死が生の無意味であり、われわれの全存在の不堅実さ、生成のもろさ、一般に人間的なもののむなしさであるという考え、そのような考えは、存在をもっと理性で把えやすいものとするわけではないが、それでも存在にある色調、独自な風貌を付与する。ある程度無意味が配合されていなければ生は生でないものと信じなければならぬ。無意味の意味というこのような激しい逆説は、ところが、先験性が容認しない一つの神秘に包まれているのだ。認識論上の先験的性は、認識を可能にするがそれ自体は認識の対象となりえないもの、あらゆる思惟のじょう