なる客寄せパンダだとばかり思っていましたが、今日でも自身のチームをキチンと運営、参戦させている事実は
1994・4・30F1サンマリノGP公式予選2日目。「ローランド・ラッツェンバーガー」シムテックと5戦のみの契約。大クラッシュにより天に召された。今日で24年。前日にはルーベンス・バリチェロが、大クラッシュ。命は取り止めた。ローランドは日本にとても縁があり、全日本F3000選手権を戦った戦歴もある。そして翌日、5月1日。古舘伊知郎氏が「音速の貴公子」とニックネームをつけた、「アイルトン・セナ・ダ・シルバ」も神になった。現インパル監督の星野一義氏は言った。「セナ
松本恵二さんのファンだった頃の森本晃生先輩。先日ご飯を食べた時に見せて頂いた思い出の写真。自分で買ったメイジュのトレーナーにtoyotaのキャップ。笑笑森本晃生少年😂やけど、やっぱり恵二さんカッコよいわ!この後、森本晃生先輩は全日本F3のチャンピオンをへて全日本F3000まで登りつめました。凄い事よね!凄い人たちだし、凄い時代だわ。憧れる。森本晃生先輩は、恵二さんのチームメイトを務めた事も…その年の富士のレース後直ぐにレーシングスーツのまま、恵二さんを三島まで送ったらしい
1991年の全日本F3000は激しかった。バブル絶頂期でF1ブームということもあり、全日本F3000も超進化を遂げていた。シャシーはローラ、レーナード、ラルト、レイトンハウス(マーチ)、童夢と5社あり、その新型・旧型があった。エンジンは無限、コスワースの2社でチューナーが分かれていた。タイヤはブリヂストン、ダンロップ、ヨコハマの3社。シャシー+エンジン+チューナー+タイヤの組み合わせが複雑でほとんどチーム独自のマシンになっていてF1にも引けを取らなかった。参加台数も多く予選落ち
日本のレース雑誌は昔はオートスポーツにレーシングオンが有名でしたが、2000年代に編集社が統合され、オートスポーツは従来のレース速報誌、レーシングオンは昔のマシンやレースの特集記事に特化した形の雑誌へ変更されました。レーシングオンの企画が毎号マニアのツボを押さえたセレクトで唸らされています。他にもF1マシン特集だったり日本のレース100選といったマニアックなセレクトの雑誌を発行していて魅力的です。お盆期間中にブックオフのセールがあったので何店か回ってみたら色々売られていたので
ミハエル・シューマッハ選手が生涯で唯一F3000レースを走ったのが1991年の全日本F3000第6戦・菅生だ。この時ドライブしたTeamLeMansラルトRT23/無限がミニチャンプスから1/43ミニカーとして発売されたァァァッ!シューマッハ選手のマシンでなければ到底ミニカー化されることはなかっただろう。そしてこのマシンのミニカーが発売されることを長年待ち望んでいた。ミニカーを集め始めた当初から欲しい1台として。発売のアナウンスがあった時から早期予約していた。あれから何カ月
そういえば今更気が付いたんだけど…。6月の記事タイトル…。全て、May…って(愕然)だれか突っ込んでくれたらよかったのにな(笑)そんなことで、Julyの1発目!!……。書こうと思うネタがないという…。あっ、今日は日本一速い星野一義さんの誕生日じゃないですか。おめでとうございますー。1976年、77年と富士スピードウェイでのF1inJapan(当時は世界選手権格ではなかった)で走られていたけども、その後は国内に専念して日本一を貫き続けたすごい人という印象