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アクセスありがとうございますいいね!ボタンはありませんのでご興味ない方トバシテ下さい!テーマがバラバラですみませんm。。mホテルオークラのある河原町御池の交差点には史跡がいっぱいと(2)で書きましたが悲田院の駒札は目立ちません人目に付くのはこちらの碑「此附近池田屋事件吉田稔麿(としまろ)殉節の地」「北隣地明治時代山本覚馬・八重邸宅跡」幕末・明治の史跡なんですね殉節とは「正義に殉じること」だそうです吉田稔麿は長州藩出身吉田松陰門下生(松下村塾生)
光源氏は、モテモテだったらしいです。紫式部が書いた源氏物語。モデルは誰なのでしょうか?安和の変で、藤原氏に左遷された、源高明という説が有力です。源高明は、モテモテでしたから。光源氏は、20歳ころ、葵の上を正妻に迎えます。4歳年上の女房で、気位の高い美人です。光源氏の子供を出産します。その出産に嫉妬する女性がいます。光源氏の7歳上の恋人、六条御息所です。源氏との恋に狂った御息所は、出産時の葵の上に生き霊として取り憑き、葵の上を夕霧出産後に死なせてしまいました。源氏物語の初期のク
現在は北山病院の敷地内となっている大雲寺旧境内。源氏物語第5帖・若紫では、光源氏が瘧(おこり:マラリア)の治療の為に加治を受ける為に北山のなにがしの寺の候補地のひとつになっています。大雲寺自体は1988年に石座神社(いわくらじんじゃ)の東側に移転しています。大雲寺が「北山のなにがしの寺」の候補となっている理由は、紫式部と関連性が考えられる事があります。※「北山のなにがしの寺」については、大雲寺旧地以外に鞍馬寺も紹介されています。<参考情報>源氏物語では、光源氏が滝に打たれるシーンがありま
「光る君へ」は、今までの大河ドラマとは、違い現代の恋愛とお家騒動に照らしあわせても十分通じる話だ。なので、全然歴史物語、という感じはせず歴史など関係なし、史実はどこへいった、くらいの気持ちだ。今までの歴史物語を愛している視聴者特に男性には、きっと”こんなの大河と違う”と言う意見も多いだろうし楽しくない人も多いだろう。恋愛をからめるのはいいとしても、清明や藤原家、などの争いがちょっと中途半端で楽しめない感は否めないが”大河ドラマ=歴
「笹分けば人やとがめむいつとなく駒なつくめる森の木隠れわづらはしさに」とて、立ちたまふを、【これまでのあらすじ】桐壺帝の第二皇子として生まれた光源氏でしたが、源氏姓を賜り、臣下に降ります。亡き母の面影を追い求め、恋に渇望した光源氏は、父帝の妃である藤壺宮と不義密通に及び、懐妊させてしまいます。光源氏18歳冬。藤壺宮は、光源氏との不義密通の御子を出産しました。源氏は宮中の女官に手を出すこともなかったのですが、年増の源典侍(げんのないしのすけ)には少し興味を持って、ちょっかいを出して
源氏物語の光源氏のモデルが誰なのか源融(みなもとのとおる)と伊勢物語の在原業平の関係を書いたが、そもそも、紫式部がこの二人のことを知っていたか・・・もし知らないとすると、光源氏のモデルになるはずはないことになってしまう。時代的に言うと、源融が838年に元服していて、在原業平が826年に臣籍降下している。紫式部は、970年ころ生まれたらしいので、大体150年くらい後の人になるもともと伊勢物語って、その成立がよく分からないようで、いつ、誰が書いたものか、一
弘徽殿は、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。転じて、弘徽殿を賜った后妃の称としても使われる。皇后・中宮・女御などが居住しました。天徳4年(960年)の火災で焼失し、河内国司によって再建されました。しかし正暦5年(994年)と長保元年(999年)にも焼失。再建後、弘徽殿についての記録は13世紀前半まで残されており、内裏が廃絶されるまで存在したとされています。平安宮内裏弘徽殿跡の説明版がある住所は、京都市上京区東神明町297-1。説明板以外に史跡を示す石柱もあるので探しやすいと思います。◇
人や見つけむと苦しきを、女はさも思ひたらず、「君し来ば手なれの駒に刈り飼はむ盛り過ぎたる下葉なりとも」と言ふさま、こよなく色めきたり。【これまでのあらすじ】桐壺帝の第二皇子として生まれた光源氏でしたが、源氏姓を賜り、臣下に降ります。亡き母の面影を追い求め、恋に渇望した光源氏は、父帝の妃である藤壺宮と不義密通に及び、懐妊させてしまいます。光源氏18歳冬。藤壺宮は、光源氏との不義密通の御子を出産しました。源氏は宮中の女官に手を出すこともなかったのですが、年増の源典侍(げんのないしのすけ)に
昨日は、NHKの大河ドラマ「光る君へ」から源氏物語の光源氏のモデルの一人とされている源融(みなもとのとおる)の和歌を取り上げ、伊勢物語にたどり着いたが、ここで面白いので、在原業平と源融との関係を書いてみよう。在原業平という人、桓武天皇の皇子である平成天皇(51代)の孫にあたる方で、もとは高貴なお生れだけど、父親の願い出により臣籍降下され、六歌仙の一人とされるように和歌の世界で名をなした方なんだけど・・・昔から美男の代名詞となったような人で高貴な女性と逃避行
毛先が、着地してる。モリモリ伸びてほしい。でも歳的に厳しいかなぁ。紅麹あってから、サプリメントも怖くなった!普段の食事で頑張ろう✨
染めたいと思わない。ずっと黒髪でいいや♪慣れてしまった!
光る君へまひろの紫式部みたい!源氏物語本当に楽しい!54帖だもんなぁ。雲隠れだけは、文章何もないのよね。宇治編も、深いんだよね。
酷い大雨。眠れるかな。また、悩む(;´Д`)雨音がうるさくて。屋根すぐ上だから、バチバチうるさいんだよなぁ。明日はどうなることやら。
どうでもいいの♪我が世誰ぞ常ならんもっともっと深くまで行きたいところはたくさんあるの。会いたい人もいるの。時間が足りない。
あさきゆめみしでも、読んでおく。何度言ってもダメみたいだから、決めた。好きな事に時間費やそう。無駄なことはもうやめよう。今夜は早めに薬飲んだ。何も考えないで寝たい。ブログは残るから後マイナスな事は書かない!私は、私の時間を生きよう。
秋田といえばの小野小町の後ろ姿あるよね。好きな事をしてると、時間も早いんだけど、充電も減るww雨やまないかなぁ。この振り方嫌だよ、明日。
平安時代、いいな。大河とかあさきゆめみし見てるとより思う。十二単が着たい!憧れ〜♪髪がどこまで伸びるのか!頑張って限界まで伸ばそう\(^o^)/
毛先の傷みが気になる!コロナ後遺症かな?匂いが、全然しない!味覚は戻りつつある(●´ω`●)しかし、コロナ菌つよっ!負けたわ今回は。熱高すぎてしんどかった!そして、今後のこと考えてかなきゃ!
本当にイラスト綺麗!たくさんの姫君の中で、紫の上好きだなさーて、明日は仕事!コロナから復活(*´ω`*)今回は本当に痛い思いした。色んな意味で健康1番だなって実感。辛い10日間だった(´;ω;`)もう、コロナにはなりたくないね。気をつけて過ごさないと!
おばあちゃんの入ってる施設面会出来るみたい。久しぶりに、おばあちゃん会いたいな!元気にしてるかなぁ。92歳くらいなるんだよね。生きてるうち話したり顔見たりしておきたいな。おじいちゃんは、もう亡くなってるから。
新装版分厚い!ちょっと読みにくい。文庫版のほうが、いいな。でも、大河の記念で新装版かもだから、大切にする!毎週大河楽しみで。平安時代好きだなぁ。
紫式部にっきよんでみたいなー。源氏物語とはまた違っていいこと?
昨日は、NHKの大河ドラマ「光る君へ」から源氏物語の光源氏のモデルの一人とされている源融(みなもとのとおる)の和歌百人一首14番「河原左大臣」として、「陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに乱れそめにしわれならなくに」陸奥で織られる「しのぶもじずり」の摺り衣の模様のように、乱れる私の心。いったい誰のせいでしょう。これを取り上げたが、この和歌は、当時から相当に有名だったらしくて在原業平が主人公とされる「伊勢物語」でも取り上げられていて、
りんごが虹色だったころのお話しです……⁉️🍎🌈私は根っからのアップルファンです。現在の愛機は、MacBookAirと、iPadPro、iPadmini、そしてiPhone7を使っています。PowerBookG4と、スケルトン仕様のibookも健在です。もうひとつ、PowerBook5300という古い機種も、漢字トーク7.53という古いOSで使用していましたが、残念ながらつい最近壊れてしまいました。マックとの出会いは、30年程前に、ニューヨークに居た時に、パフォーマーを使ったの
「ことしもあれ、うたての心ばへや」と笑まれながら、「森こそ夏の、と見ゆめる」とて、何くれとのたまふも、似げなく、【これまでのあらすじ】桐壺帝の第二皇子として生まれた光源氏でしたが、源氏姓を賜り、臣下に降ります。亡き母の面影を追い求め、恋に渇望した光源氏は、父帝の妃である藤壺宮と不義密通に及び、懐妊させてしまいます。光源氏18歳冬。藤壺宮は、光源氏との不義密通の御子を出産しました。源氏は宮中の女官に手を出すこともなかったのですが、年増の源典侍(げんのないしのすけ)には少し興味を持って、ち
■2024年4月23日(火)at東京都美術館第20回ベラドンナ・アート展第20回展受賞者発表|belladonna-art(art-belladonna.jp)東京都美術館にて、ベラドンナ美術協会が毎年4月に開催する”時代を切り拓く女性アーティストによる美術展”(全国公募作品展)この作品展に、春馬君ファンである人形作家の月乃光さんの「光の君」が入賞とのことで、観てきた。おわしました。写真OKとのことなので、ドアップも撮りましたよ。ちゃんとホクロもありました
第20回ベラドンナ・アート記念展が終了いたしました。連日、多くの方々においで頂きありがとうございました。お忙しい中、東京都美術館まで「光の君」に会いに来て下さり、また、SNSに投稿して拡散頂いたり、身に余るお言葉も沢山頂戴しまして感謝申し上げます。ほろ酔いです✨「入賞」を一緒に祝って下さりありがとうございました🙇月刊誌「創」の篠田編集長様堀内圭三音楽事務所様ありがとうございました🙇主催のLUNE様、ベラドンナ事務局様スタッフ様、ご一緒させて頂いた作家の皆様、
今回の光る君へは、平安時代でもあり、私の大好きな作品♪日曜日の、香炉峰の雪のとこは有名よね!して、姫カットにしていた、髪も伸びてきた♪とにかく毎週楽しみにしてる♪
葵の上にとりつく生き霊本文御手を捉えて、「あないみじ。心憂き目を見せ給ふかな」とて、物もえ聞こえ給はず泣き給へば、例はいと煩はしく恥づかしげなる御まみを、いとたゆげに見上げて、うちまもりきこえ給ふに、涙のこぼるるさまを見給ふは、いかがあはれの浅からむ。現代語訳源氏は、葵の上の手を取って、「ああ、なんてつらい思いをさせるのだ」と言ったきり、あとは泣くばかり。葵の上はいつもは近寄りがたく、気後れしそうな眼差しなのだが、今はとてもだるそうに源氏を見上げて、じっと見つめていた
大河ドラマは、歴史好きの牙城だが、NHKの大河ドラマ「光る君へ」を見てるとどうしても、源氏物語のなかのエピソードと重ねあわせてしまう。紫式部という人物が、ありもしない話だけであれだけの長編小説が書けるはずもないので、こういう日常生活からヒントを得て、源氏物語のストーリーを考えたのかなと・・・先日の大納言道綱が石山寺で夜這いして、人違いするところなんか、空蝉と軒端荻の話を彷彿とさせ、くすくすと笑ってしまった。このあたりが脚本家の狙いで、歴史好きからみても、源氏