ブログ記事57件
手術から9日。10月20日。木曜日。朝、鏡を見て頭の毛を確認。やっぱり生えてる生えてるーー。ずっと頭を触ってしまう。つまり、日がな一日、毛先で遊んでいるということになる。そして朝の診察。昨日ドレーンを抜いたところからの汁がまあまあ止まらない。まだ汁が残っているのでしょうね。人によっては退院後、外来で注射で抜いたりもするみたい。私の場合、穴が塞がってないので、そこからまだ少し出ているみたい。先生が絞るとまだもうちょっと出る。ちなみにドレーンの穴は、乳と乳のちょうど真ん
手術から6日。10月17日月曜日。すこぶる元気です。でもさー、右側の腕と乳と脚を自由に動かせないじゃないですか。こうなると、どうなるかわかりますか?そう、筋肉痛。特に腹筋など。そして、ここにきて寝違えた。首痛い。なんか、他のところに力入っちゃうからさー。で、今日は最大のミッション、「シャワーの時にボティソープで傷を洗う」に挑戦する日。恐る恐るお猿子猿、泡立てたボディソープで傷跡を洗う。全然痛くない。それにしても脚の裏側にズザーーーっと1本の線。脚の付け根から膝裏
ブラジャーを買った!!乳房再建してから、胸を寄せたり上げたりできなくなって。ワイヤーが痛くて。今まで使ってたブラジャーを着けることが辛くなってしまった。でも下着としての機能を持ったブラジャーは着けないと、なんだかそわそわするからって理由で選んでたのはユニクロのワイヤレスブラ。これはこれで縫い目もワイヤーも締め付け感も無い優れ物なんだけれど、可愛いとか乙女心とかはゼロで。最初の頃はストレスフリーで喜んでたけど、段々欲張りな気持ちが顔を出して。綺麗なレースをあしらったブラが欲しい!
アメトピ、恐るべし。。。アクセス数だけでなく、フォロワーさんもがんがん増えて通知鳴りっぱなしです前から読んでくださっている方も、新しく読んでくださっている方もありがとうございます。私に答えられることでしたら、なんでも答えさせていただきますので、何か質問があれば、お気軽にコメントしてくださいね3週間前の今日、ただの年イチ検査のつもりで、仕事前に軽い気持ちで受けた超音波検査。月曜日、怪しい影が見つかり、火曜日に乳腺外科医に会い、水曜日に針生検、金曜日に告知。ドクターと向かい合って座るとすぐ
ワタクシの手術は所謂、「全摘同時再建」というやつなんですが、テレビで観る失敗しないDr.のように全摘から再建まで一人のDr.がすべてを担う訳ではなく、摘出は乳腺外科、再建は形成外科の先生が担当になります『先の記事』にも書きましたが再建の先生は非常勤の先生のようで…ようで…というのは、お医者さん業界がよく判らないのでテケトーな事は書けないのですが…(^^;なんかねぇ、本拠地は『とある大学病院』らしいのですが、方々の病院に
振り返りの記事もいよいよ終盤戦に突入術後の検査結果を聞きに病院に行った時が1番緊張した気がする今後の治療方法が決まる判決の時のような緊張感術後に出た検査結果は術前とは真逆だった最初の病院ではホルモン剤は効かないだろうから抗がん剤と放射線って言われたこの時乳ガンについてあまり知識がなかったので聞き流す程度ただ抗がん剤は髪の毛が抜ける放射線は日数がかかる程度は知っていた結果浸エステ潤癌エストロゲンレセプター+プロロンレセプター+HER2-K―10
はーいまだ書くの?って言わない(笑)2021/1/10両側乳房全摘同時再建自家組織腹部皮弁術後32日目痛みロキソニン今日はズキズキちょっとひどい寒いから?部屋の中寒くないよね胸のキズシャワーのあとプロスタンディン軟膏ぬりぬりキズよきれいになーあれ♡お腹のキズテープ療法今まだ3Mのマイクロポアを使っているけどイマイチ?明日からアトファインにしよう下腹部は病院指定のバンドで圧迫固定テープ療法、正しく貼れているのかなテンションがかか
初めてアメンバー限定記事をアップしますなにもおもしろいことは書いてありませんキズの写真を載せますのでアメンバー限定にするだけです今までやりとりのあるブロ友さまもちろん大歓迎です同病のブロ友さまももちろん大歓迎!女性の闘病中の方や闘病ブログを書かれている方ならいいかな?プロフィール欄に何も書いていない方はいつもいいね!をいただいている方でも承認できませんプロフィール
いつまでノルバデックス休薬するの?早く再開したい不安不安モヤモヤをはきますもっと大変な治療をされている方そんなあまっちょろいことなに言っちゃってんの?って不愉快に感じる方もいらっしゃるかもそのときは閉じてくださいね11月30日から乳房全摘自家組織同時再建術のためにノルバデックスを休薬していますノルバデックスには血流を悪くする恐れがあるので術前術後1週間計2週間の休薬その後再開の予定でした今回受けたオペは全摘をした両胸に自分のお腹のにくを血管
いつも遊びに来てくれる皆さんも初めましての方もありがとうございます再建から3年が経ちました。傷跡はすっかり目立たなくなりました。これからの寒い季節は時々シリコンがキューンと硬くなってるように感じることもあるけれどキレイにつくってもらえたおかげと時が経ったことで温泉に行っても前みたいにコソコソしないようになってきましたw今年はたくさん紅葉を楽しめました今朝カーテン開けたら白銀の世界に変わってました❄️雪は溶けてなくなったけどもうこちらは冬がそこまで来てます。。
7月22日は【ONEPIECEの日】だったそうですフランキー魂仲間のひーたんが教えてくれました大好きなONEPIECEどんな展開となるのかいつもいつもワクワクさせてくれる漫画我が家には漫画本は全巻揃っています主人公ルフィ率いる“麦わらの一味”その中の一人【フランキー】は改造人間(サイボーグ)なんです改造人間。。私の胸もひーたんの胸も改造されたもの。。ひーたんも私と同じく乳がんを患い胸を全摘出し、シリコンを入れる再建術を受けています女性が
すっごーい時間が経ってしまったけど前回の続きから。形成外科の主治医の移動に凄く動揺した私は、主人に電話をして事の顛末を伝えた。主人はあっけらかんと『移動先の神戸まで行けばいい』と私に言った。こういうフットワークの軽さと、何よりも考え方が似ている部分が私が主人にしっくりする所で、やっぱりそう思うよね?で一旦話は落ち着いたんだけど…でもよくよく考えたら、確かに移動先の病院までは新幹線で行けるけど、子供ができてからそんな悠長に通院や入院できるのかって考えたら否!とゆうかそもそもそ
私は妊娠を希望している。乳腺外科の主治医からはタモキシフェンの服用を勧められてはいるけれど、妊娠活動中位なら休薬しても問題はないと言われ、ティッシュエキスパンダーからシリコンインプラントへの入れ替え時期からを妊娠活動期間と定め休薬に入っていた。形成外科の主治医には乳輪と乳頭の再建は出産後と伝え。でも先生が移動となっては私的に事態は急展開。子供ができるまで待ってられない!だって今の主治医に作ってもらう予定を勝手に組んでいたんだから。乳輪乳頭の再建は自家組織を使っての再建を予定し
11月の半ば。3ヶ月毎の形成外科の外来。先生になんとなーく聞いた「先生、どっかに移動とかしないですよね?」の言葉。聞いた矢先に移動聞かされるなんて。こっから今に至るまでなんか猛スピードで進んでしまった(笑)先生、困り顔で「それがお話しなくてはいけないんですよ」私の心の声「困りますぅぅぅ」実際の私はしばらく呆然として肩を落とし「先生に最後まで作って欲しかったです」と伝えるのに精一杯。だって本当に困る。次の先生もとても信頼できるって言われたって。私その人の手術受けたこ
7月入って、台風の影響の大雨梅雨はすんなり明けそうにはない様子さてーー、7月4日といえば4年前に乳癌告知されましたがその前のマンモトーム生検でMRI画像からほぼ乳癌ですからと既に宣告されてたので、乳癌告知はすんなり受け入れましたがモニターの画面に映る画像胸の大半が放射状に映っててこ、これはまさか胸ほとんど石灰化乳癌なのか?とドキドキしたらM医師が乳管内の石灰化乳癌の説明をしだし説明する紙に、全摘+再建と書いてありあぁ、、調べて知ってるよ、、、シコリを作らないかわりに
ティッシュエキスパンダーからインプラントへの入れ替え無事完了!1年前は聞いたこともなかったエキスパンダーってワードが半年間もの間で体の1部になり、人生最大のボインを味わえ、乳房再建する人としか分かち合えない違和感も存分に味わわせてくれたこのおっぱい。さよならは前の全摘手術なんて比じゃない位あっさりだった。前回泣きながら歩いた手術室までの道のりも主人と談笑し、おやすみーって別れた。6時間もかかった前回の手術とは違って今回は3時間。肩を叩かれ目が覚めた時、気管の管を抜かれる時、麻
すごい久しぶりの投稿になっちゃった。エキスパンダーからシリコンインプラントへの入れ替え手術で明日から入院。控えめの胸に入れられたエキスパンダーの中にはパンパンにお水が入れられて、人生で初めて味わうボイン気分にもあとちょっとでさよならだと思うと感慨深い(笑)でも乳がんの手術の時みたいな恐怖も気分のムラもなく穏やかな気持ち。NEWおっぱい楽しみだなー。
入院期間が短すぎたのと、シャワーの予約をことごとく忘れられ・・・家でのお風呂で初めて傷と向き合った。入院中の形成の診察で先生に『傷を見るのが怖い』と伝えたら、看護師さんが優しく『まだ見なくていいよ』と言ってくれたけれど・・・いつかは向き合わなくはいけない。傷に貼られた大きなテープを外して初めて傷を見た時、涙が出た。これは傷にショックを受けたからではなくて、想像以上に綺麗だったから。主人が綺麗だよ!!みほ凄い綺麗だよ!と少し興奮気味に私に言ってくれたときには
手術前のマンモトーム生検での診断は非浸潤性乳管癌。リンパへの転移もなく、全摘だから切って終わり。全身麻酔の影響なのか食欲が戻らないとか、胸に収められたティッシュエキスパンダーの違和感とかはあっても、そもそも癌だなんて自覚するほどの症状なんてある訳もなく、日常に戻れていく感覚はすぐだった。でも退院から1週間後に病理検査の結果を聞きに行く時はやっぱり自分は癌なんだと不安な気持ちになり、精神的に不安定になった。でも癌と確定される前ほどではなかった。病理検査の結果は非浸潤ではなく浸潤してた
乳房を全摘すると決めた時、長年付き合ったこの胸とおさらばしてNEWおっぱいになるなら大きくしたい!この願いは笑い事とか冗談じゃなくて、全摘すると決めたんだからその位のワガママ許されてもイイじゃん!!と大真面目に思った事だ。実際にそういう方もいるとネットでは沢山の事例があったから、私も出来ると思ってた。初めての形成外科の受診時に、形成の主治医に相談した私のささやかなこの願いはあっけなく却下された。理由は整容性を保てるとは限らないから。私の主治医はやらないとのこと。私は元に戻ると思っ
退院後は胸の中に乳腺の変わりに入ったティッシュエキスパンダーとの戦いだった。体に異物が入ったからか、普段は全くない肩凝りが凄い勢いで襲ってきた。右胸を庇って生活してるからなのか、腕に痺れと凝りまで発症。夜仕事から帰ってくる主人に何よりも先に肩もみをお願いするのがしばらくの日課だった。胸に小さいフライパンとか、鉄板を入れた様な最悪な違和感しか感じない。こんなのが体に馴染んで普通に生活できる日なんて来るのか不安だった。でも日々の生活の中洗濯物を物干し竿にかけるとか、料
先生からあらかじめ聞かされていた入院期間は10日から2週間。排液の減り具合によって個人差はあるけれど、ドレーンが抜けたら退院。手術から最初の2日程は排液も60ccとかあって、看護師さんに30cc切らないと退院できないよ~って言われていたので朝に前日の量を聞く→まだまだって言われて落ち込むを2日程繰り返し、迎えた術後4日目の朝。先生がドレーン抜いちゃお!!って軽いノリで現れた。排液が30になったらしい。はやっ!看護師さん曰く、私には特別優しいらしい先生は実際は軽いノリで
手術が始まったのが12時。病室に戻ったのが18時頃だった。夜中の12時まで1時間おきに看護師の方が体温や血圧などを計測しにきて、眠りは浅かった。痛みはまぁぼちぼち耐えられる程度。それより腰が痛かった。夜の内に尿道のカテーテルを抜いてもらい、朝看護師の付き添いのもとトイレに行った。体を起こすことがまず困難で力のいれ方が分からない。やっとの思いで立ち上がっても目眩が凄い。ちょっと急に病人になったみたいで焦った。トイレに行っても吐き気と目眩で立ち上がれなくて車椅子で病室へ
肩を叩かれながら「終わりましたよ」の声で目が覚めた。まだ人工呼吸器のための器具が挿入されており、声が出せない違和感が目が覚めた時に強く感じたことだった。手術台からベッドへ戻される時、ドラマみたーいと思ったのが次の記憶。手術室から病室へ運ばれているとき初めてベッドを押してくれているのが主治医だと気付き「先生が押してくれてるんですね」と発したのが第一声だった。病室に戻り沢山の看護師の方や先生が私の周りで血圧やら酸素の機械やらを手際よく装着していく様ははっきりとしない意識の中でこん
久しぶりに乳がん関連記事です。私の乳がんは人間ドック(2016年12月受診)で見つけていただきました。もともと、婦人科系が弱く40歳からは、毎年の人間ドックで子宮頸がんの検査とマンモとエコーの検査を受けていました。不幸中の幸いでした。早期発見と言える初期の段階で見つけていただいた乳がんです。ちょうど、去年の今頃精密検査の紹介状を持って乳腺専門の病院で精密検査を受けて結果待ち。表面はパリッと元気に!でもねやっぱり不安な気持ちで過ごしていました。乳がんの告知←201
手術室までは若い看護師の先導のもと、自分で歩いて向かった。主人と手を繋いで歩いた。手術室のある地下は、上の階に沢山の人がいるとは思えない静けさだった。主人とハグをしてまっすぐ自動ドアをくぐる。振り返って見えた主人はいつも通り優しく目尻を下げていた。ドアが締まり沢山の手術室が並ぶ廊下を歩いていたら涙が止まらなくなった。私の手術を行う手術室前に看護師の女性が立っていて、泣く私を優しく迎えつつ、名前と生年月日を聞かれた。声が出ない。嗚咽しか出ない。やっとの事で絞り出した声は恥ずかし
以前、、ズバズバ、ハキハキの耳鼻科の先生(女性)に、両側全摘してるので、母乳育児でないことを話したら、「あら〜、可哀想に」と。特にショックを受けたわけでは無いけど、先生の年代的にも、母乳神話世代?だから、悪気はないんだろうけど、、、医療従事者だし、もう少し配慮があっても、いい?なんて思ったり。笑。ま、そんな感じの先生だから、驚かなかったけど。母乳もミルクもどちらもメリットがあると思うので、どちら派でもないけど、今は物理的に出ないので、完全ミルクです。娘の時は完全母乳に近かったので、真逆
センチネルの注射が済んでしばらくしたら形成の診察室に呼ばれた。胸にマーキングをするためだ。座った状態で腰に手を当てた姿勢の私に先生が油性マジックでマーキングを施していく。涙がこぼれないようひたすら目を閉じた。目を閉じてもギュッて強く瞑っても、涙どころか嗚咽すら抑えることができなくて。看護師の方がティッシュを探してくれたけど見つからない。大きなバスタオルを貸してくれそこに顔をうずめ、嗚咽を漏らしながら泣いた。声を堪えられない。涙を止められない。形成の先生も看
入院は日曜日だった。家を出るときロコが何かを察したかのように玄関の隙間から脱走し、車の周りをグルグルと回って悲しく鳴いた。次にここに帰ってくるとき私はどんな気分なのだろうと考え、やっぱりネガティブな気持ちしか想像ができなかったから、ロコの寂しそうな仕草にひどく落ち込んだ。でも来週には家に居る!!という目標を高々と掲げていたので、その目標で自分を奮い立たせた。入院の病棟へ案内されたら、日曜日なのに主治医の先生が居て驚いた。荷物の整理が済んだ頃には病室に顔まで出してくれて
今日は、入れ替えした形成外科の経過受診日。待つこと一時間半…そろそろ気分が悪くなる。そう、病院の待合室…めちゃくちゃ乾燥している。喉が渇いて頭が痛いって、ギリギリの所で呼ばれました♡そして「変わりはないですか?」と執刀医に尋ねられた。気になってたしこりの事を話すと直ぐエコー検査となり…先生の顔つきがやや強張っていつもの笑顔がない…脂肪の中に何かあるらしく何だろう?みたいな表情…粉瘤じゃない!術後の傷跡にしては軟らかすぎる…悪い物には見えないけど…手術した県病院での検査結果次第