ブログ記事56件
久しぶりに記事を書く。ブログを始めた頃はアレコレ書いてみたが最近はネタ切れ。今年の4月からは息子も小学生一年生、特別支援学校に決まった。学校の場所が今の住所から遠いので引っ越しを予定している。思い返せば今の住所は結婚してから住んだ場所でもうすぐ10年目での引っ越しである。いざとなると寂しい感じがあり、新天地への期待と複雑な気持ちである。これからどうなるんだろうと不安もある。でも、他人から見たら私が理想的な人生を送っているように見えるらしい。仕事は朝8時から17時まで、毎週末は外に飲み
新しくできたショッピングセンターにVR(バーチャルリアリティ)のアトラクションが出来た。VRのイメージといえば、昭和産まれの私には、ゴーグルを着けた目の前に小さなテレビ画面があって少し立体に見えるくらいかなと考えていたが、試しにやってみた。ゴジラをヘリコプターで攻撃して倒す内容だったが、最初に係員がゴーグルを着けさせてくれた瞬間、世界が変わった。まず、ヘリコプターがデカイ、ゴジラがデカイ、本当に飛んでいる感じだった。技術の進歩に驚きながらも、これからの時代はVRを活用した様々な体験が誰に
以前ブログにも書いた件だか、日常生活用具給付等事業という国の政策には、意志疎通ができず、排泄に紙おむつを必要としている身体障がい者には紙おむつの給付があり、身体障がいのない知的障がい者には、同じ意志疎通ができず、排泄に紙おむつを必要としていても給付されないという格差があり、これまで個人として関係する行政機関や企業に訴えてきた。今回、公明党の県議さんに実状を話す機会があり、理解してくれたようで、県と国に格差の解消を提言していくことを約束してくれた。しかし、まだどうなるかわからないし、結果が出る
私はライフワークとして自閉症協会の役員をやっている。会の運営に携わり、今年はレク係を仰せつかった。みんなからは、「何でもいいよ」と言われたが、結構条件は厳しい。音に敏感な子、好き嫌いが激しい子、突然走り出す子、などなど個性豊かなメンバーばかりだ。しかし、個々の家族でできるようなイベントは団体でやる意味は少ない。できるだけ、団体だからこそ体験できた。と言った感じのイベントを考えている。引き受けた時は仕方なくだったが今はワクワクしてあれこれ考えている。逆に私が楽しんでいるかも。😄第1弾計画中!
妻のスマホで撮った写真で、いい感じの写真があった。どこかの写真展に応募しようかなと一瞬考えた。まだ、息子はしゃべれないし、意思の疎通もできない。でも、写真でみると幸せそう。日々、息子の笑顔に癒されています。時々泣かされますが😁
ゴールデンウィークを利用して、沖縄のハンセン病療養施設である愛楽園の共同納骨堂に行き、そこに納骨されているオジさん夫婦をお参りしてきた。今回は家族で、息子は初めて連れていった。生前は、早く結婚しなさいとか、子供はたくさん作りなさいとか、色々言われたことを思い出す。小さい頃から可愛がってくれたので、きっと天国から私達家族を見守ってくれると思います。息子も笑顔でした。
兼業主夫生活も一年が経ち、新しい年度になった。4月からは昨今の人手不足からフルタイムに復帰することになり、久しぶりの忙しさに戸惑っている。今日は近くのバーに飲みに出たが途中、一年ぶりの光景に出くわした。今年は、いろいろな意味でチャレンジ&忍耐の年になる予感がする。しかし、前向きに楽しむことを忘れず頑張りたい。息子も七五三の写真取りました。成長!
テレビで天皇陛下の在位30年記念式典のニュースを見ていると式典中に歌われた「歌声の響」が紹介された。これは、皇太子時代に沖縄に訪問した際、ハンセン病療養所「愛楽園」において、入所者とふれあった時のことを琉歌にした歌とのことだった。平成が終わろうとするなか、ハンセン病により差別を受け続けた人達を忘れずあえて式典で歌われたのかを考えた時に、天皇陛下のお心に感動しました。私の祖母の弟だった人がハンセン病患者で「愛楽園」にいた。ハンセン病の歴史では、患者は人として扱われず、地獄のような差別を受けて
昔から映画が好きで週1でレンタルDVDを利用する。今までに見た映画(ドラマ、アニメ含む)は2000本以上かもしれない。もう何を見たのかもほとんど覚えていないが、男性目線で、オススメ的感想をジャンルはホラー以外で書いてみる。最初の一本目は、最近上映されているファーストマンに関係する映画だ。タイトルは「ライトスタッフ」冷戦時代、ロケットの開発をめぐる、男達の挑戦を描いた作品だ。中でもチャック・イエガーという人物がカッコいい、世界初音速の壁を破った人物で生き様が、男が憧れる。一言で言えば
最近購入したバイクだが、旅行やら妻の入院やらが重なって一度も乗れていなかったが、本日初乗りした。なかなか乗りやすく、年をとっても乗れそうである。私はバイクを運転した感覚(うまくコントロールできているか)で自身の体力を確認する。乗れている間はまだまだ若いと思いたい。願望!
今日は私が住んでいる町の住民会議に参加した。1年近くの期間を通して、10年後の町づくりについて議論してきた。今日は最終日。作成された素案の中に、療育センターの設置を検討することが盛り込まれた。町の担当者から「盛り込まれたのは担当部署と調整し可能性が高いものです。」と説明された。しかし、今までも行政にお願いしてきたことで実際に結果になったことは少ない。たくさん失望させられてきた。正直、半信半疑である。しかし、今ある福祉関係の施設や制度も、昔の人が真剣に考え、訴え、時間をかけて作り上
先日、友人数名と九州の別府、熊本、阿蘇に旅行に行くことができた。費用は2年前から積み立てをし、閑散期を狙っての企画である。積み立て開始当初は、私は自閉症の息子がいるし、2泊3日も家を空けては妻に迷惑がかかると思い、半ばあきらめていたのだが、妻やまわりの協力のもと、少し気晴らししてきてとお許しがでた。他県へ出るのは約5年ぶりで、緊張したがとても楽しい旅行ができた。自慢になるが、温泉に入り、美味しい料理をいただき、素晴らしい風景を味わうことができ、中でも、43歳にして、修学旅行以来の阿蘇山火
今年も始まり、妻の提案で70歳までに叶えたいことを100個、ノートに書くということになった。どんな小さな願いでも、とりあえず書き、かなったら消していくというもの。なぜ妻はこの提案をしたのかというと、20代の頃、将来の夢を書き、見える場所に飾って置き、常に意識するようにしていたらしい。そしたら、すべて叶ったというのだ。年末の大掃除の時に思い出したようで、私にも強要してきた。しかし、一見、無意味にも思える、この方法は成功者達は皆実践していたらしい。ある学者さんが成功者とそうでない人の違
年末に妻の出身地、久米島に行ってきた。島のおじいちゃんと久しぶりに息子の成長した姿を見せることができました。こころなし、おじいちゃんが今まで見せたことのない笑顔な感じでした。
今日は住んでいる町の中学校で文化祭があるらしく行ってみた。最初は自分たちの学生時代の思い出から、大したことはないだろうと思っていたが、良い意味で裏切られた。そして感動した。まず生徒たちの作品のユニークさゆるキャラらしい。😄こんなのもこれを中学生が書いたらしい。すでに本職のイラストレーターなみそして舞台発表も吹奏楽部とダンス部のレベルの高さ。感動した。新聞製作では福祉体験や社会問題について、みんな頑張って調べていた。そして、ヘルプマークも見つけた。思い込みだけで決めつけてはい
今日は妻と那覇基地の航空祭に何年かぶりに行ってきた。私は昔から飛行機が好きで、特に戦闘機とかの迫力がたまらない。たまたま今日が祭の日だということに気がついて、急きょ妻を誘って(半ば強引に)いったのだが、いろいろと変わりつつあることに時代を感じた。まず、オタク的な話だが、私の好きな飛行機である、F4ファントムが2019年に日本から引退する。小さいころ、マンガでファントム無頼という名作があった。とても好きで将来はパイロットを目指したが甘かった☺️あと、ブルーインパルスの飛行があり、季節もの
今年のクリスマスに向けて我が家もクリスマスツリーを飾った。去年は見向きもしなかった息子が、今年は不思議そうにながめていた。今年も無事に年を越せそうだ。息子が生まれてから当たり前だったことが、ありがたく感じるようになった。来年も家族が成長できるように。願う。
最近、ニュースでローマ法王の一般謁見の際に自閉症児が母親の手を振りほどき、ローマ法王に近寄り、自由にさわりまくったりする記事がでていて驚いた。ちなみにローマ法王とはキリスト教カトリックの最高に地位がある人で、その一言が世界中に影響を与える人物だ。大げさではなく、神様に一番近い人物と言ってもいい。しかし、すごいのがその時の対応だ、普通は警備がさえぎったり、法王自身も振り払ったりするところ、それをせず、むしろ周りに対し、子供を自由にさせるように指示し、また、子供の自由な様子や純真さを褒め称えた
先週、自閉症協会が企画したレクリエーションキャンプに参加した。ホテルに宿泊し、周辺のレク施設で色々な体験ができた。特にすごかったのが、イルカを間近で見られたのと、プール遊びができた。息子も嫌がったり、暴れたりもせず、お友達にも可愛がられ楽しめました。まあ、相変わらず言葉では表現しないが、笑顔が物語っていた。楽しいキャンプでした。
今日は、近くのバーで飲みながら考え事にひたっている。兼業主夫生活も7ヶ月が過ぎ、色々な問題が出てきた。まず仕事では、責任者を後輩にお願いし、調理技術のまだまだな職員にしっかり教育してくれることをお願いしていたのだが、性格的に指導することが苦手らしく、まだまだな職員に好きなようにやらせている。案の定、味はイマイチで調理時間も間に合っていない。目に余って、私から指導するが、今は責任者ではないので、まだまだな職員は聞かない。今の責任者は、その指導に対して肯定も否定も示さない。それでは、まだま
前回のヘルプマークについて、情報があり、今年の10月末から沖縄県でも制度がスタートした。まだ、これからの制度なので、何のマークだか分からないことから、県は普及のため、ホームページやポスターなどを作成し、関係公共機関、施設に配布している。早速私も、県の担当部署にお願いし、ポスターを100枚ほどもらい受け、西原町の協力のもと、町内の企業に配布することになった。障がいに関係する人だけでなく、普通の人にも当たり前にわかるように普及することを願います。(^_^ゞ
障害者を示す、表示に障害者マークがあり、車椅子のマークなどがある。こんなのとかはよく見るし、意味も一目で分かります。社会に浸透している。でも、最近新しいヘルプマークが広まろうとしている。これは、一見して、普通の人に見えるが、何らかの助けが必要な方が、さりげなく周りの理解をお願いする意味を持つ「ヘルプマーク」と言う。知的な障害者には、とても重要なマークである。知的な障害を持つ方は、一見すると普通なので、周りからは多くの誤解を受けることが多い。息子も赤ちゃんの頃、妻がスーパーマーケット
4月から兼業主夫になり、少し時間に余裕ができるかもと思い、職場までの行き帰りを歩いて通う計画があった。片道約30分である。しかし、実際は、朝は、パタパタして時間が無く、帰りも食材や日用品の買い出し、用事や家事をこなすなどで、時間がない。夜も、家族と食事、息子の入浴などをこなすと少し落ち着くのは、21時くらいになる。それから寝かしつけもしなければならず、なかなか運動する時間がとれなかった。おかげで体重は増え、体も固くなり、本当にヤバイ😞💦でも、最優先は息子だから私は、犠牲になってやるしか
先日、息子の保育園の運動会があり、参加した。体育館でのイベントであったが、予想どおり、駐車場は父兄の車で満車状態。しかし、障害者専用スペースはちゃんと空いており、みんなが意味を理解し、ルールを守っていた。数年前なら、当たり前のようにルールを無視する人が多かったが、駐車場に関しては最近はよくなった気がする。そして、早速、息子が体育館に入ると、息子のお友達が、迎えに来てくれる。息子は人ごみや騒がしい場所が苦手で、突然大声を出すこともあるが、周りの大人たちも、暖かい目で見守ってくれる。障害
息子は自閉症なので、家の外では警戒心が高くなる。表情は強ばり、目も合わせず、人の呼び掛けにも応じない。保育園でも、なかなか笑わないらしい。笑った日は、保育園の先生などから、今日笑いました。と報告があるほどだ。しかし、息子は保育園では人気ものらしい。登園や帰宅のお迎えの時には、まわりのお友達が、迎えにきたり、靴も用意してくれたりするらしい。昨年までは、取り巻きの女の子も何名かいたらしい。不思議だ、親バカだが、たしかにイケメンだと思うが、しゃべれないし、時々叫ぶ。なのに、子供たちは、
最近、行政機関で障害者雇用の水増しがニュースで報じられている。一番に規則を守り、他の模範とならなければならない存在がこのようになり本当に残念に思う。私は個人的によく出入りする福祉作業所があり、そこでは障がいをもつ方が自分に合った仕事をして毎日を過ごしている。私が調理師で保育園の厨房を任されている関係から福祉作業所の責任者といろいろ話をした際にお米を精米し販売しているが買う人は決まっていて、なかなか売り上げが伸びない。どうしたら販路拡大できるか悩んでいた。そこで私は、無洗米に精米できる
以前、記事で日常生活用具給付等事業について書いた。そして、その疑問点を紙おむつ事業者であるP&G(パンパース)のお客様相談室に送ってみた。行政の制度についての内容なので、メーカーさんに送るのは迷惑かなとも思ったが、内容に共感してもらえれば良いなと手紙を送った。数日後、P&Gさんから手紙が届いた。内容は以下のどおりである。さすが、一流企業!一個人の手紙に親切な回答をいただきました。調べてみたらP&Gはボランティア事業にも積極的で海外支援も行っているようです。私の情報も参考になればと
息子が生まれ、NICUに入院し、約3ヶ月、体重も1500グラムになり、退院することが決まった。こんな未熟児を一般家庭に連れてきて本当に大丈夫なのか不安であったが、嬉しかった。退院の前日、妻とお祝いで明日から頑張ろうの決意を込めて、また、禁酒願掛け解禁ということで、ステーキ店に行った。久しぶりの肉🍖そしてビール🍺!一口目は内臓に染み渡った。3ヶ月の苦労を思い返し、いい気持ちで、酒が進み、繁華街を妻と歩き、夜風を感じながら大通りに面したテナントビルの階段に腰掛け、街を歩く人々を見ながら、みん
前回の続き手術中、自分自身の油断を反省し、息子が無事に退院できるまで禁酒するから息子を助けてください。と神様に誓った。おかげで手術も無事に成功した。しかし、警察官になった年から今までお酒とは親友であり、禁酒したことはない。自分にできるか不安であったが、一口でも飲めば神様が怒って・・・そう思うと、飲む気がなくなった。毎日病院へ行ったり来たりだったのもあり、結果的に退院までの約3ヶ月間、禁酒し、願掛けを達成した。自分の意思では絶対にできないことも、子供や家族のためなら頑張れる自分に、父
今日は、息子が生まれてすぐに腸の手術をした時のことを書いてみる。妻が妊娠7ヶ月で出産した息子はNICUで治療を受けながら1週間くらいが経過したころ、担当医師より、息子さんは、頑張っていますよ。優秀です。と言われた。それまでは、超低体重児は1週間が生きるか死ぬかのヤマなのでと言われていたので、その言葉が嬉しくて、たまっていた疲れと精神的ストレスを解消しようと安心して飲みに出かけた。張りつめていた感情から飲み過ぎてしまい、その日は午前2時頃に帰宅し、ベッドに入った。そして、忘れもしない、