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今日は、田町駅芝浦口での街頭挨拶🙋♂️ののち、港区議会の総務委員会に出席し、長年懸案であった、旧伊豆健康学園について、売却の方針が示され💰施設が廃止❌されてから、約21年間ずっと手つかずのままでしたが、区議会を含めて、様々提案はあったものの現実可能なものが無く区の文化財の保管倉庫や、民間のアイデアなども募集しましたが、実らず残念な思いはありつつ、ひとまず解決に近づき、ホッと😌今後のスケジュール(予定)は、以下の通り令和
一気に秋がきた肌寒いですね。大雨で買い物や散歩に出る気力がありません。とはいえ、今週は休薬週なので、寝込む心配をしなくてよい土日です息子たちも寮に戻っているし、さあやるぞ……って、始めたのは息子らが通っている学校の後援会の仕事です息子らの学校は公立の特別支援学校の一種なんですが、ここ何年も定員未満が続いているため自治体が廃校を目論んでいるとかそんな話を聞いていてもたってもいられない衝動優勢のADHDタイプのワタシ。旦那氏を巻き込んで、後援会を立ち上げてあれこれ目論んでいるところ
東城先生が亡くなられた、と連絡があった。2月22日だったそうだ。なんか予感がした。自然療法、自然に学ぶ会と、ガンになった自分が心の問題に辿り着き学んだところだ。お世話になった方々がいる。健康学園、砂浴、料理教室にも通わせていただいた。毎週、東城先生のお話しを聞くことができ、貴重な時間を過ごさせていただいた。お通夜と告別式の日を教えていただいた。私のスマホのアドレス帳になかったのに、昨日Uさんの名前と電話番号が表示されていた。古いスマホのアドレス帳にもなかったのに。翌日、こちらから連絡
1月8日水曜日曇り〜大雨〜曇り深夜、喘息発作で目覚める。時計を見ると…8日1時半!スッと息を吸うと…酷い咳に続き、息を吐くときにヒューヒュー音がする!!前日まで元気だった曽祖母は深夜に喘息発作で他界したし、祖父も父も時々ヒューヒューしていたので、喘息については慣れっこの私。急激な寒冷刺激・風邪による酷い咳・乾燥した空気・煙草の煙・埃…私の発作を誘発する要因の数々。一番許せないのは、タバコ!!!2020東京五輪なのに、未だに禁煙どころか分煙出来ていない飲食店も有るし
こんにちは先月から視察が続いており、ちょっと体力的にも堪えていますが頑張ります。新人議員なので、大田区の施設をしっかり把握し、今後の運営や、課題について議論するために視察をしています。今回は、千葉県館山にあるさざなみ学校へ視察に行って参りました。この学校は、ぜんそくや虚弱体質、偏食、少食、肥満などに悩む子供たちが栄養指導や生活習慣を改善するための大田区立の学校です。授業は通常学級と同じように行われ、全寮制で3食栄養管理がしっかりされた食事をし、肥満などを改善していま
今から5年前。マラソンのタイム3時間30分を切ることに取り憑かれていました。苦しい練習に耐え、体を絞っても、達成できない大会が4回(2年の間)続き、どうしてもこの壁を乗り越えなくてはいけないと思い込んでいたのです。よし、今シーズン最後の篠山マラソンは、体力も気力も準備万端と思われたとき。あの健康学園の生徒が数人、東京で集まることを知りました。ちょうど、篠山マラソンの前日の夜に!なんで、このタイミング?ここは関西。この集まりへの参加か、篠山マラソンへの出場か、どちらかを選ばなくてはいけな
健康学園の卒業。濃厚な日々が終わる。講堂の卒園式。毎日の冒険を共にした仲間たち、先生たち、保母さんたち。給食のおばさんたち、住み込みの要務員のご夫婦、看護婦さんたち、事務員さんたち。生徒の数を超える大人たちが、僕たちのために働いてくれた。「元気になれ、強くなれ」と。どうしたら感謝の気持ちを伝えれるだろうか。子供も大人も、みな泣いている。ソテツの前で撮った僕の写真がある。東京に向け発つ直前のものだ。大きなリュックを背負い、両手も荷物や卒業証書でいっぱい。帽子を、滑稽なくらい深く被って、顔を隠
健康学園では、面会日にあわせて、行事や父母会が開かれることがあり、アサカワ先生が父と接する機会が何度かあった。父は父だ。目立つ行動をしたり、自分の価値感だけに基づいて、何の遠慮もなく話をしているに違いない。大人達の間で、どういう振る舞いをしているか、知りたいようで知りたくなかった。ところが、何かの機会でアサカワ先生と僕が二人になったとき、先生から父について話してきたことがあった。え、どんなこと?と心配になった。しかし先生の言葉は意外だった。お父さんは個性が強い。芯がとおっていて力強い人間だ
月に一度、親との「面会日」がある。40人の仲間たちが、一番楽しみにしている日だ。親たちは、東京から同じ特急に乗って房総半島の先までやってくる。駅から1.5km歩き、ソテツが迎える門に到着すると、子供たちが集まって待っている。親子で、学園の中や海辺で、自由に午後を過ごす日だ。このときの両親は優しく、僕は学園の生活のことをしゃべり続けた。母は、特急の揺れと冷房で体調を崩すので、年の後半は父だけで来ることが多くなった。母に会えないときは残念だが、それでも面会日は心の中で指折り数えていた。ある面会
クッキー缶のスカスカ裁縫箱に、僕が固まっている間に、アサカワ先生は、家庭科の授業を進め、さあ、なんとかスティッチを試しましょうと実習に移る。なぜ缶?と、まだ頭の中で問い続けながらも、オマケのような道具の中から、針と糸を見つけて作業を始める。あれ、姿が見えないな、と思っていたアサカワ先生が、ふと見ると僕の横に立っていた。背が低いので、座っている僕と目線はほとんど変わらない。何か、いたずらを思いついたように、にやにやしている。「やってしまおう」と言って、僕のクッキー缶から、オマケ道具たちを全て
家庭科の授業。5年生の教室に、大きな段ボール箱が持ち込まれる。12人の生徒の東京にいる親たちが健康学園に送ってきた裁縫道具箱が配られる。みな標準品で、四角いお弁当箱2個分くらいのプラスチック製の箱。新品のクリーム色の裁縫箱は、薄い透明なビニールに包まれている。仲間たちが、つぎつぎに受け取っていく。ひょっとしたら、ウチの親でさえ「1年間離れている息子に、今回だけは新品を準備してやろう」ってないかな。淡い期待も実はある。数個は、やはりオサガリか。ビニールに包まれていないものがそうだ。いいの、いいの。
姉からのオサガリ?当たり前でしょう。ウチの事情を、8月から読んでいただいている皆さんは、いまさら驚かない。姉Iの赤い自転車は、バンビの絵の上にシールを貼り、僕のものになった。当時、赤は女子の色と明確に決められていたが、時代をさきがけて素晴らしいと、はみ出たバンビも親指を立てる。社宅から出ていく家庭から机を姉IIが譲り受けると、彼女のコクヨ机が僕に引き継がれた。机は、女子仕様でピンクの装飾がしてある上に「りぼん」の付録シールが多く貼られていたので、これを隠すために宇宙戦艦ヤマトのシールを前面すべて
ひとつ。アサカワ先生との出会い。ビフォア。東京の小学校で担任になっていたのは、ツカイシという大柄な女性のベテラン先生。ご縁で1年生から4年生まで、僕はこの同じ先生の担任するクラスにいた。4年間お世話になったが、振り返ると、僕にとっては良い先生だったとは言いにくい。父母会の次の日には、お気に入りの子たちの親を褒めていく。「誰々のお母さんは立派な方で、こんなことを言っていた」。僕の親に言及することはなかった。好かれていない自覚がなかった僕は、休み時間に「僕の親は、どう見える?」と迂闊にも聞いて
この経験は、僕の中で良くも悪くも学習になる。理不尽には、積極的に行動すべきだということ。悪い学習は、その行動には攻撃も含まれるということ。健康学園は、非常に充実した楽しい場所で、仲間、保母さん、先生たちとは濃密な関係を築かせてくれる。しかし、この「あばれはっちゃく事件」のように、年中24時間一緒にいるとことで、当然だが、ときに関係に不満や衝突が発生する。大きな体の高学年の子が、腕力で仕切ろうとするのに従ったり、対抗したり。保母さんに叱られ、不公平さに反発したり、好き嫌いができたり。おとなし
5月か6月。健康学園生活に慣れてきたころ。同じ5年生にオオカワ君という、学園生活2年目の子がいて、ちょっとだけ賢くなった僕を、おもしろくなく思っていたのか、ちょっかいを出し始める。おとなしそうだし、いじめる相手にはちょうどいいと思ったようだ。当時、「あばれはっちゃく」というガキ大将の長太郎が活躍する実写ドラマがあり、子どもに人気があった。長太郎には、マサヒコというライバルがいて、頭はいいが卑怯なヒール役だった。このオオカワ君は、自分を長太郎に見立てているのか、「ソバオは、マサヒコだ」と言い
ひとつ。少しだけ賢くなった。毎日、17:30から30分は「勉強の時間」だ。短い時間だが、健康学園に来てから、僕は、初めて勉強することを覚える。「ん、初めて?」そう初めて。ここでウチのユニーク子育て、もうひとつを披露する。僕は、父からも母からも「勉強しなさい」と言われたことが一度もない。小学生の時にかぎらず、中学生、高校生になっても、たった一度もない。それは、モチベーションを引き出すために米国の博士が考案した高度な教育手法とか、そういうのではない。勉強どころか、宿題ですら、僕にさせよう
僕のゼンソクの発作を、健康学園の生活が完全に抑えこむことができたのは、恵まれた自然環境はもちろん、日々の鍛練、規則正しい生活を徹底させたからだ。早朝6:30。宿直の保母さんに起こされ、パンツ一枚の裸にされる。部屋を囲むガラス扉を全て開け放ち、1列になって乾布摩擦だ!「眠たい、もう5分」など絶対許されない。「起きなさい」「パンツ一枚」「乾布摩擦、よーいスタート」。「1,2,3,4!」声を合わせて全身を手ぬぐいで擦っていく。毎朝、年中無休。真冬に窓を開け放つ保母さんは、鬼にみえた。北
さて、僕が1年間過ごした健康学園がどのようなところか知っていただきたく、新学年スタートあたりを牛歩で進んできた。このまま、学園生活を追いかけ「ソバオ、家族から離れる200」を目指せるくらい、出来事には事欠かないので、そうしたい衝動に駆られる。毎日つけ(させられ)た日記を実家に取りに行けば、それを完璧にサポートしてくれるはずだ。この章は、父がいない1年の生活が、僕にどういう影響を与えたかについて書くためのものだ。ところが、ごく一部ではあるが、ダークヒーロー好きの方々が、ソバオ父の登場はまだか
寮は、3つのグループ(ヒマワリ、アサガオ、アヤメ)に分けられ、それぞれ13-14人で集団生活を送る。僕は、ヒマワリに。3年生から6年生、バランスよく構成されている。各寮の男子は24畳の大部屋で、女子は10畳の部屋で寝泊まりする。ハリーポッターの魔法学校には寮が4つあるが、その極小版と思っていただいきたい。毎食の長テーブルも寮ごとで囲むし、スポーツ大会や学芸会も寮対抗だ。寮名も大事だと思う。グリフィンドールでなくても、幼稚園の組のようなものの他になにかありそうなものだ。そして、各寮に担当
南房総の健康学園は、浜辺から数百メートルのところにある。耳を澄ませばいつでも波の音が聞こえる。門を入ると、学園のシンボルである大きなソテツが迎える。低くて太ったヤシの木のようで、南国に来たような気分にさせてくれる。おー、やっぱり楽園であったか!目の前に、グラウンドが広がっている。東京の小学校では、500人の生徒に対し、校庭はあまりにも狭かった。しかも、校庭はアスファルト(!)で出来ていて、ひび割れや剥がれがひどく、走って転ぶと血まみれになるという信じられない状態が長年放置されていた。(翌
7月に、プロローグ「お葬式」を書きましたが、喪服の話があります。20代半ば、広島で勤めていたときのこと。成人してからは、脂肪をためこみやすい体質になり、ジムに通っては痩せ、さぼっては、お腹が出るということを繰り返していました。(今は、神戸マラソンに向け準備中ですので標準です!)ちょっと、お腹が出てきたなというタイミングで、親戚が亡くなったのですが、持っていた礼服のサイズが、どうしても合わないこと気づきました。急遽、最寄りの商店街に、とても小さな貸衣裳屋を見つけ、レンタルすることに。
春。5年生になり、健康学園へ出発。渋谷のNHK前に、区全域から子供たち40人が集められる。大きいリュックを背負った僕、手荷物を持つ父、そして母の三人が歩いて向かう。口数は少なかったように思う。父が目立つことしないといいな、とも考えた。到着すると、入園式のようなものがあって学園長が挨拶する。僕の関心は周囲の子たちに向かう。一年間、寝食をともにする子供らだ。上手くやっていけるだろうか。それが終わると、間をあけることなくバスで出発だ。淡々とした段取り。はい、出発ですよ、こちら、こちら。きっと、親
家に帰り、プリントを渡し「健康学園」に参加したいという自分の意思を伝えると、母は驚いた。そして翌朝、これに父がすぐ賛成したので、今度はこちらが驚いた。いいんですか、そんなに簡単に?客観的に見ても、いい機会だろう。区が「1年間のお子さんの世話を全てこちらに預ければ、自然に恵まれた環境で厳しく鍛えあげて、お返しいたしましょう!」と言っているのだ。広島や伊豆の田舎での滞在中、一度も発作を起こさなかったことも父の考慮に入っている。何よりも、能天気な息子本人が望んでいる。(しかもだぞ、費用は区が負担
僕が、1年間の健康学園の全寮生活に飛びつきたいと思ったのには、理由がある。その数ヵ月前の夏休みのことだ。通っていた大きな病院の小児科が、1週間の「喘息キャンプ」を実施した。伊豆に、ゼンソクの子供を20人ほど集め、乾布摩擦や、運動訓練で体を鍛えるとともに自立心を育てるプログラムだ。親は、願ってもないことだと思ったろうし、僕は、前年に広島の体験で田舎が好きになっていたので、参加することに異存はない。伊豆に集められた僕らは、まず、自分のニックネームを決めなさいと言われる。考えたあげく、僕は
小学生4年生、2学期のある日。学校で配られるプリントの1つに「健康学園」の案内があった。健康学園とは、房総半島や伊豆半島の自然環境に恵まれたところに、東京都の各区が所有、運営していた全寮制の教育施設だ。各区に住んでいるゼンソク、虚弱体質、偏食、肥満など、健康上の課題がある小学生を1年間単位であずかり、健康管理と集団生活をにより、健康を改善させる目的を持つ。僕が住む区が持つ健康学園は、千葉県南房総市にあった。夏には、小学生の臨海学校の宿泊先として利用される。そのプリントは区が発行したも