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天台座主明雲の伊豆配流が決定しますと、僧兵らはただちに行動に移し、2000の数で配流途上の明雲の身柄を奪還するという前代未聞の事態へと発展します。激怒した後白河法皇はついに延暦寺への武力攻撃を決意し、平重盛らへ出陣を命じました。のちに織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちにし、後世の批判を浴びますが、怒りにまかせて攻撃を命じた法皇はともかく、一方の命じられた側は仏法の府に矢を射かけることに躊躇せざるを得ません。重盛は当時、福原(神戸市)にいた父平清盛の判断を仰がないと兵を動か
山の中の、たくさん人がお参りするお寺も近くにあるようなところ。亡くなった人を祀っている神社。もくじきびとさんに不意に質問された私たちは、どこのことだろうと考えました。地元の山でお寺?近くの神社?「地元で山と言えば、○○山(山の名)かなぁ?」と彼。私たちの地元のその山は、霊峰とも呼ばれ、1000年以上も昔、山岳信仰の修験者たちの修行場としてとても栄えた歴史のある山でした。今も当時の寺院や僧兵たちの墓があり、観光地としても地元では有名です。「○○山なら確かに人がたくさん行くよね。」と娘
From竹村公太郎@元国土交通省/日本水フォーラム事務局長奈良の正倉院展毎年秋、奈良国立博物館で正倉院展が開催される。今年は10月30日から11月15日まで開催される。展示会が終わると山々は紅葉の盛りから冬の色に変化して行く。この展示会は関西の良い歳時記となっている。20年前の1997年、大阪で単身赴任をしていた私は時間つぶしに「正倉院展」へ向かった。いつもは静かな奈良を大勢の人々が博物館に向かって歩いていた。1時間以上の長い列のあと館内に入った。抑制された照明のガラスケー
武士と僧兵の激突!!僧兵って。清水寺とかを打ち壊したり。やることがえげつないんだよな。都の貴族が僧兵に頭を悩ませて武士に命じて征伐してた。1000年前の話だな。貴族は武士を使いこなしてるつもりだったけど。武士はだんだんと台頭してくる。平氏や源氏が出てくるわけだな。武士と僧兵でなく武士と貴族との争いになっていくのが興味深い。僧兵のタチの悪さには呆れるわ~
ヤマボウシ(山法師)ミズキ科ミズキ属の落葉高木。東アジア原産で、我が国の野山に普通に自生しています。夏に大きくて白い4枚花弁の花を咲かせるので人気です。しかし、この花びらに見える部分は花弁ではなく葉が変化した総苞片といいます。中央部のめしべのような部分が花です。もちろん、品種改良され、常緑の品種も生み出されています。街路樹や公園などに植えられますが、シンボルツリーとしても人気です。都会の街並みに似合います。花の後には食べられる赤い実がなります。山法師の名は、中央の花を僧兵の頭、まわ
東海道。“ケ91”軽便機関車を観た後、更に西へ。暫く歩くと、「鎧橋」という小さな橋が。実はここ、大きな戦いが有ったそうで。平安時代末期、僧侶への正式な得度を行う“戒壇(かいだん)”設置問題で、東海道を下って来た比叡山の僧兵と、浜松の鴨江寺(かもえじ)の僧兵が、ここで戦いとなったという。双方の死者およそ1000人がこの橋の北側に葬られたとか。今ではそんな戦いの痕跡は想像すら出来ない小さな橋であった。リュックメンズ通学swisswinリュックサックレディース大容量
受験生の味方、旅好きなあなたの味方になりたいかにかまです。お寺の立看板にみる宗派、僧の名前。完全に理解して読めるあなたはすごい!今回は、僧兵という武力集団を持ち織田信長らに対抗したそんな宗派を中心に考察しました!まず、宗派には奈良時代由来のもの。平安時代由来のもの。平安末期〜鎌倉時代に起こったもの。有名どころですと、大きくこのように分けられます。これが、僧兵による一揆と組み合わされていくと、このようになります。情報量が、、、!その解説を含めたものを作りました。悩めるオトナ
『長い間使っていた包丁の切れ味が、研いでも悪くなった』と、家内が前から呟いていたので以前、関西のテレビ番組で紹介された店の包丁を注文してみました。日本で刃物の産地というと、新潟県の燕市周辺、岐阜県の関市、大阪府堺市などが有名ですが、奈良県の東大寺周辺も室町時代頃からのいわゆる『僧兵』の刀や武器作りを発祥とする、刃物づくりの店があります。トマトを薄く切れたと、家内は喜びました。三條小鍛冶宗近のホームページはこちら
おお~、やるじゃん溢れる白い花いいじゃんこれ山法師やまぼうしは見るけど一本につく花の数はまちまちこれほど花が付いていてそれが並んでいると圧巻花が言うのみて見て・・・・診て?一つが言うだけなら聞くのも楽だけど全部の花が言うみてみてみて見てみてみてみて・・・見んしゃい!はい誰か手入れしている人がいるのかないるんだろうね誰だろう意外と若い人かな
『慧日寺』は会津仏教文化をつくった…というのが現在のキャッチフレーズっぽいけど…『慧日寺』境内にある『乗丹坊(じょうたんぼう)墓塔』、その説明を読むと私は別の印象を受ける。私的には「兵(つわもの→非常に強い兵士)たちの夢の跡」。乗丹坊-Wikipedia→乗丹坊(じょうたんぼう、生年不詳-1182年)は、平安時代末期の僧。陸奥国会津慧日寺の衆徒頭の地位にあった。「城丹坊」と記載されている史料もあり、越後城氏の一族という説もある。平安時代末期の慧日寺は「寺僧300、僧兵数千」とも
GW真っ盛りお休みの人もそうでない人も楽しんでいますでしょうか?今年は各地で緊急事態宣言が出ており、GWだからといって行楽という訳にもいかずで寂しくもありますけどねまあ、ころなの感染状況を見るに、言っている場合か、という話になりますし経済活動と感染防止という相反する対策を両立させようなんて無理な話をやらなきゃいけないのですから、丸く収まるという事はあり得ませんそういう無理である状況を前提とした心構えと対策をしていかないとですねーあれもこれも全部うまくやれなきゃダメだと駄々こねて結局何
姫路市広畑区則直に書写山円教寺別院満乗寺跡があります。足利の兵乱と言いますから、南北朝初期と考えて良いのかな?書写山円教寺別院ですから、もしかしたら僧兵もいてどちらかに加担して焼き討ちにあったのかも❓すぐ下の室津道に面した所に犬塚があります。人語を理解し、かつての満乗寺と円教寺の手紙を運んで、僧の手伝いをしていた犬が居た。その犬の死を哀れんで建てた塚ということです。
中野区中央にある真言宗豊山派の明王山宝仙寺では例年、節分に僧兵行列・大護摩供厳修・豆まきが行われます今年(2021)はコロナ禍のた僧兵行列や豆まきは中止となりました2019年に見学に行ったときの写真です僧兵行列が山門前に到着山門から行列が境内に入ります本堂不動王明王像が開帳されていました弘法大師修行像御影堂三重塔の前で大護摩供厳修が行われます僧侶が読経するなか柴燈に火がつけられます護摩木が火に投じられます信者が護摩木を投じます大護摩供が終了して僧侶や僧兵が本堂に
全国100万とそこそこのマンホリストの皆様、おはようございます。新年最初のマンホールは、和歌山県岩出市の消火栓、僧兵が描かれています。根来衆とか、この界隈はとても多かったんですよね。でもって、市のキャラクターになっているとか…。個人的には岩出市ってどこ?ですが、根来ならわかる(笑)なんで根来を地名に使わなかったのかなぁとか思っているんですが、大人の事情ってのがあるんでしょうね…。でもって、このキャラクターの名前がそうへぃちゃん。「い」の字が小さいんですよ(笑)
↑僧兵から好まれた武器「薙刀長船長光(13世紀・鎌倉時代)」「僧兵の発生について」武士が日本の歴史上に登場してきた経緯はこれまで説明してきた通りだ。しかし、日本の歴史の中で戦闘を専らとする職業は武士だけではない。寺社勢力が抱えていた戦闘を専門とする人々「僧兵」がいた。今回は、この武士ではないのに戦闘を専門とする人々の発生について見ていきたいと思う。僧兵の歴史は、武士の歴史と比べて古く、実はどのような経緯で発生してきたのか明確には言えないのが現状である。少なくとも仏教が伝来した
霊視鑑定依頼/心霊相談/心理カウンセリング/有料記事一覧お断り:これはあくまでも個人的な意見です。歴史に「もし、たら、れば」はないということはわかっていますが、「もしかしたら」という気持ちでお読みください。織田信長が○○山延暦寺を撫で斬り(全滅させた)したとされていますが、これはかなり誇張が入り混じっています。何故かと言うと信長は当初「投降すれば好し、せずとも里人を苦しめることなければこれで良し」と寛大な処分を延暦寺側の僧兵達に通達していたそうです。この事件
リンク先を明かせば、皆に迷惑がかかる。僧兵のオッサンと、キャスリーンの母ちゃんが・・。www。
公式ハッシュタグ令和二年7月12日骨董品ランキング2位公式ハッシュタグ令和二年7月12日和歌山県ランキング3位公式ハッシュタグ令和二年7月13日骨董品ランキング2位鉄砲伝来後,火縄銃の全国普及には,僧侶が大きな役割を果たしたのは間違いない。また殺生を禁じられた文弱の徒である僧侶に鉄砲の名人が多かったのも,興味深いことである。ポルトガルから伝来した二丁の鉄砲の内一丁は,種子島家から紀州根来の坊主が譲り受けいる。その翌年,根来寺では,この鉄砲を基に,本州で初めて火縄銃
モンクねぇ(^-^;)すごいイメージがあるのは。FFの初期の方でジョブがあって。モンクってゆーのは。空手家の前の弱ジョブだったようなイメージ。僧兵の意味みたいですね。グラブルでは逆に。格闘の現状の最上位ジョブで登場!僧兵だからか、得意武器が拳だけではなく、杖も持てる。・・・果たして使えるジョブなのか?どうなのか?これまでの新ジョブは、まぁ、ことごとく強かったからねぇ。最近ではランバージャックなんだけど欠かせないジョ
隠れたパワースポット、摩利支天石について。摩利支天とは、『陽炎を神格化したもの』であり、仏教の守護神である天部の一柱。陽炎は実体がないので、・捉えられない・焼けない・傷付かないなど勝負運へのご利益が🙏よって、日本では、武士・力士が篤く信仰したみたいですね😃ここ、興福寺さんの摩利支天石は、奈良発祥の武道である宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)の流祖である興福寺の僧の守り本尊らしいです。興福寺と言えば、個人的に南都の僧兵のイメージがあるので昔から大事に
にほんブログ村にほんブログ村第128話「組織の誕生の時からとか伺っていますが、何世代か経っていくうちにそんな昔の遺恨を忘れるとか出来なかったものなんですか?」「いえ、とんでもない話ですが数十代前からの遺恨らしく、融和の気配などまるでありません」「なにか……いやな予感がしてきましたが……陸軍トップの身内であられるあなたが、教皇庁の警備責任者でいらっしゃることに海軍筋の中には、良く思われていない方もおられるのでは?」「それについては、今の私のポ
おこんばんは💦連投は珍しいソレガシ。ま、前回は…これから連想。僧兵の脚や腕に…あ、白い袴や上着が無い!山伏にも共通出来るのでは?と…やりました。袴に挑戦です。既製品の袴をバラして…ただ、既製品だとたっつけ袴のように縛ると…弾け飛ぶ!(後ろがね💦)なので…出来たもの。通常の袴より30cm裾が長め。生地が薄いので"ユルユル、ダブダブ、長い"仕様。断捨離しようと龍生地も。やりました。。但し、幅が若干小さいので心配💦股に合わせたのが💦さ、どうなるかな?裁縫増え
緊急事態宣言がポツポツと解除されてきました。宮城県仙台市を津波以来訪ねた。自分の仕事としては、満足のいく結果だった。マウスガードプロもリカバリゼーションも内容のお話ができて、有意義でした。国分町のあの有名な牛タン屋さんのおやまにも兄弟子に連れて行ってもらいましたが、やはり大変な状況で、嘆いてらっしゃいました。ご飯を食べに行っただけなのに、「助けに来てくれてありがとう」と言われた。それ程大変な状況のようでした。暗い国分町ははじめて見ました。僧兵という言葉をみなさんはご存知
5月18日(月)ご住職の話では今年のヤマボウシは、花付がおおいそうです。。上から観ると確かに。。。。花びらのように見えるものは「総苞片(そうほうへん)」と呼ばれる葉の一部だそうです。中央の花の部分を僧兵の頭。白色の花が頭巾に見えることからヤマボウシと名付けられました。熟した果実は甘く食べられます。**緑のある庭づくり池田書店より**ハナミズキの花に似ていると言われるヤマボウシの花。私は花を観て、手裏剣を想像してしまいました。ヤ
現在、奈良国立博物館で開催中の特別展「解脱上人貞慶」に関する解説によると貞慶上人は治承四年(1180)、平重衡による平家焼き討ちの時には興福寺の修学僧であったと考えられます。そこで私が一番ひっかかったのが「平家物語」の「奈良炎上」の記事でした。市古貞次氏の校注・現代語訳の日本古典文学全集の「平家物語」の該当記事に目を通しましたが、それには12月28日の夜、平家の軍勢により民家に火をかけられ風が多くの寺に火を吹きかけた記述の後、次のような記述がされています。恥を考え、名誉を惜し
まるで「神マスク」...神事で配られた謎の紙に注目その正体は?京都・八坂神社に聞いたニコニコニュース明治、大正期に感染症がまん延した時にも、八坂神社が「祇園御霊会」の神事を実施した記録があるという。明治期は1877年の「コレラ」、大正期は1918年の「...モスクワサダコが泣いている中日旅行ナビぶらっ人広島の原爆で犠牲となった佐々木禎子さんの物語が、展示室の音声案内で響いている。モスクワの科学展示館には純白の千羽鶴が天井から連なる。「安らかに...比叡山の焼き討
【時代劇こぼれ話】麒麟がくる(15)根来衆について麒麟がくる、では織田信秀が死に、残された若き信長は、一族衆から攻撃を受け、尾張は内乱状態になっていました。そんな折、美濃から使いが来ます。斎藤利政(本木雅弘さん)が婿である信長に会いたいと言って寄越したのであります。最初は断ろうとする信長でしたが、帰蝶(川口春奈さん)から「それでは私は美濃に帰らなくてはなりませぬ」と言われ、翻意することになります。その帰蝶は、信長が父に討たれることのないように謀を巡ら