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43,44,45番札所は幹線道路沿いに少し離れて並んでいます。参拝日2025/11/297/15光雲寺こううんじ山号:鶴枩山宗派:曹洞宗静岡県浜松市中区東伊場1丁目24-5☎053-452-2723浜名湖岸新四国八十八ヶ所霊場第45番札所納経帳に戴きました。霊場票左側が幼稚園なので平日は注意精て下さい。境内本堂本堂入口の所に印が有りました。上空写真(Google)🅿は本堂前に出来ました。
Twogreyheronspaintedonanaturallyshapedwoodendoorpanel以前に紹介したことがある、京都の町屋の外装に利用されている木目戸板。それを見た時に、この木目調の戸板に描かれている絵を思い出した。それは、南禅寺塔頭光雲寺の杉戸絵(写真)である。浮き出た木目の上に描かれているアオサギ2羽の絵。この絵は、室町時代に活躍した絵師で狩野派2代目、狩野元信が描いたとされている。このアオサギが水辺に餌を探している時に水面に波紋が広がったように見
浄土宗寺院巡りの続きです源覚寺→善光寺→慈眼院澤蔵司稲荷の次は、慈眼院から少し坂を上った所の浄台院と光雲寺に行きます浄土宗アプリのマップ見ても中々浄台院が見つけられません😱どうなってるの~?😭普通の民家の門の表札をよく見ると…浄台院って書いてあるぅ〜😱😱😱全くの普通のお家で、お寺の雰囲気は一欠片も有りません😂門の隙間から覗くとお地蔵様がおったよ〜😅浄土宗寺院の浄台院は、無量山浄台院と号します縁起は全く分からず…山号院号しか分かりませんでした~😵無量山となっているから、傳通
光雲寺(こううんじ)は、左京区南禅寺北ノ坊町(丸太町通りの東天王町交差点の南東方向)にある臨済宗南禅寺派に属し、山号は霊芝山(れいしざん)、本尊には、東福門院(とうふくもんいん)の釈迦如来と観音菩薩を賜って安置しています。。南禅寺北ノ坊とも呼ばれています。もとは摂津(大阪府)にありましたが、寛文年間(1661年頃)後水尾天皇及び中宮東福門院(徳川家康の孫娘和子)が南禅寺の英中禅師に深く帰依され、光雲寺をこの地に移して再興しました。歴代皇室の尊崇あつく、元久邇宮家の菩提所となっています。境内は今
1月31日水曜日、奈良県は高取町へと走りました早いもので、もう1月末。でも暖かい日だったので明日香辺りまで足を延ばそうとぶらっと来たのですが、雨☔がぱらっとしてきたので高取でUターン【高取町越智という地区】田畑が広がる長閑なところに来ました・。この前の田畑を挟んで県道133号線(橿原高取線)があってその道路沿いに曽我川という川が流れています。その川の向こう側は御所市。小さな工場や住宅が何軒も見えてますが御所市になるかと思いますあとでわかったのですがあの小高い山は「嗛間の丘」
2018年11月4日、京都非公開文化財特別公開で光雲寺に参りました。京都市左京区南禅寺北ノ坊町にあります。拝観料は¥800。写真は駄目だったので、外からのみ撮りました。哲学の道。
掛軸などで鶴に梅、そこに人物が描かれていたら、その人は、中国・北宋時代の詩人「林和靖(りんわせい)」といっても過言ではない。それほど、林和靖は、鶴と梅との関係性が深い人なのである。梅を妻とし鶴を子として西湖の孤山で暮らしていたといわれている。その林和靖の生活ぶりが、「梅妻鶴子(ばいさいかくし)」という中国の四文字故事につながったといわれている。俗世を離れ、清らかで風流な隠棲生活をする人が、妻の代わりに梅を愛し子の代わりに鶴を愛で、一人清らかに暮らす様を表している。掛軸(写真)に描かれている
前回からの続き(令和4年11月26日のこと)になります秋のことをアップしていっていってるので、季節ハズレの画像も多くなることお許しください🙇今回は南陽院から泉屋博古館までに見た紅葉と、駐車場へ戻るまでのものをアップします南禅寺・三門前さすがに人手が戻ってきてました南禅寺境内の紅葉🍁過去にアップした記事→南禅寺『南禅寺・総集編』今回は南禅寺の総集編です御朱印住所・京都市左京区南禅寺福地町86御本尊聖観音HP南禅寺臨済宗大本山南禅寺臨済宗大本山南禅寺公式サイトwww.na
東福門院の菩提寺である「光雲寺」の文化財のひとつに興味をそそるものがあった。厨子に安置されている東福門院の念持仏(身につけたり、私室に安置して信仰する仏像)の聖観音像(しょうかんのんぞう/30㎝ほど)。その厨子の天井にはほんの少し色が施されている見事な龍が描かれている。火から守る水の神様としての龍がこんな小さな厨子の天井にまでも描かれているのは、東福門院の念持仏聖観音像への思いが深かったのだろうと想像する。大きなお堂の天井龍にも劣らない美しさと迫力に驚かされる。リポート&写真/渡邉雄二
過去に参拝したことがない寺院を訪れて際に必ず確認するのが本尊。寺院によってさまざまで、また宗派によって異なる場合があるので確認は欠かせない。事前に調べていく場合でもできるだけ確かめる。まして大きい寺院になると本尊の両脇に仏像が並んでいる場合も多い。その仏像の名前も知ることで本尊への興味が増す。前回紹介した御寺泉涌寺も三世仏として三尊が並んでいた。シリーズで紹介している「光雲寺」の本尊は釈迦如来坐像で、その釈迦像の両脇に二体の仏像が立っていた。釈迦像に向かって右に摩訶迦葉尊者(まかかしょうそんじ
南禅寺の境外塔頭である光雲寺は、同寺院のHPによると南禅寺と同じく大明国師が開山し、743年前の1280年に開創した寺院。もとは大阪北中部にあたる摂津国の、現在でいう四天王寺の付近にあった。開創は本山である南禅寺より11年前であると紹介されていた。京都が応仁の乱で荒廃になった後に、南禅寺第280世英中玄賢禅師(1627年~1695年)によって後水尾天皇の皇后である東福門院の菩提寺として、現在の南禅寺北ノ坊の地に移し再興された。南禅寺と同じく大明国師が開山大明国師の掛軸これが光雲寺の歴
寺院でよく見かける戸板に描かれている絵。京都の歴史ある寺院だと国の重要文化財に指定されているのも多い。哲学の道沿いにある南禅寺塔頭の「光雲寺」には、以前紹介した俵屋宗達の兎が描かれた戸板の他に、室町時代に狩野派2代目として活躍した狩野元信が描いたアオサギの大杉戸絵がある。この杉戸絵が目に焼き付いて離れないほど印象深い。杉の強烈に浮き上がる木目とアオサギが見事に調和され描かれている。木目が水面の波紋のように見え、せせらぐ川の中でアオサギが餌を探しているかのよう。たかが戸板だが、絹本や紙本とおな
江戸初期に活躍した絵師俵屋宗達は本阿弥光悦と並んで琳派の祖といわれている。俵屋宗達の絵でまず思い浮かぶのは、「風神雷神図」であろう。その他にも数々の絵が残されいまに伝えられている。その一つが南禅寺の境外塔頭の光雲寺にも杉戸絵として存在する。公開はされていないが、令和五年の干支である癸卯の兎が杉戸2面に描かれている。1610年代か20年代のものと思われるが、両面に白兎、黒兎など数羽が楽し気に戯れている。昨年、光雲寺を参拝する機会があり、仏殿や方丈などにある、日頃目にすることはない貴重な文化財
師走も半ばを過ぎ今年も残すところ、わずかとなった。3年近いコロナ期間が収束し新しい時代を迎えられると思いきや、また感染者が増え収束は望めないようだ。ウィズコロナの社会で新たな生き方が求められている。来年は令和五年、卯の年。「癸卯」である。時代の節目をひとつの変化ととらえギアチェンジをしていく必要がある。南禅寺管長田中寛洲老師画の色紙写真の色紙は、先日、京都東山の「霊芝山光雲寺」を訪ねた折に、いただいたものである。光雲寺のご住職で大本山南禅寺派の管長の田中寛洲老師の描かれた
神社のアオバズクに、子供が誕生しました。三羽生まれたようです。木の中のほうに4羽がいて、少し上の枝に、もう一羽います。白っぽいのが、子供ですね。少し移動した、道路沿いにある蓮池に、寄ってみましょう。たくさん花が咲いていますね。ここは、ピンクの花が咲くので、とてもきれいです。チョウトンボも、たくさん飛び回っています。花を楽しんだ後、道の駅の広場で休憩して、海を回って川のほうへ行きます。海は、少し涼し気ですね。河口には、ウやカルガモ、ミサゴなどがいました。途中にあった
名古屋のシンゾウです朝ごはんを食べた後、睡魔が襲ってきました。2時間の朝寝をして、ブログ更新作業をしています。野球ナイターが始まり、睡眠サイクルが滅茶苦茶になってしまいました。おまけにビックリする程弱いドラゴンズ、頑張ってくださいよ。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(442)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《漢字書取り》【21401】らくちゅうらくがいずびょうぶ【21402】だいねいけん(!南禅寺)【21403】どうじゅいん【21404】じしょうじ
よこすか観光マップを見ていて秋谷の光雲寺にまだ行っていない事に気づきました。空に光が射していたので出発、着く頃には空は雲に覆われ、名前の通りになりました。近くの子安で見掛けた白梅です。
ちえちゃんのブログです💌以前ブログにて奈良県高取町光雲寺の杉についてお伝えしたと思います。最近フォローしましたブログの中に何とこの光雲寺のパワーのある杉を再び見て勇気を得ました。最近疲れてます。この環境ですもん仕方ないですが💦医療機関違っても頑張っている看護師次々と退職しましたという知らせが入ってきます。もう疲れたよ自分も感染したら家族に迷惑になるなので辞めたよ平和な環境まで待つよとかこれに関してはなんともノーコメント仕方ないよやはり使命感あっても家族大切
2021年12月28日まだ昨年の話こちらが2021年最後の記事となりますこの日は、またもやココロは、あの楠木一家ゆかりの寺社仏閣の冊子に掲載されていたお寺を訪ねることとした。到着したのは………【光雲寺(こううんじ)】奈良県高市郡高取町越智24こちらは、ココロ初めての参拝となります『四條畷の合戦』で楠木正行亡き後も、楠木氏を継いだ正儀を支援した越智氏の菩提寺であるという。楠木氏と越智氏とは、一体どのような繋がりがあったのだろうか【山門】鎌倉時代後半、得宗家と呼ばれた北条氏本家
ご案内このチラシの行事をします。行方さんの企画に私が乗るかたちですが、そろそろこういう行事にどうでしょうか。人数枠があります。参加したいと思われる方、次へ電話を下さい。11月21日(日)13時会場です。申し込み電話090-5664-2658(ヒヤマ)。
名古屋のシンゾウです今回から、基本問題を暫く続けます。漢字を正確に書けることに注意しながら答えてください。分からなくても、よ~く考えてください。実力が付きますよ。それでは、基本問題を始めます。―――――――――――――本日の問題(179)《基本問題です》漢字を正確に書いてください。【10131】世界文化遺産を全て。(17)【10132】特別名勝を全て。(14)【10133】特別史跡を全て。(3)【10134】日本三大勅祭は。【10135】日本三大祭は。
毎日、問題を作っていますと、記憶力の衰え痛感させられます。例えば、・この僧侶、創建か開山か中興か....ハッキリしない!・この寺社、何処にあったか....全く思い出せない!・漢字が読めない、書けない....いつものことですが!・人名に迷う....人が多すぎる!・度忘れが多すぎる....認知症の域かも!・資料が多すぎて整理が出来ない....自滅している!等々それでもめげずに本日もブログ更新します。お付き合いください。―――――――――――――本日の問題(153)《過去
名古屋のシンゾウです昨日掲載しました《覚えちゃお!001》「正法寺」について、東山区今熊野南日吉町にも、浄土宗西山禅林寺派正法寺がある旨を教えてもらいました。この寺、境内に国指定の天然記念物「東山洪積世植物遺体包含層」があります。私の勉強不足が露呈してしまいましたが、ご教示いただきありがとうございました。早速、追加修正いたします。ペダーソンさん今年も受験しましょうね。―――――――――――――本日の問題(88)《過去問題から》【04801】東山界隈では、○○から清水寺までを
★高取町の光雲寺の梅を観に行って来ました。山門横に何本も植えられてて季節になるといい香り~サンシュウも綺麗禅寺らしく凛とした境内の雰囲気が好きです。こっちまで背筋がピンとします。高取城の瓦が展示してあります。土佐街道だけでなくこちらでも当時の遺跡を見ることが可能です。★日本三大山城の高取城跡へ途中まで車で・・・気候の良い時はハイカーで賑わっていますが今は殆ど誰もいない・・・週末はそんなことはな
今回は哲学の道のことなど一部、銀閣寺の記事と被りますf(^ー^;明治23年(1890年)東山山麓に完成され、明治45年(1912年)に延伸された琵琶湖疎水分線沿いの桜並木の散策路(若王子橋から浄土寺橋の間約1.8km)です。近隣には世界遺産の銀閣寺をはじめ、著名な社寺が点在し、京都の伝統的な歴史や文化が今も息づいています。昭和43年(1968年)地元住民の熱意あふれる環境保全整備の声に、京都市が応え、散策路として、昭和47年(1972年)に完成しました。以来、住民や上下水道局による献身
熊野若王子神社哲学の道光雲寺
1/11飛鳥周辺城巡り続き越智城奈良県高市郡高取町越智越智氏の居城(館)。築城年代は不明で三方を囲まれた谷間に居館があったとされる。居館跡は畑になっており3段の段が確認できます。周囲の丘陵にも土塁、堀切があります。越智氏は大和四家(越智氏、筒井氏、十市氏、箸尾氏)の一つで南北朝時代は南朝方として活躍した。越智維通の時大和永享の乱で戦死し没落するも越智家栄が河内守護畠山持国の支援で復帰筒井氏、十市氏などを追放して最盛期を迎える。その後は衰退し織田信長の大和侵攻の際降伏します。
好天の日曜日。暑くも寒くもない絶好の散歩日和となった。とはいえ紅葉にはまだ早く、コロナ禍で人でも少ないだろうからと、さほど遠くないところへ散歩に出掛けた。銀閣寺道までバスで行き、そこから東の銀閣寺方面へしばらく行って、琵琶湖疏水に沿う「哲学の道」へ。桜でも紅葉でもないこの時期だから、元々それほど混み合う時ではない。ところでこの「哲学の道」沿いの散歩は、これまで幾度となく通っているが、今日はちょっとした異変に気づいた。閉まっている店が多いのだ。いくら観光シーズンではないといっても
舞妓さんの踊りを間近で見て、撮影して更に舞妓さんと話がしたい人には舞妓さん撮影会がおすすめです。・近々、開催される舞妓さん撮影会を紹介しよう。◆2月24日(月・祝)宮川町の舞妓小晶さんの芸を応援する撮影会小晶さんが三味線で弾き語りをする様子を撮影。場所.光雲寺参加費一般撮影コース22000円一般撮影+食事コース32000円スマホコース9900円スマホコース+食事会19900円当日のスケジュール1200現地集合1215~1400撮影会撮影会のみに参加の人は1
満願寺川、本馬川、中方川、曽我川の合流地点。豊富な水量が地域、産業を支えてきました。岩の突き出たところ、本馬山東麓、岩崎村の創始の場に鎮座。嗛間丘[ほほまのおか]神社とも呼ばれます。1921年(大正10年)建立。「建義の庭」とも呼ばれ、燕会及び村人の集う場となりました。境内周辺の傾斜地一面には芝桜が植えられ、春先には一面鮮やかなピンク色に染まります。丘先端の休憩所。■鳥居■本殿■狛犬