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毎週日曜日朝日新聞に俳壇歌壇があって楽しみにしている今日「12月7日」の新聞からの私の3句選「パン粉から一歩退く嚔(くさめ)かな」渡辺たかき氏【私感】この瞬間目に浮かぶ笑「朴落葉見て朴の木を探しけり」山内繭彦氏【私感】これは、あるある葉っぱが大きいのでどこから落ちてきたか見上げる「堆(うずたか)き落葉が森を鎮めけり」田中節夫氏【私感】ザクザクと自分の散歩道風景「森を鎮めけり」言葉のチョイスそして私も久々に詠んでみた今日はまだ秋と言いたいくらい日
「神戸ニニンガ日誌」(第3,528号)○16日と23日の朝日「俳壇・歌壇」をみる。8人の選者が40の俳句と40の短歌を選ぶ。作者名と市町村が記される。合志市や安中市はどこにあるのか。姶良市に至っては読みも分からない。○新座市の丸山巌子や筑紫野市の二宮正博、横浜市の瀬古修治は同日に二句、茨木市の窪田宣子、五所川原市の戸沢大二郎やは同日に二首選ばれている。富士市の村松敦視、村上市の鈴木正芳、大和郡山市の四方護は16日にも23日にも選ばれている。常連なのであろう。○凄いなと思ったのは姶良
俳句を嗜む人の、言葉の豊かさにはいつも感服している。朝日俳壇を読んでいると、毎週必ず知らない言葉に出会う。今日(23日)の俳壇には、こんな句ばあった。高山れおな氏選第4席である。気嵐ぬけ漁船黄金に輝けり(横浜市鈴木正明)「気嵐」を、わたしは知らなかった。調べてみた。「けらん」と読むらしい。ウィキペディアでは、「蒸気霧」の項にこのように説明されている。冷気が温かい水面上に流れてきたときにできる霧である。冷気中に起こった微風が温かい水上の水蒸
短歌や俳句を作る人は、言葉の知識が豊富な人が多い。朝日歌壇・俳壇を読んでいると、毎回知らない言葉に出会う。その度に辞書や歳時記で調べている。言葉の知識が増えるのは、楽しい。9日の朝日俳壇に、こんな句があった。大串章氏選第9席である。夕霧や荃を仕掛ける水の音(越谷市新井高四郎)「荃」には「うえ」というルビが振られている。早速『広辞苑』で調べてみた。わたしが使っているのは第5版電子辞書版である。うえ【荃】ウヘ魚を捕る具。細い割竹を
(北海道根室市)私は俳句は「文語」「口語」を自由に駆使して表現すべき、とりわけ「口語」を上手に活用することこそ俳句の醍醐味、と考えている。で、「爽樹」2025年11月号の「俳壇展望」(山口昌志)に面白いことが書いてあった。「俳壇」7月号、仁平勝さんの新連載「俳諧文法への招待」で、仁平さんは、俳諧では、本来の文語文法が必ずしも守られない。と書いているそうだ。俳諧(俳句)は必ずしも「文語」で表現しなくてもいい、と言っている。例として芭蕉の二句を示している。三日
昨日(28日)の朝日新聞、さいたま文化の俳壇(鎌倉佐弓選)の第2席入選作は、この句であった。警告す寄らば道ずれ牛膝(さいたま大慈彌英二)【総評】には、「牛膝からのユーモアあふれる「警告」」とある。わたしは、この「牛膝」を知らなかった。「いのこずち」というルビがついている。いつものように、講談社『カラー図説日本大歳時記』で調べてみた。わたしの最近の楽しみである。青柳志解樹氏による解説を引用しておく。山野や路傍に生えるヒユ科の多年草。茎は方形で全体に毛
19日の朝日俳壇に、かとうゆみさんの句が入選していた。高山れおな氏選第7席である。してほしいことが言えない落花生(成田市かとうゆみ)12音で季節に関係ないことを詠み5音の季語を付ける、という俳句の基本形である。わたしが唸ったのは、季語の「落花生」である。「してほしいことが言えない」にどんな季語をつけるか、と考えたときに、わたしには絶対「落花生」は思い浮かばない。そもそもなぜ「落花生」なのか。理屈で説明できるものではない。説明したら、この句の味わいは
前回のブログでカボチャについて、講談社『カラー図説日本大歳時記』の「秋」の部の記述を引用した。俳句の世界では、カボチャは秋の季語である。『カラー図説日本大歳時記』の解説には、「夏、黄色の大きい花を開いて、秋近くなると実を結ぶ」とある。「秋近く」ということは、カボチャの収穫は夏である。現代の料理の世界では、カボチャは夏野菜とされる。「夏野菜のカレー」には、なす、ピーマン、トマト、ズッキーニなどとともに、カボチャの素揚げが乗っている。日本では、冬至にカボチャ
尾池和夫の記録(437)俳壇2025年6月巻頭の作品10句「夏来にけらし」
尾池和夫の記録(436)角川俳句2025年8月昭和100年/戦後80年「復興から希望へ」
日曜日は、朝日俳壇である。今日はわたしの俳句が入選していた。小林貴子氏選第10席である。首痛も楽し至近の大花火今年の夏、伊東温泉に行ったときの句である。花火大会があるというので、娘と、妹の家族と一緒に見に行った。正確な場所が分からなかったが、海岸で打ち上げるらしいということで、川沿いの道を河口まで歩き、コンクリートの階段に腰をおろして始まりを待っていた。正面に上ると思い込んでいたのだが、すぐ右手から上がり、驚いた。おそらく打ち上げ場所から100mくらいしか離れ
日曜日は、朝日歌壇、俳壇である。先週は休載であったため、2週間ぶりである。読者の立場から言うと、歌壇俳壇のない日曜日はさびしい。投稿者の立場から言うと、休載の翌週は競争率が2倍になるのでつらい。しかし、選者の先生方にも夏休みが必要だから、文句は言うまい。いつも労を惜しまずわたしの駄作にも目を通して下さっている選者先生方に感謝している。待望の、2週間ぶりの歌壇俳壇である。今週は俳壇のこの句が、わたしの一番のお気に入りである。AIに掻けぬ汗して働けり
三重県の両親の家に来ている。両親は読売新聞を購読しているので、今週は読売新聞を読んで暮らすことになる。11日(月)の読売俳壇に、こんな句があった。正木ゆう子氏選第10席である。五人でも八等分のスイカかな(横浜市池末亮輔)この句を見て、10日(日)の朝日俳壇のこの句を思い出した。長谷川櫂氏選第7席である。合宿の西瓜三十二等分(川越市小澤弘一)スイカを八等分したり、三十二等分したり、それだけのことが句になるのだから、
今日(6日)の朝日歌壇には、ツバメを詠んだ歌が2首あった。親ツバメここがいいのか巣を作る学園前駅改札の上(横浜市太田克宏)永田和宏氏選第9席である。去年の夏、我が家のガレージの屋根にツバメが巣を作った。嬉しくて、このブログにも何度か書いた。住宅密集地で同じような家が何軒も並んでいる中でわたしの家を選んでくれたことが誇らしかった。わたしの家の、どこが気に入ったのだろう。俳壇に、こんな句があった。小林貴子氏選第4席である。こ
日曜日は、朝日俳壇である。今日の俳壇でわたしの目にとまったのは、かとうゆみさんのこの句である。高山れおな氏選第5席である。めまといが私の涙まっている(成田市かとうゆみ)浅学にしてわたしは、「めまとい」を知らなかった。「私の涙まっている」というのだから、たぶん「目纏い」だろうと考えたが、それがどんなものなのか、見当がつかなかった。すぐに歳時記で調べてみた。講談社の『日本大歳時記』と、角川文庫の『俳句歳時記』には、「蠛蠓(まくなぎ)」の項に載ってい
月刊誌「知恩」の「俳壇」です。この雑誌の「俳壇」担当もずいぶん長くなりました。平きみえさん、朝日泥湖さんなどはこの欄の常連です。最近、メールで投稿できるようになりました。chion-shi@chion-in.or.jpfax075-531-21341回3句まで。毎月15日締め切り
新聞、雑誌のいわゆる「俳壇」の選者をいくつかやっています。その1つが週に1回の「聖教俳壇」(聖教新聞)です。(ねんてん)
長谷川櫂氏の『国民的俳句百選』を読んでいる。長谷川櫂氏が「国民的俳句」と認めた百句に解説を加えた本である。選ばれている百句は日本人ならば誰もが知っている有名なものから、初めて目にするものまで、実にさまざまである。長谷川櫂氏の嗜好が見えて、面白い。こんな句が採り上げられている。月にえをさしたらばよき団(うちわ)哉宗鑑まん丸な月に柄をつけたらよい団扇になるなあ、というのである。なるほどたしかに、とも思うが、だから何なんだ、とも思う。これが句として成立して
新聞の読者には、2種類の人間がいる。投稿する人と、投稿しない人と。断然、投稿するほうが楽しい。投稿していると、新聞を開くときのワクワク感が全然違う。わたしは毎週欠かさず朝日歌壇に投稿している。日曜日の紙面は、格別に楽しみである。入選していたら、1週間幸せな気持ちで過ごせる。自分の作品が入選していないときは、自分の好きな投稿歌人の作品を探す。好きな人が入選していると、やはり嬉しい。入選がどれだけ難しいことであるか、身に染みて知っているから、投稿していなかっ
日曜日は、朝日歌壇である。と言いたいところだが、今日(4日)は残念ながら休載である。日曜日のいちばんの楽しみである朝日歌壇を読むことができず、残念であった。と思ったら、大間違いである。今日わたしは、朝日歌壇から生まれた御縁によって、幸せな1日を過ごした。わたしが朝日歌壇を読み始めたのは高校生のころである。読者歴、約40年である。その約40年に亘る朝日歌壇との付き合いの中で、今日ほど朝日歌壇を楽しみ、朝日歌壇に感謝したことはない。わたしは今、朝日歌壇の常連
(「俳壇」2025年5月号)運慶は北風に愛されてをり林誠司(句集『海光』より)「俳壇」の最新号(2025年5月号)句集紹介コーナー「本の庭」で句集『海光』を紹介していただきました。執筆者の鶴岡加苗さんに感謝いたします。非常に無駄のない文章で、特色を簡潔に紹介してくださっている。同コーナーでは染谷秀雄「秀」主宰の句集『自註現代俳句シリーズ染谷秀雄集』、大木あまりさんの句集『山猫座』も紹介されている。興味のある方はぜひご購入を。林誠司~句会、講
昨日(30日)の朝日俳壇に、気になる俳句があった。高山れおな氏選第6席である。私っていい子じゃないわチューリップ(成田市かとうゆみ)私はいい子じゃない、という宣言と、「チューリップ」の取り合わせが絶妙である。こういう取り合わせを、理屈で説明するのは難しい。しかし、この句には「チューリップ」でなければいけない。試しに、ほかの花をあてはめてみると分かる。「ひまわり」では、いかにも健全で、「いい子」である。「たんぽぽ」や「すみれ」のようなかわいらしい花は
『現代俳句ハンドブック』(雄山閣)には「現代俳句用語100語」があるが、そこに「一物仕立て」があり、本井英さんが「内容的にも音調的にも明確な句切れを持たない句」が一物仕立ての句だと解説している。一物仕立ての例として本井さんが挙げているのは高浜虚子の「箒木に影といふものありにけり」。この句、虚子の写生句として有名だった。句の構造としは正岡子規の「鶏頭の十四本もありぬべし」とほぼ同様。子規のこの句もかつて俳人の間で有名だった。でも、俳壇を超えて有名になったかというとそうでもないのではないか。
(東京都杉並区荻窪)初ひばり鳴いて同行二人かな林誠司昨日書いたように、辛夷(はくれん?)が咲き始めた。これから一気に開花するだろう。辛夷が咲くと本当に心がなごやかになる。(朝日新聞「風信」2025・3・2)ところで、今日の朝日新聞朝刊の短歌・俳句欄の「風信」というコーナーに、私の句集『海光』が紹介されているそうで、友人が写真を送ってくれた。LINEで友人数人が教えてくれ、そのお一人によると、大変な事で、紹介される句集は、年に12句集、厳選の上の厳選
今日(2日)の朝日歌壇に、かとうゆみさんの歌が入選していた。永田和宏氏選第4席である。戦争で知った国名ウクライナ能登もかなしいガザもかなしい(成田市かとうゆみ)先週は、このブログでも紹介したこんな俳句が入選していた。福島も能登もかなしいお正月お正月で、世間は楽しい気分に満ちているけれど、忘れてはいけない。福島には、家や仕事や家族を失い、まだ元の生活に戻れない人がいる。能登は震災から1年経過しても、復興にはほど遠い。
今日(26日)の朝日俳壇に、小学生俳人かとうゆみさんの、こんな句が入選していた。小林貴子氏選第7席である。男子にはにこり応える雪女(成田市かとうゆみ)この雪女は、かとうゆみさんの同級生の女子であろう。冷たくて厳しくて、ちょっと怖い存在である。この雪女、男子の前ではにこにこと笑顔を振りまいている。男子はみな、デレデレである。そんな表と裏でふたつの顔を使い分ける同級生女子雪女を、かとうゆみさんは冷静に客観的に見ている。俳人の目である。ちょっとめんど
以前、A新聞の折り込みに「定年時代」という小新聞が折り込まれてくると書いたと思います。その中に、「定年俳壇」というコーナーがあって、「投句」した、ということも書いたと思います。そしたら、そしたら、今日折り込まれてきた「定年時代」の「定年俳壇」になんと、私の俳句が載っていたんです!!婚礼の朝に香るや金木犀嬉しい!!やった!!かなり添削はしてありましたが、マジ嬉しいよ。早速母
17日(日)の朝日俳壇で、わたしの心に響いた作品。露の世をみな懸命に生きてをり(玉野市北村和枝)この句がわたしに響いたのは、最近、命について考えることが多いからである。父は、会う度に確実に老いている。帰省する度に、あと何日父と過ごせる日があるだろう、これが最後かもしれない、と考えずにいられない。露の世、を、意識せずにはいられない。ウクライナとパレスチナで戦争が続き、死者は日々増え続けている。シリアの内戦も終息の気配が見えず、1300万人以上
日曜日は、朝日歌壇、俳壇である。今日は俳壇の、かとうゆみさんの句が印象に残った。長谷川櫂氏選第9席、高山れおな氏選第3席、重選である。ごほうびの葉書十枚小鳥来る(成田市かとうゆみ)高山れおな氏が【評】に書いている。「かとうさん。「ごほうび」とは佳い言葉。季語も適切。」朝日歌壇・俳壇に入選すると、葉書が10枚送られてくる。その送付状には、このように書かれている。同封の葉書は掲載謝礼の代わりです。今後の投稿にお使いください。「謝礼」と言われ