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Facebookの広告に「第29回倉敷市民文学賞」の募集要項が表示されたので見てみると、締め切り日が「私の記念日」になっていましたので(笑)、応募してみようかとなりました。小野小町の末裔らしく「短歌」で臨もうと思います、応募は8/1からですが、ちゃっちゃと作ったので先にお披露目しときましょう、他の人には詠めない短歌なので問題は起きないでしょう!短歌の部門は一人一組で三首で一組らしく、三首を詠んでみました。①タイトル:「小野小町」野山(おののやま)小町
https://ono-no-tatsumi.amebaownd.com/小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.com現在、小野小町のパワーポイントを作っている為か、資料の整理をする事が多く、今回は京都の随心院にある「卒塔婆小町坐像」から、立て膝をする像のルーツはどこにあるかについて言及してみようと思います。この随心院
小野龍海’s歴史塾五代目の小野小町(小野吉子)の末裔が先祖である小野小町の実在性を証明する為に始めた歴史研究の成果を公表する為のホームページになります。ono-no-tatsumi.amebaownd.com↑研究成果の情報を発信中です。(赤ちゃん状態)小野小町の伝承がある地には複数の小野小町が関係している事が多く、私の住む岡山県の小野小町伝承にも本当は二人の小野小町が関係していることは全く知られていません。私のご先祖にあたる小野吉子(おののよしこ)が自分の子供を連れ
小野小町には瘡病みの話が伝わっているのは有名ですが、背景としてどの程度流行していたのか調べている資料があったのでご紹介します。村井安彦氏の『平安貴族の世界』の中で紹介されている資料です、736年天平八年>54年790年延暦九年>24年814年弘仁五年>39年853年仁寿三年>26年879年元慶三年>36年915年延喜十五年
今日は倉敷市の歴史資料整備室の方と話す機会があり、面白い話が聞けた、「倉敷」の名称由来の解釈が以前の、「倉敷地」に由来するものではなく、物資の集積地に由来するという説らしい。「らしい」というのが、教えてくれた人が歯切れが悪く曖昧に答えたせいだが、併せて倉敷地に由来は今はしていないとの解釈も聞いた。私はそもそも「倉敷」とは小野小町の城郭である「倉子城(くらしき)」に由来していると聞いている人間ですから、まあどっちでも構わないのですが、倉敷市に質問する機会があるのでついでに聞いてみようと思
では謎解きの続きですが、阿智神社から教えて貰ったことは前の宮司で小野氏が調べた手稿が残されているということで教えられた内容は次の様なものでした。『小野浄智の項に書かれている事として書いているのですが、「建武3年(1336年)坂(ママ)津に篁、好古の祠を移建」とあるそうです、また好信の項に書かれている事として「明応2年(1493年)伏見稲荷並びに篁、好古を城山(現在アイビースクエア)に勧請した旨が添え書きしてあります。但しこれは私文書であって、他の文献による傍証の範囲を出ません。』とあ