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個人の日記みたいな感じで、始めたAmebaブログ。皆様、何時もいつも〜拙い文章を読んでくださり、有難う御座います。私は、頭から否定されるのが、大嫌い!!で、あります。どんな方も、同じだと思います。生きている意味、証、プライド、そんな自尊心さえも壊れていく・・私は、基本的に、他人様を否定しない。が、意見合わない人達に対して、御世辞言ったり、肯定もしないです。実父「お前は精神弱いから、そんな大した事、出来やしない!!」と、言い続けてきた。しかし・・認知が進んで迷惑かけて、面倒見
昨日は、旦那と一緒に、病院に行ってきた☆姑の元旦那のお見舞い☆ていうか、姑と離婚したあとに再婚したオンナに捨てられて、身寄りがないので、来て欲しいと言われた☆最初、旦那は「何で行かなきゃダメなのか…」って言ってたんだけど、なぜか急に、行こう…って言われた☆元舅は、旦那と結婚して数年は一緒に暮らしたこともあるけど、とにかく気持ち悪い人だった☆今回久しぶりに会って、さらに気持ち悪い人だと思った☆よくあるお尻の疾患なので、大したことないけど、大袈裟に痛い痛いって、うるさかったし、「見るか?
離婚できてから30年が経った。婚姻中のあの年月は一体なんだったんだろう、、暴言、身体的DV、○的DV、経済的DV、脅し、マウント、大勢の前で笑い者にされ、自由な外出発言も許されず・・・元舅は金融機関勤務、元姑は公務員、そしてウチのコちゃんは一人息子だった。つづく...
離婚調停が終わった数日後、元義両親と元夫の3人で今井さんの家に菓子折と現金を持って挨拶に行ったそうです何の挨拶か「色々迷惑かけてすいません無事に離婚成立しました誰かうちの嫁にいい人いたら紹介してください」と私が今井さんからこのことを聞いたのは、元義両親と元夫が挨拶に行った次の日くらいでしたいい人いたら紹介して⁈よく言うわ子供生まれて離婚成立したばかりで、何言ってんだ⁈と誰しも思うはず今井さん、大根や芋じゃないんだから、これダメだったからはい次はないよ犬や猫だってそれはないよ自
また思い出したことが…元姑、自分は料理上手だとみんなから褒められると、私に自慢気に度々話していましたそう言うくせに、ゴミ箱にはいつもスーパーの惣菜パックが大量に捨てられていました元姑が作った料理、カレーと味噌汁は何度も見たことがありましたあといちぢくの甘露煮が1回とホタテの炊き込みご飯が1回、味噌のしそ巻きが1回だけ味噌汁はいつも味噌を入れてからグラグラ沸騰させていましたしかも数分間、グラグラ沸騰させるんです同居した最初の頃、元姑が沸騰していることに気づいてないんだと思い、火を止め
私は、❌2であります。結婚すると、外野(元身内)が煩い!!元舅は、あかんたれ!!の内弁慶。おんな子供には、偉そうに威張り散らして、八つ当たりする奴。元姑は、堕胎させられ、暴力も受けていた。殴られて、目を傷つけられ、救急搬送もあったらしい。さらに元舅に用事を命じられた帰り、交通事故に遭い、身体障がい者になったのだ。身体の自由が、利かなくなってからも、偉そうに、こき使って・・何かと威張っていた。昔々、高い着物宝飾品などを購入して、借金作ったみたいだが、あんな奴と一緒に居たら・・買い物依
とうとう結婚式当日元夫とは別々に行こうと話していたのに、元姑が迎えに行くから一緒にとなのに!約束の時間になっても来ません気が変わって別々か?と少し期待しつつ元夫に電話ただ単に元姑の準備が遅いだけでした20分程遅れてやってきました早めの待ち合わせ時間を言っておいてよかったと思いましたもちろん遅れてきても謝罪の言葉はありませんモヤっとしたままの結婚式参列した人から集めた花を花束にして、その中から一輪私が取り、新郎のポケットに挿すというような流れだった気がします花束にするのは元姑で
昨日妹から「ねぇ、ちょっと電話出来る❔」とラインがありました。「いいよ。どうしたの❔」と私が返信すると、すぐに妹から折り返し電話がかかって来ました。(私のブログをお読みになった事のない方にものすごくかいつまんでお伝えしますと、妹の前の夫は原発の風評被害で会社の経営が悪化した事と、同居していた自分の両親から家族全員が酷い仕打ちを受け続けた為にうつ病になり、自ら亡くなっています。妹の元舅と元姑は一言で言うと「人でなし」で、前の夫の弟も彼らが原因で自ら
妹の元舅は独善的で強権的な人ですが、それはけして生育環境とか親の教育によるものではありません。前の夫の祖父母は非常に優しく親切な人達でした。くるくると動いてはいつでも何か拵えて朝市で売ったり友人や私達にも振る舞ったりしていました。妹の夫の祖父母は夫婦仲も睦まじく、小柄な二人が縁側に仲良く並んで日なたぼっこしていたりお互いをいたわって優しい声を掛け合う様子は非常に可愛らしくていつでも笑みがこぼれたものです。だから男尊女卑なんてナンセンスなのです。
昨年の母の引っ越し当日も妹の元義父はやって来ませんでした。元舅は「居候の家に自分が自ら出向く必要はない」と考えていたらしく、母がログハウスにいた間母の家まで来る事は全くありませんでした。ログハウスは元々母の名義ですし土地は元々は妹の前の夫の名義で、全員相続放棄したので今は国のものです。最初から、公的にも実質的にも下の土地もログハウスも元舅のものでは全くないのですが、元舅はそれでも頑なに自分のものだと主張していて、自分の跡取り息子の長男を自分達の
妹からラインが来ました。妹夫婦の不動産会社は最近になって大きな会社との不動産管理の仕事が3つ立て続けにまとまり、さらに忙しいそうです。そんな中、最後の片付けの為私達三姉妹は母のログハウスにもうすぐ行く予定です。親友二人をあらかじめ雇っていて本当に良かったと妹は言いました。妹からの連絡は、私達が知らない間にログハウスの水道と電気が勝手に何者かに止められていたという、驚愕の知らせでした。妹の元義弟が11月から光熱費を自分名義に変えようとして、わかっ
こちらの知らせをしたばかりですが『息子から連絡元義父が危ないそうです。』あの元義父が危ないそうです。最近このブログをご覧になった方には何がなんだかわからないと思いますが私の元夫とその家族は世の中の常識やモラルというものが一…ameblo.jp『元義父危篤状態になりました』元義父の状態が良くないと昨日お知らせしたばかりですが『息子から連絡元義父が危ないそうです。』あの元義父が危ないそうです。最近このブログをご覧…ameblo.jp元義父、
元義父の状態が良くないと昨日お知らせしたばかりですが『息子から連絡元義父が危ないそうです。』あの元義父が危ないそうです。最近このブログをご覧になった方には何がなんだかわからないと思いますが私の元夫とその家族は世の中の常識やモラルというものが一…ameblo.jp「年齢的・体力的に手術をするのは無理」という結論に至り脳出血の手術は中止されました。そして昨日の夜、元義父が危篤状態になったと連絡が入ったそうです。多分近い内にそ
このブログは私の日記なのでいつ何を書いても本当は構わないのですが時間がたちすぎて旅行など書けずじまいになっている話がたくさんあるので、最近はなるべく時系列で書くようにしています。今週からは夫との楽しかった旅行の話を書いて残したいので今日から頑張って母のログハウスの話を終わらせたいと思います❗母は妹の元姑からの勝手な言い分を聞いた後、すかさず妹と私に連絡しました。私達は仕事中だったので昼間は電話に出られず、夜にそれぞれ母から話を聞きました。妹と私
8年ぶりに仲秋の名月と満月とが重なったそうですね。🌕昨日の空と満月は本当に美しかったです。長男がお嫁ちゃんの実家から戻って来たので昨日は家族で出産を祝ってお寿司を取って、蟹と冬瓜の餡掛けも作ってあらためて祝杯を挙げました。(お赤飯を炊きたかったのに飲むからお寿司の方がいいと却下されました。)赤ちゃんの名前が決まったので命名書を書く墨の用意を整えていたけれど夫が酔って書けず、今夜書くことになりました。本当は今夜がお七夜なのですが長男は明日23日の祝日に
母にかかってきた妹の元姑の話はこうでした。妹の前の夫が亡くなった時に自分の両親に激怒して今後は親子の縁を切る、二度と家には戻って来ないから親の葬式にも連絡しないでくれとみんなに言い遺してそれからずっと誰とも音信不通だった妹の前の夫の上の弟がいます。その次男が離婚して実家に戻って来たというのです。妹の前の夫には元は2人の弟がいました。一番下の弟は妹家族が同居して間もなく自ら亡くなりました。妹の夫はお通夜の席で夜通し彼から離れずずっとはらはらとはらは
先週母の家に遊びに行った時、妹の前の夫の父親から母の所へ、このところ何回も電話があるのだと聞きました。母は電話で話して言った言わないで後で揉めるといけないので、どんなに電話が鳴っても出なかったそうです。妹が婚家を出てからというもの三ヶ月おきくらいに元舅からはこのように母への電話がひとしきりしつこく続いて、またいつの間にか止むという事が繰り返されています。妹にはなぜか元舅は一度も電話した事はありません。ずっと体を張って家族を元舅から守って闘って来
私は四年前に離婚してます。その前に四年別居してて、なかなか調停が上手くいかず、、そんな矢先に元旦那が飲酒運転で懲戒解雇され、健康保険証とかローンの関係を持ち出してやっとやっと離婚成立しました。その後も事ある事に、子供の行事やら何やらできてたんだけど、子供達に「酒臭い」と指摘され子供が会うのを拒否。もちろん懲戒解雇だから、慰謝料も養育費もなかったし、、さらには、金たかりにくるしまつ。その別居とか離婚とかの時も、婚家の奴らに散々モラハラされていました。その一年後、結局酒をやめられずに孤独死
昨日仕事が終わってスマホを見ると、次男からラインが来ていました。「珍しいな〜。なんだろう❔」と見てみると、「〇〇〇〇さんていう人から昼間電話が来た。またかけますって。」と書かれていました。私はぎょっとして凍りつきました。下の妹の前夫の父、つまり妹の元舅からでした。「なぜ自宅の番号を知っているんだろう?」と焦った私は、母と下の妹に「自宅の電話番号を教えた❔」と聞きました。二人とも私の番号は教えていないとの事でした。下の妹からは「キモッ❗怖すぎるね…。
【Un】ジュイエピアス(ゴールド)ママジュエリー専門店レスブリス3,520円今日は長男のお誕生日。一昨日のバレンタインデーと一緒にプレゼントを贈りました。30年前の早朝に超安産で産まれた長男。あの日は雨風で寒い日でした。思い出しますね❣️助産師さんにまだまだだからと病室にいるように言われました。部屋があいてなくて急遽決められた部屋は産婦さんと同じ部屋で母子同室でしたから痛くても他の赤ちゃんが起きたら迷惑になると思い声も出せずにひたすら耐えた。しかし
次の日の朝早く、母がおにぎりをこしらえる音で私と妹は目が覚めてしまいました。寝ぼけまなこでおにぎりとお茶で朝食を摂った後、9時に引っ越し屋さんが来るまで少し時間がありました。私は妹に「ねぇ、ちょっと散歩しない❔」と声をかけました。玄関を出て納屋や畑や池や川や果樹の前を通り過ぎると、広い敷地の端っこに下の妹の前の夫が営んでいた工場と会社があります。妹の子供達は学校から帰って来ると妹夫婦のいる事務所に立ち寄って、宿題をしたりしていました。私も帰省す
その日の昼間に母は菓子折りを持って隣に住む元舅と元姑の家に最後のご挨拶に行ったそうです。元舅は気持ち悪いくらいにニコニコしていたそうです。母が引っ越しの暇乞いと今までお世話になったご挨拶をすると、元舅は「今この場でとは言わないが、今月中には今後あの家をどうするつもりか、お母さんの考えを聞かせてほしい。」と言ったそうです。母はそれでずっと元気がなかったのか…。妹「どうするもこうするも、あと七年は無償で借りられると契約しているじゃない❔」母「
通常は隣の家は下の妹の元義母が居間に一人でいます。元義父と元義母は妹の前夫が亡くなった後離婚するしないで親戚を巻き込んで大騒ぎに騒いだ後、今現在に至るまで広い家屋敷に同居しながら元義母が食事だけは作り後の生活はすべて別々に行い、全く口はきかずに事務用事はすべてメモに書いて連絡を取り合うという家庭内別居状態が何年も続いているそうです。あんなにいつ行っても縁側や居間に陣取ってたむろして私を無言でじろじろ見ていたおかしな輩は、妹の前夫が亡くなってから潮が
お彼岸の初日ですが、いきなり下の妹の元義父に会う羽目になりました。今回はつくづく人の皮をかぶった何か得体のしれない恐ろしい生き物を見たと思いました。私は夫とお墓参りの為にふるさとに向かいました。夫の父方と母方と両方のお墓参りを丁寧に行ってから、母の実家である父のお墓のあるお寺に行く為に母を迎えに行きました。母の家に着いてすぐ、私は菓子折りを持って下の妹の元義父母の家に向かいました。夫が「一緒に行こうか?」と言ってくれましたが、かつて下の妹夫婦が
今だに完全同居だった元舅に対する怒りは消えることない私離婚する時も、表面的には元舅には何も言わなかったことに私は後悔しています。私は元舅に対して、ずっと嫌いになってはいけないと思っていました。でもねそれは私には無理な事でした。どうしても邪魔な存在だったのです。とにかく同居したことによって見えてくる息子夫婦の生活に嫁である私にアドバイスしてくる元舅。私からしたら、余計なお世話でしかなかったし、はっきり言って男尊女卑な発言でした夫婦喧嘩なんて見て見ぬふりをしてくれればいい
元姑とのバトル中、元舅が降りて来ました、、、モラ元旦那:「お父ちゃん(元舅)、俺ら、離婚するからサインしてほしいねん…」元舅:「何で、こんなんなったんや?」モラ元旦那:「色々、小さいことの積み重ねやねん。」私の心の声:「私には、巨大なことやったけどな…(-""-;)💢」元姑:「絶対、男居るわ…・・・もう私ら(元舅・元姑・義姉家族・義兄家族)のこと、嫌いなんか!?ほんまに嫌いになれたん!?」私:「はいっ(*^^*)🎵大嫌いです🎵どう思われようと、どう捉えられようと、もう、どうでもいいで
”モラハラ体験記③-その「違和感」、スルーしないで!”…と思いながら読んでました。うちは元夫と元両親から暴言罵倒八つ当たりのモラハラでした。(元舅は結婚から2年後位で亡くなってますが)結婚当初から約20年。私も辛い事があって、当時知り合ったばかりの元夫といる所を元姑に見られてしまい…。昔は結婚適齢期を過ぎると行き遅れやダメ人間と言われるような所があってこれを逃すなと両家両親によってあれよあれよと言う間に結婚へ。しかし結婚したら元夫と元両親は一変。元々うちは古い考え方の地域で男尊女卑、目
一人暮らしも離婚も2年の月日が経過。精神的に参ってしまった私は外に出れず引きこもりに近い生活を送り、1年前どうにか社会復帰し、今に至ります。正直、コロナの自粛期間よりこの引きこもり生活の方が長く、私にとっては辛い毎日でした。取り残されたという焦燥感でいっぱいでした。仕事は嫌ですが仕事がない日々もそれはそれで嫌なんです。永遠に続く夏休みもそれはそれで…。結婚時代のものが手元にあったりします。捨てたりメルカリで売ったりしていますが個人所有の物で元夫が使った事があるなと思うも
元舅の事も恨んでいる私…。この人も子離れ出来ない残念な人でした。たぶん、お嫁さんに対する期待もあったのでしょう。私は不出来な嫁でしたので。「おかずこれだけ?息子がかわいそう」世間では食事の用意すらしてもらえない人もいるのです。弁当作りの時も覗いてきて同じ事を言われましま作ってるだけマシだろ。当時、元舅にクレームをつけられた以上に今、自分の弁当はひどいですけど。それでも周りは毎日弁当作るなんて凄いねと言ってくれますよ。同じ家に住むと全てが見えてしまう…。同居じゃなきゃ、義
すっかりご無沙汰しています…。そろそろ、私の誕生日がやってきます。もう年齢はどうでもいいです不惑の年齢を超えたのに迷ってばかりの大人になれない私ですがね…さて誕生日の翌日が離婚した日でして…。元夫がなぜだかこの日に離婚届を提出しやがった6月の終わりには提出出来る状態でしたがなぜこの日になったのか?元夫はとにかく1日も早く離婚したいと言っていたので一つ歳を重ねる前に離婚出来るだろうと思っていましたが…。私は元夫の完全な嫌がらせだと思っています。周りに話すとさすがにないは