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ちょうど半世紀前の昭和50(1975)年12月27日(土曜)、土曜夜8時という視聴率戦争の激戦区を戦っていた時代の全日本プロレス中継(日本テレビ)の番宣広告。広告には当時、視聴者に凄惨な印象を植えつけていたザ・デストロイヤーとアブドーラ・ザ・ブッチャーがいがみ合う姿が大写しに。これを見るにつけ、テリー・ファンク以前に、身体を張ってブッチャーの狂暴さをお茶の間レベルに浸透させていたのは魔王の功績だと思い知らされる。この日の中継は年の瀬とあって、オープン選手権(12月6~1
「受け入れられない…驚きました…すごく残念な思いです」53歳で亡くなった日本テレビ・菅谷大介アナ…「THETIME,」望月理恵が追悼(スポーツ報知)-Yahoo!ニュースTBS系「THETIME,」(月~金曜・午前5時20分)は11日、日本テレビの菅谷大介(すがや・だいすけ)アナウンサーが8日午後1時6分、消化管からの出血のため死去したことを報じた。53歳だったnews.yahoo.co.jp全日本プロレス中継。プロレスリング・ノア中継。90年代後半から2000年代の日本テレビ
日本デビュー、輪島!ふるさと七尾から実況生中継!石川県七尾総合市民体育館大会の実況生中継。中継は◎S・S・マシン○阿修羅原ヒロ斉藤(19分17秒体固め)ジャンボ鶴田天龍源一郎×ハル薗田※試合途中から放送開始。◎○アニマル・ウォリアー(1分39秒片エビ固め)アニマル浜口×仲野信市※ホークが負傷欠場のため。そして、始まります!スポーツ行進曲を入場テーマ曲にして、輪島さんが入場。日本テレビ、北陸放送、番組の提供スポンサーからの花束贈呈の後、タイガー・ジェッ
【新日本】ライガーは竹下幸之介のG1制覇に〝安堵〟「EVILの決勝介入は本当に解せない」(東スポWEB)-Yahoo!ニュース獣神サンダー・ライガーが気になる話題やプロレス観を語る「獣神激論」。今回は新日本プロレスの真夏の祭典「G1クライマックス」を総括する。出場20選手による最高峰リーグ戦は、KONOSUKETAKEnews.yahoo.co.jp今のプロレスに対しては私は以前より積極的に見たいとは思わなくなりました。私がよく見ていた時代よりもワクワクさせてくれる試合が無くなった
自分がプロレスを見始めた時の外人レスラーを微かな記憶で語ります。『記憶にある見始めた頃の外人レスラー』久しぶりにプロレスネタを語ります。ホント、久々だな…で何を語るん?自分がプロレスをテレビで初めて見たのは全日本プロレスでした。日本テレビの「全日本プロレス中継…ameblo.jp第3弾だね今回は…ビル・ロビンソンこの頃の全日本プロレスはフルタイムを戦う印象があります。印象に残っているのが、1976年に北九州で行われた…ジャンボ鶴田vsビル・ロビンソン後に知ることになるのですが
久しぶりにプロレスネタを語ります。ホント、久々だな…で何を語るん?自分がプロレスをテレビで初めて見たのは全日本プロレスでした。日本テレビの「全日本プロレス中継」だないつ頃だったのかは、ハッキリとわかったのは、「全日本プロレス中継」が当時、土曜日の20時から1時間枠…その前の時間、19時30分に放送していたのが「オズの魔法使い」でした。これを見ていた記憶があります。調べると、「オズの魔法使い」が放送されていたのが1974年10月5日から1975年3月29日。つまり、自分がプロレスを初
プロレスの試合見たことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう僕が高校生ぐらいまでの頃は土曜午後にテレビ朝日系の「ワールドプロレスリング」が放送されていましたが、現在は日曜深夜の遅い時間に北陸朝日放送で放送されています。「ワールドプロレスリング」は新日本プロレスを中心とした試合を中継しています。亡くなられたアントニオ猪木さんなどが1970年代から1980年代を中心に活躍していました。1988年3月までは午後7時以降のゴール
全日本プロレス中継。ゴールデン復活!後楽園ホールから実況生中継!♪スポーツ行進曲1985年10月19日。全日本プロレス中継が土曜日19時からのゴールデンタイムに復活した日です。'85ワールドチャンピオンカーニバル後楽園ホール大会の実況生中継でした。若林アナの第一声。プロレスファンにとってはとても印象深かったです。この日のテレビ中継カードは、①天龍源一郎&タイガーマスク対ミル・マスカラス対チャボ・ゲレロ②長州力対リック・マーテル③ジャンボ鶴田対リック・フレアー④ザ・フ
ジャスト日本です。「人間は考える葦(あし)である」これは17世紀フランスの哲学者・パスカルが遺した言葉です。人間は、大きな宇宙から見たら1本の葦のようにか細く、少しの風にも簡単になびく弱いものですが、ただそれは「思考する」ことが出来る存在であり、偉大であるということを意味した言葉です。プロレスについて考える葦は、葦の数だけ多種多様にタイプが違うもの。考える葦であるプロレス好きの皆さんがクロストークする場を私は立ち上げました。さまざま
昭和50(1975)年2月15日(土曜)。今夜7時~10時チャンネルはこれだ‼と堂々言い切る日本テレビの番宣広告。夜8時からの全日本プロレス中継は、米テキサス州サンアントニオにて収録(2月5日)されたインターナショナルタッグ選手権「ザ・ファンクスvsジャイアント馬場&ジャンボ鶴田」を中継。広告には王者組のファンクス(ドリー&テリー)も馬場も鶴田も写っているものの、この日の中継には登場しないザ・デストロイヤーが広告のセンターに陣取りつつ、「今晩ボクでないョでも、馬
昭和55(1980)1月19日(土曜)のテレビ欄より。NHK教育テレビで放送のスポーツ教室「レスリング・フリースタイル」で、笹原正三(メルボルン五輪・フェザー級金メダリスト)と、高田裕司(モントリオール五輪・52kg級金メダリスト)の世界を制した技術を学ぶか?それとも日本テレビの全日本プロレス中継で、“人間風車”ことビル・ロビンソンの妙技を堪能すべきか?家庭用ビデオデッキが普及していない時代、常日頃に「究極の選択」を強いられていた時代を思い出させるテレビ欄だこと…。
5月25日水曜日〜その2夜食に、筍ご飯おにぎり。4時半に休む。7時25分、目が覚める。ねじめびわ茶、カルピスL-92で喉を潤す。『テレビはプロレスから始まった全日本プロレス中継を作ったテレビマンたち』福留崇広(R4年10月22日イースト・プレス)を読了。(写真)「日本沈没と関東大震災」小松実盛(R5年6月号文藝春秋)を読む。朝フルーツに、デコポンを食す。
5月24日水曜日〜その4P196〜207、私の少年時代の全日本プロレス中継の名実況は、倉持隆夫アナウンサー。その人の人となりが綴られている。何と、早稲田大学時代には歌舞伎俳優の六代目中村歌右衛門丈のサブマネージャーを務めていたとのこと。(写真)菊水丸コレクションから、古書市にて購入した歌舞伎役者の芳名帳。六代目中村歌右衛門丈の絵が描かれています。出所は、名古屋・御園座近くの料亭か?。
5月24日水曜日〜その311時から13時まで二度寝。福留崇広著『テレビはプロレスから始まった全日本プロレス中継を終えて作ったテレビマンたち』を読む。P188には、タレントレスラーザ・デストロイヤー選手の事が記されている。(写真)プロレスマニアの藤井敏之さんより御寄贈を頂いた、ザ・デストロイヤーとミル・マスカラスの覆面世界一決定戦的な貴重なツーショット。しかも両雄のサイン入り。
5月23日火曜日〜その4福留崇広著『テレビはプロレスから始まった全日本プロレス中継を作ったテレビマンたち』を読む。P120、S47年4月28日、ジャイアント馬場選手は、鹿児島県立体育館での日本プロレスのワールドリーグ公式戦の試合後、日本テレビの原章氏と面会。独立への腹を固めたと書いてある。(写真)本体表紙は、原氏の記録ノートです。
5月22日月曜日〜その49時から11時20分まで二度寝。福留崇広著『テレビはプロレスから始まった全日本プロレス中継を作ったテレビマンたち』を読む。P111、日本プロレスの中継を、日本テレビとNET※現テレビ朝日の2局が放送していた時代、日テレだけに登場する約束のジャイアント馬場選手を、日本プロレス上層部がNETにも登場させた事で、日テレが中継を中止させる裏事情について、S47年7月号の月刊ゴングを引用して記されている。(写真)菊水丸コレクションに、その号が有ります。改めて目を通しました。
5月21日日曜日〜その412時半から14時35分まで二度寝。福留崇広著『テレビはプロレスから始まった全日本プロレス中継を作ったテレビマンたち』を読み、15時半から17時まで三度寝。首のストレッチ。四股10回。体重67・7キロ。飲料は、カルシウムの多いミルク、明治ブルガリアのむヨーグルト甘さひかえめ、KAGOMEつぶより野菜、TropicanaEssentialsマルチビタミン、松谷化学工業希少糖含有シロップレアシュガースウィートを加えたNIRGIRI紅茶。(写真)和歌山市磯ノ
5月21日日曜日〜その3(写真)『テレビはプロレスから始まった全日本プロレス中継を作ったテレビマンたち』福留崇広(R4年10月22日イースト・プレス)を読み始めました。朝おやつは、アローザのアニマルクッキー。
帰ってきてから全日本プロレス中継の動画を見ていました。土曜日の19時台、20時台といえば過去に全日本プロレス中継の時間でもありました。1980年代、1990年代のプロレスは今見ても最近のプロレスよりも面白いですね。1980年代は今とは異なり、両者リングアウトや反則裁定が多く、レフェリーのジョー樋口さんが失神していることも少なくないのですが、あの当時はどちらが勝つのかななんてワクワクするものでした。その典型はNWA世界ヘビー級選手権試合。今日私が見ていたのは、ハーリー・レイス対ミル・マス
俳優の竹内涼真さんと沢村一樹さんがリアルディールの大森ジムにやってきて、その模様が昨晩放映されました番組名は、「沢村一樹&竹内涼真がやりたいこと全部やる!1泊2日弾丸OFF旅」昨晩(3/22)の20:40からTV東京で放映、本来は放映前にブログでお知らせしたかったのですが、情報を知ったのが放映の前日でまとめる時間もなく...内容としてはリアルディールジムの情報をお伝えするものではなく、沢村一樹さんの要望、”チャンピオンとのスパーリング”を叶える舞台として場所を提供した
やぁ~~~~~っと読み終わったぁ◝(´◝ω◜`)◜テレビはプロレスから始まった福留崇広さん著イースト・プレス(1900円+税)プロレス本の中でも珍しい日本テレビの中継を題材にした内容。過去にテレビ朝日の金曜8時伝説本はあったけど、馬場全日本は情報統制があるからねぇ。そんな気持ちで読んでみるとプロレスラーの証言が一切なし。番組最後にテロップでよく見た原章さんを中心に黎明期からの担当アナウンサーやスタッフへの取材で構成されている。アタシの時代だと倉持アナから始まり福澤アナまで。ヒイ
恒例企画「プロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コ」シリーズ。今回は53回目です。このシリーズはライターの池田園子さんが以前、「旅とプロレス小倉でしてきた活動10コ」という記事を書かれていまして、池田さんがこの記事の書き方の参考にしたのがはあちゅうさんの「旅で私がした10のことシリーズ」という記事。つまり、このシリーズはサンプリングのサンプリング。私がおすすめプロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コをご紹介したいと思います。さて今回、皆さんにご紹介するプロレス本はこちらです。テ
牛丼は吉野家原理主義者です。秋から春にかけてのメニュー牛すき鍋が大好きです。他のチェーンも出してますが吉野家には及ばないな~。吉野家は紅しょうがからして旨いっすね。書店でやっとこの本を購入。400ページ、すごい厚さです。全日本プロレス中継の歴史大変興味深いです。初期は裏番組が「8時だよ全員集合」だったり、巨人戦優先する局の事情があったり色々大変だったと思うんですよね。それでも工夫して番組作ってましたもんね。プロレスファンの心をくすぐる演出が持
東京ポッド許可局でプチ鹿島さんがこんなことを仰ってました。「昔家中のテレビつけると視聴率が1%上がると思ってた。だから猪木の試合のときは家中のテレビをつけていた」「誰もいないのに何で洋間のテレビついんてんのとよく怒られた。『ちょっと待って。これ猪木のためだから』と答えていた」わかる!プロレスが大好きでプロレス中継の視聴率が上がってほしいという気持ちわかるな~。子どものころ視聴率の調査方法など知りませんでしたので自分が視聴していることも少なからず視聴率に貢献し