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ケース㉗中川剛(1970/12/4)漫才師、タレント『電車に乗ると剛は苦しくなる。いったい何が苦しいのか?礼二にはわからない。剛は必死に電車の外の空気を吸おうとしている。礼二は病気のことは理解できないが、一緒に生きてきた中でこんな兄を見たことがなかった。そのうち礼二は大変な病気だと認識していった。漫才師としては先が読めない。でも弟は兄を責めなかった。剛は電車に乗る時、特急や急行だとパニック発作が出やすかった。各駅停車なら少し我慢すればドアが開くという安心感があったので何と
ケース⑯中島らも(1952/4/3)作家『あまりにも仕事が暇だった(自分で営業をかけない限り仕事がなかった)ため、電柱から次の電柱まで歩く気力が無くなり「これはうつ病だ」と直感、最寄の精神科に飛び込み、渋る医師を説得してリタリンを処方してもらうことで一旦寛解したものの、依存を断ち切るために断薬し、症状を再発させている。また、在籍末期には離人症気味になり、東京・月島にあった支所(アパートの一室)にこもって仕事をおこなった』サラリーマン時代(30代前半)から、うつ病という自覚があっ
ケース⑮真矢ミキ(1964年1月31日)女優『「日本では強い女性と思われていますが、学生時代は15回くらい転校していて極度の対人恐怖症でした」と切り出すと「宝塚を辞めた後は、私には何も才能がないと思い(家から出られず)ベッドが友達でした。いま思うとうつ病だったのかもしれない」と告白。』『最初は30才を過ぎたばかりのころ。悩みが深すぎて食べるという行為が困難になりました。日に日に減っていく体重が怖くて、たまらなかった。次は、宝塚を退団したあとです。レッスンや稽古がない日々をどう過ご
ケース⑬鬼束ちひろ(1980年10月30日)シンガーソングライター『ファンの皆様。ご無沙汰してます。鬼束ちひろです。突然ですが、私はここ半年間ほぼ死人のような状態でした。だけどそんな状況の中でも、混乱し、泣き喚き、激しい感情の起伏に振り回されていました。私はとても気紛れで、性格的に猛獣の様なところがあるので、これからの人生もどうなるかは全くわかりませんが、今は歌を作り、それを歌っていきたいと思っています。心配してくれた方々、どうもすいません。そしてありがとう。』2004年移籍先の