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九州旅行3日目は「大地のうどん」で朝ごはん(?)を食べてスタートしました肉ごぼう天うどんを二つ注文しました見た目が違うのは、ごぼう天を食べやすく、ばらで別盛りにしますか?と聞かれたので、私は別にしてもらいました食べやすくて良かったです映えないけど食べ終えて、30分くらい暑い中歩いて、海まで行きましたこの日も、すっごく暑くてでも、良い景色が見られました歴史の教科書で見たやつ〜「元寇」って、30年ぶりくらいに聞いたかも…遊歩道が整備されていて
【元寇の裏側】高麗から見た元寇~高麗の視点で見える学校では学ばない歴史の闇-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be2025/12/20数十年にも渡る抗争の末にクビライに降伏し、その後は元の属国となった「高麗国」。その後に起こる文永の役・弘安の役においては、数百艘もの軍船建造に携わるなど、積極的に日本侵攻を支援するだけでなく、高麗軍の将である金方慶の指揮の下、
<無料フリースクール雑学講座-695>【日本史の授業-2】1.合戦をしなくても戦国大名→毛利の戦いは全て防衛戦2.蒙古襲来ー元寇は2回とも台風のお陰で危機を乗り越えた?→文永の役/1274では元軍の内部対立が原因→弘安の役/1281では確かに台風が幸いした3.南北朝の争いは合一後も80年近く続き、更に第二次大戦終結後に南朝の末裔と称する熊沢氏が昭和天皇に譲位を迫った/1946年4.戦国時代の始まりは応仁の乱と言われているが、それは京都の話。関東ではそれ以前に鎌倉公房(足
モンゴル目線の弘安の役~蒙古視点で見た「元寇」の真相と敗軍の将達のその後-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be文永の役|元寇の真実!最強モンゴル帝国が日本に敗北した残酷すぎる理由とは?!【モンゴル帝国】-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。you
昨年4月から再放送が始まったEテレアニメのマルコ・ポーロの冒険は先月末で全43話が放送終了となりました。初回放送は1979年なので実に46年ぶりの再放送だったんです。と言う訳で本日はその備忘録です。このアニメは日本史上では鎌倉時代に起きた元寇の頃の物語です。マルコ一・ポーロ一行の辿った道程を見ると陸と海のシルクロードを全て走破したことになります。マルコは1254年生まれなので自分のちょうど700年前の先輩です。(笑)このアニメの特徴はアニメと実際の映像の両方を交互に織り交ぜながら物語を展
いろんな遺跡探訪今回の元寇防塁跡は前回の東の端、長垂山を過ぎて海沿いの道を抜けた先、生の松原という松林の中にある石築地ですここは元寇防塁中1番知られた場所ではないかと思いますが、その理由は日本史の教科書にも載っている『蒙古襲来絵詞』に描かれた石築地だからですこの絵、これがここなんだと思うと歴史好きとしては興奮するし、感慨深いです!この絵巻物は肥後の御家人、竹崎季長が描かせたものであり、ここの石築地は肥後国が担当したから正に竹崎さんの持ち場に当たりますちなみに竹崎季長さんは赤い鎧の騎
https://www.instagram.com/reel/Cw17Sjiviss/?igsh=MTgyNXo0cWEwOHdqcQ==Nagasaki_JouhouonInstagram:"長崎県鷹島町の元寇史跡⑤少弐景資公の本陣跡&対馬小太郎の墓・兵衛次郎の墓#日本#長崎県#松浦市#鷹島町#歴史#元寇#弘安の役#少弐景資公の本陣跡#対馬の宗家の家臣・対馬小太郎#対馬の宗家の家臣・兵衛次郎の墓#国を守ってくれた先人たち"122likes,0comments
山口県萩市大井:鵜山の壠(うやまのぐろ)探訪記山口県萩市大井にある「鵜山の壠(うやまのぐろ)」をご紹介します。この地に見られる特徴的な石積みは、一説には「元寇の防塁」や「長門城」の跡とも言われていますが、その正確な由来はいまだ解明されていません。近くの荒人神社付近には、元寇ゆかりの碇石が残されており、歴史の深さを感じさせます。今回は、この鵜山の壠を観光しながら反時計回りに周回しました。まずは、不思議な伝説が残る「オビィの墓(比丘尼石)」を訪ね、続いて湊地区の守護神である「ニーナ神様」へ参
くhttps://www.ikikankou.com/feature/genko元寇に立ち向かった壱岐のヒーローたち壱岐島の楽しみ方・過ごし方の特集。鎌倉時代に、日本が外国から本格的な侵攻を受けた事件がありました。「元寇」です。令和6年(2024年)には、文永の役蒙古襲来から750年を迎えます。歴史の教科書では、日本の武士たちが博多湾で懸命に戦い、最終的には神風が吹いて元軍が退散したといわれていますが、博多湾での攻防に先駆けて、壱岐では元軍との決死の戦いが繰り…www.ikikankou.
どうもこんにちは!今回はモンゴル帝国・元の興亡と元寇です。元寇といえば小学校の教科書にも載っていますし、北部九州には今当時使われた元寇防塁といわれる石塁も残っています。今回は中国史といいつつ、日本からモンゴル、さらには中東まで出てくるので一番スケールの大きい回になると思います。とはいえ、今回はあくまでも中国史解説ですので、中国から減がいなくなるまでを書いておきます。それではどうぞ!目次モンゴル帝国の成立と金との戦いモンゴル帝国の連合国化元寇北方への後退モンゴル帝国の成立と金との
ご訪問ありがとうございます。関西在住の男性会社員ミナトです。このブログでは、奥さんとの夫婦生活、会社での仕事、簿記1級への挑戦などをテーマに、会社員の何気ない日常を書いていきます。今日は夫婦生活と日本の歴史の話です😀先日、奥さんの実家に行くために九州に行ってきました。そして、その際に太宰府天満宮におまいりしてきました。本殿が工事中で、仮殿におまいりしましたが、とても立派な神社でたくさんの参拝客に圧倒されました。私は歴史好きなので、歴史の話を思い出していました。一方奥さんは歴史に全く興味がな
島国の日本には全国各地に大小の水軍が存在していましたが、その中でも鎌倉時代から防人として元寇の大軍を相手に国を守ってきたのが、唐津を本拠地にしていた松浦水軍です。その後、戦乱の時代を乗り越え国内を平定した秀吉が唐津の郊外、肥前名護屋に巨大な城を築いて朝鮮出兵の足がかりにし、その滞在中は家来の奥方たちに夜伽を命じて無聊をかこっていたそうですが、松浦水軍の当主波多氏の正室を所望した際に拒否されたことで様々な難癖をつけ、その挙句の果てに波多氏の一族郎党を皆殺しに
いろんな遺跡探訪今回の元寇防塁跡は前回の今山から南東へ海岸線沿いに行った先、長垂海浜公園内にありますここは元寇防塁跡中、おそらく1番人目につく機会が多い場所だと思います理由としては福岡市と糸島市を結ぶ国道202号線沿いであり、JR筑肥線の電車内から見える景色のいい場所の今宿〜下山門間のメインがこの海だったりが挙げられますただ、元寇防塁跡と言われても全然知らなかったり、え?どれ?、といった反応が大半ではないでしょうか実際この道をよく通っていた自分も全然気付かなかったし、親が近所から聞
府中市の郷土の森博物館へ早咲きの梅の花を鑑賞に行った序で?に場所を移動せずに粘ってダイヤモンド富士🗻🌅を観測してきました。🌅🗻府中郷土の森博物館のダイヤモンド富士『府中郷土の森博物館からのダイヤモンド富士〜本編』昨日はそろそろ早咲きの梅の花も咲き始めてきただろうな…と思い、《府中郷土の森博物館》の梅園に出かけました。まぁさすがにまだ一月も、やっと下旬になったばかり(😓…ameblo.jp閉園時間まで🕔残ってたのと…オイラの体調から、最寄りの駅🚉分倍河原駅までは、以前なら歩く🚶♂️➡️と
こんにちは、横瀬です。先日、十日恵比須に参拝に行ったときに県庁前の日蓮上人像、元寇資料館の前を通ったので写真を撮ってきました。さすがにこちらは人が少なかったです。日蓮上人は元寇を予言してたそうで、元寇資料館も敷地内にあります。他国からの侵略に備えるようにと日蓮上人が執筆した立正安国論を、時の権力者の北条時頼に提出したそうです。その時の上皇が亀山上皇でした。2度の蒙古襲来を防いだということで、亀山上皇の御宸翰(自室の書)に「武力で降伏させるのではなく、徳の力
本日は旧暦の12月1日ですが、鎌倉時代の文永四年十二月一日(1267年12月17日)は、亀山天皇の第二皇子世仁(よひと)親王が誕生された日です。世仁親王は祖父である後嵯峨上皇の意志により生後八ヶ月で立太子、数え歳の八歳で即位(後宇多天皇)され、父君の亀山上皇が院政を敷かれています。そしてその年元寇来襲がありました。この時亀山上皇が「我が身をもって国難に代えん」との宸筆の願分を石清水八幡宮や筑前筥崎八幡宮に納め祈願されたのは有名ですが、このような父君に幼いとはいえ八歳で天皇として祭祀に向き合われ
いろんな遺跡探訪今回の元寇防塁跡は、今宿駅と九大学研都市駅の間、北に向かった海沿いにある糸島半島東の根本、今山のものです今宿の元寇防塁は今山から長垂山までの海岸線に築かれていたようで、西の端が今山、来週に上げる予定の長垂の元寇防塁が東側となります現在その間の部分は失われていますここ今山はほんの少しですが、かろうじて石築地がありますこちらが今山町中にあるこんもりした山としては小さなもの場所は横浜、神奈川県ではありません笑今山の麓、信号近くにこの細道がありますこの道の右側の草が
いろんな遺跡探訪先週の元寇神社で書きましたが、蒙古襲来の主な舞台は福岡で、元軍は朝鮮半島の高麗から対馬、壱岐を襲撃して博多湾から軍船でやってきましたその元軍の上陸を阻むために築かれたのが元寇防塁で、元々は石築地と呼んでいたそうです元寇防塁の呼称は1921年の大正10年に九州大学考古学者、中山平次郎がそう記したことから定着したとされますこの元寇防塁は文永の役で侵略攻撃してきた元軍に対抗するため、元軍撤退後から弘安の役が起こる前に博多湾岸の今津から香椎まで約20kmの広大な距離を半年で築
答えは2本(日本)だよ。日本は2の元なんだよ。つまり、2の聖霊の国。そして、重大なことは世の終わりまでに必ず2回ある。原爆2回、元寇2回、バブル2回バブル崩壊2回、破局的な大地震が2回、ここは私聖霊の2の国。すなわち2のあとはない。もう間もなく、804エンドである。エンドは足して12つまり、人類の巨大な自慰でおわる。
図書館に予約入れて順番待ちだった医師で作家の箒木蓬生(ははきぎほうせい)さん著の「少弐」(しょうに)が年末、手元に。暮れのお参りの応対や、おせち作り(簡単な栗きんとん、ゴマメ、黒豆、雑煮準備で、煮物は娘、メインおせち重はお店から)や、掃除、家族の着物準備などバタバタの合間に、ちょこちょこ読みました。肥前・佐賀の龍造寺や鍋島の歴史上、元々ボスだった少弐氏は名前だけ存じていましたが、詳細は全く無知。少弐氏出自、初代の鎌倉(頼朝)時代〜元寇〜南北朝〜十五代の戦国時代、龍造寺(当寺は龍
元寇神社げんこうじんじゃ(福岡市早良区)[訪問:令和6年6月]歴史の授業で習う鎌倉時代の大事件、元寇(文永・弘安の役、蒙古襲来)はご存じかと思いますしかし、その舞台がどこかと言われたらよく知らないって人も多いのではないでしょうか今回の神社はその舞台となった、福岡の博多湾沿岸に築かれた元寇防塁(正式には石築地)跡がある一角、西新の元寇神社です神社と言っても小さい慰霊社で、元寇によって命を落とした鎌倉武士をはじめとした戦没者、そして敵である元軍の兵士たちも合祀して慰霊しています敵だか
生産量はさらに上昇していく。松葉杖の山崎幸子(尾崎幸子)が職場に戻ってくる。増産に疲れて、彼女たちには明るさがなっくなったのではないかと寮の小使さん(横山運平)は心配する。*****そして、いらつきも見え始め、鼓笛隊の練習でもミスが出るようになり、生産量は急減する。最初から無理だったのかもしれないと吉川(清川荘司)は考えるが、石田(志村喬)は彼女たちに自信をつけてもらうためにも何とか完遂させてやりたいと言う。また真田(菅井一郎)は優秀なツル(矢口陽子)と水島(入江たか子)の下で彼女ら
昭和十九年公開の黒澤明が監督した「情報局撰定國民映畫」。「国難ここに見る弘安四年夏の頃」という歌詞の「元寇」を聞いて思い出したのは、その替え歌が奥津由三、赤井タンクに「動物いじめ」の桂朝丸らが出演していた(関西人でも記憶している人はおそらく少ない)「お笑いトップホット」で使われていたこと。トップホットの歌だと思っていた…。そもそも「元寇」という歌があることを知らなかったのだ。渡辺ツル役の矢口陽子は黒澤明夫人。*****東亜光学の平塚製作所では、所長の石田五郎(志村喬)が非常増産強調運動の
訪問ありがとうございますこのブログでは「毒親」育ち「宗教二世」のわたしがインナーチャイルドセラピストとして自分の傷を癒やして解放するために氣になることを心の赴くまま書いています。参考記事→わたしの自己卑下は明けましておめでとうございます。つぶやきマイナーブログですが読んでくださる方々どうもありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。さてさて今年の初詣は東区の筥崎宮へと、その前に東公園
正直、皆さんの生活に直接約に立つかどうかはわかりませんが世の中の「なんでだろう?」って事例えば「元寇の襲来」覚えてますか?高校の日本史でやった。アレ「神風」が吹いたからなんとかなった、って言われがちですけれど実際、現実的に日本側が勝てた理由があったりするんです。ちょっと、具体的に知ってみたくないですか?あのマジック、実際どんなふうな原理で成り立ってると思います?そんな意外な教養から法律の難しい事、政治学の色々な事大学から今迄、色んな事を学んで来ました。
前川喜平氏による言論操作工作員ではないかという疑惑が浮上みなさま、お元気ですか。文部科学省大臣官房総括審議官、文部科学省大臣官房長、文部科学事務次官などを歴任した前川喜平氏は、いままでさまざまな問題のある言動を繰り返しています。「日本人は愚かでレベルが低い」発言や、天下りあっせん問題、出会い系バーでの援助交際問題など、枚挙にいとまがありません。このひとは、もしハニートラップに引っかかっても「ハニートラップとはなにかという調査のためだった」と言うのかもしれません。今回
京都新聞で学ぶ京都・石清水八幡宮で恒例「ジャンボ御神矢」の飾り付け迎春の雰囲気2025年12月24日16:05楼門前に設置されたジャンボ御神矢(八幡市八幡・石清水八幡宮)記事の要点(京都新聞より)京都府八幡市ので、年末恒例の**「ジャンボ御神矢」の飾り付けが行われました。高さ約8メートルの巨大な矢が、国宝・朱塗りの楼門前に設置され、境内は一気に迎春ムードに。この御神矢は、参拝者に授与される厄除けの「八幡御神矢」**をモチーフにしたものです。記事では、鎌倉時代の史書『増鏡』に
約2年半ぶりに海外出張に行く✈出張先はモンゴルメジャーではないよねチンギスハーンとか、元寇くらいしかイメージがなかった国まあ、色々学んでこようここのところマンネリ気味だから、良い刺激になることを期待しています
ブログや資料にご自由にお使いください。オリジナルよりスキャンしています。印刷保存の仕方は写真にカーソルをあて名前を付けて保存でデスクトップで保存⇒そのまま枠内にサイズを拡大し印刷Jpegで新ホルダーに保存するか、プレゼンテーションに4/3の用紙設定でまとめて貼り付け保存すると便利です。用紙は普通紙でもよいですが、キャノンクラフト用マット紙で設定は高品位専用紙がきれいに仕上がります。但しブログ経由なのでオリジナルからは画像はおちています。博多織博多コマ練酒旧博多町割り
じゃあ元寇、通州事件、日本人開拓民襲撃事件、上海水兵殺害事件、三・一運動時の局地的暴動で数多の日本人が殺害されたのも請求していいよねwhttps://t.co/4MKtqez1qK—城之内みな🇯🇵(@7Znv478Zu8TnSWj)December11,2025