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これは最初の鳥居です平泉寺白山神社は、奈良時代に修験道の僧・泰澄が開いたお寺で、戦国時代には、約1キロメートルの敷地と、48の小さなお寺、武装した僧侶が8,000人がいた巨大都市でした。36の宮殿などの建物、12,000以上の僧侶の住まいがあったようです。大きな勢力であった平泉寺は、安土桃山時代の1574(天正2)年に起きた、越前一向一揆(いっこういっき)に巻き込まれます。平泉寺は、朝倉景鏡(あさくらかげあきら)と組んで、一向一揆戦っていましたが、戦いに負け、平泉寺のすべての山が燃えてしま
昭和三十三年五月十四日の夕刻、それは川崎大師平間寺に於ける重大な意味を持つひとときであった。昭和二十年の戦災に失なった諸堂伽藍の復興の雄々しき歩みをはじめた、その一歩こそこの夕刻であったと言える。御遷座というのは、もともと天皇の御座書をお移しすることであったし、神仏の尊像をお移しすることでもあった。伊勢神宮などでは、御遷宮ともいい、新宮の造営に際し、神社の神座を本殿から権殿にうつすのを仮殿遷宮、権殿から新宮にうつすのを正遷宮というのであると聞く。宵闇の中に、一万余坪の境内がつつまれ
今日もお疲れ様でした😄星のドラゴンクエスト,冒険ランク10にやっとなりました😃覚醒工房というのが実は以前プレイしていた時には無かったと思いますが,なかなか素晴らしいものに(超必殺技)が可能になるようですね😐Ⅷのイベントクエストのスロット報酬でゼシカヘアーが貰えたので、魔法使いや僧侶の職業にはピッタリですね😃明日の午後に,また札幌に戻り,中1日でゆっくり休もうかと思います😐
晩ごはんです♪刺身の漬け丼刺身の種類は、マグロとサーモンとはまちです♪タレに漬けて、カンタン酢で作った酢飯に乗せていただきました!美味しかったです(^-^)アラ還だけど漫画買いました(^-^;僧侶シリーズを描いている永久保貴一先生の「阿闍羅蒼雲霊幻怪異始末④」前の秋月慈童シリーズが終わったのでこちらを新刊が出るたび即買いしています。④の内容はこの帯に書いている通りです。↓「神仏と僧侶とのありがたい縁。人と霊はこんなにも救われる」この漫画を読むたび、家にお祀りしてある観音様を新たな
毎年参加している、友達のお寺の夏祭りが今年はコロナの影響で中止となりました。毎年楽しみに家族で参加して、子どもには浴衣を着させて、出店で食べたりしていましたが、いざなくなるとさみしいですね。コロナ第二波が確実に今起きている中、お祭りどんちゃんはできないですね。来年には期待しましょうhttps://www.chugainippoh.co.jp/article/news/20200722-001.htmlお盆の法要の形を多くのお寺さんが考えているそうです。この記事の写真には本堂の前に卒塔
ど~も~でっかいおっさんです。おっさん今外国の僧侶の袈裟の写真が欲しくて楽天で『民族袈裟』と検索したら出てきたのがこれ・・・・セクシーランジェリー下着セクシーランジェリーセクシー下着通販勝負下着キャミソールレース黒白sexylingerieスリーインワンインナーテイストセクシーエッチな下着可愛いエロいレディースセット過激メール便送料無料あす楽
チチェローネというイタリア語はあまり知られていない。この帯文は無理がある。41年前の本だが、大学院の時から読んでは、途中であまりに難しいので、あきらめるの繰り返しだ。大ドイツ哲学者と、その大学院の後輩のインド哲学者の僧侶との対談なのでかなり面白い。cicerone「チチェローネ」とは、ローマの政治家、文筆家、Ciceroキケローに由来する。良き指導者→ガイドブック、という意味変化だろう。英語にもなっているが、あまり使われないと思う。言葉の森から出られない:言語学のよろこびAma
明け方みえたものーーーーーーーー不思議な帽子を被った僧侶顔がどろっと溶けている無言だけど何かを訴えていそう戦国時代?安土桃山?僧侶の次にすぐ着物姿の正座をしている女性こちらの女性もやや顔は溶けていた悲しい表情で腕には赤ん坊赤ん坊の生死はわからないこちらはさっきのよりは近代明治。。よりあと。大正とか?ーー腕組みをした女の顔と腕のみ何か悪いもの未練と悲しみ・・?かかってこいやーとなぜか強気な私の意識かかってはこないーー
こんにちは!ご訪問いただきありがとうございます。さいたま市パンとお菓子の教室やきたてです。4連休の初日は生憎の雨降り今年の梅雨明けはいつになるのかしら?昨日のパン教室はインターミディエートコースのお二人です。チーズベーコンクッペのボリュームとブリオッシュ・ア・テットの可愛らしさに心奪われる・・・コロナ禍のレッスンで今までとは違うことが多いけれど、それでも楽しそうな生徒様と過ごせることが嬉しいです楽しい時間をありがとうございました
お参り途中に寄ったケーキ屋さん。🍰(自分の分とー坊守の分とー子どもはプリンとーあとはー)なんて想像しながら買っていたら、まあ色味が一緒。味はしっかり美味しかったです色味にも気を遣える人になろう(笑)今日のお葬儀は数人の家族葬でした。ただなぜか係の方が倍の10人ほど…そんなに人はいらないでしょうし、その分人件費とされてしまうんでしょうね…葬儀の時にもお話をしています。今日は子どもたちも居たので、とにかくシンプルに分かりやすいお話に切り替えました。「お供えはなんでも良いんですよ。
副住職が言った『まだまだ生きたい』と思って亡くなるのと『死にたい』と思って亡くなるのは違うなるほど😶『まだまだ生きたい』はきちんと供養することにより安らかにあの世に行ける必ず《次》につながる葬儀のときも僧侶は心残す事なくやりきったと思うらしいもう一方の場合は心残り…やりきれない思いになる….大学の教授(住職)達がちゃんと供養されてるお骨とされてないお骨は分かるという心理学もかじってるようだが大黒さん納得した寺の納骨堂に長い間
😥転んだ日記(105)ヽ(≧□≦)ノ新型コロナの流行で解ったことは結局中国なしでは日本経済は立ちゆかないことだ。マスク~各種工業製品の部品爪楊枝1本台所用品に至るまで日常生活~経済活動までお世話になっていることだった。100円均一を世界に誇っているテレビ番組も存在するがアホなことだ中国製品を宣伝しているだけだ。じわりじわりと中国の册封体制に組み込まれていたわけだ。歴史は繰り返す。あ~~ボートピープルが懐かしい!!???大阪市生根神社に置かれていた瓦
東洋の聖人カードAmazon(アマゾン)3,850円『上杉謙信』(うえすぎけんしん)戦国時代の越後国の大名。上杉謙信は、非常に信仰心があり、僧侶のような武将というより、僧侶が武将を兼任していたと言った方が、的確ではないかと思います。上杉謙信は、真言宗。武田信玄は、天台宗。この2人は、戦においてだけではなく、信仰においてもライバルだったようです。上杉謙信は、僧侶。常に、お堂に籠って、護摩を焚いていました。
相変わらず学校は調子のいい時だけしか行かれなかった。そんな時はいつも釣りをして癒されていた。もっと違う魚を釣ってみたいな…と思ってる頃、門番所のお手伝いされていた方がブラックバスを釣ってきて見せてくれた。「うわー!✨初めて観る魚に感動」「これはね、餌じゃなくてルアーで釣るんだよ」とルアーボックスを持ってきて見せてくれた。煌びやかなルアーの数々に目を奪われた。「こんな派手でカッコイイもんに魚が食ってくるのか?」魚が魚を食うなんという概念が無かった為、驚きと共にもっと知りたいと思う
宿坊(淵之坊)5時出発善光寺本殿の一番奥の如来様は1,000年間一度も開かれた事が無い摩訶不思議な!?如来様いるのか...いないのか...信じるのみ!!さあ1,000年間決して欠かすことのない朝のおつとめ🙏おつとめで祈願申請していた私は一人(えっ誰もいないの私オンリー)コロナで人がいない祭壇に案内され30人ほどの僧侶にかこまれ私のために祈願していただいた🙏こんなこと生涯今回だけだろう貴重な時間・空間・経験.....宇宙空間に連れていかれたよう
先日施餓鬼の件で、組寺全員の住職を集めての施餓鬼法要が行われることに異議を呈したが、近隣の地域でも、少人数ながら、新型コロナ感染者が出たこともあり、ギリギリになって、当地の本山で再度会議が催され、予定の半分以下の僧侶の数で「密」を避けた法要が行われることになった。僧侶の数が減ったのだけれど、結構、新仏が多く、参加者はわりと多かったけれど、みんなマスクをし、除菌も置いていたので、まあ、大丈夫だったけれど、今後、それでも、手伝いを多く要する寺や、人数を変えないヘンコな寺に、うちの方丈が手伝いに行
頭陀袋(ずだぶくろ)といえばよくお坊さんが持ち物を入れている袋ですが辞書に依れば曹洞宗では茶色で臨済宗では黒色が一般的らしいです。厳格な決まりはないのでしょうが真言宗豊山派では何色が一般的かということもありません。ところで、頭陀袋の頭陀はインド語のdhuta(ドゥダorドゥーダ)で煩悩を取り払い、衣食住に貪らず心身を鍛える生活規律の事です。細かく分けると、12種や13種あり糞掃衣(ボロボロの服)を着ることや横にならない(寝転がらない)こと
こんなゴリラ🦍とでも何とか夫婦でいられるのは《愛し愛されて》だけではもたないそんなものは歳をとれば何処かに飛んでってしまうやっぱりあれだな…《諦め》😓そして、、、それ以上の《責任感》でもっている大黒さんの頭にあるのは◉古い日本🇯🇵文化を守らなきゃ◉嫁に選んでもらった恩返ししなきゃ(寺に)◉自分は住職の妻◉自分は僧侶の母◉自分の寺を舐められてたまるか‼️◉寺の為=ゴリラ🦍を守るくらいかな🤔…寺で生活してると《守ってもらってるな
いつも🏖読みに来て頂きありがとうございます🙇🏻♀️けろ🐸です。今日も😄宜しくお願いします❣️日曜日、二十日ぶりに雨が降らないと言う。午前中マンションの排水管高圧洗浄があって元々、出掛けない予定だったんだけれど、お盆の間(東京は7月)毎日雨で☔️、その上ずっと平日だったから週末の晴れ間排水管の高圧洗浄が終わった瞬間そうだお墓参りに行こうで🚗🌬🌬青山霊園へ。お墓の掃除🧹してたら、蚊🦟に数カ所噛まれた。小一時間、掃除してお参りしてその足🚗🌬豊川稲荷東京別院に
私が僧侶としてお寺に勤めていた時は、たえず「死」と向かい合っていた。当然である。ご遺族からお亡くなりになった方のお話を聞く機会も多くあった。時には科学的に証明できそうにない不思議なお話をたくさん聞いた。そういう経験もあったのでこの「アミターバ」はとても興味があった。副題の「無量光明」は死に行く人が阿弥陀如来のイメージである「無量光明」の世界に入って行くということ。80歳を超えた義母が肝臓の胆管部に癌がみつかり、
悩みはないのですが、なんとなく気になったので読んでみました(^^;数名の、お坊さんと牧師さんが心のあり方や考え方を述べていました……ビジネスマンの悩みに対して。所得のある人の大半が、組織で働く方々で……人生のあらゆる全てを経験していますから……悩みも尽きませんよね(^^;仕事だけでも大変なのに。就職、転職、退職、起業……上司や部下、同僚との関係、組織内のパワーバランス……親子関係、夫婦関係、育児や介護……チャレンジできない、失敗を恐れる…自分のやり方に固執する、相手を認めな
朝お寺を出発しようとすると、セミの声が大量に聞こえてきました。☀️いよいよ夏本番という気持ちになりました。お盆の準備に追われていますが、心にも余裕を持ちながらお盆を迎えたいですね。本堂のお花も、暑さで萎れていくスピードが少し速くなってきました。がんばれ!お花たちよ!https://news.yahoo.co.jp/articles/ecb5777fb8cb0b066c11685383257875a698bcf8[コロナ「自粛」で祈り、供養の機会「増えた」日本香堂調査「大切な故人、心
湯灌の義丁寧に心をこめて清めてもらい伯父もきっと喜んでいることでしょうお通夜僧侶さまとは何回かお会いしてますいつ聞いてもいいお声です通夜振る舞いはコロナの影響でお弁当を持ち帰るスタイルに変更
前施設長と事務局長、理事の坊主(僧侶)丸儲け。。。・事務局長(僧侶)に机で、寄付金(現金)を保管・幽霊職員に寄付金から給与5300万ウォン(約470万円)・代表理事の健康保険料735万6000ウォンが寄付金からhttps://news.yahoo.co.jp/articles/482671cd2660ac5b77058525873f859c85771863慰安婦被害者生活施設への官民合同調査22日まで延長=新たな問題発覚【水原聯合ニュース】韓国・ソウル近郊の京畿道は19日、寄付
最初に釈迦が仏教を作ったときは、贅沢はいっさい禁止だったのそしたら、仏教がインドで流行らなくなっちゃったそれなのに「すべてを捨てなさい」って、真逆の教えだよねなぜですかって、人々は豊かになりたい、幸せになりたいからこそ仏にお願いにくるので、信者が「豊かにしてください」って来るのに、肝心の僧侶や仏様がボロボロの着物じゃ説得力がないそこで僧侶は綺麗な着物を身にまとい、仏様もきらびやかになった美しい着物を着て、顔がツヤツヤで、いい言葉を使っているそういう人は豊かそうだし、幸せそうだよね
今日は午前11:30から先祖・水子・ペット等の供養をします。今年は、コロナの影響もあり「初七日をせず七日の席も設けない」という話しをよく聞きます。きっと、この初七日のやり方は山梨独特なのかもしれません。葬儀の後に、親戚や故人・喪主に近しい人達、近所・隣組の人達、僧侶達にお膳を用意します。その場で、僧侶に初七日の読経をしてもらい、人々、喪主の挨拶の後に食事が始まります。これを「初七日の席」といいます。また、十三仏(亡くなってから七日毎に違う仏様が、迷わないように導いてくれる)の中にお不
やりきれないというか、虚しいですね。買い物から帰ってTwitter見たら、三浦春馬くんの訃報で驚きすぎました。大ファンというわけではないけど、良い俳優さんという印象だった。何より茨城出身ということで応援していました。なんだか自殺の素振りがなかったというか、謎すぎてびっくりです。人って内面では何を考えているのか、どんな悩みがあるのかわからないものですね・・・。内容が気になっていたので、哀悼の意も込めて書籍を買いました。全国を訪れて後世に残したい「日本製」を集め
私の夢私には、在家者と同じように世俗に生きる一人の僧侶として、世の人々に、人生の大切な意味を思い出させる平家琵琶法師になりたいという夢がある。琵琶法師とは、平家物語を語り継ぐ法師であり、琵琶という楽器を奏でる古典芸能者である。と同時に、世俗と距離を置いた精神的視点からこの世界を俯瞰し、源氏と平家の争いや盛衰を語ることで両者の報われない魂を鎮め、現代の人々にもその儚さや悲しみを共有する事で世の無常を悟らしめる、僧侶のような、また世捨て人のような面も持ち合わせていると私は考えてい