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※元記事は、2021年8月noteで公開していました。加筆、修正などを加えて再UP私の祖父は、宮窪のことを「よそくに」と言っていました。ついでに今治(いまばり)のことを「いまはる」と言っていましたが、昔は「いまはる」とも言っていたそうで今でも年配のかたは「いまはる」と言うそうですね。※宮窪町に余所国(よそくに)という地名があります。昔は余所国村で、大山村と合併のち、宮窪町余所国になったようです私の祖母や母が生まれ育ったのは、大島の宮窪町余所国(愛媛県今治市、しまなみ海道)。手元にある村
※元記事は、2021年8月noteで公開していました。加筆、修正などを加えて再UP『愛媛県先祖|中卒おばさんブログ』https://ameblo.jp/iyo-110/theme-10118940840.html愛媛県先祖|中卒おばさんブログ伊藤千之丞♀中卒のおばさんさんのブログテーマ、「愛媛県先祖」の記事一覧ページです。ameblo.jp・祖父のシベリア抑留期間は、母らが生まれた時期を考慮すると長くて2年?それでもかなり大変だったと思います。食べ物もロクになく、お風呂は水風呂だ
現在ジモティーで承っております!【ご先祖様・ルーツ調べ】お手伝いいたします!https://jmty.jp/s/hiroshima/coop-whlp/article-16w8pl【ご先祖様・ルーツ調べ】お手伝いいたします!(伊藤千之丞)広島の手伝いたい/助けたいの助け合い|ジモティー【ジモティー】伊藤千之丞と申します。【ご先祖様・ルーツ調べ】お手伝いいたします!私は、令和3年夏〜趣味でご先祖様・自分のルーツを調べております。その中で培…(伊藤千之丞)広島の手伝いたい/助けたいの
🔴これまでの愛媛県先祖調べ・ルーツ記事一覧愛媛県先祖|中卒おばさんブログ伊藤千之丞♀中卒のおばさんさんのブログテーマ、「愛媛県先祖」の記事一覧ページです。ameblo.jp※元記事は、2021年8月にnoteで公開していました。編集し直して再UP前の記事にも書きましたが、さすがに私の家系は伊藤博文と直接関係ないと思います。よくわからないまま調べられるだけ調べてはいますが、頭に入りません。・藤紋の基本は「下り藤」・愛媛県西条市千町の伊藤一族の家紋は「下り藤」と「庵木瓜」が多い・伊藤博
🔴これまでの愛媛県先祖調べ・ルーツ記事一覧愛媛県先祖|中卒おばさんブログ伊藤千之丞♀中卒のおばさんさんのブログテーマ、「愛媛県先祖」の記事一覧ページです。ameblo.jp※元記事は、2021年8月にnoteで公開していました。編集し直して再UP母方祖母の戸籍にあった住所を軽く調べました。・愛知県→城下町伯耆国(ほうきのくに)※伯耆国は現在の鳥取県→城下町・加古郡(かこぐん)→万葉集「いなみ野」と詠まれていた※加古郡は兵庫県・都濃郡(つのぐん)→周南市が城下町※都濃郡は山口県周南
※自分のnote・はてなブログからほぼ転載なのと、2021夏頃にネットで調べた古い情報なのであくまでも参考程度にm(__)m🔴これまでの愛媛県先祖調べ・ルーツ記事一覧愛媛県先祖|中卒おばさんブログ伊藤千之丞♀中卒のおばさんさんのブログテーマ、「愛媛県先祖」の記事一覧ページです。ameblo.jp▼戸籍の画像(転載等一切禁止)▼母方祖母の戸籍にある、名字のルーツを軽く調べました藤原氏、清和源氏、桓武平氏越智氏、物部氏、伊東氏、広島藩の士族手持ちの明治時代の戸籍に、浅海○左衛門とい
※自分のnoteやはてなブログからほぼ転載(元は2021年6月〜7月?noteで公開していました)・愛媛県先祖これまでの記事一覧愛媛県先祖|中卒おばさんブログ伊藤千之丞♀中卒のおばさんさんのブログテーマ、「愛媛県先祖」の記事一覧ページです。ameblo.jp引き続き愛媛県西条市藤之石出身、母方祖父の先祖を調べつつ、愛媛県今治市大島(しまなみ海道の島)出身、母方祖母の先祖も調べています。・祖父の先祖…長宗我部元親の家臣のひとりであった、伊東近江守祐晴(いとうおうみのかみすけはる)でほぼ
※自分のnote・はてなブログから一部転載(元は2021年8月?noteで公開してました)前回、前々回に引き続き、愛媛県西条市藤之石(旧新居郡加茂村藤之石)出身母方祖父の先祖を辿っています。▼前々回「自分のルーツを辿りたい!壱」『【愛媛の先祖調べ】自分のルーツを辿りたい!壱』※自分のはてなブログとnoteから転載(元は2021年6月〜7月?noteで公開してました。現在noteにもほぼ同じ内容の記事を公開しています)私が、死ぬまで…ameblo.jp▼前回「自分のルーツを辿りたい!弐」
※自分のはてなブログ・noteから転載&編集し直しました。(元は2021年6月〜7月?noteで公開してました)前回に引き続き、愛媛県西条市藤之石出身(旧新居郡加茂村)母方祖父の戸籍を辿っています。▼前回の記事「【愛媛の先祖調べ】自分のルーツを辿りたい!壱」『【愛媛の先祖調べ】自分のルーツを辿りたい!壱』※自分のはてなブログとnoteから転載(元は2021年6月〜7月?noteで公開してました。現在noteにもほぼ同じ内容の記事を公開しています)私が、死ぬまで…ameblo.jp▼今現在
※自分のはてなブログとnoteから転載(元は2021年6月〜7月?noteで公開してました。現在noteにもほぼ同じ内容の記事を公開しています)私が、死ぬまでにどうしてもやりたいことのひとつが、「自分のルーツを辿りたい」ということでした。予てから私の先祖は、「何処から来た誰なのか」、加えて、「遺伝」にもずっと興味がありました。まだまだ早いと思われそうですが、終活の一貫として自分のルーツや先祖を死ぬまで調べ倒し、このブログに綴ります。まずは、愛媛県西条市藤之石出身(旧新居郡加茂村藤之石)母
noteのマガジン貼っておきます【愛媛県】先祖調べ・ルーツ|伊藤千之丞♀中卒のおばさん|note愛媛県西条市、今治市(しまなみ海道大島・大三島含む)、松山市にルーツがあります。※私の名字「伊藤」は愛媛県西条市藤之石(旧新居郡加茂村藤之石)が本籍地の母方祖父の名字母方祖母の旧姓は村上(今治市宮窪町余所国の村上)■母方ルーツ(本籍地)→愛媛県西条市藤之石(旧新居郡加茂村藤之石)、愛媛県松山市三津浜(旧温泉郡三津浜町)〜宮前町付近、愛媛県今治市宮…note.com※元は2021年
もうよく覚えていない。自分の父親のこと。思い出すことも、ほぼなくなった。声も顔も忘れた。写真も捨てた。私の養育費払わず逃げ倒した父親。いまさら責めてもどうしようもない。労力の無駄でしかない。特に恨んでもない。死んだし😌🍀私は父をスルーして、父方のご先祖様を調べ倒したいだけ。親不孝なのか?いや、これはキチンとした親孝行だ。先祖孝行でもあるし、先祖供養にもなる。兎にも角にも私は先祖を調べたい!!!戸籍も旧土地台帳も、とっくに取ったし。一生話すことがないと思っていた父方の親戚とも(少しだけど)
私の母方祖母のご先祖様を辿ると、村上水軍(村上海賊)の可能性が極めて高い。まだまだ調べ倒し中!
数人の同志の皆さまに『戸籍の取り寄せ』について質問を頂いたので、、、先祖の戸籍を取り寄せる!を再開しますありがとうございますまずは、、、現状の確認現時点で集まっている戸籍がこちら(戸籍と返信用封筒と定額小為替金受領証書です)手順は以下の通り①戸籍を取り寄せるぞと決心する。(❶)②両親の戸籍を(※)取り寄せる。私は郵送で取り寄せましたが、(❷)役場に直接行って取り寄せてもOK以下が必要です・請求書(郵送/役場)私は役
今日は、神﨑瑛美佳さんの氣学講座でした講座の中で参加者それぞれのポイントも説明してくださるのですが今日私には『先祖』というキーワードが・・・気になってました。。。去年の今頃のブログが出てくるたびに最後が半年前(1月)の⑪だわ。。。改めて、再開しようとおもいます瑛美佳さんのYouTube是非一度チェックしてみてください
家系図作成と研究を長年していますがこの家系図作成にあたり必ず必要な物があります。それは戸籍謄本!この戸籍謄本ですが日本の戸籍謄本はたぶん世界一です。情報量が半端ないです。しかしこの戸籍謄本には保存期間があることを皆さんは知っていますか?保存期間があると言うことは保存期間が過ぎれば…廃棄となります。事実私の経験の中でもあと1年早ければ取り寄せられた謄本がありました。ではこの保存期間は?答えは150年‼️‼️‼️凄い!150年もあるの⁉️となりますよね。150年
昨日届いた牡蠣牡蠣とほうれん草のペペロンチーノパスタを作って食べました我慢できず、殻を剥いていくつか口に運んでしまいましたが、、、無事に完成めちゃウマでしたこのレシピを参考にしましたmanngo(河野ひとみ)牡蠣とほうれん草のペペロンチーノ29人がお気に入りしています旬の牡蠣とほうれん草のペペロンチーノです。パスタを入れても美味しいと思います。アプリで開くこのレシピをNadiaで見る
戸籍を取り寄せていたら思いもよらない土地に縁があることが判明なので年末にふるさと納税をしてみましたそして、届いたのですカキナイフ付
戸籍を集めては手書きで家系図を書き足していましたがぐちゃぐちゃになってきちゃったのでアプリを入手してみましたこちら繋げて、登録して、眺めるこんな感じになります綺麗に並んでいい感じ生年月日を入れると、年齢も出してくれるゆっくりだけど、戸籍に名前がある人を全員家系図に載せたいなぁ
年末に、戸籍請求を複数出しましてだいぶ戸籍が集まってまいりました手書き&旧字体でなかなか読め解けません四親等の高祖父母(こうそふぼ)の生年月日が『嘉永(かえい)』と『安政(あんせい)』です『嘉永五壬子年』『安政元甲寅年』と干支も記載されています調べてみたら嘉永5年は西暦1852年、生きていたら168歳。黒船来航が、嘉永6年西暦1853年でした。なんかとっても不思議な感覚です
本日、さっそく戸籍係のご担当から電話が掛かってきました・・・本人確認書類、同封し忘れましたいやぁ、、、実家の戸籍と、お爺ちゃん家の戸籍のコピーに『ほら、この繋がりでひ孫でしょ、私』って一生懸命、蛍光マーカーでマーキングしてたら肝心の『私』の証明書を入れ忘れた。。。でも、電話の戸籍ご担当はとっても優しかった明日早速、追送します
ようやく、前進しました父方の曾祖父母(そうそふぼ)がわかったので両曾祖父の戸籍を請求続柄に『ひ孫』って書きましたたった三親等なのに、、、名前全く知りませんでした。おばあちゃんの旧姓も知らなかったからなんだか変な感じ。四親等が高祖父母(こうそふぼ)五親等で「五世の祖」って呼ぶそうです。(こちらの情報より)ご先祖っぽい響き。。。5代遡れるといいなぁ。
これを書いてから暫くして先祖調べ仲間が増えたのです。アメブロも始めてたからそのうち、記事アップされたらリブログしよっと何事も、同志がいるのは嬉しいことです
やれてないのは、、、断捨離だけじゃなかった。。。手書きの戸籍解読に苦戦。でも、なんとなく見えてきた。進めるぞぉー