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山をはり、好運に恵まれ、大学に合格すると、大学の沿線である京王線の芦花公園に住んだ。久しぶりに行って見た。駅を降りると、甲州街道に向かって細く、短い商店街を進む。変わっていない。45年前と。林立するビル群に隠れて見えなくなってしまった北新宿とは大違いだ。ただ駅前を過ぎると当時は無かった低層のマンション群が並んでいる。そのマンション群を抜ける。景色が変わっても、むかしの感覚で、どこを曲がればいいかわかる。戸建ての脇、道とは言えない路地に自然と誘われる。目前に畑が広がった
高三、一浪、大学。石原プロモーションのドラマをよくみていた。「大都会」「西部警察」「浮浪雲」。それまでのドラマと違い派手で面白かった。「大都会」「西部警察」に限らず、あの頃のドラマ、映画には、決まって、ある街が出てきた。新宿。歌舞伎町。とともに、決まって西新宿の高層ビル群。予備校に通うために18歳で上京したわたしの北新宿の3畳一間からは西新宿の高層ビルが目の前に見えていた。浜松から出てきた者の大都会観はここで生まれた。目の前のアパートでは、いつも風呂の窓が開けられ
JR四谷駅の前、新宿通り沿いに、少女の像がある。「聴く」というタイトルが刻まれている。わたしの信条なので思わず立ち止まる。少女が目をつぶり、静かに座わり、耳を傾けている様子だ。聴くと聞くは違う。前者はこちらの意図に応えてくれいることであり、後者はこちらの意図なくただ聞こえてくること。コミュニケーションの基本は「聴く」だとわたしは思っている。実際は。聴くよりも、語りたい人が多い。「不安だから」。ネットで語りたい人の心理を調べるとそう説明されている。不満、グチ、で埋まって
四谷の地。新宿通り沿いを新宿に向かって歩く。丸の内線四谷三丁目駅のあたりの路地を左に折れる。このあたりはクルマ1台が通れる程度の狭い路地が南へたくさん走っている。やがて右手に「お岩稲荷田宮神社」が、左手に「陽運寺」が出てくる。いずれもこじんまりしているが、「お岩稲荷田宮神社」の囲いの柱にはそうそうたる名前が刻まれている。歌舞伎座、明治座、新橋演舞場などの歌舞伎の本拠地、さらに歌舞伎の名優たちが名を連ねる。「お岩」が主人公の「四谷怪談」がいかに日本の演劇、歌舞伎に大きな影響
「ばけばけ」に影響されて。都営地下鉄曙橋駅から靖国通り沿いをすこし新宿方面に歩いたところにそれはあった。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧居跡。新宿区富久町。その碑は、一部雑草にも隠れ、見逃してしまう。「ばけばけ」で話題になっているはずだが、足を止める人は誰もいない。八雲はここに1986年から住み、東京帝国大学に教師として通い、日本文化の面影を色濃く残していた隣接していたお寺がなくなると、この地に興味を失い、1902年に西大久保に移り、その2年後1904年に54歳で亡くなっている
上野御徒町駅前に吉池というスーパーがある。かれこれ四十年以上になる。来るようになって。東京で最もユニークなスーパーと言っていいだろう。ほかのスーパーにはないものばかりが並んでいる。とくに、魚介類、新潟産品、東北・北海道産品。生きたまま発泡スチロールで水につかっている鮮魚たち。家庭用というより業務用、まるで仲卸の売場だ。マグロだけとっても、本マグロから各種が揃っている。酒売場。といってもいちばんスペースをおおきくとっているのは新潟銘酒。専門店にもおいていない新潟蔵元の酒が
東京はいちょうが多い。本郷通りはとくに多い。地球はあつい時代に移り、秋が短くなったのだが、黄色で埋まる本郷通りをみると、存在感が薄れたとはいえ、秋を力強く感じる。聖橋脇、湯島聖堂沿いのいちょうは黄に輝いている。東京大学沿いもいつもどおりいちょうのときを伝えている。季節は、人生時々の体験とともに深い記憶としてこころに刻まれている。強大化した夏に負けることなく、秋には居続けていてほしい。
もうなくなっていくのではないかと言われている「秋」。でも、たしかに過ごしやすい季節としては短くなった思うが、あちこちでみられる「紅葉」や、開催されている「菊まつり」、をみると、まだまだ秋は巡ってきている、とホッとする。酷暑から解放された、すがすがしい季節は、短くなっても、生き続けてほしい。湯島天神で菊まつりが催されていた。出品された菊は審査され表彰されている。一輪物、鉢物、飾り物、そして細工物。いろいろな形態で、展示され、それぞれに表彰されている。いつも思う。細工物の
人が少ない。お客さんも、店員さんも。品揃えは豊かだが、陳列は整然としてキレイ。店舗面積もそれほど大きくない。ノジマの上野マルイ店。家電量販店は、ヨドバシやビックに代表されるように、陳列商品が山のようにあり、店員さんがいっぱいいて、お客さんも多くで、あちこちのテーブルで商談がされている。そんな情景に見慣れていて、ノジマに行くと、その静けさに意表をつかれる。家電量販店の店員さんは、店の人よりメーカーからの派遣店員のほうが多い。ところがノジマはメーカーからの派遣を入れ
独立してマーケティングコンサルテイングの仕事をはじめたのは1990年頃だった。それまでいた会社の創業者「先生」に弟子入りするようなかたちで。そこで最初にあてがわれたのが江戸城大手門の前に本社を構える水産会社だった。七つの海を制したといわれた遠洋漁業の会社で、領土から200海里内での操業は勝手に出来ないという新しい制度が導入されてからは、日本の国際水産業は獲る漁業から買う漁業に変わり、大幅な事業縮小を余儀なくされた。社内マーケティング情報メディアの制作の仕事をさせてもらった。マー
千代田区番町のまんなかあたりに、東郷通りという道がある。その途中には東郷元帥記念公園という公園がある。日露戦争、日本海で、ロシアのバルチック艦隊を破った海軍元帥東郷平八郎の邸があったころだ。その公園沿いに法眼坂という坂がある。ここでは、化け蛙の合戦が観られた、とのことだ。なぜ、化け蛙なのかはわからない。坂は、怪談が生まれるところらしい。帯坂、三年坂、法眼坂。千代田区番町に多い怪談はみな坂道にある。文京区に残っている怪談も、根津・湯島のおばけ怪談、善光寺坂など、坂道ばかり
千代田区番町は坂が多い。靖国通り側から麹町台地にのぼる坂がいくつもあるとともに、麹町台地の丘自体がいくつもの上り下りを含んでいる。「三年坂」。三念寺という寺があったところで、転じて「三年坂」という名になった。市ヶ谷駅のすぐ近くだ。そこには、化け物屋敷があったということで、女の化け物や、一つ目小僧が目撃されたらしい。また、その坂で転ぶと三年以内に死ぬ、とも言われた。
怪談の舞台を千代田区に移す。番町。三河以来家康につきしたがってきた大名・旗本が住んだ町で、江戸時代から日本の住居の第一等地でありつづけている。以前は屋敷町だったが、いまは高級マンションが建ち並ぶ。とともに。ここは怪談が多い。まず。「番町皿屋敷」。お菊の亡霊が井戸から出てきて「一枚、二枚…」と皿を数える。実は、日本中に同様の怪談が残っている。姫路、尼崎、松江、高知…。江戸時代、歌舞伎で大流行した演目だったことがその要因かもしれない。それにしても、架空の話なのに、その場所
千川通りを左に折れ、伝通院へと続く善光寺坂を上ってゆく。右手にこじんまりとした山門の善光寺、さらに澤蔵司(たくぞうす)稲荷を過ぎると、大きな木が道の真ん中に柵に囲われて聳えている。「善光寺坂のムクノキ」と呼ばれている。高さ13m、幹回り5m、樹齢400年。1945年5月の東京大空襲で、上の部分が焼け落ち、下も部分的に炭化している。なのに、まだ、残った部分から枝が伸び、葉を元気よくつけている。このムクノキ。家康の信頼が厚かった伝通院の初代住職廓山(かくざん)上人が植えた。伝通
黒革の上下や白いスーツのジジイ、ババアが、東京ドーム周辺、春日、本郷を埋めた。異様。本来仮装するはずがない高齢者たちが黒と白の装束で、あちこちでたむろし、闊歩しているのだから。仮装ができる若者のハロウィンやコンサート以上に、仮装しているのだから。奇蹟だ。矢沢永吉。キャロルの頃からのファンたちだ。騒がない、はしゃがない。ツイストも踏まない。リーゼントを結える人も稀だ。カラダは、もはやできないことばかりの人たちなのだ。
NHK朝ドラの「ばけばけ」に影響された。これからは、東京の「怪談」の地のレポートも入れていく。まず近場から。本郷台地の東の縁に「おばけ階段」と呼ばれるところが2つある。まずは、根津神社の近く、東大の野球場の脇にある「おばけ階段」。のぼると40段、おりると39段。段数が違ってしまう。ゆえにその名がついた。種をあかすと、一番下の段が平地とほぼ同じ高さにあるためだ。次は、湯島天神の参道から本郷台地を東に降りる「おばけ階段」。源平合戦の頃、ここには平家方の武将斎藤実盛が
皇居大手門の近くのお堀に親子の鴨が数匹で泳いでいる。親子と言い切ってしまうのは…。30年ぐらい前だろうか。三井物産本社ビルの池から向かいの皇居大手門近くのお堀へ母鴨と子鴨が一緒に引っ越しする姿が日本中の注目を集めた。三井の人工池には巣があって、そこで孵化し、ある程度育ったあと、皇居のお堀に移るのだ。その姿が可愛らしく、当時は、警察が三井ビルの前の道を一時的に閉鎖して、その引っ越しを手伝っていた。いまいる鴨。(正確には「カルガモ」)ほんとうに親子なのだろうか。三井物産本
神楽坂。文化の日。外堀通りの入り口から坂を上り、大久保通りを超えてそのずっと先まで、道の真ん中に白い紙が敷かれ、道行く人たちがその上に思い思いに絵を描いている。子どもたちが多い。もちろん無料だ。「坂にお絵描き」。というイベントらしい。1999年に、まち全体をアートスペースとした「まちに飛びだした美術館」というコンセプトではじめた、メインイベントが「坂にお絵描き」だ。2025年で26回目ということになる。毎年11月3日を最終日とし、その日がこのイベント日だ。それまで
アルパカを描くつまりだっったが、ラマを描いてしまった。アルパカは、これに頭からふさふさの毛を纏っている。神楽坂を歩いていて、はじめてアルパカの散歩にでくわしたとき、びっくりした。え?なぜ?大久保通りと交わる神楽坂上の交差点をすこし西へと歩いたあたりだ。そこに「アルパカふれあいランド」という店があって、アルパカはそこから出てくる。「アルパカふれあいランド」は、中に入ると柵があってそこにアルパカがいる。さわれる。おやつをあげられる。30分で平日1500円かかるけど。最近は、テレ
神楽坂は、一方通行だが、午前と午後でその方向が逆転する。珍しい。というかわたしは他地域で聞いたことがない。午前中は坂上から坂下へ(早稲田側から飯田橋側へ)、午後は坂下から←坂上へとる。ときどき間違えるドライバーがいる。何度か注意喚起のクラクションを聞いたことがある。なぜそうなったのか。田中角栄が目白台の自宅から永田町に午前に出勤し、午後に帰宅する際に、都合がよいということでそういうルールになったと伝えられている。が、これは強権で有名な田中角栄ゆえに生まれた都市伝説で、実際は、
「猫ビル」といわれる建物がある。家康の母親が眠る文京区伝通院の近く、小石川台地に上がる六角坂の途上に。「知の巨人」と言われた立花隆の仕事場だ。彼の死後、ここにあった蔵書の一部が、古書店に寄贈され、その数だけで5万冊だったという。彼は全ジャンルを網羅するジャーナリストで、凄まじい数の人の知見、体験に触れ、独自の見解を著す。・思考の技術・中核vs革マル・田中角栄研究・日本共産党の研究・農協・宇宙からの帰還・脳死・サル学の現在・臨死体験・100億年の旅・東大
トランプが来た。高市が迎えた。都心部の空には一日中ヘリコプターが舞っていた。皇居のまわりを走るランナーもあまりいなかった。規制されているのだろう。桜田門あたりから国会議事堂や首相官邸のほうを撮ろうと思い歩いて行ったが、桜田門が閉められ、皇居前広場側から出られなかった。空を見るとヘリコプターが停止したまま空中に浮かんでいた。マヌケだった。トランブと高市が話すのは迎賓館だった。首相官邸ではない。顔合わせ儀式のような会談だった。アメリカ側は一切書類を持たず、日本の面々だ
平日と休日で歩く人、風景が違ってくる。じいさん、ばあさんは、平日休日関係なく、常に同じように歩いている。違ってくるのは親子連れ。平日は、母親と子ども。母は日々の濃いコミュニケーションを通じて子の理解が深く、必要最小限の、どちらかというとそっけない会話になる。休日は、父親と子ども。父は慣れていない分、子の要求に応えようとする。子との会話を絶やさないようにする。「子供とはよく話しましょう」の教えに沿った、マニュアル的な対応といってもいい。なので、子供は、母親とのコミュ
台車、リヤカー、自転車などに、集めた空き缶の大袋をいっぱいくくりつけ、さかんに行き交うクルマも、おかまいなしに、大通りを、ホームレスがゆつくりと渡ってゆく。そんな光景によく出会う。行先は、まちのあちこちにある金属回収業者。業者は1kg100~150円程度で買い取るらしい。10kg集めれば1000~1500円で、日々のくらしもなんとかしのいでゆける。ときどき公の空き缶回収の日に手を出す者もいて、トラブルにもなっている。水場の掘っ立て小屋は、当局の対処で、見た目
「江戸橋通り商店街」という通りがある。巣鴨の大塚寄り、山手線にかかる「江戸橋」から、南東に伸びている。数百メートル。けっこう長い。ここは、落ち着いた感じでまだしっかり機能している、昭和の商店街だ。「江戸橋」から歩く。「KOKUYO」と「三菱ボールペン」の看板を掲げる文房具店。看板は、煤けていない。更新され続けている。「ファーマシーEDOBASHI」。薬店でありたばこ屋。サトちゃんの首振り人形もある。旧いけど、きちんと手入れされている。「日立チェーンストール」
立憲民主、国民、共産など野党6党の税調会長らは23日国会内で会談ガソリン税の暫定税率廃止法案を巡り年内の廃止を与党に求める方針で一致したし。自民党が検討する来年2月の廃止法施行よりも早いのは有り難い事ですなぁ^^~~~。ひらがなの俳句川柳短歌なぞかけ時次郎★ガソリン税廃止の声に嬉し泣き★ガソリン税なくなる記事に喜びて一雨晴れてエンジン振るう★ガソリン税廃(すた)れて軽き秋の空★ガソリン税廃止の声に歩み出す★ガソリン税無くして活気甦る
10月18日19日。上野不忍池。「不忍池上野ブツクカフェ2025池のほとりの本のみち」という催しがあった。蓮で埋め尽くされた不忍池のほとりに白木白布の椅子が並べられ、そこで本を読む。専門書や古本を売るテントや、ビールを出す店、ミニコンサートスペースもある。珍しい。本を売り買いするフェアはよくあるが、読書を楽しむ催しは、わたしは、初めてみた。ズラリと並べられた椅子に開きはなく、みなさん、ゆったりとした姿勢て、本を読んでいる。外にいるのが気持ちいいこの季節ならで
土曜日に来たのははじめてだった。音羽、講談社前の群林堂。午前10時。二十人の行列ができていた。これまでは来ていた平日はいつも5~6人待ちだった。賞味期限4時間。おいしく食べるための時間だ。それ以降は、表面が乾いてくる。皮にいくつもの大きな黒豆が顔を出し、なかのつぶあんも、甘すぎずちょうどいい塩梅。場所柄、三島由紀夫、松本清張などの文人や政治家たちにファンも多い。浜松から来る、グルテンフリーでないといけない娘婿の母親に、いつも出す。誰が食べても、おいしいという。
ことしも。金木犀(キンモクセイ)が咲きだした。あの心地よい香りを漂わせて。「君の瞳は1万ボルト」。いい匂いとともに、堀内孝雄の歌が、半世紀近く前の、上京してきた秋の頃に、連れ去ってくれる。本郷の家から近くの金木犀どころ巡ってゆく。本妙寺坂男女平等センターの生垣。毎年、ここが一番最初にその香りの到来を報せてくれる。その南裏手の、近代小説の始祖と言われる坪内逍遥宅から、横溝正史ミステリーのモデルとなったアイヌ研究の金田一京介宅あたりまでの、崖上に立つマンション沿いの生
音が気になる。リモート会議、スマホ会話、キーボードのカシャカシャ、頻繁な咳、咳払い…読書、パソコンでの資料づくりなどの集中したいとき、そうでないときは気にならなかった音が気になりだす。気がいかなくなる。音に敏感なのは自閉症の症状のひとつともいう。わたしは、共働き両親で、親やまわりとのコミュニケーションが不足しながら、一人っ子、鍵っ子として育ってきた。そのせいか、そう見せないようにしているが内向的で、五感、感性が敏感で、反応としての行動が短絡的と、自覚している。