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〇山岡鉄舟1836-1888〇旧旗本。剣術家。江戸開城の交渉者として西郷隆盛と交渉する。維新後西郷の懇請で明治15年まで明治天皇侍従となる。座禅をよくし全生庵を創建する。〇大正8年全生庵発行。これは昭和38年に復刻されたものです。大正8年当時には山岡にかかわった人たちも多数存命の時期で貴重な文献です。〇旧漢字、仮名遣いを一部改めています。●世間では居士(鉄舟居士以下同じ)明治天皇の相撲の御相手を奉仕して、畏くも陛下を投げ奉ったように言い伝えているが、そは全く誤謬で、今その事実を語れ
元田永孚元田永孚(もとだながざね・1818年10月1日~1891年1月22日)<儒者>幕末に鋭い国家論・政治論を唱えた横井小楠の教えを受け、出身地の熊本藩の藩政に関わりました。維新後は新政府に出仕し、教育勅語の起草者の一人にも名を連ねています。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~≪Shikako(しかこ)☆のおまけ≫元田永孚氏以外で10月1日生まれ
明治天皇の侍講元田永孚は、理想的な君主像として、御宝算23歳の陛下へ、以下御七方を奏上した。1神武天皇…四海を家とした建国の父2崇神天皇…敬神愛民、先業を恢弘3景行天皇…東征西巡、国勢を皇張4應神天皇…文教を弘む5仁徳天皇…民を愛する仁政6天智天皇7後三條天皇明治天皇は特に神武天皇と景行天皇を希慕せられた。いずれも、御武徳秀でらる方である。元田氏は陛下に対し奉り「陛下、今より應神、仁徳ニ帝に則り益々正学を開いて民の智識品行を明らかにし、益々仁政を施し」と意見
今日は、我が愛読誌・月刊『致知』1月号より、発行人・藤尾秀昭氏による巻頭エッセーを一部編集にてご紹介致します。◆◆◆◆弊社主催の講演会で、柴田和子さんのお話を伺った。柴田さんは1938(昭和13)年生まれで83歳。第一生命の保険セールスウーマンとして30年連続日本一の営業成績を上げた人である。生保業界では年間1億円の保険契約成績を上げれば優秀とされる中、ピーク時の柴田さんは444億円の契約実績を上げたこともある、まさに伝説の人である。幼少
新聞購読した春嶽の姿に焦点福井県立図書館でテーマ展産経ニュース福井藩主・松平春嶽が読んだ幕末の「新聞」を紹介するテーマ展「春嶽、新聞を読む」が、福井市下馬町の県立図書館で開かれている。新聞を購読し国内外の情報...<いまこそ葉隠(1)>葉隠誕生江戸期の古典哲学佐賀新聞翌9月10日、佐賀鍋島藩では城下から北へ3里12キロほど離れた金立山麓(きんりゅうさんろく)の草庵で「葉隠」が誕生していた。草庵の主である出家僧山本常...幕末維新博フィナーレさが総文へ「志」継承佐賀
○日野西資博1870-1942子爵明治天皇侍従が、明治天皇の日常を語ります。「明治天皇御記」編纂のために臨時帝室編集局が、日野西子爵に昭和四年に聞き取りした史料「明治天皇の御日常」です。明治天皇御記の刊行は昭和八年に終わっています。○明治天皇御記は今日では、高価な古書で研究者か大学のようなところで所蔵されています。その中の一部に「明治天皇の御日常」の談話が使われたものです。本書は昭和二十八年に資博の子、資忠によって祖国社から復刻されています。元田永孚1818-1891明治天皇の侍講