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十月十七日曇后晴、休養、宿は同前。昨夜は十二時がうつても寝つかれなかつた、無理をしたゝめでもあらう、イモシヨウチユウのたゝりでもあらう、また、風邪気味のせいでもあらう、腰から足に熱があつて、倦くて痛くて苦しかつた。朝のお汁に、昨日途上で貰つて来た唐辛を入れる、老来と共に辛いもの臭いもの苦がいもの渋いものが親しくなる。昨日といへば農家の仕事を眺めてゐると、粒々辛苦といふ言葉を感ぜずにはゐられない、まつたく粒々辛苦だ。身心はすぐれないけれど、むりに八時出立する、行乞する
喪失感を離れた話をしたけれどだいぶ前にヨーガの先生に薦められたこの本両親が亡くなってから、毎日お経を上げて、お経に興味をもって、改めて仏教とはなんぞ⁉️な気持ちになってまた読み始めた30年前に書かれた本やけどとても新鮮に思える何千年も語り継がれて行く教えすごいなぁごめんなさい許してくださいありがとう愛してますエミリー
※修証義しゅしょうぎ曹洞宗の信仰指導書の一。1890年(明治23年)成立。道元の「正法眼蔵しようぼうげんぞう」より文章を選び、五章三一節に整理したもの。(大辞林)(修証義総序)冒頭の言葉を引用させて頂きます。生を明らめ死を明きらむるは仏家一大事の因縁なりこの勇ましい宣言を初めて見た時びっくりした。すごい覚悟だなあ、と。【全国曹洞宗青年会】修證義第一章総序ShushogiGeneralIntroduction続けて(修証義第二章)より引用さ
LINEを読んで友人が駆けつけてくれて…ありがたいことですでも、ニャンズは…「昨日は留守番だったし、今日は知らない人が来るし」知らない人ではなく、入院中に猫のお世話を頼んだ友人です。みかんちゃんは友人にくっついて、撫でてもらっていましたが、その他3ニャンは逃げてました。友人が帰ってからの、夜の4ニャン揃い画像。再入院になったら、ニャンズに負担がかかる…何としても避けたい。体力がまた落ちてしまうのもイヤだし。友人も頭を抱える…本日は母の月
『修証義(しゅしょうぎ)』とは日本曹洞宗の開祖道元禅師が著わされた『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』という膨大な書物を、明治時代になって一般に向けて分かりやすくその文言を抜き出し編纂されたものです。仏教の教えを日常生活の中で生かす沢山のヒントが示されているのですが、明治時代に編纂されたものなので現代的に分かり辛いのは否めません。出所:https://horaizen.com/syusyogi1/無常むじょう憑たのみ難がたし、知しらず露命ろめいいかなる道みちの草くさにか
三日ぼうずの会に入って35年。今月も月初めの3日間,坐禅に参加できました。三月も3日まで、朝6時から約1時間俄か坊主になりました。6時前はまだ、薄暗いですね。寒いですが、2月はもっと辛かった庫裡を通り合掌して、本堂に入ります。作務は手分けして、雑巾掛けです。まだまだストーブが無いと辛いですね3日目は長い階段を上り奥の開山堂の掃除もしますよ。作務の後は約30分の坐禅です。そして、般若心経と修証義を住職と共に唱えて終了です。
修証義◆原文と現代語訳/田中治郎Amazon(アマゾン)250円★★★☆☆道元禅師による「正法眼蔵」の精髄をまとめたのがこの修証義。その原文と現代語訳。そうか、確かにタイトルには「原文と現代語訳」とあるが自分勝手に解説も期待していた。解説は冒頭に少しあったのみ。他の解説書でしっかり学んでから、だ。
おはようございます。再度シェアさせて頂きますよ。👇『自身を貶めていますよ』こんばんは!!来週からテスト期間の中学生が家でピアノずっと弾いてるんですけど。。。さて、、、卒業式での「雑品」、、、雑品着用8:素顔2だとかここでも“パ…ameblo.jp御記事中に…。“タマがモト”に帰る時カネは持ってけないよ〜。とありますが、これはまさしくその通りです。真理です。逝く時にはカネも何も持って行けません。唯一ずっとついて回るのは自分が積んだ業、善悪業等のみです。昔から因果応報と言う
ルカの福音書21章ルカの福音書21章1さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちが献金箱に献金を投げ入れていた。2また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。3それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめ...seisho-shinkaiyaku.blogspot.com年間第33主日(2019/11/17ルカ21章5-19節)-福音のヒント主日のミサの福音を分かち合うためにfukuinhint
曹洞宗には、『修証義(しゅしょうぎ)』というお経があります。現代語に近い文言で書かれており、親しみを感じやすい内容です🙄では、第一章「総序」から一部抜粋したものを紹介してみたいと思います。〔第六節〕当に知るべし今生の我身二つ無し、三つ無し、徒らに邪見に堕ちて虚しく悪業を感得せん、惜しからざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて悪の報を感得せざるには非ず。..ハイ。意訳をば↓今、はっきりと理解しなさい。人生は有限なもので、必ず終わりが来ます。
こんにちは。望貴−ミタカ−の佐藤です。修証義を詠みながら、ふと氣になった言葉がありました。冀う(こいねがう)です。大抵の経典の漢字には、ルビが付いています。見かけない単語も、ゆっくりゆっくりでしたら、詠むことができます。そして、ふと氣になった言葉が、冀うです。意味は、強く願う。切望する。です。同音語が、いくつかあったので、『どぅ。違うんだろう。』と、掘り下げてみました冀うと、希う。そして、乞い願う。乞い願うのばあい、乞いには相手に縋る。という意味があります
伯母さんの葬儀に参列した。丸々太っていた顔は半分くらいに痩せていた。でも私は痩せた顔の伯母さんと7ヶ月くらい一緒に過ごしたから、むしろ遺影を見て「だれ?」と思ったくらいだ。伯母さんとはいえお客さまなので、職員の前ではそのように接していた。私を下の名前で呼び捨てにするから「ここではダメだよ」とこっそり話した。でもすぐ忘れる。でも私のことは忘れていない。最後まで「おばさん」と言ってあげられなかったのが心残りだ。だから今日は何度も何度も「おばさん、おばさん」「おばさん、ありがとね」と話
2月に身内を亡くしたこともあって、仏教、とくに「般若心経」への興味が復活しています。壱七日、弐七日、参七日・・・三十五日、四十九日、そして先日の百箇日と法要を重ねて来ました。そこで住職が唱える経は、まず「般若心経」。そして「修証義」からの一節が続きます。1章「こだわらない」~そして、自由になる2章「あるがまま」~置かれた場所で生き抜く3章「怒らない」~ものごとは軽く受け止めていく4章「損得抜き」~そうすれば“迷い”がなくなる5章「本来の自分」~“自分”をとことん
当に知るべし今生の我身二つ無し、三つ無し、徒らに邪見に堕ちて虚く悪業を感得せん、惜からざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて悪の報を感得せざるには非ず。まさに知るべきである。今生の我が命は二つとない、三つとない。間違った見識に陥り悪しき報いを受けることがあれば、惜しんでも惜しみきれない。悪をなしても悪ではないと思い、悪しき報いなどあるはずもないと誤って思っても悪しき報いがないことはない。
善悪の報に三時あり、一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時という、仏祖の道を修習するには、其最初より斯の三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり、但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。善悪の行いと報いには三つある。一つ目は今生の行いの結果が今生で現れること、二つ目は今生の行いの結果が次の人生で現れること、三つ目は今生の行いの結果が更に後の人生で現れることである。仏の道理を習い修め際には、最初にこの三つ
今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、大凡因果の道理歴然として私なし、造悪の者は堕ち修善の者は陞る、毫釐も忒わざるなり、若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。現代において因果の道理を知らず、行いと報いとを明らかにせず、過去・現在・未来を知らず、善と悪とをわきまえない間違った見識の者等の仲間に加わってはならない。因果の道理は明らかで私情を差し挟むことはできない。悪をなし
無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし、熟観ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに到るときは国王大臣親䁥従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり、己れに随い行くは只是れ善悪業等のみなり。無常の命は頼りにならない。露のごとき命はどのような道の草に落ちて一生を終えるか誰にもわからない。この身は自分の思い通りにならず、この命は過ぎさる時間の中で少
人身得ること難し、仏法値うこと希なり、今我等宿善の助くるに依りて、已に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遇い難き仏法に値い奉れり、生死の中の善生、最勝の生なるべし、最勝の善身を徒にして露命を無常の風に任すること勿れ。人として生まれることは難しく、仏法に出会うことはまれである。今の我々は善い因縁の助けによって、既にありがたくも人として生まれたばかりでなく、出会いがたい仏法に出会うこともできた。生死輪廻の中での善い人生であり、最もすぐれた人生である。その最もすぐれ
修証義第一章総序生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。生とは何かを明らかにし、死とは何かを明らかにすることは、仏教徒として最大の課題である。生死の中に仏の悟りがあれば生死は無くなる。ただ生死がつまりは涅槃だと心得て、生死だからといって嫌うべきではなく、涅槃だからといって願うべきでもない。この時初
今日は…良い天気気持ちが晴れますお日さま最高です寒いけど…でめでめギリギリ帝王爆走中です。うらやましいくらいに時間にルーズギリギリでも優雅に朝食を食べれますきわめつけは…外付けポシェットの金具を壊しなおそうとしてグスグスお兄さんと一緒に行けませんでした。残念💦「いってらっしゃ~い」金具、買っておくねでめさん🧑🎶は大好きな事業所の放課後デイサービスの日✨張り切って学校に向かいます母は…畑に行こうか迷いましたが寒いし〜🥶❄️読書です死にゆく人
通夜、告別式、そして昨日の記念パーティー、全て終えて、・・・今朝は起きられなくて、友人から昨日のパーティーの動画が送られてきたのでベッドでず〜っと繰り返して見ていました。一緒に踊る予定で練習していたプアオレナマリちゃんも笑顔絶やさずよく頑張った!月に1.2回は2人揃ってランチに来ていました。「ちょっと、ここのところどうだった?」「ん?それはね、・・・こんな感じだよ」贅沢な時間ですよね、トップのフラをコーヒー飲みながら見てました。(適当な口を挟みながら、笑)ランチメニューも
お揃いドレスでフラダンスをしました。一緒に初釜に行ったこともありました。甲状腺癌になった時には電話もらった。「誰にも言わないつもりだったのにね」って。私が肝炎で治療中だったから病気繋がりで聞いて欲しかったんだと思う。私の方が10歳年上、お互い二黒土星で何となく性格が似ていた気がする。あの時、彼女は甲状腺を半分切除した。その数年後、今度は私が甲状腺癌になった。「リンパ節含め全摘だけど術後はどうなる?」彼女の体験談からの励ましは確かで有難かった。病気繋がり、お互いに検査の不安
漢英和対照仏説四十二章経・修証義:英訳と和訳で仏教と英語が同時に学べるAmazon(アマゾン)490円★★★☆☆昨日の新装版運命を創る/安岡正篤21241に「四十二章経」が仏教書として勧められており、早速kindleで調べてみたところこちらを発見。道元禅師の修証義もセットになっている?不思議なkindleだが、無料なので氣楽にダウンロード。日本に曹洞宗の禅を伝えた道元禅師の主著『正法眼蔵』の趣旨をわかりやすく伝えた『修証義』の原文、英訳、英訳からの
豊橋は雨降り。涼しいような、蒸し暑いような、刻々変わる天候。昨日は午後から田原市の法光院へ出かけた。山門近くにある四国の形を模した池には睡蓮ご住職にお話を伺いたくて連絡してありました。スイレン池で見惚れて止まってしまっていたらご住職の方が山門のところまで来て下さって恐縮至極。ここは河津桜でも有名なところ、ぐるりと境内を案内していただきました。せっかくだからと本堂ではお経をあげて下さって、ますますの恐縮至極、有り難かったです。私も禅宗(曹洞宗)なのですが弘法大師様の回った四国の
■「修証義」から、原始仏教は「人の正しい生き方」を追い求める人たちの集まりから生まれたのではないかと思い、さらにもとをたどってみることにしました。数ある仏典やお経の中でも、一番古いとされているのが「アッタガヴァッガ」といわれています。おそらく、ここに残っているお釈迦様の言葉が、最もお釈迦様がもともと言っていたことを残しているように思います。湧くわく本心塾の照宮隅ライブラリーにあるこちらの本を読んでみました。ブッダの言葉~最古の原始仏典「アッタカヴァッガ」
■前回に続いて今回は、「修証義(しゅしょうぎ)」で感動した一番のポイントについて書いていきたいと思います。修証義の第四章では、「発菩提心(ほつぼだいしん)」について書かれています。菩提心とは、わずらわしい悩みや苦しみを断って、悟りを求めること。悟りとは、やすらぎとか平安と言ってもいいかと思います。なので、発菩提心とは、平安や安心を得るのを志すこと。以前に、四弘誓願文(しぐせいがんもん)というのを紹介したことがありますね。こちらの過去記
■本日は、湧くわく本心塾で「修証義から学ぶ仏教」という講義をさせていただきました。講義をした自分でいうのもアレですが、仏教で一番大事なエッセンスを凝縮してお伝えができたかと思います。仏教は、時代を経て複雑化していきましたが、もともとの教えはそれほど難しいものではありません。そして、その教えは、日本人の潜在意識に驚くほど深く浸透しているということが、講義をしていてまざまざとわかりました。修証義には十六条戒という日々の生活で守るとよい教えがあり
■日本の仏教界で一番の天才はだれだったか。いろんな意見はあると思いますが、個人的にはやはり空海さんではないかと思っています。仏教はもちろんですが、語学、書、土木工事に至るまで、空海さんの天才性は、人類史上でみても際立っていると思います。とはいえ、空海さんは日本の歴史区分でいえば古代の方。中世以降で一番の天才というと、道元さんの名前があがってくるのではないでしょうか。道元さんは曹洞宗の開祖です。全国には約8万社の仏教寺院があるといわれて