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江戸時代、士農工商の最下とされた「商人は差益をかすめ取る卑しい職業」とみなされていた時代に石田梅岩は初めて流通業としての商人の正当性を説いた。この流れを汲み戦前から戦後にかけて小売業の誇りと正しい商人の道を説き続け、「個人商人」から「企業家たる小売業」発展の基礎を築いた人がいる。今から80年前に「商業界ゼミナール」を立ち上げ初代主幹として活躍した倉本長治と、その盟友の新保民八・岡田徹両先生。商業指導者の三羽烏を言われ、戦後大きくなった小売業経営者の多くがこの先生方の影響を受けた。筆者は大学
中小企業白書(2020年版)によると、個人事業主の廃業率は創業1年で37.7%、3年で62.4%。10年では88.4%と、10年後の朝を迎えられるのは1割のみなのです。会社を設立した場合でも、10年後まで生き残れる企業は36%にとどまっています。店は客のためにあり店員と共に栄え店主と共に滅びる昭和を代表する商業経営指導者・倉本長治は、事業のあるべき姿をこのように定義しています。今では、顧客満足、従業員満足を誰もが声高にうたいますが、終戦直後の日本において、いや世界中を
商業者創立者、倉本長治は友情を重んじる人間でした。多くの商業者を友として、ときに励まし、ときに叱咤し、共に喜び、共に涙しました。だから倉本は商人に対して、ことあるごとに「友を大切にせよ」と説いたといいます。商人の友とは何でしょうか。私は、商人には5人の友がいると考えています。一人は同じ志を持つ商い人。一人は共に店を育む従業員。一人はお客のために協働する取引先。一人は同じ地域に暮らす生活者。一人はあなたが商いを通じて喜んでもらいたいお客さま。倉本は言いました。商人よ、お客様
私たちは、お客さまの暮らしを守りより豊かな明るい社会づくりに努めます私たちは、職業に誇りと喜びを持ち商人としての自覚ある行動に努めます私たちは、職業の深い知識と誠実さで信頼される店づくりに努めます私たちは、人格と技術の向上を図り相互研磨による経営の近代化に努めます私たちは、協同の活動を推進しよりよき商道の実現に努めますこれは、商業者の社会的立場とその使命をはっきりと認識し、日頃から社会生活に即した商業の道を開拓する専門店団体、日本専門店会連盟の掲
ら人のために役に立ち、人々に喜びや、楽しみを提供し、人間の「幸せ」を創るために一心に努力する――それこそ商売の目的です。だから、それをやりとげるために儲けが必要なのです。商人はお客の幸せを増やすために、つねに適正な儲けを得る義務があり、その責任を負っています。人間は生きていくために食べなければなりません。しかし、食べるために私たちは生きているのではありません。商人はお客様のために儲けなければなりません。しかし、儲けるために商売をしてはなりません。商人の価値は、儲けにあるのではありま
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商業界創立者、倉本長治は「昭和の石田梅岩」と呼ばれた男でした。生前にお会いすることはありませんでしたか、遺された著作から多くを学びました。江戸時代、士農工商という当時の身分制度下にあって、商いの意義と理念を唱えた梅岩は後世の職業倫理に大きな影響をもたらします。ドイツの社会学者、マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、プロテスタンティズムが近代資本主義の精神的支柱となったと分析したように、日本においては梅岩の唱えた石門心学がその後の産業発展を支えました。
商業界創立者、倉本長治も販促や広告について多くの著作を遺しています。その根幹にあるのは、次のような考えでした。現代の広告には、人を動かす誠意が不足している。いや、広告に不足しているのではなく、商人そのものに誠意が足りないのである。だから、彼らの書く広告が不誠意なのである。厳しくも、愛情あふれる言葉です。技術はもちろん大切ですが、それよりも大切なのは誠意。
世界で初めて衣料品のセルフ販売を成し遂げたのは、大阪天神橋筋にあったわずか1坪半の店「ハトヤ」。その大大事業は1950年、戦前は教員として児童を育て、戦後に行商から身を興した西端行雄・春枝夫妻によって成し遂げられました。その後、西端夫妻は志を共有する4社で「ニチイ」を設立。中小小売店が理念的結合によって団結した、極めて稀有な企業でした。西端春枝さんは新生ニチイで人事・教育の要職に就き、社風も企業文化も給与体系も異なる組織の人心を一つとすることに尽力されました。そのとき彼女がその柱としたのは、
店は客のためにあり、店員とともに栄え、店主とともに滅びる。倉本長治
〈パンでミックという深刻な危機に直面した今こそ「他者のために生きる」という人間の本質に立ち返らねばならない〉こう述べるのは、ヨーロッパを代表する知性であり、フランスの経済学者・哲学者のジャック・アタリ氏。フランス政権の頭脳として長く政権中枢で重要な役割を果たしてきた人物です。昨夜のEテレの特番「緊急対談パンデミックが変える世界」の中で、人類はどのようにしてコロナを克服していくべきかというインタビュアーの問いに答えています。〈利他主義という理想への転換こそが人類のサバイバルの鍵である〉商
不要物が積み上がり、殺伐としたオフィスで私物を整理していると、一枚の少し黄ばんだ紙が目に止まりました。その古い雑誌の表紙のコピーで目にしたのが、商業界創立者であり、日本商業の父といわれた倉本長治の名前です。商店界――かつて老舗出版社の誠文堂新光社から発行されていた商業経営専門誌です。大正から昭和へと時代が激動する1925年、長治は26歳の若さで「商店界」の編集長に就任しています。次の文章は、表紙を飾った長治による編集長就任のメッセージです。商店界のためにという理由で私は本誌の編集をお引き受け
昔に戻ることはないけれどこれまでとはちょっと違う世の中を創ろうよ違うというと怒られちゃうかもしれないけれど元通りにするんじゃなくてちょっぴりでも前より良くなったとみんなが喜べるそんな社会を目指そうよ「創新」いい言葉じゃないか創り直しは復興でも再建でもなくてちょっぴりでも新たに創るやり甲斐のある仕事になるその希望が生き甲斐になるつらくても夢になる苦しみに耐えながらみんなの幸せを目指す明日があるいつかそれが良かったと胸を張って亡くなった人たちにも
昨日、2泊3日のスケジュールを終えた第88回商業界ゼミナールでは、今回も多くのご縁をいただきました。人と人が偶然会い、そこにご縁が生まれていく。偶然と言いましたが、必然なのかもしれません。その一人が星路アキナ商店の星路アキナさん。地元の食品の販路開拓や商談会のお手伝いをしており、その中で出会った商品の中から実食しておいしいと思ったものを正直に販売していらっしゃいます。もっとも彼女は二次元の存在。天界勤続37年のバーチャル商人なのです。活動の場は主にYouTubeとインターネット通販サイト。
初参加の商業界ゼミナール。ゼミナールで得た学びから私自身が素直に感じたことをこのブログで少しずつ書いていきたいと思っています。ここ数日、書き続けている商業界創設者でもあり、初代主幹・倉本長治さんが提唱していた『商売十訓』。今日はその中の二つからひとつのお話を書こうと思います。六、お互いに知恵と力を合わせて働け心だけは借りることも出来ず、お金で買うことも出来ない。人を知り商いを知る。七、店の発展を社会の幸福と信ぜよ商売は世の中の人の欲しいものを楽しく得させる
初参加の商業界ゼミナール。豪華な講演でお腹いっぱいになってしまい、脳疲労…ぐったりと疲れている夜です。ゼミナールで得た学びから私自身が素直に感じたことをこのブログで少しずつ書いていきたいと思っています。昨日のブログにも書いた『商売十訓』のひとつ。三、お客に有利な商いを毎日続けよ最後の「毎日続けよ」という部分。こんなお話がありました。今年のための仕事、そして30年後のための仕事。それを考えて商いをする。この言葉を聞いて、私が常に心に置いてい
今日、3日間の日程を終え、第88回商業界ゼミナールを無事に遂行することができました。この困難な状況下、お参加くださった受講者の皆さま、ご登壇くださった講師の皆さまに厚く御礼申し上げます。実は商業界ゼミナールは、終わったときからが本当の始まりです。さっそく学びを実践するときです。ときには迷い、滞ることがあるかもしれません。そんなときは、この3日間の決意を思い出しましょう。わたしも、そうします。「反省したり改善したりするのに役立つ友だちを君は持っているだろうか。本当の友だちは、正しく生きるとき
昨日に引き続き、商業界ゼミナールに参加しています。昨日のブログにも書いた、商業界の基本理念『商売十訓』。十個ある中であるひとつの言葉が私に刺さりました。その言葉にこれまで何も感じていなかった私。○○業こんな風に業種を表す時に○○業と記します。その○○に入る言葉は数多くありますが、今回の十訓のお話の中で出てきた、ある○○。今日はその○○についてのお話です。十訓の中の三つ目にこうあります。三、お客に有利な商いを毎日続けよ商人の仕事は
今日と言っても日付が変わってしまっていますが、25日~27日の3日間、千葉・幕張にて開催されている『商業界ゼミナール』に参加しています。このゼミナールに参加するのは初めて。実は前職の頃から一度行ってみたいと思っていたのです。念願叶い今回初参加です(^^)初参加ですが、心友もちこも一緒なので少し安心しています。午後から始まった講演。まず、お漬物の森島、の森島さんの講演がありました。商業界の初代主幹である、故倉本長治さんが提唱した基本理念『商売十訓』。この
明日2月25日から2泊3日で、第88回商業界ゼミナールが開催されます。今日から準備で会場となる千葉・海浜幕張にいます。ホテルにある早咲きの桜がきれいでした。商業界ゼミナールって何?そう思われる方もいることでしょう。そこで今回は、第1回目の様子を振り返りましょう。商業界ゼミナールは単に儲けの技術を教えるセミナーではありません。その本質は明日の時流を知り、互いを磨き励ます生涯の友と出会い、商い人としてのあり方を学ぶところにあります。寝食を共にして学ぶ1951年2月19日から4泊5日にわたっ
一昨日、1月29日は商業界創立者、倉本長治の命日。1982年、82歳で亡くなりました。長治が一貫して提唱したのは次の一点です。店は客のためにあり店員とともに栄え店主とともに滅びるしかし、現実の世界では、今なおこうした理念をよそに、規模拡大競争や利益追求の激闘が世界的な潮流となって、容赦なく善意の経営者たちの周囲に迫っています。このままでは、安心して暮らせる買物もサービスも受けることができません。また、適正な利益が生まれなければ、事業は継続できません。その適度というものさしはどこにあ
1948年、終戦から3年後の夏、月刊誌「商業界」が生まれました。街には闇市があふれ、お客の足元を見て値段を釣り上げる商売が横行、江戸期から育まれてきた商道徳は荒廃していました。荒れた土地を耕して種を撒くように、正しい商いのあるべき道を示そうと、新しい商業の技術を伝えようと、長治は粗末な用紙で56ページの雑誌をこの世に送りだしたのです。しかし、それまで長く、「金儲けのためにお客に売りつけさえすればよい」「金儲けの手立てが商売だ」と商人自身も思い込み、お客もそうとしか見ていなかった時代が長く続い
東京・三田の慶應義塾大学正門前にある秋色庵大坂家(しゅうしきあんおおさかや)は「伊勢大掾」の称号を持つ格式のある和菓子舗。商業界創立者、倉本長治の生家である同店は、元禄年間に大坂から江戸に出てきて店を構えておよそ300年。今も変わることなく、江戸和菓子の粋を今日に伝えています。店は客のためにある商業界精神の根本は「店は客のためにある」の一文にあります。倉本の原点である秋色庵大坂家も、その実践者であることは言うまでもありません。たとえば、道路の拡幅工事で駐車場のなくなって以来、ご不便を
律令の時代から建築・木工技術が高く評価され、時の中央政府から税を免じてまで貢進を義務づけられ、その技術によって都づくりに貢献してきた「飛騨の匠」。その地場産業の伝統と技術を受け継ぐ家具製造企業が岐阜県高山市にあります。1920年創業の飛騨産業は、国内外からの観光客でにぎわう江戸時代から続く高山の古い町並みから車で15分ほどの森の中で、今日も家具を製作しています。その100年にわたる営みは決して順風満帆ではありませんでした。業界常識との対峙今日、地場産業は衰退の一途をたどって
日本の敗戦により、国土は荒廃し、街にはまだ砲火の残り火が立ち込めていたころ、若き商人たちは、国民の消費生活に欠くことのできない物資を探し求めて全国を渡り歩く日々が続いていました。「店」とは名ばかりの焼け跡に建てられた手づくりの小屋に、ようやく掻き集めてきた物品を並べて、これを代価に換えることから商売が始まったのです。のちに商業界創立者となる男、倉本長治はそういう時代から日本を駆け巡って、闇取引の根絶を叫び、今こそ商人が将来の社会的信用確保のために立つべきときだと説いて歩いていました。雪
若い頃よく読んでいた雑誌「商業界」の本です。タイトルが素晴らしいと思う。たまに読み返してみると私などまだまだ足りない。それを気づかしてくれた本です。非を知る「五十にして四十九年の非を知る」という。人生は常に反省なくしては、明日に生きられぬということだが、悲しいことに、自らの過ちを受け入れて正すことが、なかなかできないのが人間である。何年たっても、自分だけが間違っていないように思い込んで、他を責めることを改めない。『損得より先に善悪を考えよう~倉本長治商訓五十抄』商業界ありがとうご
私には、敬愛する年下の友人たちがいます。彼らは試行錯誤しながらも、商いを通じて、関わる身近な大切な人を大切にしようと努め、その輪を少しずつ広げていこうとしています。そんな友の一人から教えてもらった本の話です。彼が目指すのは「人を大切にする経営」私が彼に、あるところで講演をお願いしたときのことでした。開講前のひととき、彼は気持ちを整えるかのように、ずいぶん読み込まれたと思われる小さな冊子を開き、目を落としはじめました。経営の目的とは人を幸せにすることと提唱し、そうした企業経営者の育成にあた
1位NTT2位日本興業銀行3位住友銀行4位富士銀行5位第一勧業銀行7位三菱銀行9位東京電力1989年は、日本企業が世界時価総額ランキングの上位10社のうち7社を独占、ベスト50にも32社がランクインする圧倒的繁栄を誇った時代でした。しかし、その中身を見ると、通信や電力という半官半民のインフラ産業と金融機関のみで、そこに新しい革新を生みだすクリエイティビティは見られません。その後、銀行は生き残りのために合従連衡を繰り返し、いくつかは消滅し、いくつかは名を変え生き残
世界で初めて衣料品のセルフ販売を成し遂げたのは、大阪天神橋筋にあったわずか1坪半の店「ハトヤ」。その大業は1950年、戦前は教員として児童を育て、戦後に行商から身を興した西端行雄・春枝夫妻によって成し遂げられました。その後、西端夫妻は志を共有する4社で「ニチイ」を設立。中小小売店が理念的結合によって団結した、極めて稀有な企業でした。西端春枝さんは新生ニチイで人事・教育の要職に就き、社風も企業文化も給与体系も異なる組織の人心を一つとすることに尽力されました。そのとき彼女がその柱としたのは、商売
「誇りある道」から60「聖書」や「論語」を読むに当っては、それに含まれる真理を求めるべきであり、断じて見事な言葉のアヤや、警句を探すべきではない。「誇りある道」から47バイブルにも論語にも商売のやり方は書いてない。だが、商売人に一番大切な本が、そのバイブルと論語なのだ。「誇りある道」から43他人はみな自分よりまさっていると考えても、自分には害はないが、誰かを自分より劣っていると考えることは、はなはだ自分に有害である。「正しさについて」から4商売のうち一