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自分はなぜ、癌になったんだろう。当時30歳前半で確率の低い、1億2000万分の1で患う・・・レベル4aで余命半年、長くても1年と言われ、これもまた低い確率の5年生存率を通り越し、今では完治。治るなら、なぜ患ったんだろう・・・って毎年、桜の咲く春になると考えてしまう。悪戯なのか試練なのか。この身体になって色んな事を経験してきたが、後悔して来た事も多々。戻れるチャンスがあるなら、戻りたい。経験出来るチャンスがあるなら、挑戦してみたい。
※この先、術後の写真があります。※Herearesomepost-surgeryphotos.ご了承な方のみご覧ください。Pleaseviewonlyifyouagree.若年で食道がんになり、2024年で15年目になる、この身体。Thisbodywasdiagnosedwithesophagealcanceratayoungage,and2024willbe15yearsago.年月が経
末期がんと言われ、ダメ元で治療に専念し、奇跡的に完治かはどうか分からないが症状が無い所まで至る。そういった方が幸あれの報告されては叩かれていますが。コメント等読んでると確かに、寛解もしくは完治したのであれば、困っている方も多々いらっしゃるわけで、良い情報も伝えてあげてもいいかと個人的には思います。ましてクラウドファンディングしたのなら。自身の場合は個人メッセが来たら情報共有としてお伝えは致しております。かなり前に、研究学校だったかな?そこから取材で依頼はありましてイン
はい今年も行ってきました精密検査。言っても、採血、内視鏡カメラのみです。今年の内視鏡カメラの先生は正直、当たり!上手いのなんの。もがき苦しむ事なく看護師さんの背中さすりのフォローもあって無事に終え、本日の結果診察を迎える事ができました。胃袋で繋げた箇所は相変わらず、若干狭いですが広げすぎると逆流の確率が上がるのでそのまま維持。結果、所見異常無しの回答。採血は大きな問題は無しだが、若干貧血気味になりつつある傾向と言われ、意識して鉄分食事摂取を。と言う意見を頂きました。
2010年の末期の食道がんを患い、半年の命、長くても1年と言われ、今は14年が経ち、寛解どころが完治にまで至った。レベル1でも亡くなる方は亡くなる。握り拳1個分の大きさの末期4aでも助かる人は助かる。末期とは何だったのかと今でも考えさせられる。全てを鵜呑みにせず、やってみる、行動してみる事が1番の治療法。やはり「ポジティブに!」と言うのは本当なのかも知れない。「病は気から」と言う言葉の通り・・・。
チーズケーキとアップルパイのお店焼き菓子きび党飯田です❤️このクッキーには林檎の皮をパウダー状にしたものが入ってますだからポリフェノールと食物繊維がたっぷり😊❤️忙しい時は食事もいい加減になりがちで疲れも溜まるし💩も滞るからダブルで免疫力が下がってくる忙しい→体調崩す→仕事休む→仕事溜まる→忙しくなるこんな負のループにハマっていませんか?そんな時は手軽に腸活❤️林檎ポリフェノール入り食物繊維たっぷりのクッキー開発中です‼️❣️
今年も後数日で終わろうとしてます。歳のせいか年々時が過ぎるのが早く感じます。今年はお陰様で無事に何事もなくただただ平凡に暮らせたと思っています。何も欲求的なものはないですが、平凡に暮らせたことが1番の贅沢であり、最高の幸せかも知れません。これまでを振り返ると、やれ医者だの病院だので何だかんだ診てくれの年が多かったです。2010年からは癌になり、そこから生涯年1の経過観察。とは言っても完治したので健康診断的なものです。2020年はワクチンで動脈乖離を起こして脳梗
子なし専業主婦。子なし、スキルなし、才能なし、人付き合い苦手、友達少ない、親から虐待&兄から性被害、不安障害、強迫性障害、癌の罹患歴あり、離婚歴あり自分の特長を改めて連ねて書くと、私って、、、そして不妊治療歴9年目崖っぷちな年齢、、、というか既に崖から落ちているにも関わらず続けてる感あり😅3歳の猫♂️マンチカンのママもやっております。猫は癒し🐱趣味はずっと無かったけど、最近はラグビー観戦。コストコ行くのも趣味かも。読んでくれる人がいて、こんなヤツが生きてるんだから、私も頑張ろう
かれこれもう15年以上も前に若年性乳がんを患い、その後は再発も転移もなく何事もなく運良く助かり。。今もありがたいことにとても元気で三姉妹を授かり、元気に生きることができています今、とても知りたいことがあります。みんなそれぞれ同じ若年性乳癌とはいえ、その人によってステージや治療法、発症した年齢も全く違うがのは重々承知なのですが…でもめのすごく気になります。罹患後、体調の異変や体調不良で困ってないかどうか。たまたま記事がどーんと出てきて、読んで安心してしまいました元skeの矢方さんの
いつも“いいね”ありがとうございますマンモグラフィー去年の夏に人間ドックを受けていますがその時は断乳後1ヶ月半くらいマンモグラフィ検査は授乳中は不可授乳を終えて半年くらい経たないと正確な結果が出ないと言われてましたなので人間ドックの時には乳腺エコーを受けてますでもエコーって限界ありますよねやっぱり乳がん怖いしここ2年ほど、妊娠期〜授乳期が重なっていてまったく検査できていなかったのでかかりつけの婦人科の分院に行きマンモグラフィ検査を受けてきましたわたし、元ガン患者なの
自身Twitterのアカウントはあるが殆ど投稿はしていない。アメブロは自身が癌を患ってから、少しではあるが投稿しています。そんな中、Twitterを見たら、と、まぁ嬉しい。この方、小田和正さんのバックバンドされてる方で、ユーモアなんですよね。7月の大阪城ホールのコンサート時にも会えました。こう見ると日本どころか、世界の皆と繋がってるだねーと日々感じてしまう。繋がってフォロー頂けると励みにもなるし、人生頑張れる。生きてて良かったという事が後々増してきますな。^_^
すい臓癌で余命2年と耳にした。余命2年って長い、ずいぶん長い。ステージ4とは聞いたが転移もあるらしいので、4bとなりますね。自身の場合、ステージ4a。余命は長くて1年、短くて半年。ですが完治しました。我が師匠も4aの末期と言われ完治もしている。となると、余命とは?ステージとは?ってなる。自身は治ると思う。そう信じて。
若くしての癌を患う方のニュースが飛び交ってますね。自身も「30代前半で珍しく、例がない。おまけに難しい」「全国1年の内、この年代で食道癌発症する確率は1人出るか出ないかの確率」(1億2000万分の1?)自身もそう言われ診察室で座るところも無い位、多くの医者に診察されたのを思い出します。「頑張って下さい!」とかよく言われた時もありましたが、頑張ってるのは医者で患者は医者の指示に従うだけ。プレッシャーにもなりますので頑張らなくて自然で良いんです。若いからこそ出来る治療は
はい、おじさんです。タイトルが長すぎて面倒くさいので短くしました。今回は治療開始から。治療法は放射線治療をメインに、それと抗がん剤。週に5回の放射線治療と週に1回の点滴、TS−1は週に5日、朝と晩。治療前の説明では副作用はかなり強く出る場合とそうでない場合とがあると仰ってました。リスクは高いかもしれないが上手くいけば根治は化膿・・・いやいや可能と言われました。抗がん剤などの副作用はおじさんにもありました。冷たい水に触るとバチーンとなる喉が渇く・・・・そのくらいでしたかね。
自身は34歳の若さで「若年生食道癌」を患いました。34歳で癌を患う前の職場は片道通勤10分から、片道2時間になり往復で4時間半(帰りは電車の乗り継ぎが悪い為)へ。と言うのも時代の流れもあり、経営に難しくなった片道通勤10分職場は「工場と拠点を一括」と言う方針で、更地となり手放し、工場のある他県へ勤務する事になりました。当時、まだ通院し体力もない中の通勤。自宅も30代で購入し簡易に引っ越す事も困難。20年勤務した節目もあり、毎日往復4時間半の通勤時間等、色々と天秤
会社の健康診断は避けては通れない道。今年も行ってきましたよ。問診票も書いて、検査を受けに。メニューは身長、体重、視力、聴力、血圧、心電図、レントゲン、バリウム、採血、尿検査。自身は健康診断の当日でも、食事は取っていく。今回は昼過ぎからの検査。全く食わないわけにもいかない。ので、パンをガッツリ食べ、問診票にも「検査の21時以降は取らないで下さい」と書いてあるが、胃のない自身には全くの無関係。むしろ我慢出来るわけがない。当日時、受付にて「あの食事は・・・」と聞か
自身は抗癌剤を受けた際、副作用の噂は当時ドラマや情報で知っていたので、入院する前に五部刈りに髪の毛を丸め、入院しました。確かに抜けます。パラパラと落ちたりはしませんでしたが、五部刈りに短くした為、落ちた髪の毛は刺さるんです。特に枕。パラパラと落ちてる髪の毛だと、コロコロ(粘着式のローラー)で取れたりしたでしょうけど、刺さってるとなると、コロコロでは中々の曲者で、当時の自身は、ガムテープを手で押し当てて取ってましたね。(面倒くさかったなぁ)抜けた髪の毛はもちろんの事ながら
自身は、仕事の休憩時間に食事は取らない。食べてもクッキーやあんパンと言った、菓子パンの小さいやつ1個(5個入りの1個)とかのみ。食って起こるこの後のダンピングを避ける為だ。休日はもちろん食べますよ、ガッツリ。時間はかかりますが。(ダンピング?なにそれ?ってな具合で)12年経っても下手するとダンピングへレッツゴー!前期もそうだが、2時間〜3時間後に襲ってくる後期がの方が自身は怖い。視点はズレ、多汗になり、おまけに糖分取得してからも吸収するまでこの状態。まぁ、「お腹空き
抗癌剤、自身も余裕ぶっこいてましたよ当時。なんせ34歳でしたから。これがね、一気にドーン!ってきちゃうんです。匂い、吐き気、会話までもが嫌になってくる。利尿剤の影響でトイレの呼び出しも多ければ、吐き気にも行く。トイレはトイレで尿の量まで測るんです、あれは苦労した。自身は個室にいましたが、個室で良かったと。共同部屋だとやはり周りに気を使っちゃう。まして点滴棒を常に連れて歩きますからね、カラカラと音をたてながら。「頑張りますー!」と最初は誰しもが意気込むもの。モチベー
癌になると抗癌剤投与があります。食道癌もですね。いきなり手術ーってのは珍しいんじゃないでしょうか。「抗癌剤で弱めて縮小させて、手術をしやすく」と言った流れですね。当時自身の一般初法からいくと、シスプラチン+5FU(フルオウラシル)の組み合わせ。その薬の比率はその方の年齢や体格によって異なる。自身もその抗癌剤から始まった。(比率量は過去参照で・・・)24時間の1週間ぶっ通し投与である。月曜の朝から始まり、土曜の午前中で終わると言った流れ。※これが1クールと言われる。
とある中華料理屋に入った。脳みそから「炒飯が食べたい」と言う指令が出ていたので。まぁ「1人前なら時間かけて食えるでしょ」と思い注文。来た品の量がどう見ても多い、1.5もしくは2人前はある。1口食べると確実に美味しい。ので、「ここで残して帰るワケにはいかない」と思い、店員さんに「ここは何時まで営業ですか?」と。店「23時閉店ですので、まだ1時間ございますよー(笑)」と。勝手な妄想だが、閉店1時間前に入った者に少しサービス精神で出してくれたのかもしれない疑惑の
当時の自身は死ぬか生きるかの選択。手術し生きる可能を取るなら、食道、胃、横隔膜、リンパ節は全摘。死の選択なら半年、長くて1年。放射線治療で・・・の選択はありませんでした。(ほぼ意味ない為)抗癌剤2クール→手術(10時間)→ケモラジ(放射線治療+抗癌剤)→外来抗癌剤→定位放射線といった流れでしたもんね。今はかなり医療の進歩もだいぶ進んだのかな。手術すると術後が大変な事は確か。慣れるまでかなり大変。食べてもすぐお腹は異常発生。早く食べ過ぎると倦怠感。後、その後の多感
咽頭と食道部、3ヶ所に癌が出来てもレベルは2〜3なんですね。自身、気管支付近1個でレベル4a。まぁ1個っても握り拳大くらいの大きさでしたけど(笑)また「食道がんが見つかったら、咽頭がんを想定した検査も受けるべき」って、自身の場合、頭のテッペンから足のつま先までの全身検査受けましたけど。こういう意見は日進月歩じゃあないのね。。。まぁ患った事のある医者なら良いけど、そうじゃない医者はデータだけで意見って事、多々ありますからね。抗癌剤、5FU+シスプラから始まり、ドセかパ
もうあれから3〜4ヶ月が過ぎるのかな。自身はとある医療従事者関係の方からメッセージを頂き、直接にインタビューを受けたいと依頼があった。はるばる遠方から、そしてインタビュー場所まで用意して頂いた。やはり患った者しか分からない事ばかりらしく、できる限りの質問にお答えした。話す話す事であっという間の3時間だったかな。そのDVDとなるものも完成し、今や手元に。(公開出来たらしてみたいですな。)楽しい時間が過ごせた事、なによりそれが参考になり他の方々で成果が出る事を祈るばかり
自身の食道を除去して連結した部分はちょうど「砂時計」の様な、キュっと締まった状態になっている。これは術後、ICUにいる時代、主治医から「術後、喉に痰が詰まりやすくて、喉をモゴモゴしたくはなると思う。がモゴモゴしすぎると、繋げた部分が狭窄してしまうから、あまりしない様に。痰が詰まった場合は吸引器で吸うからしばらくは我慢」っと言われてました。なので、自身は極端な狭窄していなく、比較的物も通りやすい。狭窄し物も通りずらくなっていたらステントで広げるらしいが広げた反面、逆流もしやすいら
病になり入院してスタートって人多いですが、手術治療を受けられて始めてスタートします。手術受けたくても受けられないって方、多く見てきました。自身は入院2ヶ月目でやっとこさ、スタートラインに立てられました。それまでの準備期間が長い長い。手術出来るまでの大きさに…や、その後の使える部位を調べたり等々。(詳しくは過去参照して下さいな)なので、入院して喜ぶのも良いが、手術が出来る状態になり、手術開始で喜ぶ方が良いかと。当時、後から入院された方で、治療から退院までがドンドン進む一方、自分は入院してか
題しました様に、癌レベルとは?です。自身の場合、水処ろか、お寿司も食えていて4aレベルでした。重複で数カ所にも出来、水も通らない状態で2〜3レベル。(曖昧)基準はなんなんだ?って思う。抗がん剤と通常放射線治療で治れば良いけど、そもそも目に見えている重複で通常放射線治療しても効果は薄いかと。当時の自身は手術前の放射線は出来ませんでした。何故なら、期待度が薄すぎた為。確率を取るなら手術でしょう。(出来ればの話ですが)今の主治医は言う「当時の若さの年齢だから出来たが、高齢だと断って
いやはや、芸能の方の食道癌報道が流れて、見て聞いてしまった。重複してるという事は、目に見えない細胞がもしかしたら他に移ってる、または移るかもしれない。食道がんの転移先はほぼ分かっている。それをどうするかは本人と医師の判断です。内視鏡カメラに気管支カメラ、大腸カメラ。CTやPET・・・全てやってきました。今でも全て語れるくらい忘れない。レベルに2~3って言う曖昧レベルは正直無いです。自身の場合はT4N1M0の4a(末期食道がん)心で願ってはいますが、「頑張っ
今日は初めてコンサートって言うものに行った。これまでにコンサートって言うものに一度も行った事がない。その初めてとなるコンサート。小田和正さん。場所は大阪城ホール。席もそこそこ良く、アチコチと動き回られる方なので、他の席の方々への配慮も素晴らしい。最新の曲からオフコース時代の曲を披露。曲を聴いてる最中、ずーっと涙が出てた。「大きい病気もしたが、この人に会う為に末期癌と言われ辛い経験を乗り越えて来たんだなー」って思いながら。