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自己開示というおおげさなのだけど自己開示に抵抗があるのです。何故だろうと考えると…jw界隈に見つけられたくないと思っているのですよね。今、何を考えて、何をしているのか、知られたくないのよね。知られたくないというより、教えてやるもんか、みたいな抵抗です。誰も別に探そうなんて思っていないでしょうけど。jwをやめてから、嬉しかったのは誕生日のケーキや、クリスマスのプレゼント交換。友達と行く神社巡りは、本当に癒やされます。神様っているんだなぁと思ったりします。ただ神社でも、清々しいと
jw界の情報はアメブロからいただいていますが、信者たちはこれも組織の進展、と喜んでいるのかしら。このあたりで、おかしいと気づく人もいるかしら。いつもわかりやすく刺さる記事を読ませていただいています、ありがとうございます私は現役の頃、jw界のいわゆるバリキャリでしたが、昔からアウトローだったので、いろいろなルールも自分なりの解釈で踏み越えていました。もちろん聖書に沿っているかどうかが基準。まぁ、逆を返せばトウチタイそのものが聖書からのアウトローなのですけれどもね。乾杯をしないのはなぜか
お久しぶりです。7月になりました。暑いですね、6月から暑かったですね。このまま日本は溶けてしまうのではないかしら。ある兄弟のお父様が亡くなった時のことを思い出しました。お父様はjwではありませんでした。60代の若さで、突然のことでした。その兄弟はとてもショックを受けていました。集会に行っても、兄弟姉妹たちが励ましてくれる言葉が辛いと言っていました。フッカツノキボウの『励まし』を並べられると辛いと。『フッカツノキボウ』は残酷だと常々思っていましたが、彼と話していて、その思いが強
タイトルが、あのドラマのようになってしまいました。大好きなドラマです。『続・続・最後から二番目の恋』来週は最終回…楽しみなような、寂しいような。このドラマは毎回、神回。こんなドラマってある?そうそう無いと思うわ。いい涙を流させてくれます!台詞が最高。アドリブ満載でナチュラルで。キョンキョン、大好きです。ですが、こちらはキョンキョンではなくちょうむすが主役の続・続ですよ。というわけで、大衆の門前で号泣したちょうむす。(詳しくはひとつ前ともうひとつ前をご覧ください)その
そのちょうむすは、同じ会衆の長老たちとうまくいってなかったんですよね。その愚痴をいつも言っていました。愚痴というより、自分以外の長老をこきおろしていました…聞いていて、気持ちの良いものではなかったわね。その長老たちと一緒に働きたくないから、別の会衆に移動したいと言っていました。心の中で、全然霊の実が無い…自分がいつも一番正しいの、おかしいよね、謙虚さがないわ…と観察していました。そんな理由で会衆を移動するなんて、移動先の会衆のみなさんか気の毒ですよね。そこを解決しないと、次の会衆で
毎週土曜日の夜に届く母親からのメール・季節の話・体調の報告・月1の振込の礼・仕事頑張って体調気をつけての定型文・わたしも頑張ります宣言昨日のメールは「先週土曜の夜中にぎっくり腰になったと思ったら圧迫骨折で入院しました。明日からリハビリです。頑張ります。」だった7日間...私に連絡する必要が生じなかったということだろうけど「姉ちゃんと連絡とってるでしょうか。手伝いが必要であれば言ってください。振り込みしていますので使ってください。リハビリ頑張ってとしか
この前、、楽園に行ったんだよ〜キバタンちゃんこの子は何だっけ?文鳥だったね🤭ステッピーさんが教えてくれた♪ありがとね😊コンゴウさん頭撫でて〜とやってるヤギさんもなでなで頭突きしないかわいい子だった大学生がボランティアやってたんですよ。動物タッチの安全見守り隊な〜んだ‼️こんな近くに楽園があった動物園で日曜日にやるサービスみたいです♪満足しちゃいましたJWでは、地上の楽園で永遠に生きられます!とか言って動物たちとも共存出来るようになりますって言ってたけど、今も共
最近エホバの証人のおば様方パンツOKになったのかな?たまに街路伝道っぽくうろうろしてる2人組みを見かけるけどパンツなんですよね?どこからどう見てもエホバの証人。デカいバックに日傘偽臭い笑顔☺️ま、知らんけど🙄今の家は全然奉仕で訪問して来ません。来たらしれっと話聞いてみようかしら?笑
1月はいろいろあって今さらですが「今年の抱負」です。年明け早々から世の中が揺れてしまい、引きずられるかのように自分のメンタルも揺れる事ばかりでしたが。少し心の息抜きができたので、書いてみます。昨年は「相談会」を始めて大きな一歩を踏み出せた年でした。今年は公私ともいろいろ動きそうな1年の予感がします。やりたいこと宣言しちゃいます。春海の今年は:☆彡日々の良き習慣・ブログ、インスタ、stand.fmコンスタントにアップ・ひとりご飯も栄養を考えてきちんと食べ
こんにちは!yumeです。最近は元JW関係の記事を読むことが増えて、当時のことをいろいろ思い出しております。今でこそ幸せな毎日ですが、JWを辞めるときは本当に怖くて、できるんだろうかと、不安で夜も眠れないくらいでしたガタガタブルブル…大丈夫、きっとできるいや、できるんだろうか、やっぱり、やるしかないでも、うまくいかないかも…という気持ちがグルグルといったりきたり。わたしの場合は必要の大きな所にいたので、ざっくりと→体調不良で実家に帰る→開拓者おりる→仕事を
子供の頃から自己犠牲を教えられていると我慢することが大事だと思い、いつの間にか、自分が壊れてしまうことありませんか?私も脱塔するまで、何年も我慢しました。今思うとすごく無駄な時間だったと思ってしまうけど、自分のこれまで根付いた考えを整理し考え方を変化させるいい時間として使えたと思うようにしています。でも時間はとても貴重です。そして若さはもっと大事だから自分の感覚でおかしいと思ったことからは逃げることも大事だと理解しました。決めるまでは辛く、先の不安に押し潰されそうでした
過去記事整理中です。下に記した呪いに付け加えたい「はいははい、いいえはいいえを意味するように」「自分でやる言うたんやからやりぃや!」と、つい言ってしまうけど、それ、自分にずっと言ってて排斥の罪悪感をずっと抱えていたのかも。今も、この呪いは抜けないところはあるしいい面もあるとは思うけど「いいと思ったけどやってみたら違う」なんてよくあることだしそれをやるって言っちゃったから永遠にやり続けないといけないなんておかしいよね。《2018.9.10投稿》子どものこころのコー
過去記事整理中です。そんなこともあったなぁわたしが初めてオフ会に参加した時は子どもが赤ちゃんで抱っこしてたら寝ちゃっていたので参加できた。その後大変な時を経て幼稚園に行ってる間に身軽で参加出来るようになった時は嬉しかったなぁでも、子連れのわたしに合わせて動物園でオフ会してくださったこともあったなぁ《2018.4.17投稿》こんにちは今日はオフ会で出会った仲間と久しぶりに会う予定でした昨日からウキウキワクワクで楽しみにしていたのですが・・・朝起きると息子が腹痛
二次募集が始まりました!全国の方お申しみできますよ☺️✨
びぃ〜たんさんの記事を引用。ここに書いてあるのは、本当です。家族の中で唯一JWから離れた私は、家族と連絡取れないし(電話もメールも無視)。兄が結婚したことも親戚から聞いたという始末。あれから七年くらい経つのかな?未だに兄嫁の顔も知りません。もしかしたら、私の知らないうちに親が死んでいるかも…と思って、実家の地域のおくやみ情報をネットで検索する日々。私はJW以外に人脈や支えとなる友人がいたし、経済的には自立していたからいいものの、どちらかひとつでも欠けた状態で放り出されると、自死も考え
先日広島蘖の会の紹介をしたついでに、私が初めて京都蘖の会に参加した時の感想をリプします。思えばこの日行った伏見は酒蔵の街、そして広島蘖の会も西条の酒蔵通り…酒には御縁があるようで😅
生まれたときから母が熱心なJWだった私は、輸血も献血も悪いもの、避けなくてはいけないものと当たり前のように信じて育ってきました。奉仕のときに献血バスを見掛けることがありましたが、見てはいけないものを見ているような感覚で横を足早に通り過ぎていました。輸血をしたら、エイズや肝炎などの感染症に簡単にかかってしまう怖ろしいものという先入観も植えつけられていました。輸血なんてしなくても同程度の効果のある安全な代替療法はいくらでもあると信じていました。子供の頃から当たり前のように輸血拒否カードを首から
いつも読んでくださりありがとうございます。早いものでブログに私と妻の体験を書き始めて一年半以上たちました。始めたきっかけはというと、どうしても読みたいと思っていたブログの限定記事を読むためでした。それまではアカウント登録をせずに読んでいましたが、限定記事を読むために登録しようとプロフィールなどを書いていたところ長くなり、思いきって記事にしてみたことが始まりです。ブログに書くということには、JWとして生きてきたことの記録、反省、心の整理、思えばいろんな意味合いがありました。
ちょうど6年前の今頃でしょうか、最後の集会を終える頃だと思います。それから6年、あっという間でした。その6年間というもの、聖書を開いた記憶がほぼありません。現役時代は集会や集会の予習、日々の聖句など毎日のように開いていたのに…新世界訳改訂版の訳し方がおかしいということを聞いていくつかの聖句を確かめたぐらいでしょうか。聖書が敬意を払うべき特別な本だとは思います。しかし自分にとって「足のともしび、通り道の光」であったか、神から語りかけられる直接の手紙のようだっ
覚醒してからも、「辞めるなんて無理だ…人間関係、家族関係がめちゃくちゃになるだろうから、組織にとどまっているしかない。」そう最初は考えていました。ところが実際のところ、卒業後は本当に穏やかな日々を送っています。前回の記事で私の親子関係について書きましたが、妻も、母親だけでなく、10代の頃に離れていた弟や妹との関係も良くなりました。(最初の頃の記事で書いた、難しい関係だった父はすでに亡くなりました)弟や妹も離れた後の人生いろいろあったようですが、現役信者だった姉には相談できないと
xjwのレッドスプラウトで皆さんおはようございます今日のトピックは全てを白黒ジャッジする私というトピックでお話ししたいと思います私はですねPTPTSDになって15年ぐらい今なるんですけれども今でもその治療を継続しています私が日常生活の中で特に気をつけているのは物事の白黒を控えるということです生まれながらに何が白で何が黒なのかというのを常日頃頭の中で考えていて具体的なこと言えば例えば疲れたとかっていう弱音を口から吐くことさえも自分に対して罪悪感を抱くほど自分で自分の首を絞めていたよう
皆さんおはようございますxjwレッドスタートです今日のトピックは私が結婚しない理由というトピックでお話ししたいと思います私は今オーストラリアでリファクトという制度でパートナーと一緒に過ごしていては日本で言えばこれは事実婚に近いような状態になりますオーストラリアでは自立広報が法律的に守られていてまた豊洲のカップルが別れたとしても子供の親権とか財産財産分与というものもしっかり法で守られています私は今から8年前に結婚した離婚というものを経験してあのたんですけれどもあの率直な感想としては誰私は他
皆さんおはようございますxjwネットスプラウトです今日のトピックは愛してると言われることへの恐怖と発作というトピックでお話ししたいと思います私のパートナーですねオーストラリア人でこっちの方等は日本人よりも愛情表現がかなりストレートで豊かですね日常生活でもIloveyouという声かけを結構耳にするんですけれどもえー私の場合の愛してるという言葉を聞くたびに体がいいですね発作が出てしまってそれは何かなんでかと言うとまだね両親からあなたを愛してるので懲らしめのムチを与えますと言われて
皆さんおはようございますxjwレッドスタートです今日のトピックは自己犠牲をしすぎて自爆してしまう私というトピックでお話ししたいと思います私は生まれた時からバギーに乗せられている宣教奉仕や聖書研究に入っていたわけなんですけれども潜在能力として自己犠牲の精神を示すというものはもう癖になっているように感じますそれは今でも日常生活の中でふとした瞬間に現れてきて私の生活を自分で自分が首を絞めてしまうというハプニングが起こることが多々あります例えば今日の朝からの一コマを上げるとすると今日朝から結構私
私はJW2世として生きてきて、徐々に覚醒したものの、少なくとも親が生きているうちは辞めることなんてできない、そう考えていました。両親といっても父は退職後にバプテスマを受けており、私にとってはずっと未信者の父親としての関わりでした。父親が入信するのと同じぐらいのタイミングで私が離れることになり、入れ替わりという感じです(^_^;)反対者として難しい時もありましたが、父親が長老であるような方と比べると、世の人としてほぼ生きてきた父親の存在は、経済的にも精神的にもありがたいものでした
皆さんおはようございますxjwレッドスプラウトです今日のトピックは排斥後の荒治療というトピックでお話ししたいと思います私は19歳の時不道徳の罪で排斥されました二十歳の誕生日が来る日か前みたいに疲れました長年人になりたいという夢を持っていた私だったので排斥された後は禁じられていたことや組織から制限されていたことを片っ端からやるようになりましたまだ良ければカラオケに行くパチンコタバコ酒ホストクラブキャバクラ出会い系サイトで遊びまくるAVアクション映画暴力的な映画を見る後ロックミュージ
皆さんおはようございますxjw8スプラウトでここ連日ですね結構ダークサイドなお話をつけてきてるんですけれども今日のトピックは障害者になりたかった長老の娘ということでお話ししたいと思いますこの表現はですね少しちょっと語弊が生じてしまうかもしれないんですけれども今八歳だった時の私の心情をそっくりお話ししたいと思います1歳だった私はですねあの回収に子供が一人しかいなくてかなりの孤独と寂しさを感じていましたの学校でも回収でも友達と呼べる人は一人もおらず心を開いて話せる人というのもそもそもいませ
はい皆さんおはようございますxjwレッドスプラウトです今日のトピックはですね友達ができなかった10年間というトピックでお話ししたいと思います昨日もですね少しその経緯についてはもうお話ししたと思うんですけれども私は実質小学校から高校に上がるまでの10年間友達と呼べる人は一人もいませんでした私は真剣家族の中に一人っ子として生まれたのでもちろん自分の身長とか弱音を吐けるような歳が近い兄弟問題しなかったので私からするとあの私の周りの人間大人たちを敵視するような形になる傾向が強かったなーって今
皆さんおはようございまーすxjwレットスタートです今日も昨日に引き続き長老の娘という肩書きっていうトピックについての続きをお話ししたいなと思います中学生になったあたりぐらいから私一人子供一人しかいなかった回収と近隣の開始が合併してですねお金の回収の子供たちと一緒にの接する機会が増えるようになりましたまなんですけれどもどうしても同年代の子達と関わろうとすればするほどその親たちがいつも介入してきてま具体的な例を挙げるとあのめぐちゃんうちの子がちゃんと集会の用紙をしてるかチェックしてあげてね