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京都・光明院をご案内させていただきました。光明院は、25ヶ所ある東福寺の塔頭寺院のうちのひとつです。主庭である池泉式枯山水「波心庭(はしんてい)」は、大海原を表現した白砂の上に、仏様に見立てた三尊石(釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊)と48の巨石を配置し、白砂と苔のコントラスト、借景の木々などが調和し、深遠な禅の世界が表現されています。初夏にははサツキとツツジが咲き誇り、夏は青もみじ、秋は紅葉が艶やかに色づきます。また、光明院の建築には、丸、三角、四角の小窓や、なまず、瓢箪
檀信徒と当山主管霊園(府中国立メモリアルパーク)の信徒さん、そして関係寺院あての「光明院通信・正月号」を発送した。発送作業は当山職員がしたので、私は封筒に入れるものや、檀家さんでもこの人にはこれは入れないとかの指示を出していた。午前中に、分梅郵便局に持って行ってくれた。今週中には各家に届くだろう。残りは、第2墓苑(府中国立メモリアルパーク)に墓地はあるが当山と関わってない他宗教宗派の方たち。最初に送付したときに何人かは「いりません」「不要です」言ってきた方もいたが、その方たちは除いて第2
東福寺の駐輪場は南門のところにありました。いつも開いていないお寺が開いています。東光寺です。入らなかったけれど、あまり人がいない感じでした。南門まで来たら、ここものぞいてみようと、光明院です。1391年の創建で数えきれないくらい訪れています。門の前に青石の三尊石?ここの敷石も素敵です。入ったところは雲嶺庭とよばれます。虹の苔寺といわれるそうです。昭和14年重森三玲によって作庭された波心庭です。光明院の庭は重森三玲の庭の中でも気に入っています。サツキの刈り込みが
京都市東福寺近く光明院少し歩きますが、都会の喧騒を離れ、500円で京都らしい、しっとりした雰囲気を味わえます♪今年の紅葉は正直イマイチでしたが、静かでよかったです(^^)
☆2024.11.10☆東福寺塔頭光明院へ行ってきました!こちらの光明院さんは初めてでしたが、今回三浦大地さんとのアートコラボをしているということを知って見に行ってきました本日が最終日だったみたいで、行けて良かったですお寺の門からもうアートが入ってすぐのお部屋ですすでにかわいい♡こちらのお寺は広くてたくさんのお部屋にアートがあって見応えがありましたお庭はなかなか広くて綺麗ですこんなところにもさりげなくキャラが‼️こちらではグッズも販売されてたみたいですが、ほとんど売り切れた
25ans9月号掲載東京資格の取れるお稽古サロン『Pomme』京都の光明院で開催されていた三浦大地さんのExhibition『女子我道』行けなかったけどグッズは買ってきてもらいましたお香とクッキー京都にいたら絶対行ってたけどちょっと無理でしたこのキャラクターが好き好きで結構色々お家にありますいつかARTを買いたいけど、難しいなぁお知らせ昨年、京都から東京へお引越し東京でのお教室は最寄駅『京成曳舟』『曳舟』『押上』近隣にイトーヨーカドーがありますので483台駐
こんにちは。平日なのに七五三参りが多くビックリ😲寒くなりましたが、ご自愛下さいませ。2024.11.19堺市北区にて撮影百舌八幡宮本尊は無量寿如来で、本堂右に七福神の一つであり除災招福で知られる毘沙門天を、こうじん左には百舌鳥の荒神さんとして親しまれている三宝荒神をそれぞれ祀っられています。本堂です。江戸時代中期に、大鳥神社神宮寺じんぼうじやくじである神鳳寺の役寺となりますが、慶応4年(1868)の神仏分離令により、神鳳寺が廃寺となったため、釈迦三尊像や十一面
午前中にジムに行き1時間の自主トレーニング。日曜なので大勢いた。👈光明院斎場が今日と明日使われる。当山の斎場使用は市民聖苑があるのでほとんど使われてない。今年、初めてだった。小生は、府中の森市民聖苑での通夜式に出仕した。檀家さんでもある故人とは私の父と故人の父親が従兄弟なので、はとこになる。親戚縁者が多く、通夜振る舞いの席に私も親戚ということで呼ばれて同席した。ビールを継がれるままに頂き、少し酩酊。明日の葬儀は10時からなので、9時半には着くように
おはようございます今朝は少しムッとした空気で雨も降ったようで気温も高めでした。この土曜日、奥さんと用事があって伊勢丹へ用を済ませた後ママは買い物、僕は撮影で別行動向かったのは東福寺方面途中紅葉の確認したけどまだ色付きはじめといった感じ光明院の個展へ潜入このお寺、庭園好きなら知らぬ人はいないでしょう!そんなところで個展されるんですから興味津々でした一本だけ結構色付いてました
【京都】アーティスト三浦大地さんの個展『NONDUALITY』が東福寺塔頭「光明院」で開催中この個展のために作られたステキな『御朱印帳』Josieちゃんがとても可愛いです【光明院コラボ御朱印帳】(大判サイズ)以前お受けした【光明院御朱印帳】(大判サイズ)【光明院限定御朱印】光明院①『【京都】東福寺塔頭「光明院」で新たにいただけるようになったステキな【御朱印帳】&【御朱印】』【京都】京都市東山区
今日は立冬で、暦の上では立冬から冬に入るため、「立冬を迎え、暦の上では冬となりました」といったフレーズを見聞きする。なお、立冬から2月初旬の立春の前日までが暦の上では冬になる。👈暦の上では冬となりました。今年の彼岸花がお彼岸が終わって1週間後に咲いたように、暑さ寒さはすべてが暦通りにはいかない。それでも、決まりごとは暦を見て決める。その決まり事の日程を決めるために、光明院大師講の松村会長が午前中に来られた。12月7日(土)17時から大師講役員会と役員忘年会。来年になるが
私のソロコンサート、間も無く前回と同じく、かわいい吊るし雛が、会場を華やかにして下さいますこれを作成している流山ひろがる和の皆さんが、協力という事で朗読の会に参加しました熊澤南水先生の、まずはお話しから、、、スタートは苦難の人生お子さんの成長を待ち、この世界へ83才のお言葉重みがあります10分の休憩時間で艶やかにお着物を着替えられましたすごい山本周五郎氏の不断草しっとりとゆったりとお話しに集中出来ました会の終わりには私のコンサートの紹介もして頂きましたそし
家でじ~としていると落ち込みます。電車に乗って・・・・東福寺塔頭光明院私の好きな寺(寺院)の一つです。数年前までは、静かな寺でしたが、ネットで広まったのでしょうね。また、日曜日ということもあり、外国人でいっぱいでした。騒がしいのは、某国の人ですね。その後、彼岸参りに行ってなかったので知恩院に・・・。京阪祇園四条駅から知恩院まで歩いたのですが・・・むちゃくちゃ、しんどくて・・・・。三門までの階段、三門から御影堂までの階段、かな
こんばんは😃felizの音楽担当EMIです👋皆さんいかがお過ごしでしょうか?初めましての方✨いつもみてくれる方✨ありがとうございます🙏9月24日大安で休みだったので気になっていたこちらへ行ってみました。以前から車とかから仁王門と不動明王が見えてどんな感じなんだろうと❣️行って来たのは。。光明院小田急線向ヶ丘遊園駅北口徒歩8分にあるお寺さんです。世田谷通りから少し入ったところにありました。堺内の太子道には建築職人の信仰する聖徳太子があったり不動明王や象、龍、七福神など他にも沢
午前中は多摩境フォーシーズンメモリアルでの1周忌法要に副住職出仕した。葬儀、授戒名は当山でしている方。12時から府中国立メモリアルパーク(光明院第2墓苑)での3回忌法要には、職員の運転で住職が出仕した。礼拝堂で、参列者は子どもさん入れて6人。思うようにならない人生について話した。そのあと、何万年もの人間(じんかん)の歴史において出会う人は限られている。そこで偶然出会った皆様方にとっての今日の仏さま、つまり故人との出会いの意味合いの素晴らしさを我々が僧籍を取る時の儀式=投華得仏
前回の8月の終わりに向かった先は光明院明徳2年(1391)に東福寺の塔頭として金山明昶(きんざんしょうみょう)によって創建される玄関からやわららかな陽が射し込む優しい風を感じる朝本堂の中は、ほんの数人の拝
8/25(日)室戸岬からの五ヶ寺台風の影響で☁かなと思っていたのにカンカン照りの猛暑第24番札所室戸山明星院最御崎寺(むろとざんみょうじょういんほつみさきじ)スカイラインからの海の景色がとても素敵でした。運転していたので写真なし第25番札所宝珠山真言院津照寺(ほうしゅざんしんごんいんしんしょうじ)駐車場はないので、近くの海岸沿いに停めて歩きます。第26番札所龍頭山光明院金
今月の大和北部。奈良市に行く用事あり!。チャンス!大和郡山番条の光明院大師堂たぶん中谷酒造さんの敷地内にある?お堂。実はお参りを何回かしている。隣の中谷酒造さんで御朱印をいただくのですが、1回目は、完全に時間外。2回目は、12時前なのに、もう閉店。いやー!平日午前中開いてるはずなのに。さすが、この時はめげた。今日、3回目。開いてました。中谷酒造さん。かなり古い事務所です。ありがとうございました。そして、近鉄奈良駅北の崇徳寺。予約するのを完全に忘れていました。目
当山近くにお住まいの方で、今ある墓地(共同墓地)が八王子の方で遠いので、当山に墓地を求めたいという事で来られた。墓地を求められるという事は檀家になるという事と説明した。順序としては、逆になる。つまり、先ずは菩提寺を支える檀家さんになることで、菩提寺としては境内墓地をお貸ししましょうという事になる。菩提寺になる当山は真言宗豊山派なので、その宗旨に賛同して檀信徒になる。当山は以前に信仰していた、また別の宗派に関わっていたり、その家で別の宗派で葬儀をしていても、以前については問わない。これから
高野山の宿坊光明院こちらの宿坊は到着時にお茶のおもてなしがあります宿坊の宿泊者は翌朝の朝のお勤めに参加することができますイスが用意されているので正座でないのも嬉しいポイント朝から清々しい気分を味わえます朝食の後毎日護摩祈祷があります直近でみる護摩の迫力熱さを体験できます金龍さんも登場していました食事はもちろん精進料理和歌山の梅は抜群においしいです😋
ここ数年、寺報「光明院通信」の表紙は書家の佐藤象寛さんに依頼して、その時期に相応しい一字を書いてもらっている。現代に使われている文字ではない。2000年前に使われていたという字。今年のお盆号は「波」。説明書きは以下の通り。印刷は活字になるかも知れない。
昨日、百舌鳥八幡宮の帰り光明院へもお参りしてきました「頭痛よけ、中風よけ、子育て」と書いてあるのに惹かれて境内・文化財:光明院(大阪府百舌鳥八幡駅)|ホトカミ-神社お寺の投稿サイト光明院(大阪府百舌鳥八幡駅)の境内・文化財です。光明院(大阪府百舌鳥八幡駅)に投稿された境内・文化財を掲載中。参拝記録をチェックして、光明院にお参りしませんか?hotokami.jp誰もいなくて静かなお寺の奥にお地蔵さんがいて(地蔵尊の裏)お地蔵さんの頭を撫でて自分の治して欲しいところを撫
寺報「光明院通信・お盆号」172号の原稿が出来たので、いつもの印刷屋さんに来てもらった。表紙は書道の先生に書いてもらっているが、明日持参されるとのこと。持って行きますと言ったが、廻っていますから取りに来ますよ、とのことだった。書道の先生の字は、夏に相応しい一字なので、どんな字かは明日わかる。今までは、令和2年から4回書いてもらった。最初は「夏」でそのままだった。篆文(てんぶん)で夏。印鑑の元になっている字で西暦百年位の字。令和3年は3000年前に使われていた「海」という字。
昨日、光明院通信・お盆号のあとがきを考えがまとまらないまま書いた。結論が出てないまま書き始めてしまった。書いた本人が、なんかおかしいと思っていては読んだ人はもっと分からない。昨日のブログに載せた文章を家族に見せた。先ず第一に、前半の「不適切にもほどがある」の文章と十善戒の事がつながらないと言われた。書いている私自身もそう思った。なぜここに「不適切にもほどがある」の文章を持ってきたか、意味が分からない。それに、不綺語の説明で、「無意味なおしゃべりをしない」がどうなのだろうと疑
水輪滞在のあとは、オプションの戸隠火之御子社。戸隠神社中社へも。鏡池。絵に描いたよう❤️泊まり処は宿坊、極意。食事も豪華でお部屋も清潔翌日はまずは光明院。萬国之英霊宝筺印塔院の清々しい気と飼い犬の可愛らしさ、忘れられない戸隠奥社まで参道入口から歩いて30分。小雨がまた良い味を😄おみくじもよかり内容で沈黙が良し🩷はいまた、戸隠、伺いますね💕
京都に泊まって二日目は、旅行前の天気予報より崩れてきて、朝から雨がポツポツし、傘を持ち歩くことになりました。始めに東福寺に向かいました。初めて・・・かな?なんとなく見覚えがある気もしたので、来たことあるのかも。国宝の三門。ちょうど修学旅行のグループのガイドの方が説明してらしたので、近くで聴きます。学生が「門だけでこの大きさ!」と驚きの声をあげていて面白かった。本堂。方丈の本坊庭園八相の庭。作庭家・重森三玲による庭です。方丈の四周に庭園を巡らせた庭はここだけなのだそう。
こんにちは。今日は爽やかな晴天の休みで、中百舌鳥八幡宮、万代寺、光明院様へ参拝しました。百舌鳥八幡御祭神は応神天皇で、神功皇后、仲哀天皇を配祀しています。社伝によれば、神功皇后が外征の帰途、この地において幾万代まで天下泰平を祈願されたことにより、当地を方代と称し、神社を創建してお祀りされたと伝えられています。平安時代末期には、当社が石清水八幡宮の別宮となっていました。南北朝時代には、深勝親王の参籠や大内義弘の寄進、江戸時代には堺奉行の参向など、古くより公武の崇敬がありました。
天台宗湯殿山光明院の御朱印(北海道小樽市稲穂5丁目4−6)書き置きでいただきました出かけるところ親切に対応してくださってありがとうございます桜🌸が綺麗な雰囲気の良いお寺でした女性の方が本堂を開けてくださって参拝できました
2024年令和6年平成36年昭和99年大正113年明治157年先日お仏壇の前でブツブツ言っているマミー。。。ロウソクに火を点けたいのだけど100円ライターのチャカッ!が固くて火が点かないと。。。子供の悪戯防止用にけっこう固くなっているのよねいろいろなパターンのチャカッ!を用意しているのだけど難しいらしい「だんだん、こんな事も出来なくなってくるのね」とボヤいていましたなので、昔に戻ってマッチ、置いておきました
百舌鳥八幡宮から歩いて3分くらいかな…光明院へ光明院【こうみょういん】創建は寺伝によると729年(天平元年)、光明皇后の発願を受けた行基により開かれたとのこと。南北朝時代には、当寺の僧侶が熊野本宮大社(和歌山県田辺市)へ参詣し、のちに盛んになる熊野詣での草分けとなったようです。中世から江戸初期にかけて何度も天災や兵火を受けて焼失しましたが、1669年(寛文九年)に智海という尼僧によって再興されました。明治期の神仏分離では、大鳥大社の神宮寺である神鳳寺が廃寺となり、その寺宝が当寺に